逝きし世の面影

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解同(部落解放同盟)に対する初歩的な誤解Q&A

2011年07月11日 | 部落解放同盟

Q,「部落」というのは、「町、村」などと同じようなの地域を指す言葉で、決して、差別用語ではなかった。何々部落と地区名を言うし、少し昔は「部落リレー」という種目が運動会のプログラムにあるくらいでした。

A,そもそも『部落』の言葉には何の差別的な意味は無くて、部落解放同盟のこの『部落』とは未解放部落を短縮した『言葉』(意味)だったのです。
ですから本来なら未解放部落・解放同盟とするべきであった。
ただ一部では『未解放部落』のことを『部落』とも短くして呼んでいたので正式名称が未解放部落・解放同盟にはならなかったのです。
日本語とは常にこのように短くして使用する傾向がありテレビジョンがテレビにパーソナル・コンピューターはパソコンに短くする。
英語など他の言語とは違い、最も大事な主語などの一番大切なものがわざと省略されたり言葉の真ん中部分が省略されたりの、この日本語的な短縮現象は世界的に見ると実に珍しいらしいですよ。
省略された部分は阿吽の呼吸でお互いが推察する。
パソコンですが英語圏では絶対に意味が通用せず、外国の場合にはPCと頭文字で表すことが有るが、これも元の言葉は日本語の様にPersocomと短くとはならないのです。
未解放の意味ですが他の地域との通婚など相互の交流が禁止されていたことを指していますが、これは何も同和問題に限らず江戸時代では当たり前で普通のことです。
武士は武士と農民は農民と結婚する。同じ身分のもの同士の間でしか結婚しなかったのですから、江戸時代の単なる『封建的身分制度』ですね。
そして当時は身分で居住地も決まっていて、町人とサムライは地域別に住んでいたが、勿論支配階級であるサムライは一番良い場所を、少し劣る場所が町人に割り当てられる。
士農工商の下に位置したエタヒニン階級は一番悪い土地が割り当てられる。
都会でない田舎の村落でも普通の農民階級の部落の外れに、別の小さな賎民身分の部落が作られるわけです。
明治維新で江戸時代の封建制度の身分制度は法律的には無くなったのですが、現実の今までの社会の棲み分けていた構造自体は、即座には無くならないのは当たり前ですね。
これを描いたのが住井すゑの『橋のない川』で、巨匠今井正が監督して映画化もされているのですが、何と、解同は差別映画であるとして例によって暴力的な糾弾闘争を始めるのですね。
この事件は、差別をこじつけて利権を漁る暴力的利権集団である解同の特徴が如実に表れている。
封建制度の残滓で、明治時代に交通の利便性から判断して普通なら当然在るべき橋が、川の向こう側が未解放部落だから不都合との理由で『造られ無い』のです。
今の解同ですが、本来の未解放部落の名称を、『被差別部落』と言葉自体を言い換えているのですよ。
確かに昔から被差別部落の言葉も有るにはあるが、何とも悪賢い連中です。
いま、これだけ交通網が発展した近代社会で、日本中をくまなく探しても何処にも未解放部落なんか有るはずが無いのです。だから被差別部落と言い換えた。
制度的な差別(未解放部落)は政治的な問題であり、解決は十分に可能である。
ところが『差別感』は其々の心の中の感情であり無くすどころか、有るか無いかさえ誰にも判らない曖昧模糊とした『内心』である。
しかも近代民主主義社会では、良いものだけではなくて社会的に悪いものも『内心』は聖域として保護することで成り立っているのですね。
個人個人の『内心』の良し悪しを政治的に解決することは絶対に不可能であるし、例え出来たとしても『政治』が行ってはいけない。
解同はいま人権擁護法で、基本的人権で保障されている民主主義の根本であるこの内心を『差別である』と自由勝手に認定して部落解放同盟が取り締まることを考えているのですから恐ろしいですね。

Q,「開放」と「解放」はどちらも「カイホウ」と読むが意味の違いは有るのか。?

A,『開放』と『解放』とは似ているようで実は微妙な(大きな?)違いがあります。
『開放』の文字に比べて、『解放』の字の使用頻度はずっと少ないようで、『カイホウ』とパソコンに入力して変換すると『開放』が必ず先に来て仕舞うので、うっかりすると部落『開放』同盟と間違うことになる。
開放の言葉は、広く『開け放す』の意味で、市場開放など誰でも出入り自由にすることで反対語は『閉鎖』や『閉塞』。
対して部落解放同盟の『解放』の言葉は、束縛から『解き放つ』の意味であり人質解放や奴隷解放、女性解放運動などと、対象者(物)を自由にすることで反対語は『束縛』や『拘束』である。
開放と解放は何れも狭い領域から広い領域の間を隔てる関門を『はなつ』意味であるが、開放では相互に出入りが自由で、方向性が双方向である。
ところが解放は必ず方向性があり、しかも逆方向への動きは想定していない。
身分制度の未解放部落は日本国にはとうの昔に存在していなくて、今の全ての地域は完全に開放されていて、居住には誰もが何の制約も無いし区別も無い。
開放の意味なら、既に『完全に行われている』のです。
ですから部落解放同盟が、そもそもの意味である未解放部落・開放同盟であったなら、そんな時代錯誤のアナクロな団体は今頃は消滅していることだけは間違いありません。

Q,差別問題としての同和(部落差別)と『在日』との歴史的な違いと、今日的な課題とは何でしょうか。

A,『同和』と『在日』は、うっかり同じ『差別』の問題として捉えると、勘違いを起こし間違います。
部落差別(同和問題)は近代民主主義の原則から逸脱した150年前の封建制度の遺物であり、差別だけでなく全ての区別も無くして終う(存在自体を無くす)方向で解決するべき性質のものですね。
ところが解同(部落解放同盟)は逆に、差別を理由にして厳格な(いわゆる被差別者と、其れ以外の「全て」との)『区別』を要求しているのですから主張が無茶苦茶。
解同の主張は支離滅裂であり人権団体ではなく、その反対の差別を餌にして増殖する暴力的利権集団であることは間違いないでしょう。
対して『在日』問題は民主主義の原則を徹底して差別は無くすべきですが、『少数民族問題』(世界共通のマイノリティー問題)で在る事を決して忘れては駄目で、間違っても『民族の区別』まで無くしてはいけないのです。
ところが日本はこの根本的な『重大な間違い』(善意からの勘違い?)を過去に犯しているのですが、現在でも相変わらず間違っている人が大勢いいる。
新しい歴史教科書作る会など極右勢力は『日本は朝鮮に対して平等に云々』と残酷な植民化政策を合理化してるのですが、相手側(朝鮮人)が何を一番怒っている(恨んでいる)かの理由が理解出来ていない。
本来何処の国でも民族主義である筈の『右翼』ですが、日本の場合には対米従属の売国路線である為に客観的な、『まともな民族問題』の科学的認識が根本的に欠如してしまう。
そのために基本的に民族主義の対極にある亡国の無国籍(国際?)右翼で恥ずかしい限り。
この根本的な劣等感の裏返しとして日の丸君が代での歪で偏狭な愛国心を強調する必要が生まれるのです。
日本よりも長い歴史と伝統が有る独自の優れた文化を持っていた朝鮮人に対して創氏改名など過酷な同化政策を推し進めて『皇民化政策』という名の民族絶滅政策を行った歴史が有るが、これは日本国内では既にアイヌ人に対して行っていて、日本人とは別の独自の優れた文化も言葉も今では失われています。
今の日本国内ではアイヌ語を母語とする人々は絶滅してしまったのですね。
アイヌ人に対して、同化政策というジェノサイド(絶滅政策)が短期間に成功してしまったのです。
朝鮮学校の問題を見れば、護憲左派でもこの在日問題が少数民族問題であるとの認識は低いのが現状です。
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6 コメント

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双方向だとしても (通りがかり)
2011-07-11 02:24:52
双方向だとしても、情報を利用する場合には一方的でしかも倫理感が噛み合っていない人達が気軽に利用して、目に映り、傷付いた後に良いか悪いかを発信していかなければならないという細かな作業的日常を送り続けて苦しみとして蓄積されていくというのは、解放されていると思えません。情報流通から完全に逃れたり休める場所が一つもない人の心が解放されているなんて言えないと思いますが。これは最低限の条件ですが「何も気付いてはいない、気付くほど情報を持たない」とかいうならば同じ環境でも自由で居られるのでしょうが、情報の流れに飲み込まれている事を知った後では解放などとは程遠いかと思われます。始めから、もっと早くに気付いていたならば、結果が違ったでしょう。
甘い汁としての差別 (疑問に思う人)
2011-07-13 14:41:18
親の話ですが、高校時代部落出身の同級生が、部落の地域に逃げ込めば警察も追いかけてこないと言ってたそうです。つい最近でも、京都や奈良で、特別枠を使ってやりたい放題していたのが発覚したばかり。
差別がなくなると甘い汁が吸えなくて困るので、差別が無いと困るのでしょう。部落解放同盟というより、部落存続同盟と改めた方が、今の世では適切ですね。
何かが言いたいのだろうが (宗純)
2011-07-13 17:26:59
意味不明です。
この記事の趣旨は、開放と解放の違いは、双方向か一方向の違いが必ずあるとするものではなくて、『その様な傾向がある』程度の枕としての話であり、主題ではない。
内心である差別の問題とは本来無関係で些細な違いであることは誰にでも判るはずです。
また、
民主主義の基本的なルールでは、個人個人の内心は聖域であり、良いか悪いかなどの理由をつけたとしても、誰であれ干渉されない権利が有る。
もう少し基本的人権とは何か、民主主義の原則とは何かを少しは考えてから、コメントの書き込みをして下さい。

コメントは不掲載でも、削除せず大切に別の場所に保管していますが、
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次回からは残念ですがスパムコメントとして不掲載とします。
昔は酷かった差別 (宗純)
2011-07-13 18:10:47
疑問に思う人さん、コメント有難うございます。

1923年(大正12年)の関東大震災当時に被災した国民の不満が政府に向かうことを恐れた日本国は数千人の在日朝鮮人を虐殺したのですが、これを憲兵隊や警察が先導して行ったのですが、実際に手を下したのは一般市民の自警団ですよ。
普段は大人しいことで定評がある日本人が昨日までの隣人である朝鮮人を情け容赦なく虐殺する。
この原因は在日朝鮮人差別であることは間違いありません。
今とは大違いで差別は昔はとんでもなくそれはそれは酷かったのですよ。
この時代はロシアで社会主義革命が起きており、第一次世界大戦景気のバブルが崩壊しデフレの世界恐慌前夜。
甘粕憲兵大意による大杉栄の虐殺など無政府主義者、社会主義者が狙い撃ちで国賊として殺されている。
当時は主義者であることは文字どうり命がけの行為であり、『差別』などと生易しい段階を超えていたのです。
明治時代の話ですが、元士族ではなくて単なる漁師(網元)だった家人が、玄関の上り框(あがりがまち)に立っていていて相手の未解放部落民は広い土間の向こうの敷居に外でひざまずいた土下座状態で会話しているさまを目撃した子供だった私の父は部落差別の酷さに社会構造の間違いを感じ取り、この義憤が後に労働運動や社会主義に走らせたらしい。
ところが、こちらの方が差別が凄まじくて、生命の危機に何度も曝されることになるのですね。
『もうすぐ自分は死ぬ』と言うのが若いときの父の口癖であったらしいのです。それ程酷い国だったのです。
それに比べれば今の日本国は色々な問題点はあるにしても本当に素晴らしい国です。
日本一の大金持ちは在日の孫正義ですが、昔の在日朝鮮は例外なくとんでもなく貧乏だったのです。
ところが今の在日は世界のマイノリティーの例外に近くて一般日本人市民よりも平均水準が豊かになっているのですね。
これは同和問題でも同じで、昔は生活水準が他の一般市民層よりも低かったがミニ麻生太郎の松本龍のように色々な優遇策のお蔭で逆転しているのです。
『解同』はゴロツキ暴力集団そのもの (四季折々)
2011-07-14 10:36:03
はじめまして、『大脇道場』さんのトラック・バックより、お邪魔いたしました。
今更、言うまでもない事ですが、『解同』は、同和利権に巣食う暴力集団そのものです。
1974年の『八鹿高校事件』(:詳細はWikipedia等で出典)など、『解同』による糾弾・凄惨な集団リンチ事件が思い出されます。 同校の教職員が集団帰宅途中、『解同』から路上で殴る蹴るの暴行を受け、更にトラックに乗せられ同校の体育館に連れ戻され、約13時間に及ぶ阿鼻叫喚の残酷な集団リンチが行われ、多数の教職員が瀕死の重傷を負ったというものでした。機動隊など約7000人を動員された大事件であったにもかかわらず、その当時、マスコミもダンマリを決め込み殆ど報道されませんでした。また、教育委員会や日教組もおよび腰の中、約18000人の市民が勇気を奮い立たせ、思想・信条の違いを乗り越え『解同』の暴力に抗う運動が湧き起こりました。この事件は最高裁まで争われましたが、『解同』側の有罪が確定しました。この様な事件は枚挙に暇がありません。『被差別部落』の問題は『解同』のこうゆう蛮行の数々により、歪められ善良な部落の方々の差別撤廃の運動を妨害している事は明らかです。『解同』の蛮行を泳がせている歴代政権の責任は余りに大きく、また、真実を報道しないマスコミ・ジャーナリズムもだらし無いと言わざるをえません。
原発利権に群がる輩を守る勢力の偏向報道に騙されない目も養いたいものですネ…。
狂気の朝田理論 (宗純)
2011-07-14 17:30:05
四季折々さん、はじめまして。これからも宜しくお願い致します。

解同が引き起こした最大の暴力事件である『八鹿高校事件』ですが、当方のブログでは未だ記事としては取り上げていません。
知識としては承知しているのですが、この事件は自分が経験していないので書けないのですね。
ただ自分が経験すると、今度は色々問題がありなかなか書き難いので、ヤッパリ難しい。
この『八鹿高校事件』が起きる5年前の1969年に起きる『矢田事件』までは解同は真面目な人権団体(民主勢力)であったのですね。
ところが『差別民以外は全て差別者』とする狂気の朝田理論により、自分達以外を全て差別者であると断定して糾弾闘争を始めるのです。
矢田事件の現場にいたのですが、当時は何が起きているかの情報が未だ無かったのですね。
解同は人権団体であると誰もが思っていたのです。矢田事件では授業中の教師を教室から拉致して『差別を認めろ』と集団で脅迫や恫喝を繰り返す。
こんな場合には相手がとにかく、とんでもなく何かに怒っているのですから、謝る理由が無くとも一応は謝罪してその場を丸く治めようなどと甘く考えてしまうのが日本人的な発想なのですが、相手は実はそれを待っている。
この辺は暴力団の論理とそっくりなのです。
少しでも相手が謝罪など弱みを見せれば嵩にかかって高圧的に対処する。解同とか暴力団とかは此方の少しの気のゆるみも許されない。
妥協は絶対に行っては駄目で後々まで祟るのですからこの点も暴力団と同じですね。

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