逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

正直ものが叩かれる不幸と、「絆」の連呼

2011年12月11日 | 政治

『一川防衛相の問責決議を可決』

12月9日自公両党は、1995年沖縄で起きたアメリカ軍兵士による12歳少女に対する集団暴行事件について『詳細には知らない』と発言した一川防衛大臣に対し、『自覚と資質が欠如している』として問責決議を提出、参議院本会議で賛成多数で可決される。
沖縄防衛局の田中聡局長は11月28日夜、報道陣との非公式懇談会の席で、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の『評価書』の提出時期について、『これから犯しますよ、と言いますか。』と述べたことを地元琉球新報が29日報道、他のマスコミも追従する。このメディアの動きに対して政府の対応は早く『不適切発言』として、その日のうちに局長を更迭している。
9日この田中聡前沖縄防衛局長にも停職40日の懲戒処分が決まった。

『正直ものが叩かれる不幸』

何やら、マスコミが問題の本質を間違った方向に誘導している風に見えますね。
一川防衛大臣が軍事に対し、『自覚と資質が欠如している』ことは周りの全員が知っている。
本人が、その正しい事実(軍事には素人)を自分から口に出して今回問責されたが、それなら専門家中の専門家の現職の軍人が大臣を務める決まりの帝国憲法下の政治が良かったのか。
今のように『軍』の内輪の論理とはまったく無関係の、軍事問題では素人の政治家がトップに立つのがシビリアンコントロールの原則で一番大切なことではないのか。
66年前の悲惨な日本の敗戦も3・11でのレベル7の原発過酷事故も、狭い『内輪の論理』が優先して仕舞い、大事な第三者のチェック機能が喪失していたことが、未曾有の悲劇の最大の原因であったのではないか。
本当の事を言った人物を、『けしからん』と処分する。これ以上の不幸はない。
沖縄防衛局の田中聡局長発言ですが恥ずかしく腹立たしい話ではあるが、これ以上に適切な『例え』は無い。
客観的な事実関係でいえば、少しも間違っていない。
科学的な正しい真実を(今までのように隠さずに)正しく発言した。
そもそも軍隊とは、そのようなもので、局長の表現が下品で愚劣なので聞くほうが不愉快なだけである。
発言内容には、少しの『間違い』も含まれていないのですよ。
発言は、沖縄が反対する県内移設に向けた措置を女性への性的暴行に例えたものですが、毎日社説では『言語道断』と切り捨てるが、大間違い。
これ以上に正しい『例え』を口に出した官僚が今までいなかっただけ。
この人物ですが同期の出世頭で防衛省の広報課長だったので普天間問題の事実上の広報の最高責任者なのです。
基本的原理として防衛省(軍隊)の持つ暴力的側面の下品で下劣な本質部分が出ただけ。
旧軍では慰安婦にみならず、一般の婦女子ですら平気で犯したが防衛省には脈々として帝国軍隊の体質が温存されている何よりの証拠である。
今回沖縄で怒りが爆発した原因は『局長発言』が間違いだったからではなくて、16年前の3人の米兵による12歳の小女が集団強姦された客観的事実を思い出したからですよ。
悲惨な『事実がある』ことを良く知っているから、沖縄では本土以上に大問題なのです。

『敵味方の過酷な峻別』

今回ですが、『正しい事実』だが醜い悲惨な真実を口に出して、マスコミ総がかりで叩くさまは、鉢呂大臣の『死の町』との正直な発言を、『被災者の気持ちを傷つけた』とバッシングしたのと同じ現象であり嘆かわしい。
正しい客観的事実は、醜かろうか汚かろうが『事実である。』と認めるしかないのですよ。
真実を語ったものを叩く様は見苦しい。
味方の敗戦の事実を知らせた兵士が『利敵行為である』として殺される、国家滅亡時の悲劇的な間違いと同じであろう。
敵味方ですが、これが一番大切な最重要な要素なのですが、実はこの正しい敵味方の判断(認識)が最も困難なのです。
例えば、昔戦争に反対したとして共産党を非国民(敵である)と認定して徹底的に弾圧したが、共産党の言い分の方が正しくて少しでも耳を傾けていれば日本は国家崩壊には至らなかった。
この場合に、国家(日本)自身にとっては味方の関東軍参謀の方が敵(獅子身中の虫)であり、敵と思っていた共産党が(結果的に見れば)味方だった。
同じような例では敵であると忌み嫌って徹底的に村八分にして『口封じ』したが、京大の小出助教の言葉を少しでも聞いて注意していれば未曾有の原発の過酷事故は防げていて、日本では今でも50基以上の原発が何事も無く平穏に動いていた。
原発でも原発安全村が敵だと認定していた方が味方であり、実は味方だと思っていた方が最悪の敵だったのです。
この敵味方の正しい判断とは他の政治や経済全ての問題でも当て嵌まり、最も困難な難事中の難事なのです。
正しいことを正しいと認識するのは、実はとんでもなく難しいし、とんでもなく大事なのです。

『客観的事実を「事実である」として認める大事さ、難しさ』

今回、マスコミはまったく問題としていないが、この田中沖縄防衛局長発言には前半部分があり、彼はとんでもない事実とは正反対の暴言を吐いている。
『沖縄戦では軍隊がいたが、被害がでた。400年前には沖縄に武力が無かったから薩摩に侵略された。』と現実離れした妄想を言っている。
軍は原発と同じで、とんでもないパワーがある存在で、暴走した時には誰にも止められない恐ろしいものだとの認識が無い。
持っている『力』が他と比較出来ないほど膨大なので、暴走した時に制御不能の軍や原発の管理運営では、誰よりも科学的な客観的事実を正しく認識していないと『危ない』のですよ。
沖縄戦に限らず日本軍が駐留していた所では在留日本人にとんでもない被害がでて、軍がいない地域では対象的に被害は出ていない。日本軍駐留の有無と住民の生命の安全とは直結していた。
(この事実を良く知っていた栗林中将は事前に硫黄島の全住民を本土に疎開させ被害を未然に防いでいる)
薩摩の琉球侵攻を沖縄側が防げなかった原因ですが、別に琉球に武力が無かったからではなくて、薩摩は九州全域を占領出来るだけの強大な軍だが沖縄側は本島を占領出来る程度の武力だったので彼我の力関係の差にすぎない。軍隊の有無とは無関係。
原発や軍を扱うものが少しでも事実とは違う妄想を抱くなどは、沢山の乗客の命を預かる旅客機のパイロットが泥酔して正常な判断力を失っているのと同じで、これ以上に怖いことはありません。

『個別であるべき「気持ちの持ちよう」が普遍的な科学的正誤に優先する』

この国の、何処まで続く泥濘か。今度は、『農家の気持ちを傷付けた』と処分するとは絶句。
被災した視聴者の『気持ちを考えて』3月12日に福島第一原発の爆発映像の放映を自粛した福島中央テレビの腹立たしい話では、目の前の放射性物質の現実的な危険性よりも、形の無い『心の持ちよう』が優先された。
今回、東電原発事故で拡散した放射性物質の濃度をわかりやすく図示した『放射能汚染地図』を作成している早川由紀夫群馬大教授が、『福島県内でセシウムに汚染された米や牛を育てる行為は、サリンを製造したオウム信者と同じ』とツイッターで呟く。
群馬大学の高田邦昭学長は7日、ツイッター上で東京電力福島第一原発事故に関連する発言を続ける同大学教育学部の早川由紀夫教授に対して『不適切な発言をすることがないように』と訓告を行った。
同大学広報部の担当者は8日、『早川氏の発言は福島県の農家らを傷つけるもの。』
『繰り返し注意を行ったが、改まらないため、訓告に踏み切った。』と語る。
我が国では、客観的な科学的事実の正誤の問題ではなくて『当事者の気持ち』(内心)が大学という科学探求の場でも優先されるまでに、科学的思考が究極に劣化して仕舞っているのですから恐ろしい話である。
精神世界が現実世界よりも大事なのか。到底日本国の現実の話とは思えない。
唯一普遍的である客観的な科学的事実の正誤が問題とされず、プライベートな個別に違うことが当たり前の『心の持ち様』が大問題であると大騒ぎする昨今の日本の風潮ですが、これではパブリックな存在である国家や社会や大学ではなくて、その正反対の何かの宗教団体に近い心象風景である。
ジャック・モノーは『偶然と必然』で、
『人間にとってどんなに不安で絶望的なことであろうとも、それが科学的で客観的な知識であるならば無条件で受け容れるべき』。
『人間はそれが科学的で客観的な知識であるならば、最終的には受け容れるしかない。
その為には現在の自己を超克・超越して理想に投企してゆかねばならない』と、繰り返し強調している。

『時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環』毎日新聞 2011年12月11日(要約)

3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉『絆』。今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
昨年の流行語『無縁社会』だったが、被災経験を通じ『絆』の大切さを思い知らされた。
人々は震災が『絆』を取り戻すきっかけ、と希望的に考えてみたくもなる。
しかし『絆』の意味とは、
(1)馬・犬・鷹など動物をつなぎとめる綱。
(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛。
語源は(1)で、そこから(2)の意味が派生したので『絆』の読みである『ほだし』の意味は『人の身体の自由を束縛するもの』となる。
家族や友人や家やお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷に繋ぎ止める『愛おしい束縛』こそ『絆』で、これ以上大切な言葉もない。
しかし大声で連呼される『絆を深めよう』には違和感がある。
絆は『がんばって』強めたり深めたりできるものではない。
絆は『気がついたら結ばれ深まっていた』と、常に後から気付かれる。
絆は優しく温かい利害や対立を越えて人々を包み込むが、『しがらみ』としての絆は『わずらわしく』『うっとうしい』、個人を束縛し支配し副作用として、ひきこもりや家庭内暴力を引き起こす。
絆は基本的にプライベートな『人』や『場所』などとの関係性で、パブリックな関係では無い。
絆では『世間』は見えても『社会』は見え難くなる。(認知バイアスあるいは絆バイアス)
絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。
たとえ社会やシステムに不満があっても、『社会とはそういうものだ』という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。
絆という言葉が『どうしようもない社会』を前提とした自衛ネットワークである。
社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。
対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。
最大の問題は『弱者保護』である。
絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが『家族の絆』に摩り替えられる。
人々が絆によって結ばれる状況は新自由主義的な改革とたいへん相性が良い。
政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。
本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。
しがらみや束縛としての『絆』から解放された、自由な個人の『連帯』にこそ未来はある。

『絆の連呼と「心を傷つけた」は同じ現象』

絆は幾ら大切でも基本的に個人(あるいは小さな集団)的なものであり、社会の共通項とはなり得ない。
『絆』が声高に強調される社会の危険性を指摘する斎藤環氏ですが、この『絆の連呼』の行動原理と、『心を傷つけた』とバッシングするマスコミの論理構造は同じである。
全員に共通のパブリックな大きな社会を優先するのではなくて、そもそも別々であるべきプライベートな小さな村社会(世間)の、それも人々の『気持ちの持ち様』が優先されているとの、このブログ記事とも共通する発想であるのです。
個人個人の思いやりや心配り、連帯感、親切心は大事であるが基本的にはあくまでプライベートな話であり、決して大災害時の救助体制や復興のパブリックな責任を免れるものでも代用出来るものでもない。
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日本共産党の退潮を憂う… (青い鳥)
2011-12-10 21:09:53
>…例えば、昔戦争に反対したとして共産党を非国民(敵である
・・・・・)と認定して徹底的に弾圧したが、共産党の言い分の方が正しくて少しでも耳を傾けていれば日本は国家崩壊には至らなかった。…

前から宗純さんに伺いたかったのですが、機を逸してしまいました…。わたしは、日本共産党シンパです。選挙権を得てから現在まで棄権することなく、全ての選挙で日本共産党に投票して来ました。が、1980年代中頃からの退潮ぶりを見るや、目を覆わんばかり…。1970年代に衆議院で、40議席程獲得したのをピークにじり貧が続き、今や9議席…。今の格差社会…、国民の大部分が貧困に喘いでいるにも関わらず、受け皿たりえていない現状…。『確かな野党』は、聞き飽きた。宮本顕治が元気なりし頃は、社共共闘なるものが実り、『太平洋革新ベルト地帯』と呼ばれ、東京、神奈川、名古屋市、大阪、京都…革新首長で占めていた。いまや惨憺たる状況…。
わたしは、日本共産党は日和っていると考えます。本当に政権奪取する気があるのか否か、甚だ疑問…。左翼・前衛政党たりえていない。社会主義その先の共産主義のビジョンを明確に示せば、強欲資本主義(新自由主義・市場原理主義)に痛めつけられ、疲弊仕切っている民衆は信頼を寄せると考えるのですが…。宗純さんの、『日本共産党論』『日本共産党評』なるもの…是非ともお聞かせ願いたく…。この記事と全く無関係であることを平に謝ります。
日本共産党に未来は有りや無しや…?。 「魚は清流には棲まず…」の譬え通り日本共産党は『正し過ぎる…』のだろうか?。宗純様のご高察賜われば、幸甚と存じます。
左翼革新政党としての共産党 (宗純)
2011-12-11 15:41:57
青い鳥さん、コメント有難うございます。

3・11から早9ヶ月。
今日の赤旗には大震災の共産党が呼びかけたボランティアと募金が其々3万人を超え2億円を超えた事実が誇らしげに書いてある。
青い鳥さんは昔からの共産党の支持者なら、この赤旗記事に違和感を感じませんでしたか。
20年以上前の躍進していた時代の共産党は、絶対にこんなボランティアや募金の呼びかけなどをする政党では無いのです。
確かに自分自身(共産党)に対するカンパは呼びかけていたが、これはいわゆる善意の『募金』としての性格よりも、小額ではあるが政党への個人献金であり、性質がまったく逆の発想のれっきとした政治活動なのです。
困っている人に対するボランティアや募金ですが、『個人の善意』自体は悪ではないが使い方次第では危険が一杯で、決して政治活動と混同することは厳に慎むべき行為ですよ。
共産党が『党』として呼びかけるなど、これは科学的社会主義を標榜する政党としては自殺行為ですよ。
今回紹介した斉藤環氏の、『絆を連呼する』危険性として挙げている項目ですが、まったく同じことが個人による善意のボランティアや募金にも当て嵌まる。
絆の言葉の代わりに、『個人の善意』と言い換えて、まったく違和感無く斉藤環の指摘は当て嵌まる。
共産党の本来の活動とは正反対の運動なのです。だから以前の昔の共産党は被災地の党組織が行うことはあっても全国組織が呼びかけるなど、決して無いのです。
違って来たのは16年前の1995年の阪神大震災の時からですね。
それ以降では2004年の新潟県中越地震など普通にボランティアや募金が赤旗紙面で呼びかけられるようになって仕舞ったのですが、赤旗の変節は嘆かわしい有様ですよ。
御巣鷹山の日航機墜落事件で赤旗は26年前と今年では全く別の紙面になっているのです。
忘れられた御巣鷹の惨劇と深まる謎 日本航空123便
2011年08月12日 | 社会・歴史
今の赤旗ですが商業新聞と同じことしか書きません。政府が困ることは書かないのです。
負けて当たり前で、これで共産党が勝てたら、その方が奇跡ですね。
共産党に付いては別のカテゴリー『共産党』設けて専門的に論じています。
多分他では絶対に見当たらない当ブログ独自の新しい視点から、共産党を論じていると自負しているので、これらの古い記事へのコメントでも当方は大歓迎します。

『民主集中制』の党規約の意味
2010年10月30日 | 共産党
民主集中制と共産党の不思議な話
2010年09月22日 | 共産党
一神教的世界観と共産党
2010年08月31日 | 共産党
宗教と共産主義と科学との不思議な関係
2010年08月26日 | 共産党
共産党の歴史的敗北を分析する(1)
2010年08月02日 | 共産党
(続)共産党のテサロニケ的党名変更問題
2010年07月28日 | 共産党
最後の共産党政治家、宮本顕治
2010年07月18日 | 共産党
盛り上がらなかった参議院選挙と日本共産党結党以来の危機
2010年07月15日 | 共産党
「偶然と必然」を読んで
2009年11月08日 | 共産党
筆坂 秀世セクハラ問題『謝罪と責任の文化論』
2008年06月15日 | 共産党

共産党問題ですが、今までの一般的な視点とは別の新しい判断が出来る判断材料を提供していると、考えています。
これ等のブログ記事の文章と類似の見解ですが、残念ながら今のところは他では絶対に見当たりません。
これ等の記事ですが、読者のご要望があれば新しく書き加えて再投稿し様とも考えています。
宗純様… (青い鳥)
2011-12-11 17:52:49
ご丁寧なご返答ありがとうごさいます。今後、ひとつひとつ勉強させて頂きます…。
青い鳥さん、コメント有難う御座います (宗純)
2011-12-12 16:06:46
共産党の持つ問題点というか不思議と言うかの内容ですが。
実はこの記事に書いた『鉢呂死の町』叩きであるとか、『絆連呼の違和感』であるとかと連動している一連の同じ種類の話でもあるのですね。
3・11以後は原発での政府や東電の悪質極まる世論誘導や印象操作のプロパガンダの連続で、これ等を書くことで忙しくて共産党の問題点は書くことが出来ないでいるのですが、日本にとって大事な話であり、何とか続きを書いてみたいと考えています。
小泉フィーバーにしても2年前の民主党フィーバーにしても今回の大阪の橋下撤のインチキ臭い大阪都構想フィーバーにしても、原因は同じで一般庶民が感じている閉塞感であり、『何とか、今の状態を変えて欲しい』との切実な願いの表れです。
政治の下地としては共産党が大躍進していた当時よりも、今の方が本当の共産党の躍進には条件が完璧に揃っている。
これで共産党が負けるなど、本当は何かの大間違いですよ。
今の共産党の停滞原因ですが、それなら、これは今世間で大流行の『自己責任』で間違いないのですね。
「絆」連呼に違和感への違和感 (愚樵)
2011-12-13 07:01:01
宗純さん、おはようございます。

この精神科医の分析ですが、真っ当な見解とは思いながらも違和感が拭えませんね。

というのも「絆」の連呼に皆が違和感を抱いていないとは思えないから。たとえば自民党です。「絆」というスローガンの急遽掲げた。それに違和感を私は感じます。おそらく、その感じを共有する人は多いはず。マスメディアが連呼する「がんばろう、日本」も同じ。

今、日本人は、こうしたスローガンを「誰が言うか」に極めて敏感なのではないか。特に若い世代は。ハシゲを支持するような人たちは別として。

「絆」は大切だが、それはプライベートな問題である。今、問題になっていて整理がついていないのは、絆がプライベートかパブリックかという問題ではないでしょう。絆がプライベートなのはみんなわかっている。大切なのはプライベートかパブリックか。パブリックがプライベートを侵害してきたときに、それを許容すべきか否か。

明治維新以降の日本は、プライベートよりもパブリックを優先すべきだと国民を教育してきた。「忠孝一如」ですね。戦後もそのマインドはあまり変わらなかった。右翼も左翼も、奉じる「忠」は違えども、忠孝一如に変わりはなかった。共産党はその左翼に位置したわけです。

今の日本はこの忠孝一如が崩れだしている。忠より孝。そして日本的な「孝」は中国とは逆で「親より子ども」なんです。原発事故を機にでここが復活してきている。

というわけで、

>今の方が本当の共産党の躍進には条件が完璧に揃っている。

という見解には不同意。民主・自民のオウンゴールで共産は一時的には票を伸ばすでしょうが、基本的には共産党はもはや出る幕無しです。
Unknown (kappa)
2011-12-13 14:09:50
>民主・自民のオウンゴールで共産は一時的には票を伸ばすでしょうが、基本的には共産党はもはや出る幕無しです
....
賛同いたします。
彼らはやっぱり国を背負う気概も覚悟も無いのだと思う。

なんでも反対の赤い旗を掲げた案山子が国会議事堂の屋根に寝転んでいるがごとく。
愚樵風の手品ですね (宗純)
2011-12-13 15:26:41
愚樵さん、コメント有難う御座います。

それは駄目ですよ。
何時もの悪い癖ですが、見ていて少しも面白くありません。
勿論原発安全村のやらせの可能性も無きにしも非ずですが、自民党が『絆』に悪乗りするのは今それが世間の流行りものだからですよ。
勝ち馬というか多数派に同調しようとする日和見ですね。
絆ですが二番手を大きく引き離しての第一番なのです。だから誰も彼もがあやかりたいのです。
余り赤ペン先生はやりたくないのだが仕方がない。

>『「絆」連呼に違和感への違和感・・・この精神科医の分析ですが、真っ当な見解とは思いながらも違和感が拭えませんね。』
とは面妖な。
科学的な分析に対して→真っ当な見解であるとは理解している。
ところが『違和感を感じる』と続けて書いてある。
科学的に正しいものは、誰が不愉快でも事実は事実ですよ。
それ、事実よりも個人の内心を大切にする昨今のマスコミ論調とか、歴史的正誤よりも先祖の名誉が何よりも大事と考えているらしい『作る会』の発想と同じですよ。
好き嫌いは其々ですが、私は無関係な個人の『内心』には何の興味もありません。(自分の連れ合いとか子供は仕方ないが)
どれ程大事に思おうと所詮心とは移ろいやすいもので、普遍性とは無縁です。
興味があるのは客観的な確実な事実の正誤です。
最近の愚樵遇論では何とかして『科学』の鼻をあかしたいとの観念論的な禅問答が延々と語られているのですが、私には何の興味もありません。

>『今、日本人は、こうしたスローガンを「誰が言うか」に極めて敏感なのではないか。特に若い世代は。ハシゲを支持するような人たちは別として。』
これも手品ですね。
何で橋下撤現象だけを除くのですか。
あれこそ今の最新流行の一番判りやすい世間の風俗ですよ。
確かに格差社会では若者が割りを食い、一番苦しんでいるのですが、それ以外の多くの人も同じ状態であり、それ程大きな違いはありません。
『別にして』ではなくて、その『代表例である』と考えるべきでしょう。
橋下現象が代表例なら、今回の愚樵論の根拠が総崩れになるので、
確かに別にしたい心情は理解できますが、それはインチキですよ。

>『「絆」は大切だが、それはプライベートな問題である。今、問題になっていて整理がついていないのは、絆がプライベートかパブリックかという問題ではないでしょう。絆がプライベートなのはみんなわかっている。大切なのはプライベートかパブリックか。パブリックがプライベートを侵害してきたときに、それを許容すべきか否か』
またまた手品です。
それでは、悪戯が過ぎるでしょう。
話が巧妙に客観的事実と正反対になっていますよ。
此処で論じられているのは『公が大事か、それとも私が大事か』など公と私の対立の話ではなくて、本来の公が無い事実ですよ。
公の無策とか責任放棄とかが、今の日本の大問題なのです。
もう一度斉藤氏のコラムの全文を読んでください。
絆が強調される原因とは、
『絆』などの私的な繋がりの大事さは否定していない。
今のような私的な範囲が目立ちすぎると、その分自己責任とか自助努力が強調され、結果的には公的な責任放棄を見逃す危険性を指摘しているのですよ。
斉藤氏も、
『絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。
たとえ社会やシステムに不満があっても、『社会とはそういうものだ』という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。
絆という言葉が『どうしようもない社会』を前提とした自衛ネットワークである。』
と明確に指摘しています。
この絆を強調する動きは、アメリカの草の根保守の茶会運動とも共通する右翼的な後ろ向きの危険な動きなのです。
宗純さん。 (東西南北)
2011-12-13 16:09:13
 やはり、宗純さんは東西とは社会科学の認識が違いますが、良識がある。マスコミや自民党公明党などが流す絆のプロパガンダの本質は、国家による公的な生活保障の削減であり、自助、共助の拡大、村社会の復活にあると見ぬいています。素晴らしい。

 国民の生活をまっさきに保障しなければならないのは公としての国家なのですよ。国民相互の絆などではない。例えば、介護の社会化、保育の社会化などの社会保障は、まさに、自助、共助の閉塞から人間を自由にすることなのですよ。

 国家の市場原理主義と自助、共助の絆のプロパガンダが自民党、公明党、財界、マスコミから流れてくるわけで、良識あるリテラシーがあれば、極めて胡散臭い「がんばろう日本」の号令であると理解できる。

 憲法改正を叫んで自衛隊の海外での武力行使、さらには、自衛隊への入隊訓練などを否定しない勢力が「がんばろう日本」と呼びかける厚顔無恥。

 日本共産党のような福祉・平和国家権力を目指す議会政党こそ「がんばろう日本」とよびかけ、募金を呼びかけるなら素直にうなずけるのだが。
それではもう、歴史の偽造に近い (宗純)
2011-12-13 16:13:50
>『明治維新以降の日本は、プライベートよりもパブリックを優先すべきだと国民を教育してきた。「忠孝一如」ですね。戦後もそのマインドはあまり変わらなかった。右翼も左翼も、奉じる「忠」は違えども、忠孝一如に変わりはなかった。共産党はその左翼に位置したわけです。』
またまたまた、これも手品ですね。
明治憲法の主権者は天皇ただ一人ですよ。
ですから、この憲法下の『公』の意味とは天皇個人を指しているのですよ。
これは今の公明党の選挙ポスターにある『みんなの為に』の『みんな』の意味が池田大作一人を指しているのと同じ原理ですね。
あるいは、大き目の特殊に過ぎないアメリカンスタンダードを、普遍的な世界基準(グローバル・スタンダードであると詐称して世界の人々に強制した悪しき例の類似行為です。
『公』どころは、私も私。全くのインチキのパブリック(公)だったのです。
そもそも日本では公が無かったのです。
右翼はニセモノの『公』を本物だと信じて守ろうといるらしいが、
左翼は正反対にインチキの公モドキを倒して新しい本物の公的な『パブリック』な構造(社会)を打ち立てるとの発想です。
評論家的な、『どちらも同じ』など無責任にも程があるでしょう。

>『今の日本はこの忠孝一如が崩れだしている。忠より孝。そして日本的な「孝」は中国とは逆で「親より子ども」なんです。原発事故を機にでここが復活してきている』
これでは手品にもなっていない。
そもそも忠孝一如など、『崩れだしている』のではなくて最初から無いのですよ。
明治時代も無いし、勿論今の世の中はもっと無い。
武士の世の中ではもっと無い。
『忠孝一如が崩れだしている』とは昔は存在したことが前提ですが、それは神話であり現実世界は正反対ですよ。

>『忠より孝。そして日本的な「孝」は中国とは逆で「親より子ども」なんです。』
これも間違い。
親が死んだら3年間の喪に服すとか本場の儒教ではそもそもが忠より孝が上であり、今の日本で『親より子』なのは親の方に余裕があり子供が親世代にパラサイトしている現状から必然的に生まれているに過ぎない逆転現象で、それほどの意味はありません。本の数十年前には逆だったのですよ。

>『というわけで、>今の方が本当の共産党の躍進には条件が完璧に揃っている。
という見解には不同意。民主・自民のオウンゴールで共産は一時的には票を伸ばすでしょうが、基本的には共産党はもはや出る幕無しです。』
不正確であるだけでなく不真面目です。
『民主・自民のオウンゴールで共産は一時的には票を伸ばすでしょう』などと、現実離れにも程がある。
共産党ですが、『民主・自民のオウンゴール』で、
一時的に票を伸ばすどころか歴史的な大敗北を喫しているのですよ。
何を寝ぼけたことを言っているのですか。
現実の厳しい評価を見えていないのです。
『民主・自民のオウンゴール』で、共産党は致命的な大敗北で、
一時的には票を伸ばしたのは新自由主義の毒を隠したみんなの党とか橋下撤のインチキパフォーマンスでの、『何かを変えてくれるかも知れない』との庶民の儚い願望ですね。
これは少し前には小泉純一郎のお粗末ワンフレーズのフィーバー現象と同じ原理です。
一般庶民は何でも良いから『変えて欲しい』のですよ。
>『基本的には共産党はもはや出る幕無しです。』
の結果になった原因とは、『変えてくれる』との確実なメッセージを発信出来なかったからですね。
共産党ですが十年一日どころか100年一日で代わり映えしないと思われたのでしょう。
それは事実ではなくて宣伝です (宗純)
2011-12-13 16:30:35
kappaさん、当ブログでは読者の皆さんに良好な環境を提供する目的とブログ管理の必要上、タイトルや名前の無いコメントは不掲載とするローカルルールを設けています。
御面倒でしょうが次回のコメント投稿時には忘れずに御記入を御願い致します。

愚樵さんにも指摘したのですが、それは現実離れした妄想程度であり、不正確であるだけでなく不真面目で感心しません。
まして『なんでも反対の赤い旗を掲げた』など事実と違いすぎるので今では自民党でも言いませんよ。
困ったことに今の共産党ですが物分りが良すぎて昔のようには反対しないのですよ。
時間が止まっているのではありませんか、それでは知性を疑われますよ。

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