逝きし世の面影

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アホウドリ(信天翁)と「鳥島」「尖閣諸島」

2011年01月02日 | 社会・歴史


『尖閣諸島はアホウドリ領』

現在日本が実行支配する尖閣諸島は中国(台湾)も領有権を主張しているが、この島は日本領でも中国領でもなく元々人間は誰も利用するものがない無人島で、アホウドリが繁殖する為に絶対に必要な孤島だった。
そもそも竹島や松島なら日本語的に当たり前だが、普通の漁師や船員が『尖閣』なんて不思議な日本人には馴染み難い漢文名称はつけない。
この日本的に異質で聞きなれない不思議な島名『尖閣』の由来は、『尖』は先がとがっているさまで『閣』は楼閣など高い建物の意味で、19世紀末の英国海軍が測量時につけたイギリス名称ピナクル・アイランド(Pinnacle Islands)を明治時代になって日本側が直訳しただけのもので純粋な日本名とは言いがたい。(ピナクルとは教会の尖塔の意味)
日本語としての『尖閣』の名称とは、明治時代の当時の有識者達が今までの日本語には存在していなかった『言葉』である英語のcompanyを『会社』と、Societyを『社会』と全く新しく日本語の(未知の)訳語を創り上げたのと同じ様な話である。
それ以前には『日本名』は存在せず中国側が名付けた名称しか無かったので仕方なく日本人も尖閣諸島を中国名の釣魚島や黄尾嶼と呼んでいた。(中国側だけでなく日本側の文献も同じ名称表記だった)
アホウドリは最大で体長が1メートル翼長が3メートル、寿命が50年にも達する個体もある世界最大の海鳥である。
またゴルフ競技でアルバトロスはアホウドリを意味しパー(基準の打数)から数えて3打少なくそのホールを終了すること。1打少ないバーディ(小鳥)や2打少ないイーグル(鷲)よりもアホウドリ(アルバトロス)は大きいことからきている。
ゴルフのアルバトロスはホールインワンよりも少ない確率で極珍しいとされているが本物のアルバトロス(アホウドリ)の生存数も極少ない。
世界中にミズナギドリ目アホウドリ科の鳥類はワタリアホウドリとかコホウドリなど14種類生息するが、ただひとつアタマになにもつかない『アホウドリ』は、日本付近の北太平洋に広く分布しているが生息数は極少なく絶滅危惧種。
夏季はベーリング海やアラスカ湾、アリューシャン列島周辺に渡り、冬季になると繁殖のため日本近海へ南下して来るが繁殖地は極少数で伊豆諸島の鳥島と尖閣諸島のみに限られている。
可哀想な『アホウドリ』などと言う何とも恥ずかしい名前の由来は、太平洋など大海での洋上生活に特化したアホウドリの優れた能力が原因していた。
ソアリング飛行という上昇気流に乗ってほとんど羽ばたくことなく長距離を飛ぶ優れた飛翔力の為に繁殖期以外は陸地には降り立たないで生涯海上で生活する。
繁殖地を誰も近づけない安全な絶海の孤島とした為に通常の陸上動物のような警戒心を持つ必要が無かったし、体が大きいために飛び立つ為には可也の長い助走がかならず必要であり、飛ぶ能力が進化しすぎてそもそも歩行が得意ではなかったので陸上では誰にでも容易に捕まえることが出来た。
19世紀末から羽毛採取を目的に大量に殺されて激減、唯一残っていた繁殖地の鳥島が1939年に噴火し10年後の1949年の調査で一羽も発見されなかったため『アホウドリは地球上から絶滅した』と思われていた。
しかし、1951年に鳥島で繁殖している30~40羽が再発見され、以降は保護が続けられている
日本でアホウドリは1958年に国の天然記念物、1962年に特別天然記念物、1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている。
1999年における生息数は約1200羽、2010年における調査で鳥島集団の総個体数は2570羽。絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)

『玉置半右衛門と鳥島のアホウドリの悲劇』

鳥島は東京から南に約600km、直径2.7km、周囲8kmの伊豆諸島の外れに有る小さい島だが、当時は冬季に足の踏み場がないほど多くのアホウドリが繁殖目的で集まっていた。
1888年(明治21年)に島に大昔から多数生存するアホウドリが、羽毛の原料として欧米で重宝されていると知った玉置半右衛門が国から島の借用許可を得て、数十人で鳥島に渡って羽毛採取を勢力的に行う。
一羽のアホウドリからは約400gの羽毛を採取することができ、玉置半右衛門は年間20万羽、以後15年間で推定500万羽のアホウドリを捕獲したとされる。
価格としては、羽毛600㎏が約15円程度で売買されていて、その後は希少価値がつき高い物で80円の値がついていたこともあった。
 1890ごろ年米一升が4銭であったこの時代に年商8400円と、巨万の富を得ることが出来たが、結果としてアホウドリは絶滅の危機にさらされることなり、玉置半右衛門は悪名高いアホウドリ乱獲者として、その名を後世に残すこととなってしまう。
玉置半右衛門は羽毛採取で財をなしたあと、当時無人島だった沖縄本島の東300kmの大東諸島の開発にも乗り出した。結果、リュウキュウカラスバト、ダイトウミソサザイ、ダイトウヤマガラ等が絶滅する。
アホウドリが絶滅に瀕した鳥島は1902年の大噴火し、アホウドリ捕獲のために移住していた島民125人全員が死亡し『アホウドリの祟り』と噂されたが、それ以後は元の無人島となる。

『語られない尖閣諸島のアホウドリの悲劇』

鳥島のアホウドリの悲劇は有名で誰でも知っている逸話であるが、不思議なことに尖閣諸島でも同じ時期に同じ規模で同じアホウドリの悲劇が起きていたのにもかかわらず、何故か人前で語られることは無い。
かつて、尖閣諸島では伊豆諸島の鳥島と同じで、アホウドリが大集団をなして繁殖していた。
1845年、英国の探検測量船サマラン号による東洋探検隊はPinnacle Islands(尖閣諸島)に立ち寄り黄尾嶼(久場島)でアホウドリを観察する。
1884年、石垣島の漁師達からアホウドリで足の踏み場も無い程の尖閣諸島の話を聞いた古賀辰四郎は、尖閣諸島に探検隊を派遣し同諸島が海鳥の群生地でありまた海産資源が豊富な事を確認、翌1885年(明治十八年)に明治政府に無人島である尖閣諸島貸与御願を申請するが、時の内務卿の山県有朋は許可しようとしたが、外務卿の井上馨の『清国を刺激するのはよくない』という助言によって断念する。
これらの島々の帰属問題が関係国間で未解決だったため、政府は開拓の許可を見送っている。
しかし日本政府の領土編入を待たず古賀辰四郎は季節毎に労働者を送り、アホウドリの羽毛採取を行ていた。
日本が正式に尖閣諸島を領有するようになったのは1895年(明治二十八年)で、領有の経過が示しているように日清戦争の勝利が確定的になったことが領有宣言に大きく影響しているのは明らかな事実である。
1895年、日本国政府は、勅令によって尖閣諸島を領土とし(1895年1月14日の閣議決定)、すぐさま翌96年に古賀辰四郎にこれらの島々の開拓する許可を与えた。
古賀辰四郎は1897年 から魚釣島に、翌98年から黄尾嶼(久場島)に人を移住させ羽毛採取で毎年15~16万羽のアホウドリが捕獲され、尖閣諸島の個体数は激減していく。  
1900年黄尾嶼(久場島)の調査では20-30羽の小群しかいなくなっていた。魚釣島の調査では道安渓でひなをかなり多く観察し、成鳥3羽を生け捕りにした。
この後も捕獲が続いたため、アホウドリの数は激減し、1910年ころには黄尾嶼(久場島)の4カ所、魚釣島の2カ所で細々と繁殖するだけになった。
1900年以降はアホウドリの減少で尖閣列島への入植は採算割れになり、仕方なくアホウドリのグアノ(鳥糞)採掘事業や鰹節工場など漁業に切り替えて営業を続けていた。
因みに、八重山諸島で鰹節製造が開始されたのは1902年、尖閣諸島では1905年頃。当時の日本の新聞報道では日本名称の『久場島』ではなくてほとんど中国名称の『黄尾嶼』使用していた。
1940年(昭和15年)に完全撤退し、それ以後は元の無人島となる。
撤退前年の1939年魚釣島や南小島、北小島でアホウドリを1羽も観察することができなかった。
戦後の1950年、1952、1963年尖閣諸島の生物相について調査でアホウドリを観察することはできなかったため、尖閣諸島のアホウドリは絶滅したと考えられていた。

『尖閣のアホウドリ再発見と繁殖の確認』

1971年琉球大学理学部の池原貞雄教授らは南小島の南向きの断崖の中段にある岩棚で12羽のアホウドリ成鳥を観察した。これは、確実な記録としては、尖閣諸島における70年ぶりのアホウドリの再発見であった。
1988年南小島の断崖中段の岩棚で数羽のひなを観察し少なくとも7羽のひなを確認した。
こうして、再発見から17年後にアホウドリの繁殖が実際に確認され、尖閣諸島南小島は伊豆諸島鳥島につぐ第2の繁殖地となった。
そして、これらの観察結果から、 南小島の繁殖集団が少しずつ増加していると判断した。
しかし、そのあと突如、領土 問題が再燃し、調査は困難になってしまった。

2004年(平成16年)4月6日付の日本政府として、原則として何人も尖閣諸島への上陸を認めないとの『尖閣諸島の上陸について』と題して第2次小泉内閣の内閣官房副長官補付内閣参事官、総務省大臣官房参事官名で出されている文書で、現在たとえ研究目的でも原則的に尖閣諸島への上陸は禁止されています。
この日本の自民党政府によるアホウドリ保護の研究者も含む『尖閣諸島への日本人の原則上陸禁止』の摩訶不思議な『決定』の事実は、現民主党政権にも継続されていることが2010年の閣議決定でも『再確認』されています。

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どのみち中国とは自然科学分野でもおおいに協力しなければ事は進まない (現田石)
2011-01-03 04:12:35
今日は作風のちょっと違う現田石です。
アホウドリの漢名は信天翁であると無批判に日本の鳥類図鑑にはしばしば書かれているが、分類学的に追求すると現代中国では種レベルのP. albatrusは「短尾信天翁」という正確な名前をもっているという事実があります。日本動物学会は、漢字名には責任を負わないと逃げているが、どのみち中国と協力しないと事は円満に進まないので、現代中国語の種名も積極的に併記すべきと思います。おまけですが、トキN. nipponの現代中国の種名は「朱鹮」です。鹮という漢字も日本で広めてほしいですね。
なお今回の私の情報源はWikipedia中文版です。
与那国島に移住した友人の話 (宗純)
2011-01-03 16:36:00
現田石さん、コメンと有難う御座いました。今年も宜しく御願い致します。

8年ほど前から尖閣諸島とも近い沖縄県与那国島に移住していた知人と久方ぶりで雪山での越年忘年会で再開して、聞いた話なのですが、沖縄最西端の離島の与那国島は1万人以上いた島民は今では1千数百人に減ってしまったそうです。
日本への沖縄復帰で良いことだけが起こったわけでは無いのですね。
今では日本の外れの沖縄のそのまた外れの先島諸島の、そのまた外れにあるので『外れ』の3乗で人口流出が続き寂れる一方。
でも与那国島や沖縄は昔は『外れ』の地域ではなくてアジアの中心か、それとも中継地だったのです。
そのために地元の古老の中には日本語(たぶん標準語のことか)はまったく話せないが台湾語は堪能な人が今でも沢山いるらしいですよ。
広い海にはもともと柵も敷居も邪魔する区切りは何も無かったのですよ。
だから昔には漁民達は国境とか意識せずに自由に行き来していたらしいのです。
本来の地球にも海にも区切りはなくて、日中どちらに所属するかで大問題の今の国境線などの人為的なもので本来は何も無いのです。
もう少し国と国との垣根を低くしないと与那国島や沖縄などは何時までたっても良くならない。
日本でもあるが中国でもあった日中両属の大らかだった昔の本来の沖縄や与那国島は辺境の島ではなくて、極東アジアの中心地でもあったのでしょう。
去年の中国漁船衝突騒動等の、何とも世知辛い鬱陶しい世の中になってしまったものですね。

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