逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

特攻隊基地だった福島第一原発 日本無条件降服66週年

2011年09月02日 | 社会・歴史

『磐城飛行場跡記念碑』

特攻隊基地跡の碑文(全文)
この地起伏少なき松山に、農家散在す。昭和15年4月国家の至上命令により突如、陸軍で飛行場建設決定、住民11戸移転直ちに着工す。当時、工法はトロッコにスコップで手積み、人力で押し逐次軌道延長整地す。作業人夫は請負業者と郡内外の青年団、消防団、大日本愛国婦人会、学徒一般民等献身的勤労奉仕で半ば強制作業で工事が進められた。この地水源なく志賀秀孝氏の井戸より送水使用す。17年早春、宇都宮飛行学校磐城分校発足。20年2月磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立。日夜猛特訓を受け第一線配属若者が、御国のため大空に散華す。20年8月9、10日、米軍空母艦載機の大空襲で施設破壊亦各地方の被害甚大なり。20年8月15日終戦となる。
 その後一部農地開拓す。昭和23年日本国土計画で中部以北塩田化海水陽げ天日式で濃縮、旧長塚駅近くまでパイプで送り製品化す。34年イオン樹脂交換製塩発達のため閉じる。亦塩田以外の地23年旧地主に払い下げ25年植林す。37年東京電力株式会社原子力発電所建設候補地となり39年買収41年本着工現在に至る。思い出大き、この地忘れろるを憂い終戦43回忌に当り大戦で亡くなられた人びとの御冥福と恒久の平和を祈り、兵舎跡地にこの碑を建立す。
昭和63年8月15日
磐城飛行場跡記念碑建立有志会
大熊町長 志賀秀郎
建立発起人代表及び撰文
長者原 杉本正衛
東京電力(株)福島第一原子力発電所所長

『一度始めた戦争はそう簡単には終わらない』

今日、9月2日は東京湾の戦艦ミズリー号上で外務大臣の重光葵主席全権が降服文章に署名した大日本帝国降伏66周年の記念日である。
1945年8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した記念日。
8月15日は日本軍の統帥権を持つ裕仁大元帥が、大日本帝国の降伏を国民(臣民)に発表した記念日であろう。(帝国の敗戦認定日)
9月2日のミズリー号での、日本帝国(軍)の降伏文書への署名の意味とは、この日付が日本の正式な『敗戦した日である』(敗戦記念日)と考えられる。
戦争が正式に終わるためには講和(平和)条約を、戦争当事国同士で結ぶことが絶対条件となるが、日本がサンフランシスコ講和条約を1951年9月8日、吉田茂首席全権大使が署名、1952年4月28日に発効した。
しかし、戦争当事国で有るソ連も中国もこの平和条約には参加していない。中国とは敗戦から33年もたった後の1978年に平和条約を結ぶが、ロシア(旧ソ連)や北朝鮮との平和条約は無く、両国との戦争状態は法的には完全終結していない事になる。

『カミカゼ特攻と原子力発電との不思議な共通点』

鹿児島県知覧町の日本陸軍特攻隊基地は、実物の零戦を展示する知覧特攻平和会館などが今では有名観光スポットになっていて日本の多くの人々が知っている。
ところが対照的に双葉町大熊町にまたがって存在した特攻隊基地の磐木飛行場は石碑一つを残すのみで、何故か跡形も無く歴史から消えている。
その理由が東京電力による基地の跡地買収と福島第一原発の建設であったのです。
鹿児島の知覧を訪れた人なら誰でもが気が付くことなのですが、特攻隊基地とは必ず(山奥ではないが)人口密集地とは大きく離れた出来る限り人口が少ない過疎地に建設されていた。
『真実(危険性)を遠ざけたい』、『出来る限り隠して置きたい』『知られては困る』との、関係する組織の思惑や立地条件がまったく同じ発想なのである。
そもそも意味するものが『同じ』なのですから、今回奇しくも福島県の事故原発で両者の場所がぴったり一致したのは偶然の一致ではなく『必然』だったかも知れない。

『昔は皇軍で、今は東電か』

他の発電設備とは大きく違い『原子力発電』では発電所で働く電力会社の正規社員は1割程度の極少数。
残りの9割の、実際の放射性被曝の危険が高い汚い現場作業は全て、給与やその他の待遇で格段に見劣りする下請けの作業員が行っている。
なにやら旧日本軍の構造である、権力を一手に握る少数の職業軍人集団(将校、下士官)と、その他の大勢の無権利で待遇が悪いが危険性だけは一番高い下級兵士との二重構造とそっくり。
正規雇用の電力会社社員だけでは放射性被曝線量の積算上限値の問題点がある。
正社員の命や健康を守るために『使い捨て』の下請け作業員は『必要悪』だった。
下請けの臨時雇い無くして原発の維持管理や運転は、したくても絶対に出来ない。
そもそも原子力発電所とは、非人道的で絶対に許されない『人間の使い捨て』を行うことを前提として成り立っていたが、この事実は世間には知られたくない。
旧日本軍の持っていた『人間の使い捨て』の致命的な病理と、システムとして原発が持っている病理は『同じ』である。
両者は世間に知られたくない同一の恐るべき欠点を内臓していた。
それなら原理上、福島第一原子力発電所のように、原子力発電の敷地と特攻隊基地の跡地とがぴったりと重複しても不思議は無くて当然であった。
旧日本軍の腐敗した階級社会の非人道的縦割り構造と、東京電力の原子力発電とはそっくり同じ組織形態なのである。
今度の3・11福島第一原発原発事故で発覚した、『常習的で組織的な悪質極まる隠蔽体質』とか、『度し難い無知、無自覚、無責任のエリート組織』との歪んだ醜い恥ずべき共通点までが、何から何まで完璧に一致している。

『JNESの炉心溶融予測 無駄に』

戦艦ミズリー号の降服文書署66年後の9月2日に、経済産業省原子力安全・保安院は3・11事故直後に炉心溶融を予測した『緊急時対策支援システム』(ERSS)を発表。
半年も経った今頃になってから、保安院はやっとマスコミに公表したが職務怠慢は目に余る。
ERSSを開発した原子力安全基盤機構(JNES)は3月11日大震災直後にERSSを起動。
毎日新聞によると、
福島第一原発2号機は、22時50分炉心露出24時50分メルトダウンとの事態予想(全電源喪失から2、3号機は8時間35分で炉心溶融)を3月11日午後9時半ごろ、JNESから保安院に届く。
報告を受けた保安院は1時間15分後の、11日午後10時45分に首相官邸(危機管理センター)に報告したとされている。
1分を争う緊急時に1時間以上かかるとは・・・・絶句。
経産省保安院は首相官邸とは余程遠方にあるらしい。
あるいは首相官邸側か、それとも保安院側かは不明だが、どちらかが白々しい大嘘を付いているのですよ。
辻褄が合わない。
しかも呆れ果てたことだが保安院によると、何故か理由は不明だが一番最初にメルトダウンしていた肝心の1号機のERSS予測(全電源喪失から15時間22分で炉心溶融)は、そもそも官邸には報告しなかったとしている。
阿呆臭すぎる。
保安院は、大本営発表以上の余りに酷すぎる事実に反する真っ赤な嘘は、休み休みに言って欲しい。
9月2日、保安院の森山善範原子力災害対策監は、『事実に基づいたデータではないので活用を思い至らなかった。』と虚しく弁解するが保安院も少しは恥を知って欲しい。
そもそもERSSの数値は事実に基づいたデータ(実測値)ではなくて、あくまでも推定値である。
全電源喪失で原子炉のすべての計器が動かないから、炉心溶融の過酷事故が起きている。
経済産業省保安院は、ERSSの推定値ではなくて少しでも『事実に基づいたデータ』が得られる可能性があったとでも思っているのだろうか。
事実は正反対である。
『事実に基づいたデータ』が無いので、仕方なくERSSの推定値を出す必要性が生まれたのです。

『放射能汚染地帯に住民を放置』

また、保安院は1号機の予測から導いた放射性物質の推定放出量を基に『緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム』(SPEEDI)で拡散予測を実施していたが、当時はとうとう公表することはなく一般市民の避難指示に活用されることは無かった。
当初保安院は、『電源喪失でSPEEDI(スピーディ)が機能しなかった。』として『影響予測』の存在自体を否定していた。
数ヶ月経過してSPEEDI(スピーディ)の予測値を公表した後では、保安院は今回のERSSの炉心溶融予測と同じで、『事実に基づいたデータではないので』公表しなかったと言い訳しているが、そもそもSPEEDI(スピーディ)は実測値ではなくて予測値である。
時間が経過した後で、小出しにされる政府保安院による発表ですが、辻褄が合っているようで合っていない。
発表どうりであれば、職務怠慢の無能集団であり存在価値そのものが無いが、本当の『事実』は意識的な組織的隠蔽工作であろう。
作為的であり事実の発表自体が責任逃れ目的に見えて仕舞い、数々の公式発表すべてがうそ臭過ぎるのです。

『手順書を黒塗りして国会提出する東電』

9月2日日本国の国権の最高機関である、原発事故対応の衆議院特別委員会に、東京電力から福島第一原発事故時の運転操作手順書が提出されたが、東電は『知的財産権が含まれている』として、すべてが『黒塗り』状態だった。
東電が国会に提出した手順書は12ページ全200行であるが、その内で読める13行以外はすべてが黒塗りされていて、正しく伝えるとの発想が無く不真面目の極みである。
特別委員会の川内博史委員長は、東電に対して7日に改めて理事会に手順書を提出するよう求めた。

『旧満州国の関東軍的な軍閥組織』

今の東京電力ですが、これでは完璧に日本国の正当政府や議会の上部に自分自身を位置づけて日本国を私物化して、最後は『国家』そのものを亡ぼした旧日本軍と同じ『国家の中の独立王国』状態であり、呆れ果てて批判する言葉も無い。
原発過酷事故という日本国の未曾有の国難を招いたA級戦犯の東電が、旧日本軍のように解体されず訴追もされず、今でも以前のままの絶対的な権力を握り続けている事実は信じ難く驚愕的ですらある。
日本国が法治国家であるなら、今からでも遅くないから即座に東電関係者全員を逮捕拘留して、事故の責任の事実関係を明らかにするべきであろう。
ポツダム宣言受諾で解体された筈の旧日本陸海軍は、それぞれ東電とか保安院とかに姿を変え名称を変更して、未だに解体されずにしぶとく日本国を深く蝕んでいるのでしょうか。

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8 コメント

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知りませんでした (そりゃないよ獣医さん)
2011-09-03 09:55:42
特高の飛行場跡地だとは知りませんでした。
言われるように、原発思想とぴったり一致ししますね。
いずれ私のブログでも話題にしたいと思います。
結局、お上の思想はこの国は終戦後も変わっていないということでしょう。
日本以外でも事情は同じらしい (宗純)
2011-09-03 14:56:06
そりゃないよ獣医さん、コメント有難うございます。

クリーンで安全との宣伝文句の原子力発電の恐るべき非人道的な内情ですが、『人間の使い捨て』は日本独自の特徴では無いらしいですよ。
ドイツは人口減少が日本よりも早く始まった為に60年代の高度成長期にトルコ人を労働力不足の穴埋めの必要性から大量に受け入れ、今では全人口の1割にも達する。
勿論人権問題が多発するのですね。
ドイツ人のジャーナリストが、この問題を告発するためにドイツ語が良く判らない失業中のトルコ人の移民に偽装して仕事を探すのですが、あてがわれたのが原子炉の炉心の清掃という、ドイツ人なら絶対にしない危ない仕事だったのですね。
ドイツの原発ですが、やっぱり事情が日本とまったく同じなのです。
ただ日本ではドイツとは大きく事情が違い移民の外国人労働者の総数が少なすぎて、結果的に日本人の使い捨て作業員の誕生となったようです。
ドイツの原発全廃の国民世論ですが、これ等の真面目なジャーナリストの『原発の真実の告発』の今までの地道な努力も大きく影響していると思えますね。

福島第一原発ですが、此処には水源が無く農業には不適地で、碑文でも11戸が特攻隊基地建設で移住とあるが、普通ならこれだけの広さなら何十倍の人口があるはずなのですよ。
今とは大きく違い、昔は山間僻地や離島でも沢山の人々が居住して生活していたのです。
沖縄の大東島や与那国島など1万人以上の人口が有ったが今では10分の1以下でこれは本州で事情は同じで交通の便の悪い地域は見捨てられ廃村になっている。
ところが敗戦前では福島第一原発のような人口希薄な場所は逆に珍しかったのではないでしょうか。
原因は矢張り水源が無かったからでしょう。これでは幾ら昔でも人が住めない。
そう思って他の原発の敷地も調べたら矢張り近くに川などが無い水源が無い場所ばかりですね。
田舎で水源が無ければ、生活は極端に不便で貧しくなるがこの事実を電力会社に付け込まれて危険な原発を押し付けられた。
人間を使い捨てにする原発問題と差別や貧困とは根っこの部分では繋がっているのでしょう。
re.特攻飛行場 (会津人)
2011-09-04 10:36:26
わたしの叔父も、あやうくこの基地から
飛び立つ運命になるところでした。酒の
飲みすぎによる高血圧で、だいぶん前に
死にましたが。福島県では有名ですね。
鹿児島県知覧よりも歴史が古い福島第一の特攻基地 (宗純)
2011-09-04 14:16:40
会津人さん、はじめまして。
コメント有難うございます。これからも宜しくお願い致します。

東京電力福島第一原発の敷地になっている福島県の磐木飛行場の特攻隊基地跡ですが、全国的に有名な鹿児島県の知覧特攻隊基地の歴史は昭和16年創設なので実際に存在したのはたったの4年間です。
福島県は1年も早い昭和15年で歴史的に古いのです。
ところが福島県では、記念碑の石碑一つが残るだけで、他はすべては消え果てている。
これだけの未曾有の原発事故の大騒動で、日本人なら誰一人知らない人は無いにも係わらず、今ではその跡地が特攻隊基地だったと、福島県内の一部を除けば知っている人が居ないとは不思議すぎる話ですね。
今のマスコミですが鹿児島の知覧の特攻隊基地は大好きで何回も何回も良く報道する。
ところが正反対に、何故か福島県の磐木飛行場特攻隊基地の方は、マスコミが誰も彼も嫌がって話をしたがらない。
その理由とは、いったい何でしょう。
事故から半年間、その間にマスコミではとんでもない量の報道が福島第一関連で成されてるのですよ。
辻褄が合わない。
ひょっとして、このブログで指摘している原子力による発電の根本的な欠点と、旧日本軍との人間を使い捨てにする非人道的な欠点との、不思議な共通点に誰かが気が付いた。
それならマスコミとして日本のメディアが報道したくても報道しない新たな『知られざるタブー』。『禁忌の一つ』に加えたのかも知れないですね。
このように報道のタブーとは、『何がタブーであるか。』のタブーの中身自体が、実は最大のタブーなのですよ。
『最大のタブーとは、タブーの存在自体である。』と思って今のマスコミを見れば、色々な不思議の一つ一つが簡単に理解することが誰にでも十分に可能なのですね。
棄民国家日本 (青い鳥)
2011-09-04 21:09:20
まさに『原発奴隷。』電力会社の首脳陣をはじめ正社員は、安全な場所に身を置き、危険を伴う保守メンテナンス作業を暴力団を介した臨時雇いの労働者の命を省みることなくやらせる。暴力団は多額の金をせしめる。何百人にも及ぶ作業員が被曝し、白血病や癌などを発病し死亡したという事実があるそうですね…。
わたしの伯父は、海軍の回天(人間魚雷)に乗り敵艦に突撃する予定でしたが、出撃前日、ベニア製の回天がなんらかの理由で停泊中の全てが、焼失し命びろいをしたという話を良く聞かされました。 特攻隊で人間を弾丸がわりに、回天で人間を魚雷がわりに無惨にも命を棄てた日本という国家の罪は余りに大きい。世界広しといえども、その様な蛮行を軍国教育で洗脳し、国民を殺した国は日本のみではないでしょうか?…。2週間程前にNHK.BSプレミアムのドキュメント番組で、南方の島で悲惨な経験をされた元日本兵の方々の証言を見ましたが酷いものでした。命尽きた兵士の人肉を食べる。米軍に捕われる寸前、東條英機が作った戦陣訓「虜囚の辱めを受けず」により、自決した兵士が、最期に叫んだ言葉が耳に焼き付いている…「東條英機めッ!畜生!。」「大本営は何をしてるんだぁッ!」と言い残し自決したそうです。誰ひとりとして『天皇陛下万歳』と叫んだ者はいなかったそうです。
正義の戦争などは有りえませんね…。
特攻を特別視するマスコミの愚 (宗純)
2011-09-05 10:37:41
青い鳥さん、コメント有難うございます。

鹿児島県の知覧ですが、鹿児島市から1時間以上バスに揺られてやっと辿り着くのですが、何かが間違っている。辻褄が合っているようであっていないのですよ。
確かに内地にある知覧などの特攻隊の悲劇は日本人として忘れるべきではないのですが、実は外地のガダルカナル島やニューギニア、フィリッピンなど数百万人の日本兵全員すべてが特攻隊をやらされていたのですよ。
扱いが違いすぎるのです。
また沖縄戦では一般市民までが無理やり特攻をやらされていた。

大日本帝国敗北65周年と日米安保
2010年08月15日 | 軍事、外交

誰もそんな時に気分が滅入る『君が代』なんかは歌わないのですよ。
サッカー・ワールドカップと『君が代』
2010年06月18日 | 政治・外交と天皇制

それにしても原子力発電と旧日本軍とは色々な部分で重なっているのですから腹立たしい。
3・11原発事故直後に福島第一原発構内の体育館などの床にごろ寝で1日2食、それもレトルトとか乾パンなどの粗食で頑張る作業員の話があったので、『東京電力の職員は良く頑張っている』と勘違いしたのですが、事実は大違い。
旧日本軍とそっくり同じで、東京電力は正社員でない下請けの作業員を劣悪極まる非人道的な環境で働かしていたのですね。
理由がわかった気がします (ふみはる)
2011-09-07 16:17:22
はじめまして、変なタイトルですみません。先日「一枚のハガキ」という映画を観てきたのですが、その中である青年が、終戦4年後に「戦争はまだ終わってない!」と叫ぶシーンがありました。その台詞が今、2011年の僕に現実として突き刺さったのがなぜだったのか、いろいろ考えていたのですが、ここに答えがあるように思いました。ストンと腑に落ちた感じです。形を変えた戦争が今も続いているんですね。
ふみはるさん、はじめまして (宗純)
2011-09-08 15:00:40
これからも宜しくお願い致します。

66年前に日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏して旧日本軍は表向きは完全に解体されたことになっているのです。
しかしこの時解体されたのは帝国陸海軍の参謀本部と実戦部隊の制服組組織であり、陸海軍省は実は解体されることはなくて厚生省の一部局の援護局と名称を変えて軍人の外地からの引き上げであるとか、その後の恩給支給を取り仕切っていたのですよ。
靖国神社への戦没者(軍神)の名簿を提出していたのは、敗戦までは勿論陸海軍省の管轄なのですが、敗戦後には厚生省援護局が扱っていてこのトップには矢張り陸海軍の大佐級の旧軍人が居座っていた。
皆さんが良く御存知のように、敗戦後も内務省の特高警察(政治警察)など一部を除いて日本の官僚組織は解体されることなくアメリカ占領軍の下部組織として生き続けていたのですが、軍部も矢張り生き延びていたのですね。
戦争に反対して囚われた政治犯が釈放されるのは京都の西田学派の哲学者の三木 清が敗戦後に獄死した事がアメリカ人ジャーナリストにより取り上げられてからの話であり、政治思想弾圧組織は生き延びていたのですから恐ろしいですね。。
全政治犯が解放されるのは半年も経ってからですね。
占領したアメリカ自身が7万人4個師団しか日本国内には派遣せず、日本の天皇制官僚組織を温存したのです。
そして、この官僚組織として最大の規模と力を持っていた組織とは、実は帝国陸海軍だったのです。
軍隊とは究極の官僚組織であり、日本軍の犯罪性とは特別でもなんでもなくて、普通の腐敗した官僚組織の特徴でもあったのです。

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