逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

ホロコースト記念日と従軍慰安婦と靖国神社

2014年01月28日 | 社会・歴史

『国連制定の「ホロコーストの日」の1月27日』

連合国(UN)が勝利した1945年の第二次世界大戦終了から60年後の2005年に、ポーランド南部にあったナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放された1月27日を、国連(UN)が国際ホロコースト記念日と定めている。
日本人的な常識では『人の噂も75日』で、何があっても大抵のものは数ヶ月で、長くても数年で忘れられる。
我が国では、どんな重大なミスも犯罪も、解決していても解決していなくても、しばらくたてば『そんなのもあったよねぇ』程度の小さな扱いになり忘れ去られる。
福島第一原発事故発生から2年後の総選挙で、四枚のプレートが重なる世界一の地震多発地帯にある日本列島に54基もの危険な原発をばら撒いたA級戦犯の自民党を大勝させているのですから無茶苦茶。(放射能被害はこれから本格的に始まる)
直接の関係者を除けば、突き詰めれば大抵の人にとって『どうでもいい』ことなので、『過ぎてしまえば みな美しい』と美化されるか『無かった』ことになる。
苦しみがつきまとう『記憶力』よりも、生残る為には『不都合な事実』を無かった事にする『忘却力』こそが精神衛生上は大事なのだ。
『先送り』および『美辞麗句』との合せワザで使われる場合が多い、日本人の最終兵器である『忘却』の力は凄まじい。
日本人にとっては『思い出はすべからく美しい』のである。
ところが、困ったことにグローバルスタンダードは180度逆で、そもそも『忘れない』し醜く禍々しい。
記憶が薄れるどころか、勝手に自己増殖するのである。
残酷でおぞましい過去の記憶が、人々によって繰り返し繰り返し再生産されるのであるから恐ろしい。
そもそも『ホロコースト』という言葉は旧約聖書の中の『神への犠牲』(生け贄)の意味であり以前の歴史では使っていません。
昔に『ホロコースト』は無かったが、世界的には70年以降、日本では80年に入ってから公式の言葉とされた。
全米各地に『ホロコースト』記念館が出来たのも、同じくアメリカの各大学に数千の『ホロコースト』を専門に扱う学部が出来たのも最近の話である。昔から在ったわけでは無い。

『ホロコースト+アルファとしての日本軍従軍慰安婦』

すべての普通の記憶は、時間が経てば必ず薄れる。
よって大概の恨みは時間がたてば段々小さくなっていくが、逆に強まるものも世の中にはある。
前者の例が『ヒロシマ』で、後者の例が、『ホロコースト』なのである。
殆どの日本人にとって第二次世界大戦の最大の悲劇とは『ヒロシマ』であり『アウシュビッツ』であると信じているが、実はそうでは無い。
何時の間にか、現在は第二次世界大戦の悲劇が、『ホロコースト』の悲劇一つに集約されてしまっている。
『ヒロシマとホロコーストを同列に論じるのは、ホロコースト犠牲者に対する二重の侮辱である』 との主張が、今や欧米の一流評論誌に載る事態に陥っています。
ところがヒロシマを抜いてホロコースト一つにすると、誰が考えても第二次世界大戦から太平洋戦争が抜け落ちてしまう重大な欠陥が生まれるのである、
欧米の『ホロコースト史観』を強化する目的で、ホロコースト+アルファとしての日本軍の従軍慰安婦は利用価値があった。
日本軍従軍慰安婦は極一部の研究者の間では昔から『良く知れれていた話』ではあったが、冷戦崩壊の25年ほど前から突然『世界的な大問題』に大変身しているのですから恐ろしい。
左翼護憲派の『欧米の民主主義が強化したから日本の従軍慰安婦にまで関心が集まった』は、あまりにもお人好しすぎる解釈ではないだろうか。
えげつない日本大使館前の少女像など従軍慰安婦は韓国が主役であるかに見えるのは事実ですが、実はアメリカの動きに便乗しているに過ぎない。
最初から日本叩きを目的とした訳ではないかも知れないが、ホロコーストを強化する目的で『日本軍従軍慰安婦』は大いに利用価値がある。
ドイツにとってのホロコーストが、日本の従軍慰安婦であると理解できれば、『自虐史観である』と言い張る歴史修正主義の『新しい歴史教科書を作る会』等のアホ臭い親米右翼の『日本は悪くなかった』との安易な否定は、火に油を注ぐ挑発行為なのである。
冷戦崩壊後に突然大問題となった日本軍の慰安婦問題が、日本にとって重大な結果を招く超危険物であることは、経過を冷静に考えれば誰にもわかる話である。
『従軍慰安婦』の危険性をいち早く察知した第二次世界大戦を知っている後藤田正晴や野中広務等の自民党の知恵者が河野談話や個人補償の基金創設で国難を辛くも逃げ切るのである。
ところが何も知らない阿呆の安倍晋三とかお友達のNHK会長が、折角の必死の努力を靖国参拝や従軍慰安婦の否定で台無しにしているのである。

『長州の戦争神社への参拝行為』

今の世の中では一番権威があると人々に思われているイギリスのBBC放送は、靖国神社を『戦争神社』と世界に向かって報道している。
アメリカ(イギリス)の正義は、『悪い日本』とコインの裏表の関係にあるので、『日本は悪くなかった』と言いたい安倍晋三首相の靖国神社公式参拝や従軍慰安婦否定は、今のように米英中露など連合国に叩かれるのは当然なのです。
靖国参拝は戦没者の慰霊とは無縁の、日本国を危険に晒す愚かな挑発行為なのである。
BBCは戦争神社だが、亀井静香は『靖国神社は長州神社である』といっている。
確かに靖国神社の実体は困ったことに、長州(山口県)の氏神様程度で、日本人が拝む『日本国の神様』としては不適当なのである。
亀井静香は去年8月24日に『靖国神社にもの申す 西郷ら賊軍もお祀りせよ!』と主張している。

『靖国神社は長州だけの神社ではない』
『靖国神社には毎年参拝しているが、それは対外戦争で命を落とされた方への感謝と慰霊の心からだ。
しかし靖国神社そのものには、問題がある。それは参拝の是非やA級戦犯合祀などではなく、もっと根本的なものだ。』
『明治維新以来の日本政治の問題点が、靖国神社の歴史に凝縮されている。』
『そもそも、明治4年に東京招魂社として設立されて以来、靖国神社はお国のために命を落としてきた方々の霊を慰めるための施設だ。』
『お国のために戦った人間に差別などない。』
『しかし実際には、靖国神社には戊辰戦争で賊軍とされた会津藩はじめ奥羽列藩同盟の人々や彰義隊、西南の役を戦った西郷隆盛などは祀られていない。』
『勝てば官軍、負ければ賊軍だが、結果はどうであれ、どちらも国を想う尊皇の心ゆえに戦ったことに変わりはない。』
『大御心に照らせば、敵味方に関係なく、国を想う、尊皇の心を持ち、命を落としていった人々はすべてお祀りするべきだ。』
『結局、靖国神社は明治新政府内の権力闘争をそのまま反映した施設になっている。』『つまり、官軍である長州藩中心の慰霊施設、いわば長州神社というべきものだ。』
『大鳥居を入るとすぐに長州藩の大村益次郎像が立っているが、彼は彰義隊が立てこもった上野の山を睨みつけている。これが長州神社という性格をよく表している。』
『長州閥は天皇陛下を利用し、時に「玉座を胸壁とし詔勅を弾丸と」しつつ、自らの権力を拡大していき、その帰結として先の敗戦があるとも言えるのだ。』

『長州神社を「靖国神社」にしたことが全ての元凶』

亀井静香の『靖国神社には(勝者も敗者も無関係に)会津藩はじめ奥羽列藩同盟、彰義隊、西郷隆盛など国を想い尊皇の心で命を落とした人々は全てお祀りするべきだ』との視点は当然なのである。
露骨な差別を容認するのは神様とは呼べ無い。
ところが現実の靖国神社は『勝者』と『敗者』を厳格に区別して祀っていた特異な『差別神社』なのである。
世界基準とは大違いで、何故か靖国では捕虜となって(戦闘で負けて)死んだ人が祀られていないのですよ。普通の常識ではベトナム戦争で捕虜になったマケイン元共和党大統領候補のように捕虜は『英雄』なのである。
これとは逆に靖国に祀られている軍神の中には幕末の安政の大獄で1859年に処刑された吉田松陰とか、1864年の禁門の変で御所の蛤御門に向かって砲撃したので100%逆賊である久坂玄瑞が入っているが、これは最後に長州が『勝ったから』であるとしか思えない。
靖国神社では、最終的に『勝った』か『負けた』かの基準で選んでいるらしいのである。
ところが、最後の第二次世界大戦では日本は大敗する。
勝敗を基準に『勝っているもの』だけを選んでいたのなら1945年8月15日の敗戦時点ですべては御破産であり、靖国神社そのものを解体するべきだったのでしょう。
日本の内閣総理大臣 (1956年–1957年)だった石橋湛山は戦争神社としての靖国神社の解体を主張していた。
歴代首相で一番見識が高い石橋湛山だけではなく、亀井静香も誤解しているが『東京招魂社として1871年(明治4年)に設立された靖国神社』が勘違いの元。出発点が違っているし、発想も違っている。
もちろん最終的な『結論』部分も違うのである。

『大敗から出発していた靖国神社(桜木招魂場)』

今の靖国神社は戦争に『勝つこと』に価値を見出しているが、出発点では180度逆だった。
実は明治維新の5年前の1863年(文久三年)の下関戦争で英仏蘭米の四国連合艦隊に大敗した長州の奇兵隊戦死者を高杉晋作が祀った桜木招魂場が今の靖国神社の前身なのである。
社殿が出来たのは2年後、第一次長州征伐の負け戦の後ですから、招魂場は『勝者のため』に作られたのではなくて、間違いなく『敗者の為』に作られた。
ところが、その後今まで負け続けていた長州が第二次長州征伐では、9回裏逆転満塁ホームランのような奇跡的な大勝利を手に入れる。
招魂場の目的は『敗者の長州の為』だった。ところが、1866年の長州の逆転大勝利で当初の前提が引っくり返り、『勝者の長州のために』へと180度逆に変更されて仕舞ったのです。
官軍の東征で、奇兵隊用の招魂場を長州から江戸(東京)に移動させて東京招魂社と名前を変えたが、再度1879年(明治12年)に名称を今の靖国神社に変えている。
靖国神社の成り立ちを考えれば、1868年の戊辰戦争の会津藩や1877年の西南の役の西郷隆盛など薩摩藩を厳格に差別していたのは当然だった。
逆に、孝明天皇に向かって大砲をぶっ放した逆賊の久坂玄瑞や、外国船の砲撃など無謀な挑発行為の攘夷を主張した今のネットウョの元祖的な吉田松陰が祭神に選ばれているのも当然であり、何の不思議もなかったのである。
そもそも靖国神社とは、『長州藩の、長州藩による、長州藩の為の神社』だったのである。


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9 コメント

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高度文明都市たる江戸 (ネプギアソリッド)
2014-01-27 17:28:50
僕は昔から坂本龍馬に胡散臭い何かを感じていました。明治維新は近代化革命というよりも、旧西軍系外様のクーデターだったんだと思います。
後進的で野蛮な江戸時代、進歩的で解放的な明治時代というイメージは強く信じられてますが、欧米人は江戸文化を高く評価していたし鎖国もしていなかった。
(日本人が大和魂を失ったのは815敗戦では無くて文明開化だった気がします。)


今、中国や韓国との関係が修正不可能な程悪化してますが、アメリカ主導による「日本潰し戦略」の一端だと分かれば点と点が繋がりました。
TPPや消費税と日本経済が死ぬ方向にしか行かない訳です。
こっちから願い下げ (十澄)
2014-01-27 19:04:22
「賊軍」の本場みちのくの者としては、亀井氏の言も余計なお世話ですね。
あんなものに魂閉じ込められたらむしろ先人たちが哀れです。

しかし幕末の幕府指導者層の、対朝廷弱腰は目を覆いたくなるほどです。
慶喜も容保もちょっと天皇および取り巻きの公家に駄々をこねられると、幕府ひいては日本の命運を左右する事項だろうといとも簡単に腰砕け…。
言ってやりゃあよかったんですよ。
「はいはい、文句があるなら長州でも薩摩でもどこにでもはしってください、お止めしません」
「ですが、かつて京を蒙塵した帝や上皇がどのような運命をたどったか、ご存知ないわけじゃありますまい」
とでも言えば、御所の外に出たこともない帝など簡単に折ることができたでしょうに。

幕府、幕府指導層の弱腰が、天皇制→靖国の不条理に繋がってると思うと歯痒くてしょうがないです。
関税自主権とTPP (宗純)
2014-01-28 11:01:37
ネプギアソリッドさん、コメント有難う御座います。

日本は開国して自主関税権を失い、第一次世界大戦の少し前の日露戦争の勝利で日本はやっと不平等条約を改正するのですが、一番最初に幕府が結んだ条約では、欧州諸国間の貿易と同じ20%の関税だった。
当時の江戸幕府の外交交渉力は見上げたもので素晴らしい水準ですよ。
ところが、長州の引き起こした下関戦争で莫大は賠償金を要求され、イギリス公使のパークスに騙されて5%とアヘン戦争後の中国(清)と同じに引き下げられています。
幕府ですが、武力に勝る欧米列強に対して、戦争を回避して平和裏に粘り強く、想像以上の外交力を発揮しているようです。
この反対の外交力が無茶苦茶だったのが長州(新政府)ですね。
日本は不平等条約の改正に、何十年もの長い時間が必要だった。
治外法権の撤廃の方は日清戦争直前の1894年ですが、
自主関税権の方はもっと遅れて日露戦争の勝利の後で1907年に締結された日露新通商航海条約からで、最終的に全て取り戻すのは1911年です。
明治の先人たちが半世紀近くかかって取り戻した自主関税権を100年後にTPPで自分から放り出す。売国奴以外の何ものでありません。
軍事施設としての靖国神社 (宗純)
2014-01-28 15:35:42
十澄さん、コメント有難う御座います。

今の靖国神社ですが、宗教施設の意味しか持っていない。
ただ、その宗教ですが十数人を殺したオウム真理教が裸足で逃げ出すような破壊的カルト宗教の国家神道の総本山。
日本人だけでも350万人も殺したのですから、オウムのサティアンに名前が刻まれる以上に不愉快。
ただし敗戦以前は、今とは意味が全く違っていた。
靖国は陸海軍が管理する立派な軍事施設だったのですよ。
靖国神社には戦没者の遺骨の欠片も無く、あるのは名簿だけだが、この名簿を陸・海軍省の大将クラスの軍のトップが管理していた。
敗戦後には厚生省復員援護局の佐官クラスの元軍人が管理していたのですから呆れ返る話ですが、
しかし、敗戦以前なら名誉の戦死と認定されると二階級特進とか遺族年金など数々の特典の実利が期待できるのですよ。
ところが靖国に祭られている朝鮮、台湾の戦没者には遺族年金が、敗戦後には『外国人である』として支払われていない。
植民地出身の軍人軍属の戦死者ですが、韓国など母国からは対日協力者の売国奴扱いなのですから踏んだりけったりです。

亀井静香ですが小泉純一郎の郵政選挙の結果を見て『日本人は全員馬鹿だ』との大名言以来、
私は亀井静香の隠れファンなのですよ。
『天皇は京都御所に』との名言もあるが、今回の会津藩、彰義隊、西郷隆盛など敵味方関係なく祀るアイデアは素晴らしい。
私としては日本人だけではなくて韓国の東学党の乱の死者とか安重根、中国の国父の孫文や毛沢東も祭れば中国韓国としても文句が言いたくても言えない。
ただアメリカは、それでも文句を言いそうです。
米国の日米関係のスペシャリストである有力シンクタンクパシフィック・フォーラム(CSIS)のブラッド・グロサーマン事務局長は、安倍首相の靖国参拝に対する米国政府の対応ですが、
『米国政府の率直な反応は、いらだち、怒り、欲求不満といったところだが、そういう表現は外交的にまずいと判断した』ので『失望』になったらしい。
『安倍政権の靖国参拝は、米国から黙認されたものと考えるのは妄想であり、希望的観測にすぎない』
『安倍首相は日本の戦時レジームを何とか復権させようとしている』
『戦時レジームの“復権』目的で、
『安倍首相は東京裁判(極東国際軍事裁判)判決や憲法など、戦後秩序の見直しに狙いを定めている。米国はその裁判に多大の責任を負い、憲法にも特大の役割を担ってきた』

『安倍首相の立論は、その根底において、戦後レジームの合法性について問題を提起している。』と指摘。
『安倍首相や閣僚、さらに彼の政治的支持者たちは、日本における戦後レジームの妥当性をどの程度まで信じているのか。』と疑っているのです。
「招魂」はオカルト? (りくにす)
2014-01-30 06:54:14
あるサイトに、「鎮魂」と「招魂」は違うのではないか、という意見を見つけ、なるほどなと思いました。並べてみると確かに意味が違う気がします。「招魂」だと、口寄せ、恐山、落語の「反魂香」などが連想できます。招魂社の創設者は仲間たちの霊を招いて偲ぶか、あるいは何かさせるつもりと思われます。だから敵の魂を入れるわけにいかなかったのでしょう。
そういうことは萩か山口でこっそりやってほしいものです。
この種の「黒魔術」がいったいどういう学問から派生したのか知りたいものですが、国学はいまいち苦手です。どなたか御存知ありませんか?
そういえば近くに出雲大社がありますが・・・ (りくにす)
2014-01-30 07:19:52
正月のNHKの特番で出雲大社と伊勢神宮の遷宮を扱っていましたね。
出雲の「国譲り」は「古事記」と「日本書紀」とその外伝(?)で記述がだんだん変っていくのですが、私は「国譲り」が平和裏に行われたのでないのではという疑いを持ちました。オオクニヌシ以下の出雲王朝の人々は早い段階で皆殺しにされ、「主に会わせろ」と騒ぐ民をなだめるために征服者たちが巨大な神殿を建てて「お前たちの主は別な世界で生きている」と説明した、とも考えられるからです。
長州人なら出雲大社によく行ったと思いますが、「靖国=招魂社」のうさんくささは出雲大社の「死と欺瞞」の匂いに由来するのでしょうか。変な話ですみません。
本居宣長の国学と、日本独自の怨霊信仰 (宗純)
2014-01-31 14:06:12
りくにすさん、コメント有難う御座います。

ひたすら『日本的なもの』を捜し求めた本居宣長と、その『国学』ですが、行きついた先が『もののあわれ』と『かんながらのみち』だった。
「日本人とは何か」加藤周一、周回遅れの吉本隆明
2012年03月21日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/59dc206c0b0c2aa0035a353156203aa6
「日本文化における時間と空間」加藤周一
2013年06月23日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/28d14142157fc73bec08215e377cee06
日本の特色とは(他国とは大きく違い)外国からのものでも、全て日本的に変えてしまうところにあった。過去に仏教とか儒教のような超越的な思想が入ってくるが、少しも超越的でない日本では根本が変質して現在に至っている。
日本文化ですが、宣長のように外国由来のものを除くと中身が限りなくゼロになるのです。
靖国の不思議ですが、宣長が何故か取上げることを躊躇した、文字どうり日本独自の怨霊信仰らしいのですよ。
怨霊信仰ですが、これは外国には例が無い。その事実に気が付かなかったとは、迂闊すぎるでしょう。
非業の死をとげた死者の魂は成仏できず、現世に留まって彷徨い続けて、人々に祟る恐ろしい『呪い神』となるのです。
恨みを呑んで死んだ為に祟り神となった菅原道真を天神様として拝むことで、恐ろしい怨霊からの報復を防ぐ訳ですね。
法隆寺も滅亡した厩戸皇子等曽我氏系の上宮王家を聖徳太子として祀ったのではないか。
法隆寺を藤原氏が再興したのは、上之宮王家の怨霊の封じ込めが目的であったと梅原猛は考察しています。
記事に新しく書き加えたのですが、靖国神社(招魂場)は、下関戦争で長州が英仏蘭米の4カ国の連合艦隊にボロ負けした時に高杉晋作が作っている。社殿が出来たのは第一次長州征伐負け戦の後ですから、
『勝者のため』に作られたのではなくて、間違いなく『敗者の為』に作られています。
それなら慰霊目的ではなくて、『祟らないように』との、怨霊鎮めが目的だったのです。
仰られている『出雲大社の「死と欺瞞」の匂い』も、オオクニヌシら出雲王朝がヤマトにとっては怨霊だったからだとすると判りやすい。
日本の出雲神話のような例が他国には無いのですよ。
今NHKで放送されているイサンとかトンイなど朝鮮の宮廷ドラマでは、暗殺が発覚したので他国なら100%死刑になるとことが島流し程度で済ます。
流刑になった政敵がその後恩赦で復活。都に帰ってきてもう一度再チャレンジする。これが延々と繰り返されるのですが、これは日本の怨霊信仰のような一種の安全装置であった可能性が有りますね。
京都で始まった?招魂。 (りくにす)
2014-02-04 21:35:32
本居宣長は弟子を取るに当たって「一子相伝の秘伝」を教える、などの行為を禁止したりしていますから、一般的でない話、おどろおどろしい話がお好きでないのでしょう。
とらっしゅのーと 本居宣長門下への入門に際して~入門誓紙から見えてくる当時の国学事情~
http://trushnote.exblog.jp/21833758/

日本にあっても出雲は特殊なもののようです。ほかの地域の敵対勢力なら「殺した」「滅ぼした」と書くのに。大きな社を造ってもらってそれを今日まで守っているのですから出雲の人々はよっぽどしたたかだったのですね。
で、韓国時代劇における島流しですが、「イ・サン」のホン・グギョンなどは恩赦されずに亡くなっています。死刑になるか、ならないか、流刑先に毒薬が送られてこないかは臣下との力関係で決まるものだと思ってました。

さて本題ですが、1863年に京都東山の霊明社で攘夷志士の招魂祭が行われています。霊明社は後の霊山護国神社、というより坂本龍馬の墓所として紹介される場所です。もともと神道式の葬儀をするために1809年に創建された社であり、幕末になって毛利家が京都での戦死者の神道葬を求めたのがきっかけのようです。長州ではすでに神道葬が普及していたのか、はまだわかりません。
調べ始めたばかりなのでわからないことだらけです。
ウィキペディア「霊山護国神社」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都寺社案内*霊明神社
http://everkyoto.web.fc2.com/report930.html

ちなみに平安時代に「招魂」といえば生命の衰えている生者の魂のさまよい出かかっているのを呼び返す行為で、死者の魂を呼んだ者は罰を受けたそうです。
オカルト染みている本居宣長の国学 (宗純)
2014-02-05 13:45:24
りくにすさん、コメント有難う御座います。

これは、話の前提が逆では無いでしょうか。
本居宣長は、自分の国学が『一般的でない話、おどろおどろしい』オカルト染みている事実を誰よりも自覚していたのでしょう。だから、何とかして『国学』の中の宗教色を薄めたかったのですよ。
宣長が日本独自の怨霊信仰を無視して、一切とりあげなかったのも、たぶん全く同じ理由からです。
昔の日本を研究していて、しかも日本独自のものを探していて怨霊信仰に気が付かないなど、普通なら有り得ないのです。
日本の場合には怨霊信仰自体が何かの重大なタブーなのかもしれません。研究している学者が無いのですから不思議ですね。
法隆寺再興を藤原氏による上の宮王家の怨霊の封じ込めが目的であったと梅原猛などは例外です。触らぬ神にたたり無しで誰も梅原を批判しないのも異常。
江戸時の将軍綱吉の時代は、お隣の中国韓国と同じで犬を日本人も食べていたことが色々な証拠で明らかなのですが、今では『犬天国』であったかのごとく話が逆さまに描かれています。漢字の燃は犬を火であぶる意味ですね。
生類憐れみの令の誤解は文献だけに歴史を理解しようとすると大失敗する好例でしょう。
そんな大昔でなくとも、お馬鹿なネットウョが、関東大震災時に遠い九州や四国などでも朝鮮人暴動を起こしたとか井戸に毒を入れたとの新聞記事があり、『だから真実だ』とのアホ臭すぎるブログ記事を書いている。
何と信じた低脳君が私のブログにまで『真実だ』とコメントしてくる始末。
妄想にしても、あまりにも愚かである。
私自身は経験していないが母親は当時東京で女中奉公をしていて、現実に関東大震災を経験しているので東京の惨状は誰よりも詳しく話を聞いているのです。
遠い九州四国でも『朝鮮人の暴動』が新聞で報じられたじじつこそ、政府や警察が『朝鮮人の暴動』のデマを流していたと言う動かぬ証拠ですよ。
坂本龍馬が有名になるのは司馬遼太郎の小説が原因であり、、地元の高知県でも以前から名前が知られていた武市半平太や 岡田以蔵に比べれば無名に近い存在だったのです。
ところがほんの短い時間で司馬遼太郎の創造世界と現実世界とが入れ替わっているのですから恐ろしい話です。
143年前のいろは丸衝突沈没事件と中国漁船衝突事件
2010年11月20日 | 東アジア共同体
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/cb8a96f7dfaa0db5de6660675e7ad4fe
今の人が信じているらしい坂本龍馬伝説のほとんどは、産経新聞に連載された司馬遼太郎の新聞小説『竜馬がゆく』に影響された虚像であり、実像は、薩摩藩のエージェントだった。

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