逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

与謝野新党の行方は・・・日本政治の「終着駅」

2010年04月07日 | 政治
『与謝野・平沼氏が共同代表…参院選で新党合意』(2010年4月3日 読売新聞)
自民党の与謝野馨・元財務相と平沼赳夫・元経済産業相が、月内に新党を結成することで大筋合意したことが、3日明らかになった。

日本政治の「終着駅」奥村チヨが歌った「終着駅」の替え歌。

落ち目の選挙のその後は 失業議員の吹き溜まり 
そして今日も一人明日も一人 党から逃げてくる
世間の視線は冷たかろう 支持者の地盤も危なかろう
なのに今日も一人明日も一人 あせって逃げてくる
  一度逃がしたら 二度とつかめない
  政権という名の甘い汁 利権のつるは
党内議論をするたびに よく似た言葉を投げ合って
そして今日も一人明日も一人 自民を捨ててくる

政権交代した後は 民主の時代の筈だった
なのに今日も少し明日も少し 期待がさめて行く
普天間行く先どうなるの 財政再建どうするの
だから今日も少し明日も少し 支持率落ちて行く
  一度離れたら 二度とつかめない
  世論という名の頼りない 浮気な熱は
自民が割れても意味なかろう 民主がだめでは後がない
だから今日も少し明日も少し 見通し暗くなる
だけど今日も少し明日も少し その先考える 

志村建世のブログ2010.4.5記事(日本政治の「終着駅」)へのコメント氏の『1番は大笑いですが、2番の歌詞はつらい物があります。』に、えらく納得させられる。

『新党の名前は・・・』

自民党は本人たちが気が付いていないだけで、政党としての寿命が尽き果て『すでに死んでいる』のでしょう。
新党といいながら参加する園田博之前幹事長代理は、『自民党が主体』言っているので自民党と新党で民主党政権を挟み撃ちする腹積もりらしいが、それでは名前が違うだけで単なる第二(偽装)自民党である。
この人達は、余程今までの自民党の党名のままでは参議院選挙を戦いたくないらしのですよ。
新党の結成だけは決まっているが、未だに党名も党の理念も決まらないまま。
結党の理念は元々が選挙目当てなので、そもそも存在し無いので考えるだけ時間の無駄である。
そこで、せめて党名でもと考えてみた。

予想では『ひらがな』の、しかも以前の衆議院総選挙直前に駆け込みで作られ適当に名づけられた『みんなの党』のように、今回も参議院選挙用の駆け込み新党なので二匹目のドジョウをねらって『の』の字が入りそうです。

新党とは将来性のある『これから』の人々が集まるものですが、この新党の実態は後期高齢者の「老人クラブ」で、先が見えた『これまで』の人ばかりなので新党『これまで』か、『これまでの党』がピッタリでしょう。
それとも共同代表が何れも大病もちなので新党『やみあがり』(やみあがりの党)とか自民党脱党新党の先駆け河野洋平の新自由クラブをもじって『新・大病もちクラブ』か同病相哀れむ『癌と脳梗塞の党』が似つかわしい。
ところが当ブログとは品格に差がある反戦塾推薦は、ご先祖様の晶子おばあさまにちなんで格調高く『新党・みだれがみ』ですが、これは与謝野新党に対する反戦塾ましま塾頭の『ほめ殺し』?ですね。

『政界再編と大連立構想』

今度の平沼、与謝野の新しい党の立ち上げには、シナや三国人、ババア発言等時代錯誤のレイシスト石原慎太郎(78歳)、一年半前の大連立の仕掛け人渡辺恒雄(84歳)、元祖新自由主義中曽根康弘(92歳)ら今までの日本社会を支配し続けていた妖怪三人組がチアガールとして応援するという。
これ以上におぞましく禍々しい話があるだろうか。

マスコミ界のドン読売の「ナベツネ」が仕掛けた一年半前2008年の福田首相小沢副首相の大連立ですが、
一度は両党の党首同士で合意しながら民主党幹部(鳩山、管、岡田)の反対でおしゃかになった経緯があるが、民主党幹部たちの反対とは『大連立に反対』ではなく、参議院選挙で大勝して総選挙でも大勝確実な『民主党の副首相』に反対だったのです。
民主党代表だった小沢一郎首相なら民主党は全員が大連立に賛成していたのですが、けちな福田が河野洋平総裁の自民党のように社会党の村山を首相に担いだような度胸も計算も出来なかったので失敗したのです。
しかし今回は民主党鳩山由紀夫首相は決まっているのだから最初のハードルは既にクリアされている。
ですから、議員一人ひとりの『ばら売り』か、それとも党組織ごと一括『大バーゲンセール』かの違いはあれど大連立の方向は避けれないでしょう。
英米では大連立の例は無いが、それ以外の欧州諸国では政策や理念が大きく違う二大政党の大連立は当たり前。
大連立の成否は政策の違いではなく、選挙制度の違いなのですが英米の単純小選挙区制は大連立が難しいのです。

『たちあがれニッポン』

8日の新聞によると、新党の名前は『立ち上がれ日本』らしいが、みんなの耳には『たそがれ日本』か、『立ち枯れ日本』にしか聞こえないところが、何とも心憎い有権者に対する心配りである。
何故急いでみんなが新党新党を言っているかの謎ですが、国家の借金800兆円で日本が破綻する心配以前に、自民党は麻生太郎総裁時代に総選挙の運動資金として銀行から借りた119億円が焦げ付いて返すあてが全く無い。
政党として、このままでは完全に破産状態で助かる目途が全く無い悲惨極まる有様なのです。
国家予算を握っていた与党時代と大違いで経団連の大企業からは見放され、
有力支持団体だった医師会や農協や郵便局からは寝返られ、もはや収入の目途は一昔前の民主党と同じように政党助成金以外になくなっているが、現有議員は三分の一に減ったので党の運営費がやっとで借金返済どころの話ではなくなっている。
国政選挙前の大切なこの次期には与党時代の自民党なら、候補者個人に自民党本部や派閥から3000万円程度が配られたが今はゼロ。
選挙運動資金を貰えるどころか、逆に公認料名目で候補者から100万円を集めている地方組織もある。
自民党が仮に株式会社なら、完全に倒産状態で管財人の管理下で破綻整理されている。
(政治資金規正法が想定していない)無謀な銀行から借り入れをした麻生太郎ら当時の執行部は(株式会社なら)業務上背任罪に問われかねない。
政党とは民法上の権利関係は、町内会や労働組合、趣味の囲碁クラブや、山岳会と同じで『権利能力なき社団』なので結社(政党)の破産でも個人個人の会員(党員)には返済義務(責任)は無いのですが、いかに大政党でも単なる『任意団体』に過ぎない自民党に銀行が無保証で融資するはずも無く、総裁や幹事長など執行部は連帯保証人になっているはずです。
なるほど、これなら今の様に総裁候補や大臣を歴任した古参幹部議員のみんなが、ぞろぞろと自民党を逃げ出したくなるはずでしょう。

『血判騒動の元青嵐界の老右翼石原慎太郎最後の陰謀』

『たちあがれ日本』は石原都知事の発案らしいが、言いだしっぺの石原慎太郎自身が今回『たちあがらない』のですから、肝心のムスコたちも『親の心子知らず』で大事な場面で『たちあがる』気配がまったく無いとは情けない限りである。
東京都知事を片手までやっている(昔は)『たちあがる』のが得意だった男根作家のネーミングとのことですが、『立ち上がれ日本』は、アメリカ風新自由主義導入で日本を『立ち上がれない』ように痛めつけた竹中平蔵の著書の題名のパクリですよ。
作家が初っ端から盗作したのでは話にも成りませんが、男根作家の弁によると今度の新党には裏の意味があり、福田首相、小沢副首相で一度は決まった読売の渡辺恒雄(ナベツネ)が根回しした大連立の『夢よもう一度』だそうです。
意味するところは、ずばり大連立で衆参両院でも3分の2以上の絶対多数を取って憲法改正(9条廃止)消費税の大幅増税の実現、だった。
改憲と消費税大増税の為の大連立とは、時代錯誤の極右国粋主義者の平沼と、消費税大税の与謝野の本来なら水と油の両代表の意味が『なるほど』と為ります
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