逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

NHK「核を求めた日本」原子力発電は核機微技術の確保目的

2011年08月24日 | 軍事、外交

『原発周辺、長期居住できず』

政府は21日、東京電力福島第1原子力発電所事故で、半径20キロの警戒区域のうち原発に極めて近い地域について、長期間にわたり居住は困難として、警戒区域の指定を解除せず、立ち入り禁止措置を継続する方針を固めた。
27日に菅直人首相が福島県入りして、地元自治体に直接説明し陳謝する。対象地域は同県大熊、双葉両町内の原発周辺3キロ圏内となる見通し。
第1原発に近接した地域は放射線量が極めて高く、長期間にわたって居住は難しいと判断。
立ち入り禁止措置は数十年続くとの見通。
避難生活が長引く警戒区域の住民からは、集団移転を念頭に、政府が方針を明確にするよう求める声も出ていた。
『政府としても『戻れない』と早く言わなければいけない』(首相官邸筋)とし、近く退陣する首相が在任中に福島を訪れ、陳謝することになった。(2011/08/21時事)

『何の為の原子力発電だったのか』

自民党政調会長で元防衛大臣の石破茂がMBSの『報道ステーション』で自民党が『脱原発』に反対する理由として、『日本は絶対に核兵器を持つべきでない』とことわった上で、原発を持つことは一年以内に核兵器を開発できるという核の機微技術の確保による『抑止力』を意味し、剣道の寸止めのようなものであると、長年日本の政権党だった自民党の恐るべき内幕を正直に説明している。
『機微技術』とは、武器、あるいは、民生品であっても大量破壊兵器などに転用できる物に関する技術のことで、国家(国際)安全保障に甚大な影響を与え得るもの。
原発推進派が懸命に隠し続けていたが今回明らかにした石破さんは、政治家としては問題だが人間が何とも正直である。
核の機微技術は、原発事業とセットで、ウラン濃縮から使用済核燃料処理など核サイクルシステムの関連技術体系で、これは米英仏ロ中など核保有国以外では世界中で唯一日本国だけが全てを保有する特別な存在なのです。

『目の前の隠されていた醜い真実』

『どうせ私を騙すなら、騙し続けて欲しかった♪』との演歌の台詞そっくりの感情的な批判が石破茂氏の『隠されていた真実』の告白?に対して出されている現状は嘆かわしい。
原発推進の今までの言動は『いささかの間違いもない』と言い切る与謝野馨財務相や『原発は必然』との谷垣禎一自民党総裁と比べてみれば、石破発言の真っ当さは段違いである。
どれ程悲惨な事柄でも、それが客観的事実であれば『いや違う。事実ではない』などと頭から否定せず、隠されていた不都合な真実を『これは間違いない事実である。』として受け入れる以外に方法が無いとの科学的判断が出来ないとは何とも情けない。
石破茂自民党政調会長が原発推進は核武装・核抑止力のためだった事実を明らかにしたことに対しては『理解不能』とか『欲ボケした低脳ミリタリーオタク』などの言葉は上質な部類で、低級な政治ブログでは『石破茂とかいうキチガイ』等と常識ある大人とは思えない見るに耐えない感情的な罵倒語が並んでいて、『何が(隠蔽されていた)真実であったのか』との視点が欠落しているのですから困った話である。

『石破と石原慎太郎との明確な違い』

報道ステーションの石破発言ですが、 機微技術の保持との原発の存在理由を述べる前に、『日本は絶対に核武装するべきでない』との前提発言を行っている。
ですからタモ神とか石原慎太郎など夢想的な右翼の現実無視の核武装論とは一線を画している事実を、護憲派が今のように完璧に無視するべきではないでしょう。
日本の原発ですが、経済性は真っ赤な嘘。
安全性に至っては正反対である事実は今では誰でもが知っている、
それなら何故、とんでもなく危険で天文学的な損害が出る原発を日本国が国策として何十年も推進していたかの謎ですが、 これは石破発言以外には無いのです。
客観的に正しい科学的事実は、善悪とは無関係に『事実である』と認める以外の選択肢は無いことに皆さんは余りにも無頓着過ぎないでしょうか。
石破発言ですが、『悪い』ことは事実ですが、同時に恐ろしいことではありますが『正しい』客観的な歴史事実に合致した発言なのです。

『半世紀前からの客観的事実』

この『石破発言が正しい発言である』との意味ですが、 自民党が半世紀もの長い間、 何十兆円もの大金かけて、 しかも半世紀前に15万キロワットという小型原発の過酷事故でも国家予算の倍以上の損害が出ると試算されていた、 下手をすれば国家滅亡の危険性がある原子力に拘った理由とは、『石破発言』以外には真実は無いとの意味です。
石破発言の中身が良いか悪いかと問われれば、間違いなく極悪発言ですが、 正しいか間違っているかの判断なら『正しい』としか答えは出ない。
半世紀もの長い間、日本国が積極的に推進した『国策』の中身とは、まさに『石破発言』なのです。
恐るべき事柄であり忌まわしい。直視出来ないほどに醜いとの理由で、今現在の目の前にある『真実』から目を背けることは正しい態度ではありません。
『悪いこと』(許せない)と、『間違いである』(事実と違う)とは同じではありません。
石破発言は悪いことですが、間違いではないのですよ。
半世紀の日本国の真実の姿を、正直に石破は語っているのです。
如何も、『悪い』と、『間違い』の二つの別のカテゴリーが『許せないとの感情論が先走り』して仕舞い、『別のもの』との違いが判らずに混同している。
石破発言を、間違いである(事実と違う)とするなら、 それならこの半世紀の間何故日本国はとんでもなく危険で莫大な経費がかかり経済的には到底採算が合わない原発を推進していた、別の合理的な理由を何か『ある』と考えないと合理的とは言えず、論理的に無理なのです。
『原発は安全で安い』と正反対の真っ赤な大嘘を付いてまで、とんでもない間違っていた恐ろしいことを半世紀も続けていた日本国の国策(原発推進)に、 もしも石破発言以外の『別の合理的な説明』が出来るなら、誰でも良いから是非ともお聞かせ願いたい。
冷静に色々な事実を突き詰めれば、石破発言以外に合理的に説明が付く原因は『何処にも無い』のですよ。
日本は『核を求めていた。!』のです。

『NHKスペシャル「核を求めた日本」』

奇しくも福島第一原発事故の半年前の2010年10月3日NHKスペシャルのスクープドキュメント『核を求めた日本』が放送されている。
1945年7月16日アメリカの人類初の核爆弾トリニティが炸裂して巨大な閃光とネバダ砂漠上空高くに舞い上がる不気味なキノコ雲の地獄絵。
数週間後には日本の広島長崎にアメリカは原爆攻撃を行っている。
このNHKドキュメント番組『核を求めた日本』では1964年の中国の初めての核実験成功に対して、衝撃をうけた当時の佐藤栄作首相が日本の核武装を真剣に模索していた驚愕の事実が関係者の証言で明らかになっている。
日本国は『核武装により超大国への道を目指すべきである』との、驚愕の『狂気の議論』が自民党政権内部では国民には内緒で密かに行われていた。
専門家の秘密研究で、核兵器の製造は技術的には比較的短期間で可能だが政治・外交的なアメリカや周辺諸国からの反発が予想されて、日本政府は核兵器の開発を断念する。
佐藤栄作首相は、日米首脳会談で日本国の核兵器開発の断念の見返りとしてジョンソン大統領に核での報復(核の傘)の確約を取り付け、この直後に有名な日本の非核三原則が発表された。
一見平和政策(緊張緩和)に見える日本の非核三原則と、超強硬な狂気の軍事政策である核による報復政策(核の傘)とは別々のものではなくて、何と政策的に一連の『セット』で一体であったのです。

『実戦を考え反核に向かうドイツ、対照的な姿勢の日本』

日本国は一応はアメリカに核武装を放棄する決定を伝えたが、その後も核兵器への未練は捨てきれず1969年に、旧同盟国(日独伊三国同盟)で置かれている立場が似ている西ドイツと内密に核兵器の保持について秘密会合を繰り返していた恐るべき事実が関係者の証言で明らかにされている。
日本側の危険で夢想的な核武装論ではなくて、当時の西ドイツは東西冷戦の最前線であり実際の、次に起きると想定される具体的な戦争(実戦)を想定していた。
その為に、日本側の積極的な態度とは対照的に、ドイツは国家存亡に繋がる自国の核武装には消極的であり、最後まで賛成することは無かったらしい。
秘密会合や研究だけではなくて、日本で初めての東海村原子力発電所(15万キロワット)を使った、具体的な核兵器用の高純度プルトニウムの生産計画もシュミレーションされていた事実も報道されている。
日本の原子力発電推進の意味から、問題とされた石破茂の機微技術の部分を除くことは、そもそも原理的に無理がある。
石破発言とは、『王様は裸だ』と真実を叫んだ正直な子供のイソップ寓話と同じ種類の、何とも腹立たしい話であったのです。


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軍事的自尊心のために裸の大様の行列はますます華やかに (現田石)
2011-08-24 17:23:10
奇しくも2011年8月22日、文化放送「吉田照美 ソコダイジナトコ」の週刊エンターにて、小出裕章助教が、次のように言及しています。

私はそのこと(=「核を求めた日本」という番組の内容)をずうっと政府の外交文書等で知っていましたので、まあようやくNHKもこういうことを言い出したんだな と、思いましたけれども。(引用終わり)

つまり、外交文書等でも裏づけのある真実なのでしょう。一方、石破発言は、軍事的自尊心のために裸の王様の行列をますます(大金をかけて)華やかに挙行し続けようとの強い意思の表われと私は受け取りました。
理性は力があってこそ (愚樵)
2011-08-25 04:57:08
宗純さん、こんにちは。

国家として自主独立を求めるのであるなら「核を求める」ことはどう考えても「正しい」ことです。日本国は平和国家を謳っていますけれども、「核を求める」ことと理念としての平和を謳うことは必ずしも矛盾しません。問題は、「核のある平和」か「核のない平和」かの違いにだけ。

理念を実現するの理性です。闘争が機軸の民主主義を議会という戦争代償行為で平和的に統合するのに、主軸となるのは理性をおいてない。そして、理性が万全でありさえすれば、核を所持していたところで何ら問題はない。使わなければよいのですから。

使わなければよいなら、所持しなければよい。確かにそれは理屈です。ですが空論です。核は力なのです。そして理性は力があってこそ意味がある。力を制御できるからこそ理性に意味があるのです。ですから、最高に理性的な国家とは最高の力である核を完全にコントロール出来る国家。そういった意味では石破議員が想定する国家こそが、実はもっとも理性的な平和国家。武力の放棄を謳った平和憲法を掲げ、最高の力である核を平和利用する。が、一方で、いざ有事というときのためにいつでも核を軍事転用するための備えは怠らない。民主主義国家としては完璧です。

ですが日本はその道を歩まなかった。国民の反対もあり歩もうにも歩めなかったという現実もあるでしょうが、それよりも重大な事実は、核を求めた権力者自己の保身が完全民主主義国家への道を歪めたことです。核施設は東京に、それも皇居に作るべきだった。天皇には核の守護神となってもらうべきだった。核という巨大な力を制御するには、理性が常に最高度の緊張感をもって保たれたければならない。すなわち臨戦態勢でなければならない。平和でかつ臨戦態勢であるという矛盾を実現するには、つねに自身に刃をむける「ダモクレスの剣」が必要。それは核施設を東京へ建設することで、容易に実現できたのです。

しかし、権力者はその道を選ばなかった。「原子力は安全」などと嘘をついた。国家よりも自身の保身を優先したわけです。石破議員も、なるほど主張は正しいが、所詮は口先だけ。自身は権力の果実だけを味わい、ゴミは国民へ押しつけたい。正しい主張の合間からその魂胆が透けて見えてしまいます。
現実と理想との葛藤 (青い鳥)
2011-08-25 06:02:10
>『日本は絶対に核兵器を持つべきでない』とことわった上で、原発を持つことは一年以内に核兵器を開発できるという…>核の機微技術の確保による『抑止力』を意味し、剣道の寸止めのようなものである
>自民党が『脱原発』に反対する理由として、『日本は絶対に核兵器を持つべきでない』とことわった上で、原発を持つことは一年以内に核兵器を開発できるという核の機微技術の確保による『抑止力』を意味し、剣道の寸止めのようなものである…いずれも要諦を鋭くえぐられてますね。 宗純さんのご指摘に賛同します。「善いこと」と「悪いこと」、それと、「正しいこと」と「正しくないこと」とは、そもそもカテゴリーが別のものなのですね。今までわたしは、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い。」派でしたが、短絡に過ぎたと反省しないとなりませんね… 確かに、石原・タモ紙と、石破政務調査会長は、違いますね…。なる程…。
‘機敏技術’、「寸止め」それに、愚樵さんご指摘の「完璧な民主主義…。」論…。「盲信的な護憲論者である、わたくしめ。」と致しましては、実に悩ましく、転向するか、しないかの重要な点でありますね…。「実に悩ましく、苦渋の極み…。」 以前、愚樵さんのブログで「折り合い」について勉強させて頂いたのですが…。まさに「核抑止論なるものは…」わたしの思想の中で、「絶対矛盾的自己同一」のスパイラルに入り込んでしまい、出られなくなるんですね…。「核は悪。」と「現実的国際社会でのパワー・バランスの中にいる日本」どっちの立ち位置に立つのか?
やはり「機微技術」を持ち「寸止め状態」を保ち乍ら、唯一の被爆国として、「核兵器廃絶」に向け国際社会に根気よく訴え続けるか…。
現実にドッブリ浸かり、理想をかなぐり捨てるのも、希望の芽を摘む様で癪に障る…。実に悩ましいですね。転向はしたくないし…。これが「イデオロギーの呪縛」というものでしょうか…?。
原発事故の前と後では意味が正反対 (宗純)
2011-08-25 12:11:14
現田石さん、コメント有難うございます。

小出さんですが、このNHK放送『核を求めた日本』が原発事故の後ではなくて、5ヶ月前の時点でも放送だったことに着目していて、『日本国の核武装に対する地ならし効果を狙った世論誘導ではないか。』と、疑っているのですが、
私も、このことは十分に注意するべきであると思っています。
この放送が、3月の原発事故の後に再放送されるなら素晴らしい。
ところが多分絶対に不可能であろうと思っているのですよ。
まあ、ネットなら今でも繰り返し見ることは可能ですが、ネットを見る人とは最初からNHK放送の内容を既にある程度は知っている人達だけなのです。
マスコミ放送はその点が正反対で、今までまったく知らない人が見るモノなのですね。
同じビデオでも、見る目的も対象者も正反対なのですよ。
小出氏の危惧ですが、今後NHKで再放送されるなら杞憂に終わるでしょう。
再放送しないなら、間違いなく核武装世論誘導用の地ならしとか免疫効果の高等戦術で悪質なプロパガンダですね。
10年ほど前から、それまでの憲法9条のある日本国ではあり得ない『核武装論』が政治家の間に上るようになっていたのですよ。
また3・11直前までは小出氏の原発反対などは、1割程度の少数意見でしかなかったので、無視できる程度のささやかな力しかなかった現実がある。
当時は、今とは大違いで政府やマスコミによる刷り込みが大成功していたのですね。
そして原発事故を見ても事故の数ヶ月後では、原発の賛否が拮抗状態であったのです。
とことが半年が経過して福島の惨状から、今では完璧に様変わりして以前は絶対多数だった原発推進派は数字の上ではゼロですね。
辛うじて現状維持派が1割程度の残っているだけです。
原発反対派が8~9割なのです。
ところがマスコミも往生際が悪すぎる。
普通世論調査なら賛成・反対・判らない(現状維持)の三択ですよ。
あるいは賛否に積極的か消極的かを入れて五択にする。
最新世論調査では、今すぐ原発停止が11%徐々に原発停止が74%。現状維持が14%。
この三択可笑しいとは思いませんか。
原発問題物の是非を問うなら当然質問にこれ以外に原発積極推進とかゆっくりと安全確認しつつ建設するが無いと、駄目なのですね。
片一方だけしか聞いていないのです。
原発ですが、少しでも知識がある人なら即座に中止すると決定しても本当に廃止できるのには何十年もかかることを知っている。
ですから徐々にも即時も原発に関しては全く同じ意味であるので、それなら原発は意思は圧倒的な多数意見になっている。
【機微技術】ではニュース検索で「Hit」無し (JUNSKY)
2011-08-25 14:17:29
自民党政調会長で元防衛大臣というこの面では“大物”のの石破茂が【機微技術】保持のための原発であったという重大な発言をした、というのは、このブログ記事で初めて知りました。

早速、【機微技術】でニュース検索を行なってみたところ「Hit」無しで、この話がマスコミでは『タブー』であるらしいことが推察されました。
一方、Web検索では、こちらの記事も含めて幾つか「Hit」しました。

たとえば、富士通のサイトでは
【機微技術とは、武器、あるいは、民生品であっても大量破壊兵器などに転用できる物に関する技術のことで、国家(国際)安全保障に甚大な影響を与え得るものを言います。

機微技術は、現在、国際レジームのなかで管理されており、各国では、それに適した国内法制度を整備して運用しています。基本的には輸出入規制がそれに当たりますが、規制の対象は広く、物品の海外への販売やサービスの提供、海外企業の買収、技術提携、共同研究などにまでおよびます。】

また、「weblio」では、
【機微技術 (軍事的に利用される可能性のある核技術)
sensible nuclear technology (SNT) 】

「政府 文部科学省」のサイトでは、
【経済産業省では「安全保障貿易に係る機微技術管理ガイダンス(大学・研究機関用)」を作成しております。】

 などなど、核を中心とする軍事技術などを指していることが解りました。

「石破発言は悪いことですが、間違いではないのですよ。 」 という冷静な判断も賛成いたします。
 反核活動家は、石破氏をボロクソに批判するのではなくて、「良く本音を言ってくださいました」と“感謝”しながらも、自公民政権の政策を糾して変えさせてゆく努力こそすべきところですね。

 重要な情報提供ありがとうございました。

愚樵さん、それは悪い空論です (宗純)
2011-08-25 16:32:58
コメント有難うございます。

愚樵さんがご自分の愚樵空論で行う分には良いと思いますが、他所のブログで空論を行ったのではしゃれになりません。
少しも面白くない。
それは正に空論であり間違いですよ。
この記事でも何遍も何遍もしつこい位に繰り返していたのは、石破発言は政治判断として『悪い』が、同時に歴史認識として『正しい』(客観的歴史事実と合致している)ですよ。
これを意識的に、誤魔化して『正しい政治判断』との持論に誘導するのは感心しません。
それは不真面目な態度ですよ。
それにしても今回の石破発言に対する護憲派の感情的で過激な非難を繰り返す理性的でない反応ですが、心底がっかりさせられる。
これでは左右の違いがあるだけで、『歴史教科書を作る会』のお馬鹿過ぎる主張と全く趣旨が同じであるのですよ。
あるいは『自軍に悪い知らせをもたらした兵士が殺される』との話の二番煎じ。
悪い現実から目を背けたいのは判らないでもないが、それでは現実の危機回避にとってはマイナスにしかならない。
刃物を持った暴漢に襲われた時に、欧米では母親は子供を守る為に自分の背中側に回して、相手に対しては正面から立ち向かう。
ところが日本人の母親は子供を抱きかかえて危険な相手に背中を向けて仕舞うのですね。
これでは攻撃から守れないのですよ。
不利であれば不利であるほど、身を守る為に正面を向く必要があるのです。
良い情報は遅くても良いが、悪い情報が遅くては役立たない。
この記事の最初に書いてあるのは、原発事故では住民たちは生きている間には故郷に帰れない悲惨な現実です。
これを日本国は半年後にやっと住民に知らせる覚悟が出来たのですね。
ところがソ連では事故後数日で、全住民の恒久的な疎開を始めている。
半年間も避難所の体育館の床にごろ寝など狂気の沙汰であり、信じられない酷い有様です。日本では危機管理では、暴漢に背中を向けて仕舞う幼子を持った母親と、国民を守る責任がある政府の態度がシンクロしている。
同じであるのですよ。
今起きている恐ろしいことを正面から見なければ、その内に運が良ければ神風が吹いて危機が去るかも知れないと思っていたのですよ。
情けない。
本当に涙が出そうですよ。
『核で国を守る』ですが、確かに一概に間違いであるとは言えないでしょう。
例えばフセイン政権が核武装していればイラク戦争は無かったのです。
その意味では北朝鮮の核武装は『間違いではない』し正しい政策であるとなるのですが、実に困った話です。
リビアのカダフィ政権に核兵器があればNATOの空爆は無かったのは間違い無い事実なのです。
無いから攻撃された。
イラク侵攻でフセインが殺されるのも見てカダフィは即座に多分イギリスの謀略(濡れ衣)のテロ行為を認めて大量破壊兵器も廃棄して、攻撃の口実を潰すが、8年後にフランスのサルコジにリビアに反撃手段が何も無い事実を突かれて、空爆されたのですね。
核兵器とは必ず何時かは『使う』との覚悟がないものは持つべきではないし、そもそも『使う』為に用意するのです。
アメリカですが冷戦中は空はB52戦略爆撃機に水爆を積んで24時間1年中高空で待機していたし、海では矢張り戦略原潜が深海に潜んで来るべき人類滅亡の第三次世界大戦の最終戦争を一時も抜かりなく準備していたのですよ。
日本人以外では使う予定が無いものは準備しないのです。
これは原発でも同じで、事故では日本のような周辺住民は一時的な避難とは大違いで、即座に全員を別の安全な場所に完全に疎開させる。帰れないと知っているのですよ。

今度の原発事故ですが、アメリカは20年以上前からマーク1の致命的な脆弱性は判っていた。
原発メーカーのGMは水素爆発を避けるため仕方無しに設計変更してベントを新たに付け加えるのですが、勿論日本にも連絡する。
ところが日本の電力会社では、放射能のフィルターが高価なのと場所を食うのでベントの配管を設置しただけで誤魔化す。
実際にベントすると放射能がダダ漏れ状態になるので、政府のベント実施要請にも実施せずにやり過ごして、怒った官直人が直々に福島第一まで出張っていいく異常事態に発展する。
首相まで出てくるので東電は仕方無しにベントを行おうとするが、そもそもこのベントは、アメリカの様には使う予定が全く無い。
停電すると動かない仕組みだったのですから、無茶苦茶。不真面目の極みです。
全電源喪失するからベントするメルトダウンが起きるとの肝心な話が忘れられている。
世界に無く日本だけにあるレストランの本物そっくりの食品見本と同じで、見かけ上はベントなのですが実際に使うことは全く考えていない何ちゃってベントかベントの見本品。
核兵器までが使う予定が全く無いのですから、これは食堂の前に飾ってる料理見本と同じで、基本的にインチキですね。
まだ見ていなければ、是非とも見て下さい (宗純)
2011-08-25 17:33:15
青い鳥さん、コメント有難うございます。

このNHKのドキュメント番組『核を求めた日本』ですが、内容的には外から今まで推測されていた事柄ばかりであり、小出氏など今まで日本政府の核政策を見つめていた者にとっては一つも目新しい事実は有りません。
ただし、外側から状況証拠で『○○であろう』と推測しているのと、現実に当事者が直々に『○○であった』と証言しているのとでは、全く同じ内容なのですが、重さには大きな違いがある。
見れば『よくもここまでぬけぬけと。それを言ってしまったら終わりだろうが。』的な腹立たしい話が語られているのですよ。
当時の日本政府ですが佐藤栄作はA級戦犯岸信介の実弟なのですが、発想が丸っきりの日本帝国の小役人なのですよ。
進歩がまるで無い。
3百数十万人の日本人の命で購った貴重な経験が完璧に無視されていて、日本政府と大日本帝国とはやっぱり地続きだったのか。との感慨に今更ながらに気が付かされます。
日本は核兵器を作って超大国に成れると本当に信じていた。
断念した理由とは政治や外交、経済への悪い影響が出る事が予想されたからですね。
分かり易い例なら、『核で国を守る』との政治とは、今の北朝鮮と同じであるのですよ。
しかし、これでは北朝鮮とは大違いで、今までの日本人が営々と築き上げてきた平和国家日本との信用を完璧に失うからですね。
北朝鮮ですが、核武装することで軍事的には意味があるが、政治的経済的には大損害を被っている事実は、日本人なら誰でもが判ると思います。
今の北朝鮮ですが、プラスマイナスなら間違いなくマイナスが大きい。
ましてや日本国では准戦時下の北朝鮮以上にマイナス面が大きいのですよ。
ですから日本に核武装の選択肢は最初から無いのです。
日本と良く似た立場のドイツを見て下さい。
東西に国家が分裂していて、しかも地続きだったのですね。
それで西ドイツは本気で現実の戦争を考えていたので講和条約を結ぶやいなや間髪をいれずに憲法改正から徴兵制、共産党の非合法化へと突き進む。
周辺国と200キロもの海で隔てられた天然の要害の地で世界史でモンゴルとアメリカ以外には攻められなかった日本国とは、他国と地続きで二回の世界大戦で国土の基本的な部分である旧プロイセンを全て失ったドイツでは戦争の概念に大きな違いあるのです。
西ドイツですが、自国内で核兵器の保持には十分実戦を想定したシュミレーションしたはずなのですね。
そこで得られた結論は、今度の核戦争に舞き込まれたら自国が滅亡するとの当然過ぎる結論である筈です。
次回の第三次世界大戦の核兵器の勝敗では国土の広さと人口の多寡が決定的に重要であり、ソ連やアメリカ中国は残る可能性があるが、日本やドイツでは基本的に無理なのですね。
日独秘密会合の後、ドイツは正式に非核化の道を歩み出すが、対照的に日本は表向きの顔とは別に国連などの非核化の決議には4割り程度の低い賛成率なのですね。
非核化の建前と本音が違っていたのですよ。
今の原発に対する日本国の態度と、ドイツの態度の違いも、この日独の核兵器への未練の違い(執着度)から出ているのです。
また宗純さんの悪いクセ (愚樵)
2011-08-25 19:28:02
・宗純さん

まあ、私のコメントが「空論」であるということは認めますが。

>これを意識的に、誤魔化して『正しい政治判断』との持論に誘導するのは感心しません。

これは宗純さんが誤り。私は「政治判断」だとはしていません。確固とした原理に基づいた論理的判断です。それを明確にするためにちゃんと拙ブログの記事をTBしたではありませんか。

私が上のコメントで示したかったことはなにか。原理的に正しいことは政治的には困難だということです。原理的に正しい選択をできることは政治的に有利である、と言い換えてもいい。そう捉えれば、なぜ今以て日本は国連憲章では敗戦国なのか、IAEAの主要核査察対象国が北朝鮮やイランなどではなく日本なのか、その理由も見えてきます。

つまりは、原理的に正しい判断をさせない政治的状況をつくりだすことが、それらの「装置」の役目なのです。左翼の核廃絶運動も、そうした「装置」を助ける役割を果してしまっている。オバマの、なんら実行を伴わない核廃絶宣言がノーベル賞を受賞したのも、「装置」を強化する狙いからと考えるのが合理的というもの。

その点、宗純さんの嘆きにはまったく同感。日本においては理性や論理を重視するとしている連中ほど、実は感情的。感情がラディカルな思考を阻害してしまっている。だから、国際社会の政治力学に対抗する「空論」ですら組み立てることが出来ない。

もちろん、悪いものには悪いと批判はすべきです。ですが批判だけでは何も変わらない。脱原発問題では一部論者が感情的な批判だけでなく有効な対案の提示を行なっていますが、そういった動きは護憲派には見られない。あるしても有効期限が切れたマルクスを持ち出す程度が関の山。

もっとも私はいまさら「がっかり」などしてはいませんが。想定済み、ですからね。想定外の「びっくり」を、いつか味わってみたいものです。
何とも悩ましい… (青い鳥)
2011-08-26 08:41:00
再度の投稿をお許しの程…
宗純さん、愚樵さんのお考え、両お方の論理的思考については、日頃、非常に納得させられ、わたし自身の思想や思考が今までにない衝撃を受けているところです。
>その点、宗純さんの嘆きにはまったく同感。日本においては理性や論理を重視するとしている連中ほど、実は感情的。感情がラディカルな思考を阻害してしまっている。だから、国際社会の政治力学に対抗する「空論」ですら組み立てることが出来ない。

これ、愚樵さんのご指摘ですが、わたし自身に全くあて嵌まるのですよ…今まで『あいつは「右」的思想の持ち主だから、間違っている。絶対反対だ!。」と、誠に非論理的な考えを意固地に持っておりました。やはり教条主義的な「お題目なるもの」で、己自身をがんじがらめに束縛していた事に遅まき乍らに、気づかされた思いなのです。
宗純さんご指摘の、「日本が、まっ赤な嘘をついてまで、原発に拘り続けた理由。」(機微技術)なるもの…ストンと腹に落ちましたし、『石破発言は、「悪い」けれど「正しい」。』も良く理解できました。
いずれにしましても、宗純さん、愚樵さんのお二方ともに、論理的思考で物事を捉えられてみえますので、今後とも勉強させて頂きたいなぁ…と思い、横槍を入れさせていただいた次第です。悪しからず…。
時々大人が喋らないタブーを平気で口にする石破茂 (宗純)
2011-08-26 13:38:36
JUNSKYさん、コメント有難うございます。

石破茂ですが、まさに軍事オタクか兵器オタクの鑑みたいに人物で、ロシアの首脳と会談する予定があるなら徹夜してでも頑張ってロシア製兵器のプラモデルの完成させるらしいですよ。
大人になりきれない部分があり、この人は友人としては面白いかも知れないが、決して身内には持ちたくない困った種類の人物ですね。
やっていることや主張は概ね滑稽なのですが、しかし大人の常識が無い分、時々は他の人なら決して喋らない種類の素晴らしい本音が聞けるのですよ。
今度の話なんか、常識ある大人たち全員がが半世紀もの長い間隠していたタブー中のタブーを平気な顔でペロッと喋って仕舞うのですから、記事の最後に書いたように、
石破発言とは、『王様は裸だ』と真実を叫んだ正直な子供のイソップ寓話と同じ種類の、何とも腹立たしい話であったのです。
この掟破りの子供染みた行動には我々常識ある大人としては、笑ってよいのやら、それとも怒ってよいのやら、何とも難しい選択が迫られるのですよ。

それは観念論です (宗純)
2011-08-26 14:23:57
愚樵さん、それは無理なのですよ。

それは観念論であり検証不能。
他の無関係な、関心がない者にとっては『はあ。そうですか。』としか言えない種類の話ですね。
具体的な事実なら、科学的な検証作業が可能であり、正誤の判定が出来るのですよ。
愚樵さんの分は、哲学的なあるいは宗教的な観念論であり、それでは検証不能である。
ゆえに何遍言われようと、具体的な検証ではなくて観念的な話を議論する気が、私にはまったく無いのですよ。
愚樵さんですが、困ったことに1年近くも同じような迷路から出てこない。
此方は残念ながらその手の宗教的な観念論の話はアレルギーがあり頭から拒絶していて(判らないので)『やめて下さい』と何遍も御願いしている筈であるのです。
当方の記事やコメントを読んで下さい。出来る限り観念的な話は排して、具体的な議論や例題を出しているはずです。

今回のコメントで唯一の具体的な話ですが、
>『原理的に正しいことは政治的には困難だということです。原理的に正しい選択をできることは政治的に有利である、と言い換えてもいい。』

これ以上に観念論的な困った主張はありません。
これでは誰であれ『判れ』と言うほうが余程無茶苦茶ですよ。
普通の判断なら、『原理的に正しいことは政治的には困難』と、『原理的に正しい選択をできることは政治的に有利』とは正反対の主張なのです。
ところが愚樵さんは『と言い換えてもいい。』としてイコールであると主張する。
続けて、『そう捉えれば・・・・・その理由も見えてきます。』との結論ですが、
愚樵さんには見えるのでしょうか、私には全くといって見えません。
『なぜ今以て日本は国連憲章では敗戦国なのか』も、『IAEAの主要核査察対象国が北朝鮮やイランなどではなく日本なのか』も、単に歴史的な客観的な科学的事実であるのです。
何も誰かが理解したり理由を見つけたりする種類の観念的な話ではありません。
ですから具体的な科学的な正誤の検証作業が可能なのです。
そして当方には科学的検証作業以外の宗教的なあるいは観念論哲学的な感心は、そもそもが皆無なのです。
何が客観的真実であるかには興味があるが、誰が何を思ったかには興味が無いのですよ。
だから、それが宗純さんの悪くクセ (愚樵)
2011-08-26 15:49:11
>それは観念論であり検証不能。

ははは、なるほどそうですが、宗純さんはいつ転向なされたので? 私は宗純さんとの付き合いは長いつもりですが、科学的に検証可能なものしか扱わないわけではなかったはずですが。

宗純さんはですね、その場その場で結構自分勝手に規準を変えてしまうのですよ。「民主主義の原理は闘争である」という私の言説に宗純さんは賛同頂きましたけれども、これだって観念論ですよ。歴史的な検証はある程度はできるでしょうけれども、反論だって十分にあり得る。客観的検証となるとお手上げです。

>他の無関係な、関心がない者にとっては『はあ。そうですか。』としか言えない種類の話ですね。

これだっておかしな指摘で、そもそも私の言説が全て「その手のもの」ですけれども、それをいうなら宗純さんの記事だって「その手のもの」です。私は宗純さんよりも「その手」を志向する向きは強いとは言えるでしょうが、かといって明瞭に線引きできるようなものでもない。そのように関心が重なるからこれまでも話が合ってきたわけですよね。

にもかかわらず、宗純さんは私にだけ“関心がない者にとっては『はあ。そうですか。』としか言えない種類の話”というレッテルを貼る。そのように扱われると、私としては、「では、その規準は何なのか、検証可能な形で示してください」と要請したくなってしまう。

私の観念論(せめて検証困難な仮説くらいに言って欲しいものですが)が理解出来ないならできないで結構。別に理解を強要するつもりはありません。さらに説明する必要があると感じれば、コメントを重ねさせてもらうか自所で展開するだけのことで、それはこれまでやってきたこと。見解の相違があったからといって、別にどうということはない。自説を押しつける輩は嫌いですがね。

重ねて言っておきますが、私と宗純さんの間では「民主主義の原理は闘争」というところでは合意を見ているのです。その合意がなければ、私のここでの最初のコメントは別のものになったか、あるいはコメントをしなかったでしょう。
青い鳥さん、コメント有難うございます (宗純)
2011-08-26 16:01:05
愚樵さんへのコメントでも書いたのですが、
此の頃の愚樵さんですが、あの世に俄然興味があるようで、具体的な話には興味を無くし観念論にはまり込み本当に困ったことです。
1年ほど前まではそんなことは無かったのですよ
何か『死』に対しての必要以上の興味があり到底ついていけません。
多分一神教的な執着ですよ。
昨今のエントリー記事ですがキリスト教の神学論争のようで見ていられない。
何か近くでの死に出会ったのでしょうが、死の本質が見えていない。
あるいは自分自身のことだとは理論では判っているが体感することが出来ずに、神学論争を始めたのでしょう。
自分自身が問題の渦中にいれば、『賛成反対は同じ』など絶対に言わないが、死でも同じですよ。
自分が死ぬ事実が判れば絶対に人前では言わないのです。
昔の話ですが登攀を行っていた時には人目では絶対にしないが、入山前には日記やエロ本の類の後で他の人に見られたら困るものは全部処分していた。
昔の元気だった私の父は『もう直ぐ自分は死ぬ』が口癖だったが実際に肺がんになってからは絶対に言わない。
原発を稼動させると1基あたり毎日広島原爆3発分の死の灰が溜まるが、精鋭的な登山をやめてから一番困ったことは原発問題と同じで、エロ本の類が捨てないものだから何十年分が大量に溜まって処分に困ったことですね。
普遍的な『死』の概念とは、実に問題でありこれは必ず宗教論争に変化する不思議な性質がある厄介な難物なのですね。
この場合の、多くの人が考えているような『生』と『死』とは対立する概念ではないらしいのですよ。
二項対立とか、あるいは並立する概念であると捉えると必ず宗教の迷宮に迷い込んで抜け出せなくなるのですね。
ルドルフ・シェーンハイマーの生命が物質の動的平行、バランスや流れであると考えれば、生と死は対立もしていなければ並立もしていない。
ブッダは死後の世界も霊魂も決して語らなかったのですが、『生』にはとんでもない大きな意味があるが『死』には何の意味も無いのですよ。
死は考えるだけ無駄ですが、多くの人には何故か興味があるのでそれで宗教が科学万能の世の中でも大流行するのでしょう。
みんなが考えている『普遍的な意味の死』ですが、実際に自分の身に死が迫った時の圧倒的な暴力で、そんなものは即座に吹っ飛びます。これはある種の快感ですね。

死と生はコインの裏表のように、並立するものでも対立するものでもないのですね。
確かに生と死は切り離せないのですが、これは例えるなら竹輪と竹輪の穴の関係なのですよ。
穴が無いチクワはチクワとは呼ばれ無くて蒲鉾になってしまうが、チクワの本体が大事なのであり穴に拘る今の態度は、・・・それでは大事な本体をないがしろにしかねない危険がある。
何事も簡単に宗教化するので菊池誠のニセ科学教なんて不思議なものまで生まれるし、しかも宗教との対話は基本的に無理なのです。
愚樵さん、不真面目ですよ (宗純)
2011-08-27 09:01:36
愚樵さんの前回のコメントで、具体的な部分に対しては全てコメントしている心算です。(大嫌いな観念論的神学論争に対しては、一切無視していますが)

ところが、具体的な部分に対しては1行も何の反応も無い。
此方としては一所懸命答えている心算なのですが、通じていない。
『その話は判らないので止めて頂きたい』あるいは、
もう少し過激に『その話は大嫌いなので話す気がない』と、何回も何回も言っているのですが聞き入れないで、ご自分の興味がある話を続けているんですが、当方としては、何を仰られたのかが、そもそもが本人に興味が無いので、さっぱり判らないのですね。(判りたいとは最初から思っていない)
『私はこう思う』との種類のはなしですが、それは禅問答にしかならないのですよ。
それは精神論で、私が一番忌避している種類の話であり、このブログでは基本的に扱わない。

もう少し判りやすい表現なら、愚樵さんが得意な神学論争ですが、ところが私にはその能力が無いのですよ。
亀に腹筋を強要するのと同じであり、能力が無いものには期待するほうが間違っています。
私も確かに『○○であろう』とかの推論を書くのですが、続きには必ず『何故なら××であるから』との条件設定を設けているのですよ。
これはAであればBであるとの科学的な推論の範囲であり、それ以上の話では無いのです。
哲学的宗教的観念論と、具体的で客観的事実の検証作業からでてくる唯物論の差ですね。
目の前の現実にある、科学的事実以外には興味は無いのです。

>『「民主主義の原理は闘争である」という私の言説に宗純さんは賛同頂きましたけれども、これだって観念論ですよ。歴史的な検証はある程度はできるでしょうけれども、反論だって十分にあり得る。客観的検証となるとお手上げです。』

その通りで、これは下手をすると単なる無意味な『ことば遊び』に堕落する危険が大いにあるのですよ。
だから最初から深入りしないのです。
愚樵さんですが、困ったことに最近では正にその、不毛な『言葉遊び』にしか関心を示さなくなってきているのですよ。
それでは、ほとんど宗教論争ですよ。
そして、それは科学的な『客観的検証となるとお手上げ』の種類の話であるのです。
ですからそれは、行う値打ちも意味も最初から無いのです。

そして当ブログですが、政治ブログとしては非常に珍しい『宗教』のカテゴリーを持っていますが、これは私が宗教や神学論争が好きだから設けているのではなくてその逆なのです。
最も科学的であるべき政治の世界でも、何とも恥ずかしい宗教的な神学論争的な弊害が多く見られる。
だから自分では嫌いなのだが、嫌々ながらブログで取り上げて『宗教』のカテゴリーを設け恥ずべき神学論争を戒めているのであり、そもそもの話が逆さまなのです。

『観念論』と『唯物論』 (青い鳥)
2011-09-01 09:59:22
宗純さんと愚樵さんの、それぞれのご言い分…どちらが正しく、どちらが正しくないかの判断はつきかねています…。
『観念論』は、観念的もしくは精神的なものが外界とは独立した地位を持っているという確信を表すものである。つまり、事物の存在と存り方は、当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方ですね。それに対し、『唯物論』は、事物の根源は物質や物理現象であり、心や精神は脳髄の所産・働きであるとみる考え方。 社会の発展は、その社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる。 と、Wikipediaに記されておりました。やはり、宗純さんと愚樵さんの、それぞれの立脚される理論的お立場が異なるが故の、齟齬(そご)ではないかなぁ…。などと、わたしなりに考えております。 勿論、そんな単純なものではなく、色々な複雑な要素も絡み合っているとも考えます。いつも、おふかたの理論には、感服させられ、知的好奇心が刺激させられ、感謝しています…。わたくしの勝手な解釈ですので、悪しからずご容赦の程…。 宗純様…今後ともわたくしめの知的好奇心を刺激してください。
追伸…。貴殿の『アメリカは、核兵器を使用するつもりで保有している。』とのお考えは、わたしも全く同感であります。だからこそ、人類を破滅に向かわせない為にも、被曝国の日本が命懸けの覚悟を持って、核兵器廃絶を全世界に対し、説得外交なるものを進めるべきと考えます。国際世論のうねりなるものを起こさない限り、人類は『核抑止論』なる呪縛から解き放たれないと考えます。
何故メインの主張をスルーするのか (宗純)
2011-09-01 15:37:31
青い鳥さん、
今回のコメントですが、心底がっかりしています。
無責任な愚樵さんが一番悪いのですが、皆さんは、何故先入観で判断して仕舞い、良く文章の中身を読んでくれないのでしょう。
愚樵空論で何故皆さんは護憲派のはずの愚樵さんの『みんな「土人」にしてしまえ』 のとんでもない暴論を批判しないのでしょうか。
『核武装などキチガイに刃物と同じで、日本にとっては良いことは何も無い』が、全ての考え方の基本でしょう。
私の書いた記事はすべて、この考え方は共通する。
そして今回の愚樵節はその正反対で『国家の核武装は正しい』ですよ。
色々な屁理屈をこね回して自説を唱える無責任極まる態度であり、憲法9条に明確に敵対する考え方なのは明らかなのです。発想は石原慎太郎。
馬鹿馬鹿しくて論じる値打ちもない駄文であり、正反対の当方の記事と並べられるなど到底我慢ならない。
原発は『核兵器所持が目的だった』は正しい判断である。が私の記事の主張。
対して愚樵さんの記事では、『国家の核兵器所持は正しい』ですよ。
誰が見ても、これは正反対の意見です。
それなら、石原慎太郎の核武装発言に皆さんが怒るように、私でなくても普通なら誰でもが怒る種類の話です。
ところが誰一人も怒らない。
私としては、これ以上に情け無い話はありません。
こんな記事を私のブログにTBするとは、記事が本気なら愚樵さんは、まるっきり私に喧嘩を吹っかけているのですよ。
確かに私も『日本農業を守る為に封建制の復活』だとか『世界征服は男のロマン』とかの馬鹿話もしますが、あくまでジョークの範囲であり本気ではない。
今回の『核武装は正しい選択』との屁理屈の愚樵節ですが、悪い冗談なのでしょうが少しも面白く無い。
しかも『核武装が大問題である』の、そもそもの認識が読者諸氏にも書いた愚樵さんにも、誰にも無い。
これでは『本当に私の記事を読んだのだろうか』?と疑いたくなるような不思議すぎる話である。
愚樵さんの人徳なのか、それとも今までの実績なのか、石原慎太郎が今回の愚樵さんの主張をすれば、皆さんが怒って袋叩きにした筈なのです。
同じことを石原慎太郎が発言していたら、他にどれ程良いことを喋っていても『核武装は正しい』との部分以外は注目されず袋叩きされるといっているのですね。
慎太郎の何時ものお馬鹿発言でも、必ず一定の前提条件などの当たり前の部分はあるのですが、批判する側はそんな部分ではなくてメインの部分だけに限定して批判する。
愚樵さんの場合とは皆さんの態度が正反対なのです。

納得しました。 (青い鳥)
2011-09-04 13:59:59
>哲学的宗教的観念論と、具体的で客観的事実の検証作業からでてくる唯物論の差ですね。
目の前の現実にある、科学的事実以外には興味は無いのです。

やはり、宗純さんの方が正しいですね。仰せの通り、観念論的神格論なる迷路に入り込むと、現実の積み重ねの作業である「政治」の本質があらぬ方向へ、捩曲がる危険性を孕んでしまう事は確かですね…。
「国家が核武装をする事を是とする。」ことは、何と理屈を弄しようとも許されるものではありませんね…。 「土人になってしまえ…。」も暴論ですね…。わたし自身‘幻想’の世界へ入り込もうとしてました。やはり、観念論的思考の恐ろしさを、改めて思い知った気がします。
自己批判しますとともに、宗純さんの真意を勝手に解釈したわたくし自身の不明を恥じる次第です。最後に宗純さんに対する失礼の儀、心からお詫び申し上げます。
あれはアメリカの福音派の主張と瓜二つ (宗純)
2011-09-04 16:31:13
如何も、皆さんは未だ気が付いていないようですが、愚樵さんの主張とはキリスト教的な観念論であり、アメリカの原理主義と同じ種類の腹立たしい馬鹿話ですね。
『一言』でいえばカルト宗教なのです。
日本の今までの宗教は己の分を弁えていて、精神政界だけに止まっていて、決して科学や政治などの世界には足を踏み入れないが、キリスト教ではこの部分が正反対で根本的な考え方が違っているのですよ。
ガリレオ・ガリレイの宗教裁判の例のように、平気で科学や政治・経済の領域まで踏み込んできて、恥じないのです。
そもそもキリスト教などの一神教とは、そのような仕組みで出来上がっている。
共和党右派の茶会運動とは宗教右派のアメリカの福音派のことであり人的にも組織的にも思想的にも被っている同一組織です。
何とも困った話ですが彼等は世界は聖書の記述の通りであり6000年前に地球を神が創ったと信じているのですよ。
彼等が勝手に信じている分には『勝手にしろ』であり誰にも迷惑がかからないのですが、ところが連中は自分たちだけでは決して飽き足らず周りの全員にも強制するから大迷惑なのです。
今の愚樵さんですね。
愚樵さんの話をカルト宗教としてのキリスト教の話であると理解することができれば、
今の何とも理解に苦しむ無茶苦茶な主張も、『なるほど』となるのですね。
ただそれはルール違反であるのですよ。
日本では無関係な世間に向かって宗教は語ってはいけないとの暗黙の常識があり破ってはいけない。
これに違反しているので創価学会は評判が悪く嫌われるている。
反科学が基本である今の愚樵さんと同じですね。
よく理解できました。 (青い鳥)
2011-09-04 17:30:53
宗純さん、ご丁寧な解説に対しお礼申し上げます。わたし自身は、宗教について忌み嫌っておりますので、勉強・知識不足の面があり、この宗純さんの解説により、観念論的思考(宗教が絡む)が、政治や科学の領域に足を踏み入れる事は、大変危険であることが、改めて理解できました。『政教分離』の原則は貫き通さなければなりませんね…。『一神教』は、本当に恐ろしいですね。 排他的になり、他宗教は一切認めないとの立場ですと、 「イスラム原理主義」と「キリスト原理主義」は、水と油で互いに一歩も譲歩する余地がなく、世界平和の最大の障害になっていることが頷けますね…。やはり、本来あるべき政治の本質は歴史的史実と客観的情勢分析を積み重ね如何にイデオロギーに縛られることなく柔軟かつ冷静な思考で民衆をあらゆる束縛から解放するか、それを軍事力に頼らず…成し遂げるか…ということだと考えます。本当に茨の道なのですね…。北京に足掛け5年間暮らした経験がありますが、物の考え方は日本人とはまるで違う。 ある日、仕事で高速道路を走っていましたら、人間の死体がスクラップ状態で、その死体のうえを自動車が次から次に走行する。通訳に尋ねると『あれ歩行者が悪いヨ、後であの死体、ゴミ収集車が持って行くから、あなた心配いらないヨ…。』だって…。価値観・ものの考え方の違いに驚きました。世界を平和に治めることは、並大抵ではない事が想像できますね…。
ネットの中は、別世界 (宗純)
2011-09-05 11:05:46
インターネットだけに増殖する意味不明ではた迷惑でネットウヨですが、一般の市民生活では普通は絶対に出会うことは無いのですよ。
普通なら、自分と180度違う考えの人物と社会生活の中で出会えば誰が論争を吹っかけようなどと思うでしょうか。
誰も日本人ではそんなことはしないのです。
何かの理由で、論争しなければ成らない立場に追い込まれたとしたら、相手との考え方が違っていれば違っている程、
『貴方の考え方は正しいと思うのですが』などの前置きで最大限、対立点を曖昧にして円満に話が進むように心がけるのですよ。ところがネットウヨは正反対。
到底これが同じ日本人とは思えないですね。
キリスト教ですが、欧米人では何と、無神論の筈の共産党までがキリスト教的な価値観で動いているのですよ。
宗教と共産主義と科学との不思議な関係
2010年08月26日 | 共産党

勿論信者の一般欧米人ではもっとキリスト教の価値観で動いているのですね。
この例外は我が日本国でありキリスト教信者はたたの1%の例外であり、他は別の日本的な価値観で動いている。
ところがですね、ネットウヨの話と同じでネット世界では世間の比率とは大きく違い、近頃の愚樵さんの様に実はキリスト教的な価値観のブログが沢山あるのですね。
何とも不思議な話です。
世間の人口比率と全く一致していないのです。
護憲左派のブログで、他と違う記事を書いているブログを探すとこれが全部が全部といってよいほど、何と極左なのですよ。普通の社会生活で極左に会える確率は沖縄旅行でヤンバルクイナに合える確率よりも間違いなく低いのですよ。驚くばかりの話ですね。

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