逝きし世の面影

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悲劇の絶滅動物

2012年09月07日 | 社会・歴史
(1936年9月7日に死亡した最後のタスマニアタイガーのベンジャミン)

『日本の絶滅種』河童伝説のニホンカワウソ

8月28日環境省は、1979年(昭和54年)に高知県須崎市の川で目撃されてから33年間確認できない国の特別天然記念物の哺乳類『ニホンカワウソ』について、『絶滅種』に指定しました。
絶滅の恐れがあるレッドリストの中で、絶滅種は1991年(平成3年)に4種が指定されている。
ニホンオオカミは北海道を除く日本列島に広く分布していたが最後の一頭が1905年(明治38年)に奈良県東吉野村鷲家口で殺される。生態は絶滅前の正確な資料がなく剥製は世界に4体しかない。
北海道に分布していたタイリクオオカミの亜種のエゾオオカミもほぼ同時期に絶滅している。
他は、19世紀に捕獲された標本が残っているだけで詳しい生態は分かっていないオキナワオオコウモリと、オガサワラアブラコウモリの2種。
環境省により、昭和まで生息していた哺乳類が『絶滅種』に指定されたのは今回が初めてです。
ニホンカワウソは北海道から九州まで広い範囲の川や海辺に生息する体長が1メートルほどのイタチ科の哺乳類で手足は短く指の間に水かきがある。清流を好む動物で豊かな自然環境がどれほど残っているかのバロメーターでもあった。
二本足で立ち上がる愛嬌ある姿が人々に親しまれたニホンカワウソは、日本各地に伝わる『河童』のモデルとも言われているが、民間に広く信じられていたカッパ伝説の衰退消滅と同時期にニホンカワウソも絶滅する。

『フクロオオカミ(タスマニアタイガー)の絶滅』

イギリス・ロンドン動物で飼育されていた個体が1932年に死亡して絶滅したと心配されたが、翌1933年に捕獲されたのが、地球上でタスマニアタイガーの最後の一頭だったベンジャミンである。
メスなのにベンジャミンとういオス名前が付けられたぐらいにタスマニアタイガーは人類にとって未知の動物だった。
捕獲後タスマニア島のホバート動物園で飼育されていたが76年前の今日1936年9月7日に死亡。
タスマニアタイガーは地球上から完全に絶滅してしまう。
有袋類最大の肉食獣フクロオオカミは、トラのような模様をもつ事から『タスマニアタイガー』とも呼ばれていますが、見かけや生態が似ているオオカミやトラのような食肉目(ネコ目)の動物とは非常に遠い特殊な動物だった。
タスマニアデビルやフクロアリクイなどと同じフクロネコ目の動物で、カンガルーなどと同じ有袋類の動物ですが、コアラやカンガルー、ウォンバットのような草食性ではなく、これらウォンバットやワラビー、鳥類などを主食とする大型の肉食有袋類で他に近隣の種がない特別貴重な珍しい動物だった。
『タスマニアタイガー』と呼ばれる他、オオカミのような姿である事から『タスマニアオオカミ』とか『フクロオオカミ』とも呼ばれている。
ユーラシア大陸など他の大陸と古くに離れて、他に大型の肉食哺乳類のいないオーストラリアでは、タスマニアタイガーは生態系の頂点の種として、オオカミや虎のような生態的地位を占めていた。
鋭い歯や強力な顎、趾行性など文字通り、フクロオオカミ(オオカミのような有袋類)だった。
オーストラリアの先住民族のアボリジニは、約3万年~5万年前の第4氷河期末期に、当時はオーストラリア本土と陸続きであったニューギニア島を経て、東南アジアから移住して来たとされている。
当時、タスマニアタイガーはタスマニア島だけではなく、ニューギニア島やオーストラリア本土にも生息していたが人類が連れてた犬が野生化した『ディンゴ』との生存競争に敗れて、タスマニアタイガーはニューギニア島で絶滅。次いで、オーストラリア本土でも絶滅したとされる。
約3万年~5万年前の氷期には海水面が今より150mも低く、オーストラリア本土とニューギニア島やタスマニア島がすべて陸続きで、オーストラリア本土からタスマニア島へ移動して来た人々がタスマニアンアボリジニ(タスマニア人)であるが、18世紀以降に移住してきたイギリス人による大量殺害で激減し、タスマニアタイガーが絶滅する60年も前の1876年に最後の一人だったトルガニーニ(女性)が死亡して先住民であるタスマニア人は絶滅する
人類の狩猟採集文化の最古の姿を19世紀まで残していたタスマニア人は、信頼しうる記録は無いに等しい寂しい状態で、現在完全な人骨は5体しか残されていない。
オーストラリアにディンゴが連れて来られた時代は、本土とタスマニア島が海進によって分断された約1万年前(第4氷河氷河期の終わり)以降であった為に、ディンゴはタスマニア島へ移動できなかったのでフクロオオカミは生存出来たのですが、20世紀にイギリス人植民者が滅ぼしてしまう。
政府がフクロオオカミに懸賞金をかけて駆除を奨励したが最後の一頭だったベンジャミンが死んだ後、貴重な動物であるここがわかり態度を180度転換、絶滅2年後の1938年に保護獣に指定したり保護区を設けたが時すでに遅し。(ネットではベンジャミンの生存時の動画映像が、上野国立科学博物館にはフクロオオカミの剥製標本が見られる)

『絶滅した竹島のニホンアシカ』

長らく日本人と共存していたニホンオオカミが絶滅した1905年に竹島が島根県に編入され、ニホンアシカは絶滅の危機に陥る。
隠岐島から160キロの距離にある竹島は当時の冷凍設備や船の性能の限界により通常の沿岸漁業の範囲を超えており、漁民はアワビ漁やニホンアシカ漁が目的だったのである。
ニホンアシカは、日本沿岸で繁殖する唯一のアシカ科動物で、アザラシやトド、オットセイのように冬に回遊してくるのではなく、周年生息していた。
ニホンアシカは現在は日本固有亜種に分類されているが、他の現存する北アメリカのカリフォルニアアシカや南アメリカのガラパゴスアシカの2亜種比べて地理的に遠く離れて分布することや体重が560kgにも達する大型であり、形態的な違いから『独立種』とする説が有力である。
明治維新頃の日本沿岸域におけるニホンアシカの生息数は3~5万頭以上と推定され、少なくとも1900年頃までは日本各地に生息していたが、20世紀初頭には次々と絶滅に追いやられ、棲息域は竹島などの一部地域に狭められていた。
竹島周辺のアシカ漁は1900年代初頭から本格的に行われるようになったが、乱獲が懸念されたため1905年(明治38年)2月島根県に編入して、同年4月にアシカ漁を許可漁業に変更、6月には共同で漁を行う『竹島漁猟合資会社』が設立されて組織的なアシカ漁が始まる。
漁は年平均で1300~2000頭、1904年(明治37年)からの僅か6年間で14000頭も捕獲するなど乱獲によってニホンアシカは激減する。
1935年(昭和10年)ごろには年間捕獲量が20~50頭まで激減して採算割れしたことや第二次世界大戦の勃発で竹島でのアシカ漁は停止される。
朝鮮戦争(1950~1953年)の真っ最中の1952年に、朝鮮半島から約130km沖合いの韓国の鬱陵島(ウルルンド)と、日本本土から50km地点にある隠岐島との、日韓中間線に李承晩ラインが引かれ、ラインのわずかに西側だった竹島周辺には以後日本人は近づけなくなるが、この時ニホンアシカは数百頭以下の種の絶滅水準にまで減っていた。
1974年(昭和49年)に礼文島で幼獣一頭が捕獲され1975年(昭和50年)に竹島で韓国の自然保護団体が目撃した記録が現在における最後のニホンアシカ目撃事例となっており、以後37年間も確実な生息情報は得られておらず、すでに絶滅したものとみられている。

『一時絶滅しかけた鳥島や尖閣諸島のアホウドリ』

生涯海上で生活する『アホウドリ』は繁殖期以外は陸地には降り立たない。
誰も近づけない安全な絶海の孤島が繁殖地なので、通常の陸上動物のような警戒心を持つ必要が無かったことと、体が大きいために飛び立つ為に長い助走が必要で、飛ぶ能力が進化しすぎたアホウドリは歩行が得意でなかった。
人が近づいても逃げないので陸上では誰にでも容易に捕まえることが出来たので、アホウドリという不名誉な名前が付けられたらしい。
19世紀末から羽毛採取を目的に大量に殺されて激減、唯一残っていた繁殖地伊豆諸島の鳥島が1939年に大噴火し10年後の1949年の調査で一羽も発見されなかったため『アホウドリは地球上から絶滅した』と思われていた。
しかし、1951年に鳥島で繁殖している30~40羽が再発見され、以降は保護が続けられ1958年に国の天然記念物、1962年に特別天然記念物、1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている。
2010年における調査で鳥島集団の総個体数は2570羽で環境省レッドリスト絶滅危惧II類(VU)に指定されている。
東京から南に約600kmの鳥島は1888年(明治21年)、玉置半右衛門がアホウドリの羽毛採取で年間20万羽、以後15年間で推定500万羽のアホウドリを捕獲した。
鳥島のアホウドリの悲劇は有名で誰でも知っている逸話であるが、不思議なことに尖閣諸島でも同じ時期に同じ規模で同じアホウドリの悲劇が起きていたのにもかかわらず、何故か人前で語られることは無い。
沖縄県石垣島から170kmも離れた絶海の孤島である尖閣諸島は、かつて伊豆諸島の鳥島と同じでアホウドリが大集団をなして繁殖していた。
1885年(明治十八年)当時、日本政府の領土編入を待たず古賀辰四郎はアホウドリの羽毛採取を行っていたが、1895年に尖閣諸島が正式に日本領に編入される。
1897年 から魚釣島に、翌98年から黄尾嶼(久場島)に入植させて羽毛採取目的で毎年15~16万羽のアホウドリが捕獲され、尖閣諸島の個体数はまたたく間に激減していく。  
黄尾嶼(久場島)の調査で20~30羽の小群しかいなくなる1900年以降は、アホウドリの減少で尖閣諸島への入植は採算割れになり、仕方なくアホウドリのグアノ(鳥糞)採掘事業や鰹節工場など漁業に切り替えて細々と営業を続けていたが、1940年(昭和15年)には完全撤退する。
撤退前年の1939年魚釣島や南小島、北小島でアホウドリを1羽も観察することができなかった。
戦後の1950年、1952、1963年の調査でもアホウドリを観察することはできなかったため、尖閣諸島のアホウドリは絶滅したと考えられていた。
1971年南小島で70年ぶりにアホウドリを再発見され、尖閣諸島の南小島は伊豆諸島鳥島につぐ第2の繁殖地となっていて、現在は数百羽が確認されている。
アホウドリの受難の島だった鳥島も尖閣諸島もいずれも日本人の無許可上陸が厳しく制限されていて、現在は厳格に守られている。

『絶滅の悲劇の島だった、尖閣諸島と竹島』

尖閣諸島や竹島が現在領土問題として必要以上に中国韓国と揉めている原因ですが、何れも日本に編入される時期が日露戦争や日清戦争の勝敗に関連していて、一方の当事国が外交権を剥奪され植民地化される過程で起きた事案であるからなのです。
中国韓国の人々にとっては、竹島や尖閣諸島は亡国のトラウマとオーバラップしてしていて、日本の膨張政策の最初の犠牲が尖閣や竹島であると捉えられ冷静な客観的判断が出来ない。
ところが反対に日本側から歴史的に見た竹島や尖閣の日本編入の意味とは、いずれもニホンアシカやアホウドリの捕獲などの身近な経済目的であった。
竹島や尖閣の日本領有は、短期間での組織的な大量虐殺による『種の絶滅』に繋がったが日本国としては余り名誉な話とは言えないので、これらのニホンアシカ漁やアホウドリの漁はマスコミ等では滅多に出てこないタブーに近い話なのです。
ニホンオオカミもニホンアシカもアホウドリも、日本列島に人類が住み着く以前からの住民であり明治維新までは日本人と長年にわたり平和に共存していた。
突然この穏やかな状況が劇的に変化するのは百数十年前からのことなのです。
日本に何が起きたのか。
連作が出来ない小麦文化である欧米社会では内部に牧畜文化を必ず内包していて必然的に森林を破壊して、グリム童話の赤ずきんにあるように家畜を襲うオオカミなど野生動物を『悪』として殺して来た。
メソポタミアの世界最古の叙事詩では、英雄のギルガメシュは森を守る神であるフンババを殺して鬱蒼と茂るレバノン杉を切り開き都市を作り文明を興したとされている。
対照的に稲作文化の日本では長い間オオカミを『大神』として守って、森林を保護して水源を守る。現在でも日本の森林率が7割もあり、欧州で一番自然が残っている森と湖の国のフィンランドと同程度なのです。
シカの天敵としてのニホンオオカミを失った日本の自然は、百年後に増えすぎたシカの食害で今の人々が苦しんでいるが有効な解決策は見い出せないでいる。
アメリカのイエローストーン国立公園では1926年にオオカミが絶滅した後に増えすぎたシカの食害で自然破壊が進み、1995年にカナダからオオカミを再導入して現在は元の健全な生態系が復活している。


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