逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「赤信号みんなで渡れば怖くない」NHKまで法律無視の無法国家

2012年02月26日 | 社会

『少年法61条の明確な違反』

第六十一条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容貌等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
(記事等の掲載の禁止)
この少年法61条をどのように拡大解釈しようが何を言い訳しようが1999年に起きた光市母子殺害事件の18歳1月の少年のマスコミによる実名報道は合法とはならない。
少年時に罪を犯した本人を推知できるような記事または写真を新聞・出版物に掲載することを禁じている少年法61条に罰則規定はないが、この理由は憲法の思想信条の自由や表現の自由の侵害に繋がる公権力の介入を警戒したものとの解釈が一般的である。
今回の2月20日の最高裁判決で産経は、
『61条について日本新聞協会は「扱いの方針」(昭和33年12月)の中で、少年保護よりも社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合は除外例とするよう当局に要望、新聞界の慣行として確立することを明言している』
とするが、これは誘拐犯とか凶器を持って逃亡中の犯人の緊急手配の様な場合であり、一時的な緊急避難を想定したものであろう。
そもそも少年法の61条には例外規定が無いのである。
最高裁で死刑が確定したから『更正の可能性が無くなった』などは少年法61条で少年の氏名の報道禁止の法律破りの言い訳とはならないことは明らかである。

実名報道『極めて遺憾』光市事件判決で日弁連会長声明

日弁連の宇都宮健児会長は24日、山口県光市母子殺害事件で被告の元少年の死刑が確定することになった20日の最高裁判決に関し、一部の報道機関が元少年の実名や顔写真を報じたことについて『少年法に明らかに反する行為で、極めて遺憾だ』とする声明を出した。
声明は『少年の健全育成を掲げた少年法や国際的規則の理念は、成年に達した後も、死刑が言い渡されても変わらない』と指摘。
『死刑確定後も再審や恩赦の制度で社会復帰する可能性はある』とした。

『報復殺人を煽ったマスコミの「社会正義」の欺瞞』

1999年に起きた光市母子殺害事件は特異な経過を辿る。
日本は三審制が基本原則なのに映画『真昼の暗黒』で有名になった八海事件の7回(被告5人で17年間)につぐ、同一事件で5回も裁判を行っている。
事件から13年後の今2月20日年最高裁で『死刑』で結審したが、この死刑判決では異例中の異例の裁判官の反対意見が付く始末である。
ちなみに前回は半世紀以上前の三鷹事件だが、日本は占領下で当時は朝鮮戦争前夜でGHGのレッドパージと国労の大量首切りの準備と思われる松川、三鷹、下山の国鉄関連の三大事件(米軍諜報機関が関与した謀略事件)が頻発。
戦争の予感から、世間は騒然としていた。
光市事件は世間的には裁判は終わったが、遅かれ早かれ必ず『少年法の趣旨に反する』として再審請求が早晩出されるだろうし、この話は日本国内だけには止まらず国連人権委員会なども未成年の子供の死刑判決を問題にする可能性は十分にある。
このような状態では元少年死刑囚の刑の執行を行える法務大臣は、今後一人も出ない(捺印出来ない)だろと予想され、多分実質的には仮釈放無しの終身刑が初めて日本に導入されたことになる筈である。
当ブログは『少数の例外は論じない』(論じるだけの値打ちが無い)との考え方から『死刑に反対』、『死刑廃止論議にも反対』との立場で、この問題では沈黙を守ってきたのですが、社会の右傾化とか民主主義の劣化、公的な機関の法令無視の政治的問題として無視出来ない悪い影響を与えている現状を鑑み、政治ブログとしての立場から考察してみたい。
光市母子殺害事件では被害者遺族の本村洋氏の、『犯人を釈放してほしい、この手で殺します』との感情的な問題発言を、世論形成に一番影響力がある映像メディアのテレビがセンセーショナルに報道・宣伝したことに尽きるでしょう。

『遺族の感情論を天まで持ち上げたマスコミ』

橋下徹VS山口二郎のTV番組の話のように知識や理性は嘲笑され、2ちゃんねる的な口から出まかせの感情論が賞賛されると言うことでしょう。
武士道だ仇討ちだと主張しながら、本人は早々と再婚しているのですよ。
法に背いてまで人殺し(仇討ち)を公言した人物の行為としては整合性が無い。
自分が弁護士でありながら『こんな弁護士が許せますか。許せないと思ったら弁護士会に懲戒請求を』(視聴者みんなで請求すべし)と正当な弁護士業務を否定して見せた橋下徹と良い勝負です。
橋下徹は、弁護士抜きでは裁判してはならないとの刑事裁判の弁護の大原則を否定しているのですよ。
だから所属弁護士会から懲戒処分を受け、その時点では本人も反省の弁を語っているが、最高裁で不当行為に対する賠償請求が退けられたら態度を180度転換して弁護士会に自分に対する処分取り消しと謝罪請求を求めるなど盗っ人猛々しくも厚かましく居直っている。
光市事件の顛末ですが、これは3・11以前の原発安全神話とそっくりな構造であり、マスコミと政治権力が一体になった世論誘導で事実を歪め、日本社会を間違った方向に動かした。

『安全神話と相似形の「危険神話」の真っ赤な嘘』

我が日本国は凶悪事件、それも少年事件は戦後一貫して、劇的に減少しているのです。
今現在、世界的にも珍しい超安全な社会が出来上がっている。
世界の例外で、我が国だけは思春期の男が凶悪事件を犯すとのユニバーサルカーブが崩れ、今の日本の若者達は人を殺さなくなった。
ところが多くの善良な人々は『日本は危険』『少年犯罪の劇的増加』とのマスコミの大宣伝に、まんまと騙されて仕舞う。
何とも不思議な、腹立たしい話である。
今では例外なく『日本が危なくなった』、『少年犯罪が増えている』と日本人全員が心底、事実を間違って正反対に信じている。
善良な人々は、『自分が悪意を持った連中に騙されている』とは全く気が付かないのですから本当に情けない。
客観的な事実は、マスコミ宣伝や人々の思っている『危険な日本』とは正反対なのです。
それなら、これは3・11大震災以前の『真っ赤な嘘』である、日本の原発は安全・安心との『原発安全神話』と酷似した不思議な構造である。
『日本の社会が心配だ』とマスコミが大宣伝して出来上がったのが今みんなが信じている『日本社会危険神話』ですね。
『安全神話』と同じ日本社会に害毒を流す、この禍々しい『危険神話』の生みの親の一人が本村氏であり、これ以上の発言は厳に謹んで欲しいものです。

『一貫性が無い』

本村氏が(A)『自分で殺したい位に怒っている』と発言したなら、これは個人の内心なので何ら問題ではないが彼は、(B)『殺します。』とはっきり断定的に言い切っている。
これは明らかな予告殺人ですよ。(当時のマスコミは少年犯なら数年で出所出来るとの誤報を繰り返していた)
厳罰である殺人の予告を、英雄視して是認するようでは社会は無茶苦茶です。
重罪なのですから、本当に実行すれば本人だけでなく家族にも大きな迷惑が降りかかります。
殺人予告が本心からの発言なら、当然結婚には慎重にならざるを得ない。(妻子の仇討がそもそもの動機なら、再婚は駄目)
本人が早々と再婚していた事実は光市事件遺族のことなら何でもかんでも仔細に細大漏らさず、しかも大袈裟に報道していたマスコミ各社は最高裁の死刑確定まで、全社が何故か沈黙を守った。
再婚話を秘密にしたのは、亡くなった妻子の為に仇討ちを決意した遺族の自己犠牲との自分たちマスコミが創作した美談の筋書きに『都合が悪い』と判断した為だろう。
(A)であるなら例え賛成出来なくとも心情は理解出来る。
ところが(B)なら、現在の戦後民主主義を真っ向から否定することなので公的な正義を主張するマスコミ各社は、本来なら反対するしかない筈である。
ところが、何故かマスコミ全社が例外なく賛成する摩訶不思議な信じられない事が皆さんの目の前で起きていた。
凶悪犯罪の予告なのですから本村氏が(B)から(A)に心情が動いたと仮定すれば、マスコミなどを筆頭にして社会的に歓迎するべき話ですね。
ただ世間に向かっては本村氏は自分の心境の変化を微妙に隠しているか、それともマスコミが隠している。
あるいは最初からマスコミは世間に向かって公言していた『仇討ち』が本心で無いと知っていたが黙っていて、都合の良い部分だけを大宣伝した。
本村氏のテレビ発言ですが、あれはイラクやアフガンに爆弾の雨を降らして大勢を殺したブッシュ大統領の報復戦争のインチキ論理と同種の野蛮な発想そのものです。
本村氏や橋下徹は、その時の社会の悪しき潮流に乗って大活躍したのですが、この時マスコミが果たした役割は大きいでしょう。
18歳1月の元少年の実名報道ですが、他社とは違い毎日新聞と東京新聞は今でも匿名報道を続けていますが、ほんの僅かの良心が残っているのでしょうか。
マスコミは、この事件では絶対に匿名を貫くべきです。
権利と責任は一体不可分であり、一人前の権利が無い子供に対しては責任も同時に無いとの原則は大事でしょう。
今よりも厳罰主義だった江戸時代でも、成人に達していない子供は絶対に死刑にはならないとの大原則があり、当時の人々は誰も『未成年は死刑にしない』原則に異議を唱えないとの良識があった。
誰であれ『公』的な存在が、既成の法令を守るのは文明社会なら当然の原則なのである。
選挙権も無い半人前に対して大人と同等の責任追及は無理なのですが、この元少年は18歳としての能力が著しく遅れていたのは最高裁も認める明確な事実なのです。

『事実経過(マスコミ報道)の白々しい嘘』

マスコミ(一般大衆)が最大の関心を寄せたのは元少年が私信で、『無期でも数年後には出所できる』との(客観的事実とは無縁の誤った)記述ですよ。
一般市民は私信の記述を、『事実である』と宣伝するマスコミに騙されたのである。
『事実』と勘違いして、多くの善良な一般市民が怒った。
差し戻し審では裁判官までが悪乗りして元少年の私信の記述を根拠として『反省が無い』と断定して一二審の無期判決を破棄して死刑を言い渡しているのですから無茶苦茶である。
(真っ赤な嘘の)日本には終身刑が無く、無期懲役でも20年程度で仮出所していて、少年犯ならその半分程度以下(元少年の私信では7年)でも可能だとの『都市伝説』を当時のマスコミが大宣伝していた。
このマスコミが大宣伝した話が『真実』であるなら、被害者遺族の本村氏がテレビで発言した仇討ち(予告殺人)を本当に実行出来る可能性は十分にある。
時間的に『報復殺人が出来る』ので、護憲派の死刑反対のブログまでが、『無期懲役でも少年犯なら短期で出所出来る』との客観的事実と正反対の真っ赤な嘘の都市伝説(神話)を信じて、議論していたのですから情けないですね。
短期間で凶悪な殺人犯が世間に舞い戻ってくるとの恐怖感が、元少年の死刑判決を一般大衆が支持した最大理由なのですが、これはマスコミが捏造した悪意ある真っ赤な嘘である。
今の本当の客観的な事実では、『無期懲役』では仮出所まで平均35年程度であり、『20年で出られる』は都市伝説か神話のたぐい。
現在は仮出所の判断に、事件を取り調べた検察が意見を言う○特制度が採用されて居るのです。
検察官が当該の事件がどれ程残忍であったとか凶悪であったとかを精細に説明して仮出所に反対しているのですね。
○特制度後には凶悪犯の場合には再犯での責任問題を恐れて仮出所を躊躇う、お役所特有の『事なかれ主義』が蔓延するのは、我が日本なら当然な成り行きである。
凶悪事件では仮出所無しで刑期満了までが常識になりつつあり、その結果刑務所なのか痴呆老人の介護施設なのか判らないのが、今の一部の刑務所の悲惨な実体なのです。
自分が何故刑務所に収容されているのか理解出来ない超高齢な受刑者が大勢収容されているが、社会の高齢化が刑務所内で一足先に起きている現実がある。(日本の刑務所の受刑者の平均年齢は50歳近いが外国では概ね20~30歳代がほとんど)
今のマスコミですが、刑務所の現状は少し調べれば誰にでも判ることを、隠し続けた(間違った情報を流し続けた)挙句に世論を間違った方向に誘導した罪は大きいでしょう。


関連記事
殺人の統計学的一考察
2008年02月02日 | 文化・歴史
奥秩父4重遭難の残酷、千葉法相の無残
2010年08月06日 | 社会
『政治』 ジャンルのランキング
コメント (20)   トラックバック (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「直下型地震」双葉断層と福... | トップ | 住民帰還作業中の南相馬市で1... »

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
整理整頓しての論旨に感謝。 (只今)
2012-02-25 12:30:19
 
 なぜ匿名を続けるか、という
 『中日新聞』の社告に感動し、
 中日OBにその旨、伝えると、
 「踏み切るまでには、色々あったらしい、よ」
 とのこと。
  そうだろうな、とは思ったのですが、
  そこで改めて思ったことは、
  メディア界では「ほんの僅かな良心」も、
  タイヘンな状況にあること……

  
   
 
報道されないだけと信じたい (Saito)
2012-02-25 16:40:57
この死刑当然みたいな風潮、すさんだ世の中を感じていました。しかも『無期懲役でも少年犯なら短期で出所出来る』は嘘だったわけで、やっぱり、マスコミが劣化。

多数の人と国土を犠牲にした311の犯罪性は追及されず、被害者同士で風評被害云々と争わせる。凶悪犯罪であるにしても、今は無力な元少年は死刑にするのが正義で、誰も異議を申し立てない(報道されないだけと信じたいです)。
光市の木村氏・橋下氏と「原発安全神話の崩壊」 (ntogari)
2012-02-26 00:00:32
社会の右傾化・民主主義の劣化(知性と理性より言った者勝ちの感情優先)が蔓延するなかで、いま起こっていることの本質を起承転結に整理整頓していること、全く同感の思いでいっぱいです。
いつからこんなに情けない国になってしまったのだろうという反省をこころの奥深くに秘め、これから少し動き出します。

論考には注目しています。健筆多謝!
仇討 (ましま)
2012-02-26 10:18:15
私は、被害者遺族の「仇をとらなければ(殺さなければ)納得ができない」という目つきにゾッとします。
記者クラブ制度とクロスオーナーシップ (宗純)
2012-02-26 13:56:26
只今さん、コメント有難う御座います。

光市事件の報道ですが、これはもう『報道』の名に値しない100%の真っ赤な嘘の垂れ流し状態であり、低俗で不真面目で俗悪であり、悪質極まるプロパガンダ。
真実の欠片も無い不誠実なものです。
誰かが組織的に引き起こした、何かの政治目的の世論誘導なのですが2月20日の最高裁の確定判決までは、マスコミは粗一枚岩の金太郎飴状態。
この均質な金太郎飴状態は何も光市事件が初めてではなくて、今の財政再建での消費税の大増税とか1993年の小選挙区制とかでは御馴染なのですが、我が日本国ではこの『みんなと同じ』とは絶対的な意味があり、ほとんど『絶対的に正しい』と同義語なのですから恐ろしいですね。
マスコミの報道が金太郎飴で何処も同じなのは、実は日本独自の奇習である記者クラブ制度と、法律的には禁止されているのに、完璧に行われているクロスオーナーシップが原因なのですから、考えてみれば報道機関の名前が違っていても報道する内容が同じなのは当然であったのです。
今回、毎日や東京、中日新聞など少数が今でも匿名で報道している事実は・・・
最高裁で確定してしまったのですから読売とか産経などの実名報道の『○○被告』との記述は大間違い。
『被告』の記述は明確な間違いで、現在は死刑囚ですが誰一人も元少年を『○○死刑囚』とは書かなかったのですね。
マスコミは、自分たちの行った子供の死刑キャンペーンの禍々しい結末のおぞましさに少しは気が付いているのでしょうか。
みんな憲法9条が悪い(橋下徹) (宗純)
2012-02-26 15:32:50
Saitoさん、ntogariさんコメント有難うございます。

禍々しい日本国のマスコミによる子供の死刑キャンペーンに悪乗りして、時代の寵児になった橋下徹がツイッターで、
『世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。』
と仰天主張を行っているのですが、瓦礫の受け入れを拒否している原因は9条では絶対にない。
全ての原因は福島第一原発から漏洩した放射能です。
放射能の問題さえ無ければ全員が何の躊躇いも無く喜んで協力している。
今までの政府や財界や官僚や学会や報道が一体となって垂れ流していた原発は安全・安心との安全神話に対する怒りであり、
3・11以後に放射能の危険性を隠蔽してきた政府や東京電力への不信感なのです。
今まで無条件でマスコミを全面信用する習性が骨身に染み付いている我らが善良な日本国民ですが、流石に福島県の惨状を見て考え方を改めているのですよ。
地獄を見ないと人間なかなか賢くなれないが、子供の死刑などは身近で無い分、これからも真っ赤な嘘の日本社会危険神話は、原発安全神話とは大違いで今後も生き続けるでしょう。
瓦礫処理が遅れるのは『全て憲法9条が悪い』との、橋下流のお笑い発言ですが、これには続きがあり、
『他人を助ける際に嫌なこと、危険なことはやらないという価値観。
国民が(憲法)9条を選ぶなら僕は別のところに住もうと思う』とまで記者団に語っている。
日本国の病的な右傾化が生んだ仇花であり、郵便ポストが赤いのも全て日教組が悪いと思っている中山成彬症候群と同種の病気ですね。
ですから元少年の凶悪犯罪も、実は橋下徹の脳内では、
『全て憲法9条が原因だ』と思ってるのでしょうね。
仇討ちよりも私怨に近い (宗純)
2012-02-26 16:49:31
ましまさん、コメント有難う御座います。

個人攻撃と受け取られては心外なので今までは一度も主張していないのですが、全く同感です。異様過ぎる。
『仇をとらなければ(殺さなければ)納得ができない』と、被害者遺族が怒りながらとか泣きながら(感情論として)主張したなら違和感を感じ無かったかもしれないのですが、彼は声を荒げることも無く沈着冷静に前を真っ直ぐに見据えて『殺します』と語っている。
人殺しを冷静に発言していた時の態度は、『目つきにゾッとします』としか言葉が無い。
武士道だとか仇討ちとか主張しているのですが、仇討ちとは親(尊属)を殺された子供(卑属)がするもので、今回の様なその逆は御法度だったのですよ。
そもそも無条件の敵討ち(報復殺人)が許されるなら、一族を上げての果てしない敵討ちの連鎖反応が起きてしまい収拾がつかない。
仇討ちは厳格な審査が必要で、あれは仇討ちと映縁遠い、自分の所有物が犯されたとの私怨程度ですね。
その意味では今の橋下大阪市長の態度とも共通するものです、
大阪市営水道が世界一のグランプリに輝いたり、英エコノミスト紙がアジアで一番住み易いとの報道に噛み付いているのですから呆れ果てた行状です。
市営バスの運転手の賃金6割カットなど合理化というよりも前平松市長に対する私怨ですね。
元少年ですが、父親による家庭内暴力で生い立ちは悲惨を極めて正常は人格の発達が阻害されていた。
差し戻し審でのドラえもんの四次元ポケットだの死人が生き返るだのの話は裁判官によって『殺人事件で不真面目で無責任』と一蹴され、死刑判決の根拠とされたのですが実はその程度の幼すぎる未熟な人格だった。
最高裁で差し戻し判決が出た後で、番組で被告の生い立ちを語る年配のベテランアナウンサーは感極まって泣き出すほどの哀れさなのです。
中学生の時に不登校になった原因は父親の暴力に耐えかねた母親が自殺するのを防ぐ目的で『僕が側に付いていないとお母さんが死ぬ』と担任に訴えいた。
彼の危惧は本当になり下校して自殺した母親を見つけて仕舞うのですが、この母親は激しい暴力に晒されたあと少年の寝床に潜り込み「生まれ変わったら結婚しよう」「あなたの子供がほしい」【日刊SPA!/2月20日17時15分配信】
到底正常に人格が育つ環境にはなく、差し戻し審の法廷で語った内容は、不真面目でも無責任でも無くて、実は少年の真実の姿だったのですから、自ら心を閉ざすことで辛うじて生き延びていたらしくて、到底普通の人格からは隔絶した異常に低すぎる状態だったらしいのです。
本村氏は恐らく体よく利用された (くまごろう)
2012-02-26 20:00:51
本村氏は、確かに復讐心がかなり強く見えるが、妻子を殺された人間としては、恐らく普通の反応を示していた。
遺族の普通を積み重ねていくうちに、知らず異常になったのですが、それを後押しする状況が幾つか重なった。社会全体の閉塞感からの右傾化、官僚的な裁判官が増えたことによる裁判の形式化などなど。
今の橋下と同じで、とにかく変化させることが持て囃された。

本村氏は被害者のことを無神経に報道するのに、少年の実名を報道しないことを非難する手記を週刊新潮にて発表する。犯罪者の人権は護られているのに被害者の人権は護られなくていいのか? これは当然の思いだ。
しかし復讐心に駆られた思考故か、世間に訴えたのは、被害者の人権を護れ、ではなく、犯罪者の人権も損なえ、というものだった。

そんなことを繰り返すうちに、基礎に大きな齟齬のある、死刑肯定の巨大な論理を構築していったように思います。

~~~
ビーズリーと面会したあとでも、人を殺した人間は、どれだけ更生しても「死刑」という罰を受けるべきだ、という本村の考えに変わりはない。立派に更生した人間でも死刑からは逃れられない。その事実から、社会が多くのことを学ばなければならない、と本村は思っている。
なぜなら、被害者は二度と帰ってこないし、被害者の無念や断ち切られた夢や希望は、どんなものをもってしても償えないほど大きなものだからだ。たとえ、少年であっても、極刑は必要だという本村の確信は揺るがなかった。
~~~
「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」門田隆将 著 より

本人の記述ではないが、恐ろしく隙間だらけの論理です。死刑の是非については、感情も交えると肯定する意見もわかるので、社会の右傾化の問題からの視点でとらえると、
「被害者は二度と帰ってこないし、被害者の無念や断ち切られた夢や希望は、どんなものをもってしても償えないほど大きなものだからだ。たとえ、少年であっても、極刑は必要だ」
という主張をする人間の多くが戦争に関して積極的に反対しないグループであるのは不思議です。死刑に反対であれば、人殺しは償いようがないから、死刑にも戦争にも反対とすんなりいきます。人殺しは償えないが、せめて同じ死でもって贖うべきだ、という主張は一定の理がありますが、これと同時に戦争を否定しない場合、ルールに則っていれば人権侵害も許されるという立場をとることになります。そうすると、被害者の人権を強調することで、加害者の事情を考慮せずともよいというような、正当防衛以外は死刑でいい、なんて意見がでてくるのでしょう。
恐らく本村氏もこれに陥っている。
欧米の死刑廃止論の欺瞞 (宗純)
2012-02-28 17:09:49
くまごろうさん、コメント有難うございます。

記事内にも書いたのですが、当ブログは『少数の例外は論じない』(論じるだけの値打ちが無い)との考え方から、日本の司法制度の問題点(冤罪の危険)から個人的には『死刑に反対』の立場ですが、同時に死刑論議にも『反対』との立場なのです。
単純な物理的な現象では原則の通りに『結果が確実になる』のですが、複雑系では100%原則の通りには行かず、必ず一定数の例外が生まれてしまう。
日本国は先進国では例外的に1億人を遥かに超える人口大国であり、その日本で昔のような年間一~二件の例外が生まれても不思議はなく、何の問題も起こらないのです。
死刑問題ですが、これを論じるだけの値打ちが無いのですよ。
しかし今回取り上げたのは、当ブログが最も得意とするマスコミによる世論誘導とかプロパガンダ論としてですね。
欧米の死刑廃止論ですが、これは捕鯨反対運動と同じように宗教的ないかがわしい種類のものですね。
彼等は年間数百頭の鯨の命が大事だと言う前に、自国で殺されている何百万頭の牛の命の心配をして欲しいものです。
『賢いから殺すな』が正しいなら、恐ろしいことに『阿呆はいくら殺しても良い』となりますよ。
憲法9条のお蔭で誰一人も殺していない日本が、今でも殺し続けている欧米に云々されるなど心外である。
例外的に少ない人数の死刑の存在など、何の意味もありません。
問題は矢張り、戦争による大量殺人の禁止ですよ。
日本一国だけが他と違い、憲法9条のお蔭で日本国としては67年間も戦争をせず一人も殺さず一人も殺されていない。
世界の例外です。
しかしどんな良いことでも良くない反作用が生まれてしまう。
近頃日本だけで流行る光市事件から生まれた『死刑論議』などは平和な世の中だから生まれた、日本独自の、何とも恐ろしく不可解な大人の小児化病です。死を客観的に理解出来ないのでしょうか。
自ら報復殺人を公言した本村氏ですが、彼はまさに病気としか言いようが無い。
そもそも、殺人は人類にとっての最大のタブーで、戦争だからと言っても『人』は『人殺し』が簡単には出来ないのです。
国家による人殺しが正義である戦争の現場で、敵兵に向かっ銃を発砲できる人は10人中1~2人程度の少なさで、それ以外の普通の常識や理性を持っている一般市民では戦場でもわざと銃口を空に向けたり逸らして『殺さない』ように発砲しているのです。
これに気が付いたアメリカの軍人が、この発砲率を改善すれば同じ兵力で10倍近い戦力になると考えた。
アメリカ軍は日常的に殺人訓練(洗脳)することで最大のタブーを克服し、第二次世界大戦時は他国と同じだったが朝鮮戦争当時には50%をこす高率、ベトナム戦争当時には90%を遥かに超える驚異的高率に発砲率を高めたが、何ごともよいことだけではない。トンデモナイ後遺症がおきてしまったのです。
訓練で全員がランボーのような優秀すぎる兵士になったがアメリカ国内に帰ってきても軍の洗脳教育が解消去れず国内の治安が極度に悪化する。
今でも戦争を正義とするアメリカでは、現在は一般米軍ではベトナム戦争当時のような極端な洗脳教育(マインドコントロール)は行われていませんが其れでも他国の倍の二十数%の発砲率の高さだそうです。
ナチス台頭前と似ている日本 (90式)
2012-02-28 17:20:49
今の日本は右傾化どころか、
感情優先の「スピリチュアル」が蔓延してると思います。
アメリカという兄の国が民主主義の仮面を付けたファシスト国家ですから、
属国日本もやはり全体主義化して来たのでしょう。


私も光市母子殺害事件は、最初は大手マスコミの報道を見て「本村頑張れ!」と思ってました。
だけど数年前の京都新聞の、
「本村サイドに総メディアが肩入れする異常さ」というコラムを見て目が覚めました。


今からすると一方的に印象報道を続けるマスコミは「偏向」「洗脳」としか呼べません。
神戸サカキバラ事件ですら、今さら冤罪説が陰謀論の世界では出てきているようですが、
この光市事件も真相は闇の中になるのでしょう。

今の日本は精神主義や感情論だけで動く危険な風潮が有ると思います。
国民総B層の日本はそう遠くないと思います。
戦場における「人殺し」の心理学 (くまごろう)
2012-02-28 22:08:54
ちくま学芸文庫から出ている本ですが、読まれたのかなと思います。
人間の人間らしい部分、人間として大切なものを意図的に破壊し、殺人機械とする、悪魔の所業。
何故この悪魔的な行いがなされたかと言えば、国という枠組みを強固にし、別の国の人間を同じ人間とは扱わない(殺人の禁忌をたやすく乗り越える)為。
歴史を振り返れば、資本主義は軍事力を背景にした不平等な取引で発展してきたもので、現在も軍事力は大きな影響を残しています。ただし経済の独立性が強まったのも事実であり、経済的主体と国(軍事力)が離れ資源価格が上昇し、国の間の格差が縮小してきていることも事実。現在の世界的な右傾化はそれを昔に戻そうとする多くは無意識的な力の作用ではないか。
世界が平等になっては先進国の人間は困る。
世界中の人間が日本レベルの消費活動をするには地球が三つ必要と言われている。詰まり、平等に資源を分配すると日本人は4000万人に減るか、一人一人の資源消費を三分の一にしなければならない。
しかもこれは、持続可能にする為には、高速増殖炉や核融合の実現が必要な消費量での話で、そういうあやふやなものを除外して考えれば、日本はエネルギー消費を十分の一くらいにまで減らすのが現実的な数値と思います。個人の消費を三分の一に、人口を三分の一に。
これらの数字は適当な想像ですが、希望的観測(殆ど無尽蔵なエネルギー源の開発)を排除すれば、どのくらいの数値が適当か、手探りすることが必要な世界になり、これは従来型の資本主義は全く通用しなくなったことを意味します。
意識的に、無意識的に、そうなることを全力で拒否する動きの一つが今の右傾化ではないか。
資本主義の全般的危機 (宗純)
2012-02-29 14:33:24
90式さん、コメント有難う御座います。

現在ですが、確かに100年に一度とか1000年に一度あるか無いかの歴史的な時代の転換点にあるらしいことは間違い無いらしい。
今の資本主義制度全体が制度疲労を起こしていて末期症状なのですね。
今ギリシャのデフォルトが現実問題となっているのですが、
そのギリシャで数千年前に銀貨が創られて今のマネーゲームが始まったらしい。
以前は小麦、羊などの必需品が『貨幣』(交換財)だったのですが、それが希少金属の「通貨」になる。
小麦は腐るが通貨は腐らないので、人々は限りなく無限大に蓄えることが可能になったのです。
ところが、ギリシャのアテナイの貨幣は銀の品質を保証するものだったので貨幣には物理的な限界があった。
それに続くローマ銀貨は98%から2%へと劇的に品質を落として実質的に無尽蔵に拡大したが、それでも製造原価の一定の限界があった。
今は紙幣の時代で『金』は完全に無限大になり、人々の欲望も無限大に膨らんで歯止めが無い。
有限の地球で、グローバルリズムの無限大の欲望の氾濫では破綻は確実で、今の金融危機は避けれなかったのですね。
80年前にも世界恐慌で資本主義は全般的危機に見舞われ、日独伊など脆弱な資本主義国は崩壊寸前に追い込まれる。
その解決方法(非常手段)として軍国主義的なファシズムが採用され一時的には成功するが、最後は国家自体が崩壊する。
ファシズムとは、『資本主義』の過激な究極の搾取形態なのです。
今の日本ですがファシズム台頭の1930年代と似ている部分も確かに数々あります。
しかし正反対の部分の方が、遥かに大きいのです。
これを軽視しては駄目で判断を誤る元です。
そもそも今の日本人ですが、絶対に人を殺せないのですよ。
これではファシズムに絶対になりようが無い。
日本で起きる殺人事件は年間たったの千件程度の少なさですよ。
光市事件で『殺せ。殺せ』と大合唱した連中ですが、彼等も実は同じで、口では言えても自分で実行出来る危ない人物は誰も居ないのです。
欧州のネオナチと日本の嫌韓嫌中と大違いで、ネオナチは有言実行で移民を殺害するが、ネットウョは言動は一致せず絶対に在日を殺さない。
言葉は似ていても行動が正反対なのです。
本村氏の『私が殺します』に、ネットウョの連中が痺れたのも、実はこれが原因しているのですね。
イチローやゴルフの石川遼を凄いと思うファンの心理状態と五十歩百歩なのですよ。
『素晴らしい』と感じるのは自分と違いすぎるからであり、『同じでない』からなのです。
我が日本国ですが、社会の安全が究極まで進んで殺人も死刑も絶滅状態だったのですよ。
原因は若者達が人を殺さなくなったからですが、此処で不思議な事が起きる。
究極的に少なくなっても、当たり前ですがゼロではない。
ほんの少し残った、少数の殺人が気になって気になって仕方がない。
それで今のように、それまでの19歳で4人を殺害して死刑になった『永山判例』を否定して、子供でも例外なく死刑にするとの刑罰の厳罰化が極限まで進んでいるのですよ。
安全(犯罪)アレルギーとか、集団ヒステリーとかに似た症状です。
あるいは抗菌グッズなどの氾濫や、病的な潔癖症とかの社会現象ですね。
この連中は、人が死ぬことに耐えられないのですよ。
同じような例では、
交通事故での死亡事故は業務上過失致死では昔は懲役3年以下だったのですが5年以下に改められる。
ところがどんどん死亡者数が減少した2007年には7年に引き上げられる。
ところが2009年からは危険運転致死罪で何と、最高刑は20年ですよ。
過酷なことで有名なイスラム法でもこんな馬鹿げた刑罰は聞いたことが無い。
自動車は合法であり酒も合法。
両方が幾らでも宣伝もしているし販売もしているのですから、これはもう無茶苦茶で到底まともではない。
社会全体が、丸まるの病気ですよ。
今日本の自動車業界は若者の車離れに苦しんでいるのですが、その原因の一つがこの交通事故の超厳罰化である。
アルコールですがこれは中枢神経毒であり正常な判断力を失うのです。
それなら、正常な判断力があれば車の運転を失敗して、もしもの時には懲役20年では車の所持はリスクが大きすぎるのです。
社会の右傾化は日本だけの特殊事情 (宗純)
2012-02-29 15:34:02
くまごろうさん、コメント有難うございます。

日本が病的に右傾化しているのは間違いではないが、これは例の北朝鮮拉致事件の影響が大きいでしょう。
『現在の世界的な右傾化』は、間違いで、実は右傾化したのは日本とアメリカであり、米国の右傾化の原因は9・11事件です。
9・11事件をイスラム教徒の犯行であると信じたアメリカ人は正気を失い、極度に右傾化してテロ戦争には走らしたが、今9・11が政府の公式発表の通りだと信じているアメリカ人は半数程度にまで減っている。
正気と狂気が拮抗しているのですが、徐々にアメリカ人は正気に返りつつあり、それにつれて右傾化した世論も反対方向に、振り子の原理で揺れ戻すでしょう。
NATOが応援したリビアの反政府武装勢力とはアルカイダ系であり、現在のシリアの反政府勢力もアルカイダが関係しており、それをアメリカなどが応援しているのですが、これでは政府が言う9・11アルカイダ犯人説は余りにも怪し過ぎるのです。
もっと怪しいのは日本を右傾化させた北朝鮮拉致事件であり、あれは米朝会談で核問題が解決したら即座に解決するでしょう。
そもそも米国ですが朝鮮戦争のトラウマがあり、朝鮮半島では武力行使をする考えが無い。
それなら北朝鮮に足元を見られて高飛車に出られても今のように打てる手段には限りがあり、米軍の段階的撤退の流れには変わりは無いでしょう。
これに困っているのが対米従属しか頭に無い日本の売国的な自民党とか官僚とか民主党政府。
起死回生の妙案が北朝鮮拉致事件での極東地域での緊張状態です。
緊張政策の副作用で、アメリカ人が9・11で右傾化したように、日本人は極度に右傾化したが、そもそもが無理筋ですよ。
拉致事件ですが、30年も前に起きた歴史的な事件であり、しかも関係者(被害者)が十数人と言う少数の小さな事件ですよ。
これで日本は10年も引っ張った。
北朝鮮ですが、連中は今でも戦争中であり日本人拉致は敵国の同盟国の後方攪乱程度の発想なのでしょう。
拉致事件で世界中が日本を応援しているとのマスコミの宣伝は大嘘で、実は経済大国の日本の主張なので、各国は聞いている風を装っているだけなのです。
中国は拉致事件よりも名古屋市長の南京大虐殺否定の方が余程大きな問題であると認識している筈ですよ。
30年前の日本人十数人の北朝鮮の引き起こした拉致事件と、70年前の日本軍の引き起こした数十万人の大虐殺事件と、どちらが世界的な大事件であるかは言うまでも無い話なのです。
拉致と言えばハーグ条約を批准していない日本は世界から見たら、困ったことですが人権無視の拉致大国だと思われているらしいですよ。
米国のFBIが国際手配している子供を拉致した日本人の親は百人以上にも上っているのです。
自分の子供だからとの理由は考慮されないので極めて重罪なのです。
子供は親の所有物との考え方の日本とは違い個人主義で子供の人権を重んじる。
欧米では日本とは大違いで、親子心中で生残れば数十年の厳罰が課され、反対に温情主義の日本では執行猶予の可能性があるのですから『発想』が根本的に反対ですね。
毒された (くまごろう)
2012-02-29 21:05:35
世界的に右傾化しているとの認識は偏向報道に毒されていたようです。今、はっとしたところで、していないことを確認してもいないのですが、確かにアメリカと日本が右傾化している様子は嫌と言うほど見ているが、欧州や中韓が右傾化していると考えるに足るような情報を確かに自分は知らない。
そして南米やアフリカのことをあっさり除外して、世界、などと安易に考えたことを反省したいと思います。

1972年、ローマ・クラブがかの「成長の限界」を発表した年、日本では札幌オリンピックが開催され、数年後オイルショックを経験するも、克服し成長を続けてきた。
上の一文、克服した、というのはどうやら間違いだった。或いは日本においては一部克服したのかもしれないが、オイルショック以後、正攻法の資本主義で成長を持続した先進国は存在しなかったということ。
原料に付加価値をつけて成立するのは極めて初期だけで、需用による生産からの成長から、成長の為の生産に必要な需用の喚起に移行すると、原料に付加価値をつけただけでは足りず、原料を不当に安く入手することが必要になる。
経済学の需用と供給は確かに、適正価格を導く力がそれなりにあるにしても、軍事力による威武と経済力そのものによる恫喝が適正価格の実現を妨げ続けてきた。
二度の世界大戦、オイルショック、リーマンショックに端を発する現在と、三度目の兆候でしょうか。
既に手遅れなのか、手遅れになる前に気がつけるのか、気付いた時には遅すぎたになってしまうのか。

>欧米では日本とは大違いで、親子心中で生残れば数十年の厳罰が課され、反対に温情主義の日本では執行猶予の可能性があるのですから『発想』が根本的に反対ですね。

死刑問題もその一部ですが、人権に対する勧告に幼児的な反応を示す人が増えていますね。
発想が根本的に反対、であることが多い、確かに独特な面が多い日本は、根本的に反対であることをお互いに説明、納得できてしまえば、妥協点に歩み寄ることは逆に容易ではないかとさえ思います。
日本は日本、他の国のことは知らない、で済まないことを、国際連盟脱退の歴史から学ぶこと、そう難しいとは思いませんが、自らを裁く機会を逃してきたこの国では、難しいことのようで、忸怩たる思いを禁じ得ません。
Unknown (日本が危ない)
2012-03-02 18:18:15
全くもって同感であります

この日本はどうなってしまうのか

巨悪や権力がマスコミを使って世論を誘導し 少年を死刑にまで追い込んでしまう

それを人を殺したら死刑は当たり前 お前がやられてみろとうそぶき少年の死刑を煽る世論

それを言った全く同じ人間が 幼児を虐待死させた養父に検察が懲役五年を求刑しても 全員が意義を唱えず貝のように口を閉ざす


世界の中でも指折り数えるほどに精神的に病んでる国

それが日本の真実
死を知らない日本人 (宗純)
2012-03-03 11:24:49
くまごろうさん、日本が危ないさん、コメント有難う御座います。

昔は人が生まれるのも死ぬのも自分の家で普通だったのですが、今では例外的な話になってしまった。
多くの人々は大概は病院で生まれて病院で死ぬ。
自分たちの身近に生死はどこにも無い。
社会が進歩しすぎて仕舞ったのです。
全ては他人任せで生命の何たるかを理解出来ないのでしょうか。
何とも不思議な話なのですが、『人が必ず死ぬ』との余りにも当たり前の話が軽んじられているか、忘れられている。
しかし少子化を言われている日本国でも1年間に100万人以上が生まれているし同数が死んでいるので1日では3000人が必ず死んでいる。
ところが本当の人が死ぬ断末魔の現場に立ち会うことはなく大抵は医者とか看護婦などの専門家任せで、死の綺麗な部分しか知らない。
知っていれば光市事件での元少年に対する愚か過ぎる『殺せ。殺せ』の大合唱は起きなかったでしょう。
人々は死の現実を知らないから、本村氏の『私が殺します』の仰天発言に日本人全員がたじろいだのです。
少し昔は普通に自分の身の周りで赤ん坊の命が生まれ年寄りが死んでいったので『死』が近くにあったのですね。
そして『生』は常に美しく貴重なのです。
ところが対照的に死は残酷で容赦なく汚いし醜いものなのですが、自分たちの近くに日常的にありふれていた。
ところが今は、生も死も醜い部分は完璧に隠蔽された超清潔な潔癖社会なのでしょうか。
汚いもの醜いものに耐えられないのです。
光市事件ですが社会全体のヒステリーとかアレルギーに見えてしまいますね。
清潔志向が病的に進行してしまい、トイレのドアノブとか電車のつり革が握れない神経症的な人が生まれているのですが、これの社会版ですね。
各種の抗菌グッズの大流行の同じ現象であり、この人たちは黴菌の存在が絶対に許されないのです。何とも困った話ですね。
一人の人間は60兆個ほどの細胞の集合体(共同体)なのですが、実は人体は細胞数以上の細菌と共存しているのです。
それなら汚い黴菌を皆殺しにするとの発想は根本的に勘違いしているのですよ。
もちろん吊革とかトイレのドアノブが掴めないのはもっと勘違い。
この現象は間違いなく一種の病気です。

昔肉が食べたければ鶏の首を絞めることからはじめければならず、牛肉などは滅多に食べれないハレの食事で日常的なケの食べ物ではなかった。
終戦直後の話ですが我が家は屠殺場の前にあり、ある日玄関を開けると手カギに吊るした牛の生首をぶら下げた作業員が立っていた。隣の在日朝鮮人の家族に届ける心算が家を間違えたのですが肉を食べるとは、何を意味しているのかを幼い子供だったが理解してショックを受けました。食べるとは他の命を頂くということだったのです。
生命とは動的平衡状態のことであり、食べ物と食べる自分とは別々で対立するものではなくて、実は分子的にはまったく同じなのですね。
ルドルフ・シェーンハイマー 機械でない生命 
2009年06月24日 | 臓器移植法
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/40546a1c057159f6afef3e6a334560f2
生命とは際どいバランスのことなので、少しも慌てる事も急ぐこともない。
別に死刑にしなくとも人は必ず一人も例外も無く死ぬのですから、慌てふためいて急ぐ必要性は全く無いのです。
「彼」を生かしたい。 (平行連晶)
2012-03-18 01:21:12
元・加害少年(宗純さんのブログでは、宗純さんのルールがあるでしょうから氏名の明記はしません)の氏名を毒多さんのブログのコメント欄に書いたことについては、私は元・加害少年の名前を奪いたくないという強い思いからしたことで、それに対して後ろめたい気持ちはありません。批判は甘んじて受けます。

また、件のエントリが死刑制度存廃をテーマとしてはいなかったので、私の立ち位置が不明瞭に思えたかもしれません。

最高裁が16日までに異議を退ける決定をしたため、死刑が正式に確定したと報じられましたね。
彼を死刑から救いたいというのが、私の願いです。

「生きて償いをしたい」「謝罪したい」という彼の言葉を、信じたい。裏切られてもいいから、信じたい。
本村さんが元・加害少年の言葉を信じないとしても、信じたい。

誰からも信じられず、憎悪され、蔑まれながら「淫楽殺人者」として処刑されるのではあまりに救いがない。

これはロジックから導出した考えでもなければ、理想主義から発した建前でもありません。
私自身の内心の葛藤に向き合い続けた結果、ようやく辿り着いた答です。
あまりにも遅すぎましたが。

宗純さんが、こうした個人の内心の問題に関心を寄せないのは重々承知しています。しかし、どうしても書いておきたかったので、書かせていただきました。

これからも、時にお邪魔してもよいですか?
内心を語るな (宗純)
2012-03-19 09:58:57
平行連晶さん、コメント有難うございます。
これからも何でも結構ですから気がついたことは些細なことでもコメントをお願い致します。

毒多さんのブログのコメント欄での私の主張『内心を語るな』が、少し前に話題になり、あそこではブログの記事にもなったのです。
詳しくは当該記事をご覧頂きたいが、実はこの言葉ははしょり過ぎで、正しくは『個人の内心を議論するな』なのですよ。
近代民主主義の大原則では、それ以前の社会とは大違いで実際の行為に及ばなければ、それがどれほど異常でも極悪でも変態でも『内心』は個人の聖域であり、誰からも非難されない自由な(基本的人権の中の根本的な)領域なのです。
内心は誰にも侵されない個人の聖域であるなら、それなら自動的に個別的であり普遍性は全くないのですよ。
ですから正誤や善悪、あれかこれかなどは意味が無く、議論の余地がそもそも無いのです。
この場合の内心は個性と言い換えてもよく、同一であるよりも違っている場合の方がより値打ちがあるとも考えられるのですね。(正誤や普遍性が問題なのは科学の場合だけです)
基本的人権としての『内心の自由』ですが、
この場合にわれわれが守るべき『内心』は正しいもの良いものだけ限定では駄目なのです。
間違ったものも悪いものも「内心」は例外なく無条件で守るべきなのです。
何故なら、そうしないと結局良いものも正しいものも守れないのですね。選択の余地は無いのです。
ありがとうございます。 (平行連晶)
2012-03-20 12:51:38
これからもよろしくお願いします。
私は宗純さんから色々学びたいし、愚樵さんからも色々学びたいのです。お二人は距離を取るようにしたみたいで、残念ですけどね。

宗純さんの「内心の自由を侵すな」は一貫した主張で、その主旨には私も賛同しているつもりです。

ただ、例えば犯罪や戦争のような具体的行為が立ち現れた時、私たちは行為者の内心に否応なく向き合わざるを得ないし、またその行為に触れることで生じた「自分自身の内心」に向き合わざるを得ないとも思うんですね。

例えば当エントリで指弾している、マスコミの恐怖・不信・不安ビジネス。
私も目に余ると思います(毒多さんのところに「平常運転」と書きましたが、あれはもちろん平常運転だから問題なしという意味ではありません)。
もちろんこれらを批判する場も必要だし、批判する態度も堅守すべきですよね。

しかし同時に、これら不信や不安、敵意や憎悪を煽り金に換えようとする情報のシャワーによって自身や他者の内心が「どのように」影響を受けるのかを考えることや対話することも大事だと思うのです。
戦争や犯罪を起こすのは人間の心ですから。

もちろん、この「内心」について考えるのは、他者の内心を悪と断罪して自分が高揚するためのものではないです。思索ごっこになってもいけないでしょう。あくまで自己反省を基本とするものです。

余談ですが、光市母子殺害事件の公判では、一審・二審で事件の態様・動機について検事調書の不備・矛盾等を弁護側がきちんと追及しなかったことに大きな責任があると思います。
過失致死の可能性が残されているんでしょう?
死刑制度の是非はひとまず措くとして、過失致死の人間を死刑にしてしまったら「司法の汚辱」以外の何者でもないですよ。
未必の故意と過失との超えられない隔絶 (宗純)
2012-03-21 15:21:02
平行連晶さん、コメント有難うございます。

この18歳1月の元少年ですが、到底18歳の精神年齢では無いのですね。
どらエモンの四次元ポケットの話も弁護団の姑息な創作ではなくて、事実のままのこの元少年の御粗末な精神状態だったのです。一度死んだら二度と生き返ることは無いとの当然の常識も無いのですね。
ですから差し戻し審が頭から否定していた幼稚な小学生でも行わない『復活の儀式』なるものも少年の『内心』としては正しいのですよ。
>『死刑制度の是非はひとまず措くとして、過失致死の人間を死刑にしてしまったら「司法の汚辱」以外の何者でもないですよ。』<
ですが、これが不思議なのです。
近代民主主義は、それ以前なら重大な問題としていた個人の『内心』を、良いものも悪いものも例外なく聖域として守ることで成り立っているのです。
ところが近代刑法では、反対にこの『内心』が大問題で罰則がとんでもなく違っている『内心重視』なのですね。
まったく『同じ行為』や『結果』でも殺意があったか無かったか(内心)の違いで天と地ほども扱いが違っている。
車でひき殺した場合、幾ら人が二人も死んでいても『殺人罪』には当たらない。
『殺人』とは殺した側に『殺す意思』がないと成り立たないのです。
撲殺の意思があれば死刑か無期で、『痛い目にあわせてやれ』程度の犯意(意思)では傷害致死罪(3年以上の有期懲役)にしかならない。
故意ではないので過失致死罪(50万円以下の罰金)、自動車の運転などのような業務上の過失である場合には業務上過失致死傷罪(5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金)。
ただし2007年からは自動車は自動車運転過失致死傷罪として7年以下の懲役。
それにしても考えてみれば不思議ですね。
近代民主主義は個人の『違法行為』は処罰するが、それ以前の社会では重罪であると考えられていた個人の『内心』は、どれ程モラルに反する不思議な考えであれ凶暴であれ異常であれ『違法』とはせずに処罰しないのです。
近代社会とか民主主意とは、個人の『内心』を聖域として守ることで成り立っている。
個人の内心である宗教(道徳)から切り離す事(政教分離や思想信条の自由の原則)で成立しているのです。
その為に宗教から科学が独立することが出来たし、それで近代社会は成り立っているとも考えられるのです。
民主主義の基本は、どれ程悪い事でも(あるいは良いことでも)内心である限り守るべき(誰も責任を問われない)ものなのです。
ですから、この基本どうりなら『個人の内心』と切り離して、すべて物事の『結果責任』こそ問うべきですが、
面白い事に民主主義以前の社会の方が人の死に対してはシビアで『結果責任』を問題にしていた。
江戸時代に大八車での交通事故死の責任を問われて遠島(重罪)になっていますが、これは欧米でも事情は同じらしい。
現在のような『当事者の犯意を問題にする社会』、言い換えると内心を問題視して『結果責任を問わない社会』が出来上がるのは産業革命以後の話で、これは『自動車を一般市民に売る為だった』なんて面白い説もありますね。
確かに、うっかり交通事故を起こしたら無期懲役では、誰も怖くて車を買う者は一人もいません。
この問題は考え出すと実に興味深いですね。
近代以前の個人の『内心』を問題視する社会は、これはもう今よりも道徳的ではあるが矢張り住み難い堅苦しい社会ですよ。
幾ら心の中で妄想を膨らませても、あるいは道徳に反する事を小説などに書いてもリアルでなくフィクションであれば罰せられない今の社会は素晴らしい。
ところが近頃問題に為り出したセクハラや差別問題ではこのリアルとフィクションの境界線が曖昧です。
完全に事実だけを問題とせず被害者の内心が最優先される。
同じ行為、同じ言葉でも相手が嫌な異性の上司ならセクハラになるが同性の同僚なら問題なしで、密かに好意を寄せている異性なら飛び上がらんばかりに喜ぶ。
全く同じ行為や言葉でも三者三様で全く違ってくるのです。
何故そうなるかと言うと、この場合の『セクハラ』も『差別』も全く同じ『個人の内心』のことを考えているからです。
現実の『社会的制度としての差別』を問題にしているのではなく、個々の個人の内面にある心の中の差別意識『内心』を問題としているのです。だから悩ましい。

死刑問題の当ブログの考え方は、
奥秩父4重遭難の残酷、千葉法相の無残
2010年08月06日 | 社会
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/dc220586f1431a5443c9ec86cd734f28
のコメント欄での東西南北さんとのやり取りを御覧頂きたい。
あるいはその続きの当ブログ記事、
死刑に反対。死刑廃止論議にも反対
2010年08月19日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ab04b56b51985285893dd30736f8b0b6
当ブログでは死刑廃止議論は原則、行わない方針ですが例外的に唯一この記事だけは行っています。
ですから死刑問題は話が重複するので、この記事に対して行ってください。お願い致します。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

2 トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。
シリアの反体制派が正統な政府? (Dendrodium)
シリア反体制派「正統な代表」に 日米など有志国が承認  シリアのアサド政権による反体制派への武力弾圧を阻止するため、日本や米英仏、親米アラブ諸国などの有志国がチュニスで開いた「シリアの友人」会合...
 光市母子殺害の元少年、死刑確定へ 最高裁、上告棄却 (政治)
この死刑判決に対し最高裁に強く抗議します。 生きてさえ居れば更生の可能性は常にある。 例え死刑制度が実在しても死刑判決というものは出しようが無いと思います。 殺人事件において遺族の被害感情が刑に影響するのにも疑問を感じます。 人が殺された事件で又人を殺す....