逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

日本独立(単独講和)60周年

2012年04月28日 | 政治

『60年前の独立記念日』

国家も国民も、誰も祝うものが無い(誰もが忘れて仕舞いたい国辱的痛恨事の)不思議な独立記念日が今年もやって来た。
60年前の1952年4月28日。
この日、サンフランシスコ講和条約(付属の裏条約としての日米安保条約)が発効し、米軍全面占領下の日本国は念願の独立を名目上果たし、国際社会に復帰している。
日本の独立自体は喜ばしい話だが如何せん。時期が悪すぎた。
1945年の日本の敗戦から7年後であるが、1950年の朝鮮戦争開戦から2年後であり米軍の兵站基地としての戦争経済(平和な准戦時体制?)が、今に続く日本国の『国のかたち』を決めたのである。

『サンフランシスコ講和条約』

単独講和で『東京裁判』と『領土の放棄』を渋々受諾し、それらとセット構造になっていた日米安保の批准で、戦争に懲りた筈の我が日本国は否応無く西側陣営として『冷戦の仲間入り』を行った。
60年前の1952年4月28日の日本独立で、日本国の何が変わったのか。
実は何一つ変わってはいなかったのである。
日本を占領していた米軍4個師団7万人体制は朝鮮戦争勃発で出兵して一時的に空洞化したが日本人傭兵の自衛隊(警察予備隊)の編成で穴を埋め、その後は元の7万人体制に戻っている。
沖縄の軍事占領はまったく変化なし。変化どころか逆に米軍基地は拡充、強化されて日本独立の後も過酷な軍政は20年間も継続し、今日でも基地の重圧は変わることなく続いている。
日本本土でも事情は同じで変わらなかった。
全国に散らばっていた基地の幾つかは撤去、縮小されたが肝心の日本国の首都東京の周辺の米軍基地の多くは返還されず元もままで残っている。
本土上空の広大な区域が米軍機の訓練空域として接収されたままで羽田空港西側の空域は米軍が管理していて、独立後60年間も民間航空機は立ち入れないままである。
60年前の日本独立(サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効)の意味とは、日本国や日本人にとっては単なる無条件の現状追認(現状肯定)であり、官僚的な前例踏襲、慣例重視の日本的現象に過ぎなかったのである。
60年前の日本独立という名の『無条件・無原則の際限の無い現状肯定』(単独講和と安保条約の受け入れ)とは、『全ての物事は、ありのまま受け入れる』とする日本人の古代から連綿と続く深層心理の『かんながらの道』の精神構造でもあるので、何の問題も無く受け入れら現在に至っている。

『戦後日本の歴史』

第二次世界大戦で国富の9割以上を失って焼け野原になった日本国ではあるが、戦争の廃虚の中から立ち上がった日本人は、わずかな時間で平和で豊かな国を造り上げた。
ただし、日本独立60周年と『一言』でいっても最初の40年間の世界が目を見張った驚異的な『発展』と、その後の今に続く20年間の不思議な(世界を驚かした)『完全な停滞』との、あまりにも対照的な両極端の両方を経験している。
しかし世界の模範となる独立から『40年間』で世界第二の経済大国にまで発展した日本と、その後の対照的な正反対の『20年間』の成長しない日本では、国内条件的には日本側には何一つ大きな変化は無かった。
この『簡単には内面の本質が変化しない』ことこそ、我が日本国の一番の特徴なのである。
日本自身は変化していないが、大きな変化があったのは日本を取り巻く環境で、60年前の独立時の冷戦構造のための単独講和条約も日米安保も、残念ながら20年前の冷戦崩壊で賞味期限が切れていた。
もはや存在意味を失っていたのである。
ところが世界の潮流に抗って我が日本国ただ一国だけは、ドンキホーテの如く終わった筈の冷戦構造(日米同盟と中国敵視や北朝鮮バッシングなどの東アジアでの緊張政策)の再構築にいそしんでいるが、1945年5月のドイツ降服(実質的な世界大戦の収束)後の大日本帝国の戦争継続方針と同じ種類の根本的な『間違い』である。
世界の大勢が根本的に変化している現状を無視して以前と同じ方針のままでは幾ら日本国が頑張っても、これでは成功する筈が無い。

『何も無い、日本独立60年の節目』

藤村修官房長官は4月25日に『わが国が完全な主権と自由を回復し国際社会に復帰した日だ。戦後の発展の礎となったばかりでなく国際社会の平和と繁栄の基盤となった。』と自画自賛したが、60年の節目なのに政府として何の行事も予定していない。
首相談話を出す予定もなく、到底日本政府として4月28日を喜んでいる風には見えない自己矛盾。
野田佳彦首相は翌日の29日からの訪米を予定しているが、サンフランシスコ講和条約60周年関連の行事予定はまったくないという。
日本政府も無いが、与党民主党も矢張り無い。
自民党時代からの恒例の新首相就任時の通称『参勤交代』の日米首脳会談は続いていたが、政権交代で日本に民主党政権が成立して2年半。首相のホワイトハウス公式訪問は途絶えたまま。
今回の初めての公式訪問に舞い上がっているのだろうか。
与党時代はだんまりを決め込んでいた自民党は、日本独立の4月28日を『主権回復記念日』として祝日にする法案を民主党政権下で去年8月に初めて国会提出したが流石に自分でも恥ずかしいと思ったのか、その後は完全無視している。
一応、自民党は60周年の節目の4月28日に『主権回復記念日国民集会』を予定しているが開く場所は自分の『党本部内』である。これでは『やる気』がまったく感じられない。
4月28日は自民党(吉田茂)が名目独立(経済的主権回復)と引き換えに国家主権や領土を外国に売り飛ばした『屈辱の日』だと薄々感じているのだろう。

『戦後日本の「国のかたち」を決めた4月28日』

毎日新聞2012年4月28日付け社説『孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年』で、>『まず60年前の原点にもう一度立ち返ってみよう。なぜ私たちは、あのような無謀な戦争をしてしまったのか。再び国を破滅に導かないためどうしたらいいのか。戦争から講和、復興へと続く歴史を振り返ることで、そうした問いへの手がかりが浮かんでくる。』<と、一見すると誰も反対出来ない極めて当然の主張をのせている。
日米開戦の12月8日が無ければ、敗戦の8月15日も無く、屈辱的な日本国の全面占領も無い。
日本国が独立を失わなければ、当然1952年4月28日の『独立』も無かったのである
毎日社説が指摘するように、確かに日本国が戦争を始めた原因の解明(戦争責任の追及)には不熱心であったことは事実であるが、果たして国家にとってそれ(戦争の開始)が一番大事な事柄だろうか。
大いに疑問である。
憲法9条のお蔭で敗戦後67年間も戦争を知らない日本人は大きな誤解をしているが、戦略家クラウゼヴィッツが『戦争論』で喝破したように『戦争とは他の方法による政治の延長』にすぎないのである。
戦争の開始自体は、実は世界史的にはありふれた日常の出来事であり、何ら特別でない。
ただし、世界史の舞台であるユーラシア大陸から200キロも離れている難攻不落の要害の地である我が日本国では矢張り珍しい特別な出来事であった。
有史以来日本国が外国と戦争をしたのは7世紀に中大兄皇子が朝鮮に出兵して唐、新羅連合軍と戦って大敗した『白村江の戦い』と、16世紀に豊臣秀吉が矢張り朝鮮半島に出兵して明、朝鮮連合軍と戦った歴史があるだけ。
近年明治政府が中国や朝鮮で戦争を続けたのは長い日本の歴史の上では例外的な話であり、唯一日本が外国から攻められた世界征服の野望に燃えたモンゴル帝国の『元寇』などは例外中の例外。
この元寇も世界帝国への服属を求めたモンゴルの特使を日本側が殺してわざわざ戦争を誘発した側面があり、朝鮮との国交回復を果たした徳川家康や対馬の宗氏、琉球王朝の様なしたたかさや二枚腰の外交感覚が当時の鎌倉幕府の執権北条時宗にあれば十分避けれた可能性は高い。

『戦争で一番大事なのは開戦ではなく終戦』

毎日社説氏は根本的な勘違い(見落とし)をしているが、戦争で一番の問題点は『開戦』の是非(大義)とか時期ではなくて、一度始めた戦争の終結なのである。
これが一番難しいことは世界最強の軍事力を持つアメリカでも、自分が始めたイラクやアフガンの戦争の終結に苦労している様を見れば誰もが納得する筈である。
日本が『間違った』最大のものは無謀な戦争の『開戦』の決断ではなくて、『終戦』の決断を最後まで出来なかった事に尽きるのです。
連戦連勝、破竹の勢いの同盟国(ドイツ軍)の勝利を信じて始めた対米戦争の開戦後に判ったモスクワ攻防戦での初めてのナチスドイツの致命的な敗北。
真珠湾奇襲攻撃のヒットアンドウェイで、1941年の時点で戦争を止めることに成功していれば日本は完全に無傷であり、アメリカをしのぐ世界第一の経済大国にのし上がれたかも知れない。
開戦半年後の1942年のミッドウエー海戦で日本海軍連合艦隊の壊滅時点でなら中国大陸からの撤退とのハルノート程度の有利な条件で終戦が行えた。
あるいは翌年1943年のガダルカナル島の戦いの敗退時なら、あるいは、せめて日本の最後の防衛線であるサイパン島陥落で大日本帝国の敗戦が誰の眼にも確実になった1944年7月時点の終戦なら日本本土はほとんど無傷だった。
せめて、最後の同盟国ドイツが無条件降服し実質的に第二次世界大戦が収束した1945年5月時点での終戦の決断なら、アメリカの原爆攻撃もソ連軍参戦も無く、我が日本国は人的損害も物的損害も半分近くで済んでいたし、今のように広大な日本国の領土を失うことは無かったのである。
ところが誰が見ても勝てない(完全に負けている)戦争でも日本国では誰も『止める決断』が出来ないので、完全な負け戦をずるずると続けて、損害を天文学的に積み上げてしまう。
この日本の悪弊は今でも昔と少しもかわりが無い。
一度始めて仕舞うと誰も『止める決断が出来ない』のは、何も太平洋戦争だけに限らず日本では普通に起きる出来事であり、日本国の摩訶不思議な『伝統』(病気?)なのです。
『間違いであった』ことは全員判っているのだが、一度決めると誰も止められない不思議の国日本。
戦後の食料難から一転して飽食の米余りで減反政策を進めながらの諫早湾の干拓や、アメリカ軍の世界規模の再編成で日本から出て行く普天間の海兵隊の辺野古基地建設、地震列島での危険すぎる原子力発電などなど。
世の中が根本的に変化して最早最初の意味を失っているのは全員良く知っているのです。ところが止める決断が出来ないので屁理屈を捏ねまわしてだらだら続けている。
このように即座に中止すべきことでも誰一人、『止める決断』が出来ない日本国の情けなさ過ぎる特徴は枚挙にいとまが無い状態である。


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9 コメント

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終戦の決断 (ましま)
2012-04-29 18:27:16
東条は忠臣で偏差値も高そうだが政治・外交・戦略いずれもレベル以下。

近衛は、センスはいいが貴公子のため細川同様うまくいかないと投げ出す。最後が自殺だったのは気の毒だったが。

明治の元勲のような政治家がいないので、平和志向の昭和天皇の所へ責任がかぶってくる。

自民ほかの右派は、戦前にもなかった日の丸・君が代を憲法に載せ、天皇も元首にする。「防衛軍」がことを起こせば、外国から見て天皇に戦争責任があると思われても仕方がない。

今の政治家は、明治の元勲はおろか近衛・吉田茂に肩を並べられるような者もいない。お寒い限りです。改憲派は、それでもよろしいらしい。
「想定外」の意味 (宗純)
2012-04-30 13:48:46
ましまさん、コメント有難うございます。

この、『地獄を見るまでは誰も止めれなかった。』話ですが、
本当に日本の敗戦は当時の人々にとって『想定外』だったのでしょうか。
大いに疑問です。
1941年の日米開戦当時、陸軍も海軍も日本政府も天皇も、全員が首都ワシントンを落としてアメリカを占領する意思はまったく持っていなかったのは明らかな事実なのですよ。
そもそもアメリカに勝てるだけの実力が日本に無いことくらいは、全員が知っていた。
ところが同時に全員が日本軍無敗神話も信じていたのですから話がややこしくなる。
絶対に勝てない相手(米国)と戦争を始めてしまった、絶対に負けない無敗の神国の皇軍が戦う話ですから、これはもう中国の故事の矛と盾。
絶対矛盾の自己同一ですね。
この話は、今の福島第一原発事故と野田内閣の原発稼動方針(安全神話の維持)とそっくり同じ種類の話ですよ。
昨日のNHKのETV特集で海外から見たフクシマを放送していたのですが、日本より多い電気の4割を原発に依存しているスイスは『フクシマの教訓』というリポートを公表しているのですが、スイスの原子力規制委員会の副委員長が実に面白い発言をしています。
今回のフクシマのシビアアクシデントを日本は『想定すら出来なかった。』と驚き呆れているのですね。
同じ意味のことはアメリカのNRC(原子力規制委員会)関係者全員が異口同音に語っている。
アメリカですが、事故を起こしたGM製マーク1原発はアメリカ製なので無関係ではない。
アメリカでは原発の過酷事故(シビアアクシデント)の発生は1980年代から真剣に考えられていたし訓練も重ねていた。これはスイスも同じ。
ところが日本では過酷事故の発生は最初から想定外として考えること自体を放棄していた。
それでは日本人全員が過酷事故を絶対に起きない『想定外である』(原発は絶対に安全)と信じていたかと言うと、これは70年前の日米開戦当時の日本がアメリカに勝つ話と同じで、真実ではなくて真っ赤な嘘ですね。
『信じていた。』のではなくて『信じていたかった。』だけなのです。
これは原発でも同じ。
福島県知事とか福井県知事とか原発がある大熊町やおおい町の町長ですが、最初から『原発が危ない』との前提で『原発は安全』なるお題目を唱えているのです。
原発立地の地元自治体には国や電力会社から膨大な補助金や交付金が出されているのですが、『危険だから』が理由であり、政府や電力会社の言う通りに『安全』なら、話は逆で、大手の民間企業を誘致する為に、地元の自治体は税金の減免処置であるとか土地の提供など積極的に便宜を図るのです。
原発誘致とは正反対の態度なのですよ。
今度の福島県の事故では『東京など大都市で使う電気を田舎で作っていたのだから原発の地元の優遇は当然』との不真面目な馬鹿馬鹿しい話が知事や町長から出ていたが、
都会で使う精密電子機器を作る工場を田舎で作る話なら、逆に地元自治体側が『工場に来て欲しい』ので企業側に優遇策を提示する。
『安全神話』が本当であるなら、原発と精密電子機器の工場とは地元にとっては同じ意味なのです。
政府とか電力会社とか福島とか福井とか、全員が『危ない』ことを知っているが、『原発は安全』と人前では喋っているだけの話ですね。
日本人ですが、70年前の日本人と同じなのですね。
大失敗しても進歩も教訓も無いとは本当に困った話です。
自民党に国旗、国歌を政策に掲げる資格があるのか? (さそり座)
2012-04-30 13:50:13
 国旗、国歌は国の独立の象徴です。
ところが、戦後政治において、アメリカ属領統治の代理人となり、利権を欲しいままにしてきた自民党にこの資格はありません。
さらに原発を推進し国土を汚染した政党です。
テレビが属領統治の道具として活用され、またされつつあることはネット等で暴露されています。テレビ出身者がどのような輩か、この事実だけで明らかでしょう。
橋下、東国原、櫻井・・・・・テレビ出身の政治家、評論家はさそり座は信用しません。
橋下の国旗、国歌の政策も信用しません。

世紀末のドサクサに (宗純)
2012-05-01 10:25:17
さそり座さん、コメント有難う御座います。

日の丸君が代ですが正式な国歌や国旗と制定されたのは脳梗塞の平成の借金王の小渕恵三が首相の時。999でコンピューターが誤作動すると大騒ぎした1999年のことで、たったの13年前。
それ以前は正式なものではなくて、暫定国歌であり暫定国旗だったのですね。当時は大臣や総理の記者会見でも日の丸を掲げることはなかったのですよ。
記者会見時に日の丸をバックにする風習は、極最近の話であり日本国の伝統ではありません。
今年の4月から武道が男女とも必修化され重大事故が頻発することが今から心配されますが、これは2005年に教育基本法を廃止した安倍晋三が思いついたもの。
戦後政治の総決算、レジームチェンジの安倍晋三が始めたのが記者会見での日の丸掲載であり、今ではあの橋下徹までが真似している。
日の丸君が代ですが、日本を占領したアメリカは『軍国主義』とは直接結び付いていないと考えたようで、新国旗とか新国歌の選定はおこなわなかった。だから1999年まで暫定だったのです。確かに元舟印の日の丸は行軍時に先頭に掲げられた歴史があるが、君が代の方は突撃時とか玉砕時に兵士が歌った例はまったく無い。
大日本帝国敗北65周年と日米安保
2010年08月15日 | 軍事、外交
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/5446874c82a261449578486ff94a744b
理由は簡単で、君が代は祈りの歌であり普通の国歌のように全員が歌うようには出来ていない。無理して歌ったとしても気分が高揚したりしない。
逆に気持ちが落ち込み陰気な雰囲気になる。全員のテンションが下がる不思議な歌なのです。
サッカー・ワールドカップと『君が代』
2010年06月18日 | 政治・外交と天皇制
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/d9ae70c4c2f4f5d68d5d7e88b3a3a86f
伯爵さん、コメント有難う御座います (宗純)
2012-05-02 10:13:25
折角貴重なコメントをして頂いたのですが、残念ながら便所の落書き程度のしつけの悪い子供の悪戯を削除するついでに間違えて削除してしまいました。
大変失礼いたしました。
普通ならネットウョ君の嫌がらせコメントでも一応は何かの役に立つと思い、『削除』ではなくて『不掲載』として別の場所に保存するのですが、今回はシャッターやガードレールへの暴走族の落書き以下の水準である。
汚いゴミをそのまま放置すると真似るお馬鹿が出て来るので、速やかな掃除が一番ですね。
何事も修行の第一歩は先ず掃除。
本人は『嫌がらせ』している心算なのでしょうが、ネットの仮想空間の嫌がらせ程度など所詮紛い物であり、解同などの実力行使の本物の嫌がらせを知っている身には可愛い可愛い。
語彙が貧しくネットウョ君としても低レベルすぎる。
哀れな右翼に好かれる様ではお終いです。
今回は救い難い阿呆にでも一定の感情の影響を与えれたのですから『効いている。効いている』と密かに満足、満足。
この記事が余程脅威に感じたか癪に触ったとしたら、実に楽しい心躍る話であり、これ以上に喜ばしい話は無い。
お馬鹿すぎて政治的な判断が出来ないので自分が当方の記事の応援コメントをしていると気が付かないのです。
なんとも困ったことに、此の頃は歳のせいかそれとも結果が判って仕舞うせいか、何事に対しても『仕方がないなあ~』と昔ほど怒りの感情(パワー)が無くなって仕舞っているのですね。
今後ネットウョ君にはもう少し真面目に『嫌がらせ』を頑張って頂いて、当方の『やる気』に繋がる『怒り』のエネルギーを、何とか掻き立てて貰いたいものです。
でたらめだったのは、ドイツも同じ (伯爵)
2012-05-03 15:44:28
>戦争で一番の問題点は『開戦』の是非(大義)とか時期ではなくて、一度始めた戦争の終結なのである。

全くおっしゃる通りですが、1941年11月時点でドイツがソ連にも英国にも勝つだろうと予想していたことが一つの日米開戦の軍事的根拠だったのは間違いないと思います。 つまり、対米戦争に関しては"日独伊 対 米国"という図式を描いていたのでしょう。 それが 12月11日には、ドイツはレニングラードで守勢に転じてしまいました。

しかも、ヒトラードイツが滅茶苦茶な戦争を仕掛けていたことを、日本軍部は軽く見ていたと思います。 ソ連はドイツに報復するために必死になったし、米英も同様です。 そのような認識の足りなさが日本が終戦時期を誤ることにも繋がったのでしょう。

右翼の方々のコメントについてですが、可能なら消去しないで載せていただくと読者としても参考になります。
「勝ち馬にのる』のが日本の軍事の伝統的な作戦 (宗純)
2012-05-21 11:35:20
伯爵さん、コメント有難う御座います。

1939年にすでに第二次世界大戦が勃発しているのに、世界戦争の始まった翌年の1940年(昭和15年)9月27日日独伊三国同盟を結んだ我が日本国。
この時点での外務大臣の松岡洋右は間違いなくナチスドイツの破竹の進撃に幻惑されてドイツなど枢軸国が側の勝利を確信したのでしょう。
それなら太平記の昔からの日本の武士の伝統の『勝ち馬にのる』作戦は当然な話なのです。
忠だ孝だなどの武士道は後世の作り話であり、勝敗こそが最大の価値観なのですね。
源平の昔から例え親兄弟を殺すことになろうとも『勝つ方につく』『勝ち馬にのる』ことが優先される。
400年前には豊臣恩顧の大名が全員裏切って勝ち組の徳川方につき、150年前には徳川将軍家の譜代親藩の大名家が軒並み裏切って勝ちそうな薩長に味方する。
明治維新後もこの裏武士道は健在であり、日英同盟で当時の世界の海を支配していたイギリスという勝ち馬にのり、日本は利益を得ていた。
日中15年戦争も義和団の乱での勝ち馬にのる作戦の成功の延長線であり結果です。
日英同盟で第一次世界大戦でドイツ領の南洋諸島を火事場泥棒的に手に入れる。
続く第二次世界大戦ではまったく同じように日独伊三国同盟で日本はドイツに降服したフランスの植民地だった仏領インドシナを無理やり手に入れる。正しく火事場泥棒を働く訳です。
この事態を見たアメリカが出したのがハルノートの最後通牒。全面禁輸の対日経済制裁ですね。
ですから今までの日本の大成功していた『勝ち馬にのる』火事場泥棒作戦がこのときは完全に裏目に出たのです。上手く行き過ぎた成功こそが大失敗の原因であり、人間万事塞翁が馬ですね。
なるほど (ちくわ)
2012-05-21 16:45:38
英国に屈し、その力を借りて成立した明治政府と米英に反抗し大戦争を起こした昭和の政府が、これまで自分の中で連続しなかったのですが。

なるほど、結局その場しのぎの短期的視野で
勝ち馬に乗ろうとしていただけなのですね。
ようやく繋がりました。
グルカ兵(イギリスの傭兵)としての日本軍 (宗純)
2012-05-26 15:46:00
ちくわさん、コメント有難う御座います。

世界帝国のイギリスですが、英・ネパール戦争当時自軍と戦って勇猛だった山岳民族のグルカ兵を、その後傭兵として採用し、アルゼンチンとのフォークランド紛争など今でも最も危険な任務には最前線に送られているようです。
この例は我が国でも同じで薩英戦争で勇猛だった薩摩を以後グルカ兵のように、イギリスが自軍の傭兵部隊として使用していた形跡があるのですね。
日本の日露戦争ですが、イギリスの援助は明らかなのです。
当時イギリスは西では世界覇権をかけて対ロシアのクルミヤ戦争の大戦争をしているし、アフガニスタンでもロシアと睨みあう。
この流れでユーラシア大陸の東の端でイギリスが対ロシア戦(日露戦争)を誘導したと見る方が、満州とか朝鮮の利権を日露が争ったとの公式の歴史書よりも現実的です。
日本が勝てなくともロシアの国力を削ぐことが出来て得であるし、日本が負けても自国には損害が及ばないので両方とも得なのです。
当時の日本ですが、幕末に幕府が武力に無理やり結ばされた不平等条約で、関税自主権も無く外人に対する治外法権、経済的にもの半植民地状態だったのですよ。
常識的に見ればロシア軍軍艦に対する日本側の奇襲攻撃による開戦は、第二次世界大戦時の真珠湾奇襲攻撃以上に無茶苦茶な話であるのです。
全面戦争では太平洋戦争と同じで、日本側には相手国の首都を落として敵国ロシアを全面占領する心算も実力も最初から無かった。
対してロシアには全面戦争なら相手側の国土を占領するだけの実力があったのですが、不思議なことに日露戦争では双方が相手側の国土自体に対する攻撃は控えていた。
日露両軍とも、全ては外地の中国国内で戦っていたのです。
国家間の全面戦争とは思えない摩訶不思議な面白い話なのですよ。
ロシアとしては日本軍がイギリスのグルカ兵であると認識していたのでしょうか。
太平洋戦争の従軍経験のある司馬遼太郎は愚劣極まる日本軍の実体を知っていたので、日露戦争までの日本軍指導部は優秀であり、それ以後の軍人達が日本を破滅に導いたとしているが、
日露戦争当時の日本軍指導部の軍人とか政治家は全員が江戸時代の道徳教育を受けている世代なのですね。
これ等の江戸時代の教育を知っている世代が引退して、それ以後の明治の教育勅語の教育だけをを受けた世代が台等した後は、日本は目を覆うばかりの凄まじい堕落腐敗の有様なのです。
教育勅語による教育には致命的な欠陥があったのですが、ところが安倍晋三とか橋下徹とか石原慎太郎は、決してその明確な事実を認めないばかりか正反対に描いているのですから呆れる話です。
亡国のやからですね。

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