逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「一滴の血の掟」ワン・ドロップ・ルール

2008年05月14日 | 社会・歴史

アメリカ大統領予備選、民主党はオバマかクリントンか。
どちらに決っても、方や史上初めての黒人大統領、方や史上初めての女性大統領を目指すとされている。
しかし、此処で日本人的な疑問が湧いてくる。
ヒラリー・クリントンが「女性」で間違いないだろうが、オバマの「黒人」は果たして正しいのか。?
正しくは、オバマの父親はケニア人の黒人で、母親は北欧系の白人で、黒人と白人の中間(混血)二分の一のハーフで、黒人白人に分類できない人、つまり、黒人でも白人でもない中間人である。
しかし、アメリカには黒人と白人の混血の概念は無く、全員が何れか(黒人)に属しているとされる。 
 
オバマを黒人と呼ぶのは誇大宣伝みたいだが、其れでもアメリカでは、現実に人種差別が厳然として存在し、それを払拭するためにもオバマが米大統領になるというのは大きな一歩だ。
日本では、自分の属している人種(黄色人種)を意識することは無いが、アメリカでは各種の公式、非公式の文書に記載欄が存在し、否が応でも意識させられてしまう。

しかし、人種を厳格に解釈しようとしても、生物学的には人類はみんな一つの「種」で、主に肌の色で分けられている人種(黒色人種、白色人種、黄色人種)全員が、祖先を辿っていくと5万年前にアフリカを旅立ち世界に広がった子孫達で、7000世代ぐらい前に遡れば同一の先祖に辿り着けるらしい。
 





合衆国のアパルトヘイト「異人種間結婚禁止法」

米国の「異人種間結婚禁止法」撤廃の立役者となったミルドレッド・ラビング(Mildred Jeter Loving)さんが5月2日、肺炎のためバージニア州(Virginia)ミルフォード(Milford)の自宅で死去する、享年68歳。

1958年、17歳だったミルドレッドさんは、6歳年上の建設作業員、リチャード・ラビング(Richard Loving)さんと結婚。
当時バージニア州では異人種間の結婚が禁止されていたため、2人はワシントンD.C.(Washington D.C.)で結婚し、州内に戻って新婚生活を始めた。
ところが数日後、保安官が突然訪ねてきて、「白人男性を夫にした」かどでミルドレッド・ラビングを逮捕する。
起訴事実を認めたLoving夫妻は懲役1年の有罪判決を受けた。
バージンニア州の裁判官は、Loving夫妻がバージンニア州を離れ、そして25年間戻らないことを条件に、25年間の執行猶予を認めた。
2人は事実上の「州外退去命令」を受け、ワシントンD.C.(Washington D.C.)に移住する。
1964年に、Loving夫妻は、複数の人権団体とともに、異人種間の結婚を禁止する州法を憲法違反として控訴したが、1965年バージニア州の最高裁で敗訴する。
しかし、1966年に米連邦最高裁判所に上告し、1967年に、アメリカ合衆国憲法の州の修正第14を根拠に、「異人種結婚禁止法」を違憲とする歴史的な判決が出た。
これにより、ほかの16州でも異人種間の結婚を禁止する法律が見直される。
しかし、それ以外の黒人の人口の多い13州は、違憲判決後も人種隔離法は残り、完全に撤廃されるのは、何と33年後の2000年のことだった。

「法律を変えようとしたのではなく、愛のために戦った」
この判決から40周年にあたる2007年6月、ラビングさんは「わたしたちは、法律を変えようとして戦っていたのではなく、愛のために戦った」と当時を振り返った。
また、米公民権運動の先駆けとして知られる故ローザ・パークス(Rosa Parks)さんになぞらえられることについて、「歴史的な偉業を成し遂げたは思っていない」と控えめな性格をのぞかせた。


38年前に黒人女性と結婚したアメリカン大学(American University)のゲリー・ウィーヴァー(Gary Weaver)教授は、「自宅には卵が投げつけられ、車にはライフルの弾が9発打ち込まれ、芝生には火をつけられたものです」と語った。
「1970年代初め、白人と黒人との結婚は非常にまれでした」 
米国勢調査局(US Census Bureau)によると、異人種間の夫婦は今や全米で430万組にのぼる。
南部のアラバマ州(Alabama)では、2000年になってようやく異人種間結婚禁止法が撤廃された。







『近代以降に創られた「人種」(白人)の概念』

1758年にスウェーデンの博物学者であったカール・フォン・リンネが人類を白、黒、赤、黄色に初めて分類した。
それ以前は、皮膚の色はヒトを分類する上での重要部分ではなかったようです。
13世紀にアジアを旅したマルコ・ポーロは、出会った人間を「何々を崇拝する人々」や「何々を食べる人々」と書き残している。

白人(人種)の概念は植民地支配や奴隷制度を支える最も重要な概念で、その時々の支配者の都合により「白人」の概念が広がったり、狭まったりする。
人種隔離政策(アパルトヘイト)時代の南アフリカ共和国 で、日本人が(名誉)白人と分類されていた話は余りにも有名である。
そもそも、黒人・白人といったカテゴリーは近代に作られたもので、生物・科学的な根拠に基づいたものではない。
アメリカ合衆国での『黒人の定義』は、リンカーンの奴隷制度廃止以降、時代や地域ごとに法律で決められた。







『1滴の血の掟』

南北戦争が終わってから、多くの南部の州で白人と黒人の「分離」(差別)を徹底させるための法体系が作られる。
この法体系のなかで「黒人」の定義が必要となった。
多くの南部の州では「ワン・ドロップ・ルール」(例えば一滴でも黒人の血が混じっていると黒人とみなされるような捉え方)で判断することになった。

鉄道施設における人種隔離が憲法修正14条に違反しないかどうかが争われたPlessy v. Ferguson(1896)裁判では、連邦最高裁は、「分離すれども平等 Separate, but Equal」として人種別公共施設は、「平等保護」条項に違反しないという判断する。

ホーマー・プレッシー(Homer Plessy)氏は、7/8「白人」で、見た目は白人だった。
しかし、1/8「黒人」(曾祖母の一人が黒人)だったので、「黒人」として扱われ有罪となった。
この「分離すれど平等」の原則は、1954年のブラウン対教育委員会裁判で否定されるまで、アメリカの標準的な原理、原則として、各種の人種隔離法案の法的根拠となった。
南北戦争終結の後の奴隷開放で、「白人」と「黒人」の「違い」を無理矢理維持するために、多くの州に、奴隷解放令以前には無かった「異人種結婚禁止法」が作られる。
1913年時点には、48州中で32州で、白人と黒人の結婚と性交渉は法律で禁止されていた。
1952年でも、48州のうち、29州に「異人種結婚禁止法」があった。
皮肉にも、リンカーンの奴隷解放令がアメリカに各種の黒人差別法「人種隔離法」を生む直接的な原因となった。

しかし現在のアメリカにおいて「異人種結婚」は多くなってきている。
また当初は白人の枠外であったアイルランド人、イタリア人、ユダヤ人などの「白人化」も行われた。
しかし現在でもヒスパニックは白人とは見なされない。




『ワンドロップ・ルール』

アフリカから連れて来られた奴隷の血が一滴でも混じると「黒人」とされた。
白人が黒人奴隷をレイプして産まれた子供も黒人になり、奴隷制を安く維持できたからだ。
南北戦争後、ほとんどの州で白人と黒人の結婚は禁止され、南部では公共の場で人種隔離が続き、生活のあらゆる面で誰が黒人で誰が白人か、線引きされた。
それによって、黒人は「一滴の血」による奴隷の過去と差別を共有する強いグループ意識を持つようになった。
マルコムX、ハリー・ベリー、マライヤ・キャリーらが、白人の血が流れていても自分は黒人だと言うのは、こういう歴史があるからだ。

「黒人同士助け合わなければならない」というポリティックスは、事実、黒人票を基盤に多くの議員や市長が誕生した。
しかし、この考え方は黒人と言うだけで、様々な考えの違いを無視するものでもあった。
オバマは本当に黒人か?。父は黒人とはいえアフリカ人。アメリカ奴隷の直系ではない。
白人家庭でエリート教育を受けたオバマに「アメリカ黒人」の問題が理解できるのか?
肌の色が、白人より幾等かは黒いが、アフリカ人の様には黒くない、コンドリーザ・ライス国務長官やコリン・パウエル前国務長官は、黒人といえるのか。?

何の疑いも無く、それほど黒くもない彼等を単純に『黒人』と呼ぶアメリカ人の心の中には、今でも南北戦争や奴隷制が由来の『一滴の血の掟』が生きているのでしょう。




コメント (11)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 肉食の思想―ヨーロッパ精神の... | トップ | 奴隷制の負の遺産「優生学と... »

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
面白いことに (kaetzchen)
2008-05-14 18:59:16
私が幼稚園時代に教わった絵本でのイエス・キリストは何故か白人として描かれていました.屁理屈が大好きな私は聖書の巻末の地図と,簡単な世界地図を比較して,牧師さまに「でも,イスラエルって中東の国でしょ.こんな所にいたら大工のイエスさまは真っ黒に日焼けしてるんじゃないかな」と謎かけをしました.

牧師さまは一瞬,むっとして,やられた,という顔をされました.そうです,酷暑と干ばつの荒れ地に住んでいた古代ユダヤ人たちの皮膚はアラブ人同様,私たち黄色人種と同じだったのです.その後,ユダヤ人たちはユーラシア大陸とアフリカ大陸へ散っていきました.ウラル山脈を越えたユダヤ人はすっかり白人になっていました.エジプトから南へ下ったユダヤ人はすっかり白人になり,カザフスタンへ移動したユダヤ人は黄色人種のままだったのです.

そして,大航海時代,英国から追放された福音教会のプロテスタントたちはアメリカ大陸へ…….当然,アメリカでは自分たちと同じ白人のイエス像が拝まれた訳です.日本にプロテスタントが伝道された明治以降,アメリカの福音系伝道師がやって来て,やはり白人のイエス像を押し付けてきたのです.戦後になって,ようやくカトリックの側から本当のイエスさまは中東に住んでたはずだからアラブ人と同じ姿格好をしていたに違いないという見解が出て,子供向け絵本の描きかえが始まったのです.

不幸なことに,アフリカ大陸から大量の黒人が奴隷として連れてこられたものの,彼らに与えられたのは白人のイエス像でした.アフリカ大陸の東側にはキリスト教が布教されていたのですが,奴隷として連れてこられたのはアフリカ大陸の西側の,キリスト教を知らない人々だったのです.そういう所から,黒人独特の福音信仰が生まれたのも仕方ない部分があります.

また,レイプによって生まれた子供たちも「黒人」の範疇に入れてしまう所は,逆に虐げられてきた彼らの防御策かも知れませんね.私が通ってた小学校にも,やはり黒人と売春婦の間に生まれた級友がいました.ところが,日本人は彼らを私生児として戸籍に入れても,肌の色が黒いというだけで差別するんですね.一人,とても仲良くなった子がいたのですけど,彼の家に寄って宿題を一緒にして帰ったりすると,お前も黒んぼになるぞ,といじめられたものです.日本人の黒人が極端に少なかったせいもあります (黒人兵は給料を律義に実家に送金していたから,混血児は白人が多かった).そのうち,彼もひねくれるようになり,君は日本人だからあっちに行けよ,などと言い出して,成績も急降下,ケンカしてばかり.2年間のつきあいでしたけど,その後彼がどうなったかは分かりません.何せ,校庭がプレハブの臨時校舎で埋め尽くされて,1学年が8クラスか9クラスになってたこともあります.
ていせい (kaetzchen)
2008-05-14 19:07:13
ブログ主さん,ごめんなさい.

>エジプトから南へ下ったユダヤ人はすっかり白人になり

は,黒人でしたね.
Unknown (Runner)
2008-05-14 21:21:55
オバマの場合、歴代大統領の血統も混じっているそうですよ。
そんな彼が大統領になれば、あらためて「定義論争」が再燃するでしょうね。
そもそもは「見かけ」から始まったものだから、ハーフであっても、見た目、黒人の血の方が強く出ていれば「黒人」なんでしょうね(^^。科学的にはナンセンス極まりないですが。
もっとも、オバマ自身は「自分は黒人と白人の融和の象徴だ」という線で宣伝するでしょう。これは強烈な「売り」になるはずです。
TB有り難うございます (早雲)
2008-05-14 21:56:42
「世界帝国」と帝国主義国家
sun.ap.teacup.com/souun/262.html
コメント有難う御座います (ブログ主)
2008-05-15 14:04:11
kaetzchenさん。
聖書では「神は自分に似せて人を創った」と記述して有るが、現実には「人は自分に似せて神を創った」わけです。
それで、白人の神は当然白人です。
映画「サルの惑星」でのサルの聖書には「神は自分に似せてサルを創った」とあったので当然サルの「神」はサルだった。
40年前の映画ですが、サルの惑星は名作ですね。


Runnerさん。
アメリカの特殊性は「一滴の血のおきて」に尽きるでしょう。
>そもそもは「見かけ」から始まったものだから、ハーフであっても、見た目、黒人の血の方が強く出ていれば「黒人」なんでしょうね(^^。
、と考えるのはアメリカ人以外の人々(我々みんな)の常識ですが、この常識がアメリカ人には通じない。
アメリカには二つのカーストしか有りません。
白と黒の混血児は無いんですよ。一滴でも黒人の血が混じれば、混血は自動的に黒人と判定される。
アメリカ白人の最も恐ろしい悪夢は、ある日誰かから、「貴方の先祖には黒人がいる」と言われることらしい。
幾等肌の色が白くても、黒人(奴隷)の血の一滴が混じれば、自動的に黒人(奴隷の子孫)と分類される。
日本を含め、人種差別の無いところは有りませんがアメリカは特殊な、例外的な人種差別国家です。
この事を理解しないと、アメリカの正しい歴史は理解できません。

例えばフランスでは、肌の色以上に、本人の文化的な同一性が問題とされる。
有名なアレクサンドル・デュマは黒人とのハーフだが、誰も黒人作家とは呼ばない。肌の色が黒かった彼がアメリカ人なら黒人としか呼ばないでしょうでしうし、作家に成れたかどうかも怪しい。
西部劇「ガンファイトへの招待」でユル・ブリンナー主演のガンマンは、黒人奴隷女とフランス人貴族との混血との設定になっていた。
フランスの場合は (kaetzchen)
2008-05-15 15:40:23
アラブとの交易や,北アフリカを植民地としていた事が大きく作用しているでしょうね.そしてフランス革命が,フランスの都市に在住するアラブ人や黒人たちを同じフランス人だと受け入れていったという素地があります.

フランスの小説なんかを読んでいると,著者だとか登場人物が黒人という場合が結構多いです.「星の王子さま」に白人しか出て来ないのは,作者が白人の嫌らしさを表に出したかったせいかなと,先日原書とドイツ語訳を読んで思いました.こういう所は英訳や和訳には出て来ないんですよ.面白いことに.
17世紀のヨーロッパ (ブログ主)
2008-05-16 10:49:31
当時の欧州は宗教差別はあったが、今のような人種差別は無かった。
有名なシェイクスピアの4大悲劇の一つ『オセロ』の主人公はヴェニスの貴族(将軍)だったが黒人(ムーア人)で、アメリカならありえない設定です。
今のアメリカの人種差別の起源は、18世紀~19世紀の黒人奴隷制と20世紀の「優生学」と、それから派生した「隔離政策」の結果です。
御馬鹿の解同が、「水の科学」を偽科学として槍玉に挙げていますが、水騒動なんか可愛い可愛い。
優生学はナチの専売特許みたいに考えられているが其れは大嘘で、当時の欧米(白人)社会では広く信じられていた。
特に実用主義哲学が主流のアメリカでは、「優生学」の力は物凄く、色々な人種差別主義的な立法もされています。
20年前に中曽根が、「アメリカでは黒人とかヒスパニックがいて、知的レベルが低い」と喋って物議をかもしたが、正に彼の本音で、中曽根康弘は若い時にアメリカ流優生学を学んでいたのでしょう。
中曽根はある意味で (kaetzchen)
2008-05-16 14:44:19
アメリカのエリート教育を受けたような軍人でしたからね.しかも,東大法学部を出た後で海軍経理学校に入っている.今で言うと法学部修士課程を出て,大学院博士課程の海軍の研究所に入ったようなものだ.当然,マキャベリズムを徹底的に叩き込まれたに違いない.陸軍と異なり,海軍には「戦争行為による外交」という側面がある.だから,敵国の政治・文化・経済に関する専門的な知識がないと高級軍人として失敗に終わる.山本五十六がその典型例だろう.つまり,中曽根は当時の最新のアメリカの優生学を学んでいたと考えられまいか.

中曽根が「アメリカでは黒人とかヒスパニックがいて、知的レベルが低い」と喋ったことは,実は彼自身が大学院で習った知的レベルそのものだったのである.当時のアメリカ社会のイメージがそのまま中曽根の頭にあったから,このような論外な失言が出てくるのだと考えられる.
優生学信者は日本にも多い (ブログ主)
2008-05-17 12:22:50
小泉や安倍などのエリート層での優生学信者の割合は大きい。
優生学の特徴は、元々犬や馬等の家畜の繁殖、品種改良に使われた技術で、人類数千年以上の歴史が有る。
其処に19世紀のメンデルの遺伝の法則やダーウィンの進化論の科学的な裏付けも利用して、体系的に完成していく。
高貴(優秀)な血筋同士を掛け合わせても、近親交配で劣等種が生まれるが、それに、優秀な素質を持った個体を掛け合わせ、理想の個体を作り上げようと考えた。
貧乏人出身の国立一期校の高等文官試験合格者等の優秀な個体を婿養子にするなんてのは優生学的には当然な考えですね。日本の金持ちで、優生学信者の割合は多いと思いますよ。
愚樵空論で、 (ブログ主)
2008-05-17 12:49:13
『ニセ科学批判の道徳性』という面白いエントリー記事がある。そこで、
「『水からの伝言』を信じないでください」を取り上げている。

>〔ニセ科学=反道徳〕がそのまま〔正しい科学=道徳〕になるとは限らない
>・・・・「信じないでください」には〔科学=道徳〕であると解釈される可能性が残っている

科学的見地(正しい、正しくない)が自動的に道徳的見地(正しい、正しくない)にはならないんですよ。
「優生学」なんてのはその見本です。科学的(事実)には正しくても、道徳的には完全に間違っている。
「水の科学」はその反対の事例ですね。
解同の三悪人の水騒動での所業は、道徳と科学の正邪の判定を混ぜこぜにして、自分達のみにくいイジメ行為を正当化したもので全く科学的でない。
科学の基本は懐疑心、疑う心ですよ。これが無いところには科学は育ちません。

コメントを投稿

社会・歴史」カテゴリの最新記事