逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

猛毒シアン出た豊洲!小池百合子猿芝居劇場の終わりの始まり

2017年01月15日 | 政治
どちらもレベル7の核事故である、1986年のチェルノブイリと2011年のフクシマの同一縮尺の比較では、人口密度の関係で両者は放射能被曝の規模が全く同一か、逆に放射能汚染地域からの避難対象者の人数では日本の方が上回る。(公式発表では、環境に放出された放射性汚染物質の量は福島第一原発事故はチェルノブイリの10分の1だとされている)

『猛毒シアン出た!豊洲市場白紙も…小池都知事「驚いている」』2017年1月15日 スポーツ報知 (読売新聞系列のスポーツ紙)

東京・築地市場の移転先となる豊洲市場の第9回地下水モニタリング調査の最終結果が14日、発表され、検出されないことが環境基準の猛毒の有害物質「シアン」が初めて検出された。
環境基準の79倍のベンゼン、同3・8倍のヒ素も検出され、豊洲移転は、危機的状況に陥った。
土壌汚染対策を検討する「専門家会議」は今回の数値を暫定扱い とし、3月までに再調査すると明言したが、次回も同様の結果が出た場合、豊洲移転は白紙となる可能性もある。
この日発表された数値では、前回までの計8回で一度も検出されなかったシアンが、39か所で最大1・2ミリグラムが検出された。ベンゼンは基準値以上を35か所で、ヒ素は20か所で検出された。
(青酸カリ等の)「シアン」は特に有害性の強い物質とされ、シアンは検出されるだけで即アウト。出てはいけない代物だった。(ベンゼン、ヒ素、鉛は0・01ミリグラム、水銀が0・0005ミリグラムが基準値)
専門家会議で平田健正放送大和歌山学習センター所長、『異常な数値でビックリしている』。
過去7回目まではいずれも基準を下回っていた。
8回目(昨年9月公表)の調査でもベンゼンは環境基準の1・4倍だった。
なぜこんなに急に上がったのか。こういう経験は今までない』と平田氏。
あまりにも高すぎるため、今回の数値を「暫定値」とし、3月までに再調査する。精度を高めるため、次回は3団体に調査を依頼するという。
小池百合子知事(64)は『厳しい結果で、想定を超える高い数値が出て驚いている』。
築地市場の業者は『これでは、とても移転できない』、『(都が)改ざんしていたと疑われても仕方ない』。
1月15日 スポーツ報知(抜粋)

『読売系列の報知が一番適切な記事を書いている不思議』

1月15日付けスポーツ報知(抜粋)記事で太字での強調部分は『逝きし世の面影』独自の判断なのですが、新聞の論調が今の自民党政府に極めて近いことで有名なナベツネの読売新聞系列のスポーツ報知の記事が今回は一番秀逸である。(他の大手全国紙は何か奥歯に物が挟まったような書き方)
今回の驚愕の大ニュースですが、小池都知事以前の7回のモニタリング検査は全部が環境基準に合格していた。ところが豊洲移転を『立ち止まって考える』と中止を示唆する小池百合子が都知事に当選した途端、8回目は少しだけ環境基準をオーバーする。
豊洲移転を延期(中止)した後の今回検査(9回目)では環境基準値の79倍と爆発的に増えただけではなく、一発アウト(レッドカード)のシアンまで、なんと35カ所も見つかった。
しかも今回、大きく基準値オーバーの9回目モニタリング検査だけを専門家会議が『暫定値だ』と言い出したが無茶苦茶。不真面目が過ぎるでしょう(もしも9回目が暫定値なら、公平を期すなら、それ以前の8回分も暫定値である)
誰が見ても今までの検査結果が操作されていた八百長疑惑がある。それどころか、小池百合子などの関係者全員が、事前にその事実を知っていた(全員がぐるだった)疑惑があるのですから怖ろしい。

『あまりにも濃厚なモニタリング調査「結果の改竄」の痕跡』

選挙でも検査でも同じで、一匹のゴキブリの死骸が見つかれば他に100匹は生息していると見るべきであろう。(初回から8回目までのモニタリング検査は)後から『結果』を操作した疑惑が、あまりにも濃厚なのです。もしも今までのモニタリングの数値が都合よく改竄されていたとすれば、知っていたのは誰だったのだろうか。
当然、石原慎太郎など歴代都知事の責任問題も浮上するが、それ以上に一連の成り行きを時系列的に考察すれば今の小池百合子都知事が一番、隠された裏事情に精通していることは明らか)

金子勝 ‏@masaru_kaneko · 1月14日
【茶番劇は緞帳が破れた】
豊洲の地下水調査で、72地点で、ベンゼン、ヒ素、シアンなどを検出。ベンゼンは基準の79倍も。東京ガス跡地だからありうる。小池茶番劇場の緞帳が破れた。
石原を逃した上に、五輪施設のように何もなかったではすまない

孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru · 1月14日
豊洲、読売報道「基準値を超えたのは、ベンゼンが35か所で最大79倍、シアンが39か所で同12倍、ヒ素が20か所で同3・8倍。過去の調査と比し急激濃度上昇で、都は今回の結果を「暫定値」」。何故急激?
①機械壊れてた、
②測定時の工作が出来なくなった、
③急に有毒が増えた、どれだろう?

過去の分析会社が発注者の都合に合わせて不正をしていた。。しかないでしょう

孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru · 1月14日
専門家の堕落:
原発問題といい、豊洲の問題といい、専門家とされる大学の権威の方々が信じられない発言をする、既存の行政機関の政策を擁護するという目的のために。
外交安全保障分野もしかり。どうしてこうした御用学者が各分野に花盛りになるのか、大学の関係者のどなたか解説していただけませんか。



『恐怖の人間「時限爆弾」小池百合子に期待されている大事業?とは』

芸能界を追放された偽外人のショーンKのように何の責任も権限も無い浮き草稼業のタレントの経歴詐称でもアウトなのに、政治家の学歴詐称は即アウト。到底このまま無事に済むはずがない。(公職選挙法の虚偽記載『学歴詐称』はれっきとした犯罪行為)
国会議員は言うに及ばず政府閣僚以上の重要なポストである東京都知事の小池百合子の学歴詐称はあまりにも明らかであり、今のマスコミが全員沈黙していても、到底このまま政治家を続けることは不可能なのです。(それほど遠くない将来)必ず最後には大騒動に発展する。
(今後学歴詐称のレッドカードで一発退場になることが確実に分かっている)時限爆弾そのもののような小池百合子を天まで持ち上げる、今のマスコミ各社が余りにも異様である。
たぶん、既存の政治家が誰も恐れて出来ない前代未聞、空前絶後の大変革(首都東京の150年ぶりの再度の奠都)を政府やマスコミは小池百合子に期待しているのであろう。
今年の干支は丁酉(ひのととり)だが2017年とは江戸の徳川幕府が京都の朝廷に大政奉還してから150年目でもあった。(大政奉還から1年後の1868年に260年続いた江戸幕府は崩壊している)
日本国憲法公布(1947年)から70年、日中両軍が本格的に武力衝突した盧溝橋事件(1937年)から80年、ロシア革命(1917年)から100年。丁酉(ひのととり)の今年2017年は大変革とか革命の年として記録されるであろう。


『1868年明治維新、東京遷都(せんと)ではなく東京奠都(てんと)だった』

余録 『奠都とは都を定めることをいう…』毎日新聞2016年2月27日
奠都(てんと)とは都を定めることをいう。都を移す遷都(せんと)はよく聞くが、明治初めに京都から東京へ都が移ったのは「東京奠都」と呼ばれる。江戸は東京となったが、京都から遷都するという宣言はなかったのだ
▲京都の人にいわせれば、天皇は「ちょっと東京へ行ってくる」と出かけて、まだ戻っていないだけである。
事実上の遷都は1869年に太(だ)政(じょう)官(かん)などの行政機能の移転も伴った2度目の天皇の東京行きだが、この時も臨時措置だと説明され京には「留守官」が置かれた
▲さすがにその秋の皇后の東京行きの際には町衆1000人が御所の石薬師門(いしやくしもん)につめかけて抗議活動をしたという。
当局は翌年の天皇帰還と大(だい)嘗(じょう)祭(さい)を約束して騒ぎを鎮めたが、むろん空手形(からてがた)に終わった。そんな歴史も思い起こされる京都への文化庁の移転の動きである
▲地方創生を掲げる政府が検討している国の機関の地方移転で、京都府から誘致の希望が出ていた文化庁だった。
政府は長官を含む機構の大半の京都移転を数年内に実現する方針を固めたそうだ。東京には増員される次長と国会対応などにあたる部門が残されるという
▲明治初めの留守官は社寺との応対にあたる役職だったというから、今の文化財行政と通じるものがある。
国宝などが集積する古都への文化庁移転はすんなりと納得されよう。だが徳島県の消費者庁誘致などについてはさらに検討が重ねられ、結論が出るのは夏になる
▲なし崩し遷都から1世紀半近く、もしや胸のつかえが少しは下りたという方もおられようか。
いや、もう空手形にはだまされないという向きには、今後の成り行きに目をこらしていただこう。

『漢字の【奠】をデジタル大辞泉辞書で引くと』

[音]テン(漢) デン(呉)
1 神仏に物を供えて祭る。「奠茶」
2 供え物。「香奠(こうでん)
3 位置を定める。「奠都」(てんと)
『辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書では』
1)くま 【奠】「 くましね(奠稲) 」に同じ。 「是に,-奉りて,楯節儛奏る/日本書紀 持統訓」
2)てん 【奠】神仏などへの供え物。供物(くもつ)。
【 奠 】 [音] テン ・デン
① 供え物をしてまつる。供え物。 「 奠茶 ・祭奠 ・釈奠(せきてん)((しやくてん)) ・香奠(こうでん) ・乞巧奠(きつこうでん) 」
② おく。さだめる。 「 奠都 」
とあり、何処にも遷都の意味がない。 (奠都と遷都では、本来の意味が大きく違っているのです)
遷都(せんと)は、都(みやこ)を他所へうつす(遷す)こと、古くは『都遷り』都移り(みやこうつり)とも言った。
遷都では天皇の勅令が出される決まりなのですが、明治天皇による『遷都の詔勅』出されていないだけではなくて、何処にも東京を『首都』とする旨の法令も政令も存在しない。
日本の首都東京ですが、『正式な誕生日が無い』不思議な状態になっている。
東京遷都(せんと)なら日本の『都』は東京の一つだけだ。
ところが、『奠都』(てんと)だと 東京だけではなく京都も依然として今でも日本の『都』(日本の首都が東京と京都の二つ)だとの解釈になる。

『首都「東京」の歴史的経緯とは、』

明治維新の1868年(明治元年)7月に『自今、江戸を称して東京とせん』との東京設置の詔が出されている。
1868年(明治元年)の9月には天皇周辺の反対を押し切って江戸への行幸が実施され、天皇が江戸についた10月13日に、江戸城を東京(東の京)城と改めて行幸時の臨時の天皇の住居(皇居)にすることになります。
明治天皇の東京(江戸)行きは『行幸』なので、必然的に正式な御所のある京都(首都)に天皇は還幸することになる。
天皇は京都の御所に帰ったが、1869年(明治2年)には東京にもう一度再幸することになり、その間に東京城の宮殿造営の計画発表や、国家の基本方針を決める会議開催を理由に藩主(府県知事)の東京参集を命じたり、議事機関(公議所)の東京設置など、着々と首都機能がなし崩し的に東京に移っていく。
そうした中で東京再幸が行われる際には国家の最高機関である太政官を東京に移し、京都には留守官を置くことが発表される。半年後には皇后も京都から東京に移される。
再行幸で明治天皇が東京に着いた1869年(明治2年)3月28日には東京城に改めた江戸城を再度『皇城』と改め、1888年(明治21年)からは 『宮城』と呼ばれることになるが、その後第二次世界大戦の敗北で大日本帝国が崩壊、1948年(昭和23年)から『宮城』の名称が使えなくなり今のような『皇居』になるが、いずれの段階でも誰からも(都を京都から別の場所に移す)『遷都』(せんと)の言葉は使用されなかった。(正式な遷都宣言が無い日本国の首都東京ですが、これは長年連れ添っているが正式な婚姻届をしていない『事実婚』のような話)

『生前譲位の「天皇のお言葉」との関連性に何れかの時点で必ず注目が集まる』 後は正式発表のタイミングだけ

みんなが東京遷都だと思っていた首都東京が、実は『東京奠都だった』(今でも西日本の京都は『都』だった)との驚愕的な大ニュース?は去年の2月27日、今までの慣例を破って宮内庁(日本政府)が『天皇のお言葉』を全国放送したのが、その半年後の8月8日。全く別々に見えるが、たぶんこの二つは密接に関連している。(韓国の朝鮮日報も、『1989年の即位以来、初めてのこととなる』と報じている)
あの金に汚いネズミ男(升添要一)がマスコミ総がかりのイジメ?によって都知事を追われたのが6月15日。日本版CIA(外務省国際情報局長)の孫崎 享によれば『極秘情報、都知事選』として小池百合子が知事選立出馬発表の2日も前の『6月17日の段階ですでに、米国情報関係者周辺では「次はユリコね」という会話がされていました。』と内幕を暴露する。
小池百合子は選挙戦中に豊洲移転について『立ち止まって考える』と度々言っていたが、選挙時のリップサービスではなくて驚くことに本気だった。(小池ですが選挙時には築地市場の老朽化とかドブネズミが走り回る不衛生な衛生環境も同時に語っていた)

『最終結果(猛毒のシアン検出で豊洲移転中止)は最初から決まっていた』

小池百合子は当選直後の多忙な8月16日に実際に新都知事として築地市場を視察しに行く。豊洲移転期限の11月7日が迫る中、8回目のモニタリング検査で初めて基準値を少しだけ超えたことを口実に、本当に移転を中止(先送り)している。
たぶん間違いなく、今回の禁断のシアンの検出とか環境基準の79倍との猛烈な数値が出ること(9回目のモニタリング検査)を事前に知っていた。(もしも先送りした挙句『やっぱり最初の計画通りに移転する』ではマスコミや世論の袋叩きに合い小池百合子の政治生命はその時点で尽きる)
去年の時点で豊洲移転の先送りでは、『やっぱり最初の計画通りに移転する』結論は決して無い。必ず最終結果は移転『中止』しか有り得ないのである。
暢気に何も知らないのは東京都民だけで、国も都もマスコミも(もちろん小池百合子を当選させたアメリカも)関係する全員が豊洲移転が不可能であることは『はるか前から知っていた』のである。
東京瓦斯の跡地で環境汚染がひどい豊洲新市場が問題なのではなくて、実はフクシマから220キロの東京自体が放射性微粒子(ホットパーティクル)で汚染していることこそが大問題であり、すべての騒動はその隠蔽工作である可能性が一番高い。150年ぶりの東京奠都(首都機能の移転)の期日が目の前に迫っているのである。


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2 コメント

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『六価クロム事件の現場』 (ローレライ)
2017-01-15 13:00:42
大昔に裁判傍聴に行った『六価クロム事件の現場』に近いのが『豊洲』あれも『産廃処分所』を都が買い取りした話でした。
6年前の福島第一原発の爆発当時を髣髴させる、無責任極まる専門家の数々の言動 (宗純)
2017-01-18 17:00:26
専門家会議の委員とか会長、事務局など全員が、唖然茫然。
とんでもないショックだの原因不明だの、有り得ないだのほぼ無茶苦茶。
右往左往するばかりで今何が起きているのかさえ理解出来ない有様。
専門家だと信じていたのに素人以下の呆れ果てた御用学者なのですが、これ、どこかで見たことがあると思ったら、6年前の福島第一原発が相次いで爆発した当時と同じ現象です。
これから落ち着く可能性も少しはあるが、
たぶん(フクシマと同じ経過を辿るなら)もっともっと信じられないくらい酷いことが今後連続して続きます。

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