逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「悲しみの森」木と共存した女系文化だった日本とブータン

2011年11月27日 | 文化・歴史

京都でお茶を楽しむ新婚旅行で来日したブータン国王夫妻の和服姿

『悲しみの森ツアー』

朝日新聞の山梨地方版2011年11月19日「悲しみの森」に下流域の人招く(抜粋)
■手入れの大切さツアーで伝える
『ここが悲しみの森です。手入れがされずに光も入らない。かわいそうだが、不健康な樹木です』
登山道を登りながら、ガイド(73歳)が説明する。市が今月6日に開いた「悲しみの森・癒やしの森トレッキングツアー」。東京都などから約20人が参加した。
不健康な森と間伐などがされた『癒やしの森』と比べ、森の荒廃をじかに知ってもらおうという狙いだ。
植林後、育った樹木を間引いていくのが間伐だ。森が密集すると木への栄養が回らず、1本ずつが細くなる。光が入らず下草も生えないから保水力も弱くなる。それらを防ぐためだ。
枝切りや下草刈りをするが、間伐にはなかなか手を出せない。
切った杉の丸太価格は1トン約1万円。チェーンソーの使い手を雇い、搬出料を払えば完全な赤字に陥ってしまう。
大月市では全面積の87%が森林。その半分を占める民有林のほとんどが『悲しみの森』だ。
売れないから、伐期を過ぎても植えたままの木はやがて立ち枯れし、森の本格的な荒廃が始まる。
『対策を講じなければ20年後に現実となる。民有林維持は上流の個人や自治体だけではもう限界です』と、ツアーを企画した大月市産業建設部の佐藤次男部長は話す。
実験とも言える今回のツアーにかかわったJTBコミュニケーションズなどJTBグループが、来年度以降の商品化を検討する。
地元で組織する笹子町運営委員会が『おもてなし』を担当。今回も、ツアー参加者へのお弁当やうどんなどは地元が用意した。
『悲しみの森』が減るかもしれないと地域で動き出したいま、まとまりが強まった気がするという。絆を固め直してくれた森の力を参加者は再発見した。

『善意のボランティアに対する違和感(疑問)』

1995年(平成7年)1月17日に起きた阪神大震災の時からでしょうか。
我が日本国では善意の無料奉仕をカタカナ語の『ボランティア』と呼び、『近頃の若者たちの公共心』の発露として推奨される様になって来て、3・11では大々的に行われているのですが、人間の出来が古い為なのか違和感を感じざるを得ない。
無料の勤労奉仕などを尊ぶのはキリスト教的な『奉仕とか慈善』の発想であり、元々の日本の庶民の道徳では、正当な労働にはそれに見合った正当な賃金を払う。
それが我々日本人の労働感だった。
『ただ働き』を尊ぶなど、胡散臭いにも程がある。
だから正しい日本語の『勤労奉仕』ではなくてボランティアと聞きなれないカタカナ語になるのでしょう。
手前勝手(勘違い)な思い上がりであり腹立たしい。
人工林の手入れが行き届かず、荒廃しているのは明確な事実である。
事実は否定できないが、直近の事実だけを見ていては判断を誤る。福島を中心に放射能汚染が広がっていて除染が必要なことは事実だが、事実だけをみて原因を見ないのは片手落ち。この記事も事実だけを見て原因を見ない。
では、人工林荒廃の原因とは何か。
『人工林にしてしまったことである』
人工林は手入れを必要とする。
そういうものだ。それを知らなかったとは言わせない。
そしてその決断をしたのはその山林の所有者である。ならば、荒廃の責任は所有者が負うべきである。
人工林とはいえ、森は生き物である。
人工林を造林するということは、生き物をペットとして飼うのと同じだ。ペットを飼い始めたのなら、飼い主は最後まで責任をもって面倒をみる。
当然の論理である。
目の前の手入れが行き届いていない人工林が不健康なのは事実であるが、責任者がそれを『悲しみの森』という資格はない。
自分の飼っているペットを世話もせずエサもやらずにいて、『この子はカワイソウ』と言っているのと同じで、動物を好きな人が聞いたら怒り狂うだろう。
どうしてもエサ代を賄えなくなったらどうするか。
他人に譲るか、処分する。それが社会のルールだろう。先祖伝来でさぞ辛かろうというのは、ペットに情が移って辛かろうというのと同じ。処分や譲渡がいやなら、身を削ってでもエサ代を調達するしかない。みんなそうしているのである。山林所有者だけが、そういった辛さを免れてよいという法はない。

『命が金になる恐ろしさ』

植物の人工林も、生命あるものとして動物の家畜やペットと同じ意味を持っている。
放棄された犬猫のペット類が野生化して社会問題化しているのを『命の問題』として捉えて自費で野良猫や野良犬の保護運動をしている人々がいますが、元の飼い主が本来は費用を負担するのが本筋である。
犬猫では、無責任な元飼い主が見つからないから仕方なく篤志家が費用を寄付したり里親を探している。
家畜の飼い主が『もう限界だ』と飼育を放棄するなら自動的に所有権も放棄するべきで、山林を生命であると捉えれば同じことが言えるでしょう。
天神崎のナショナル・トラスト運動の様な、森林の命を最後まで面倒を見る覚悟のある新しい里親制度が是非とも必要です。
植物の人工林を放置すれば矢張り家畜やペットの放棄と同じ事が起こり、時間は多少余分にかかるが何時かは元々の自然林に返るのです。

ただ、『自然に任せれば上手くいく』は間違いで、実は日本の自然は100年ほど前に人が手を加えて変質させた結果、大きく病んでいて人の手なくしては自立も継続も出来ない。
人工林の荒廃がこの記事では取り上げられているのですが、そのもっと山奥にある僅かに残っている自然林が矢張り荒廃して人工林以上の末期症状なのです。
食物連鎖の頂点にいたニホンオオカミが絶滅している現状では増えすぎた鹿の食害で、森林の下草は完全に食べつくされて仕舞って、食物の乏しい冬季には落葉広葉樹の樹皮を剥いで食べるので自然林で木の立ち枯れが起きている。
他に美味しい食べ物があれば、松脂などの関係で普通はスギなど針葉樹の樹皮は鹿は食べない。
ところが、今では植えたばかりの軟らかい若木だけではなくて大きく育った人工林の大木までが鹿の食害で樹皮が剥がされるのでスギの幹に一本一本に防止ネットを巻く必要があるまでに、増えすぎた鹿の飢餓状態は深刻化しているのです。
下草をなくし木が立ち枯れた山林は表土流出が止められないが、この解決ですがニホンオオカミの復活以外の良い方法があるのでしょうか。

『世界的に珍しい森と女系制社会の日本』

ユーラシア大陸では洋の東西の違いが無く基本的に父系制社会なのですが、我が日本国は武士の世の中になった鎌倉時代でも女性にも同等な財産権があったように、世界的に珍しい女系制の残る社会だった。
戦国時代に来日した宣教師は故国とは大きく違う日本の女性の地位の高さに驚いていたのです。
男系社会では例外なく女性に厳格な貞節を要求する。豪華絢爛な結婚式なと婚姻制度も実に大袈裟なのですが女系社会ではそれ程拘らない。
ブータン国王夫妻が新婚旅行で日本を訪問して話題になっていましたが流石に王様は正式な結婚式をあげるが、一般の庶民層では結婚式はあげないで同棲に近い実質婚が主流である。
結婚が厳格だった封建制の男系文化と違い、女系日本の平安時代の妻問婚では矢張り結婚式の風習が無くて『結婚している』と周りが認める一夫多妻の実質婚。日本も昔はブータン状態だったのです。
ブータンでも一夫一婦の単婚が基本なのですが、なんと日本の平安時代的な一夫多妻だけではなくて今でもチベットなとと同じ一妻多夫も認めているのですから、なんとも大らかですね。
生まれた子供は母方の親族が責任を持って養育するので複数婚でも何も問題は起きないらしい。
国民総幸福量(GNH)で有名になったブータン王国の住民は2~3千メートルの高地に住んでいるが赤道に近いので気候風土は照葉樹林帯で日本国(西日本)と同じ。
ブータンと日本は気候や植生が同じであるばかりか、文化的にも非常に近くて世界的に珍しい女系国家なのですから面白い。
同じチベット仏教でも森林が無い4000メートルのチベット高原は漢族と同じで父系なのです。
日本とブータンの共通点ですが両国とも森林率が7割の森の国なのです。
ちなみに欧米では森と湖の国フィンランドだけが森林率7割と例外的に高いが、他はすべてが1~3割程度で極めて低い。
これは欧米だけでなく同じヒマラヤの山国のネパールは森林率が1割以下まで国土の破壊が進んで仕舞っている。
照葉樹林帯に生まれた日本とブータンの例外的な女系社会ですが、森を守る自然に優しい文化なのかも知れません。

『森を消滅させた父権的な文明の系譜』

世界四大文明は森に守られた農耕文化として生まれ繁栄したが、全て例外なく豊かだった森が消滅して今では砂漠化(荒地化)して仕舞っている。
4000年前の黄河文明では、森林を失って仕舞った黄土高原からは表土流出が止まらず大河は黄色く濁り季節風で日本まで黄砂が飛んでくるほどである。
紀元前1500年頃に消滅したインダス文明では高温で焼いた硬度の高いレンガを使用していたが森を失ったので、人々その後は泥を天日干ししただけの粗末な日干し煉瓦で住居を造らざるを得なかった。
メソポタミヤやエジプト文明は肥沃な三日月地帯に鬱蒼と繁茂していたレバノン杉を刈り尽くすことで文明も滅んで仕舞うが、この文明は森を求めて西へ移動して行く。
その後は、矢張り森を食い尽くしながら西へ西へと移動したが、行く先々で木を切り過ぎて北アフリカや欧州全域の森を壊滅させている。
これらの文明の特徴は全て畑作の小麦栽培に依拠しているが、実はアジアには小麦以上に収穫量や栄養価が高い素晴らしい穀物(米)が古くから栽培され、事実黄河文明よりも2000年も古い揚子江周辺の照葉樹林帯で水田での米栽培の長江文明が興っていた。
ところが中国史では、より人口が養える米栽培の長江流域の文明(文化)が支配権を握ったことは一度もなく、全て北部の小麦栽培の黄河流域の文明(文化)が中原に覇をとなえた。
南の稲作に依拠していた長江文明の文化は、北の小麦文明との武力紛争では致命的な弱点を抱えていたのかもしれません。

『遊牧民による農耕民の隷属化』

中国の長い歴史で、何故収穫量など性能では優れていた稲作の文化が、確実に米よりも劣っていた小麦文化に一度も勝利することが出来なかった不思議ですが、実はこれには他の文明でも同じであり武力闘争の原理が働いている。
武力では女系の農耕民は父系の遊牧・牧畜民に勝てない。
文明以前の社会では狩猟・採集が行われていたが、狩猟が発展して牧畜が生まれ採集が進化して農耕が始まったと考えられるが、古代の社会では狩猟の担い手は男性であり採集は女性の分担だった様に性差があったのでしょう。
それならその発展形である牧畜や遊牧文化が男系社会で、対照的に農耕文化では女系社会が出来上がったと考えることも十分出来る。
典型的なのは旧約聖書の記述である。
この神話を水と緑豊かな蜜流れるパレスチナの地に住んでいた大地母神を信仰していた女系の農耕民社会を襲撃して殺害略奪、支配した戦闘力や闘争心に勝る長い間砂漠を放浪していた唯一神を信仰する父系の遊牧民の話であると理解すると、聖書の数々の矛盾点も氷解して実に判りやすい。
ユダヤ教の唯一神ヤハウェが何故あれ程戦闘的で嫉妬深くて残酷で執念深いかの謎ですが、過酷な自然の砂漠で生まれた『神』であるからとすれば納得しやすい。

『森林を破壊した一神教文明』

牧畜を精神的主柱とする一神教の文明が次々と豊かな森を破壊して砂漠化して、その後西え西えと移動し、最後は遠くアメリカ大陸やアジアにまで達して世界を席巻したが、そもそもが移動する遊牧民の『神』なのですから、我々のような一箇所に定着して長い間森を守る農耕民とは考え方が違っていて当然だったのです。
小麦栽培とは遊牧・牧畜文化と農耕文化とが触れ合う際どい地点で生まれていて、事実この境界線である万里の長城が中国の首都北京のほんの少し北の地点に築かれている。
黄河文明の特徴は旧約聖書の世界と同じ農耕民を武力で支配した遊牧牧畜文化だったのでしょう。
中国の宦官や欧州のカストラートなどの男性の去勢手術などは家畜に対する牧畜文化のなせる業であり、対照的に日本では人間どころか西欧文明が流入する明治維新まで家畜にも去勢を行わなかった位である。
長江文化や日本の水田による稲作では水路の維持管理など地域社会の共同作業が何としても必要であり優先されるので、人々の協調性こそが尊ばれる。
結果遊牧民的な朝青龍の闘争心は忌み嫌われて、出る杭を打つ悪弊も一部にあるが、世界的にも珍しい日本的な平和な社会が出来上がる。
3・11での大災害直後の被災民が誰一人も略奪も暴動も起こさなかった日本人は世界の賞賛の的であるが、何の不思議もなくそんな事は日本人なら誰でもが常識であり当たり前である。
日本とは元々そのような社会だったのです。
森を失ったネパールとは大きく違い、森を守ったブータンは長らく鎖国政策をとり開国された今でも極力外国文化との接触を小さく節度ある範囲に限定している。
全ての国境の障壁の撤廃とのTPPなど、とんでもない。
世界基準グローバルスタンダードの闘争心に勝る父系文化には、到底ブータンの協調性が優先する日本的な女系文化が決して勝てないと良く知っているのです。
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6 コメント

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「知らなかった」よりも酷い屁理屈 (愚樵)
2011-11-27 05:44:38
・宗純さん

放射性物質が拡散してしまった原因は何か?
原子炉を作ったことである。
原子炉は厳重な安全管理を必要とする。
そういうものだ。それを知らなかったとは言わせない。

東電はさすがに知らなかったとは言いませんが、もっと酷い屁理屈をこね始めました。

放射性物質は無主物。
ゆえに、東電に除染の義務はなし。

この「論理」を国家の司法が認めた。開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。この国家は、本当に国民の生命など金でもって交換可能な「モノ」としか捉えていないようです。

金を生むから人口を増やせ。増えないなら移民受け入れ。
金がかかるなら、死んでしまおうがどうでもいい。

こういった状況に立ち至ってしまうと、左翼が押し頂く日本国憲法が恨めしくなってきますね。なぜアメリカ合衆国憲法ではないのか。それならば、市民が武装して国家を襲撃する権利が認められている。

冗談はさておいても、この状況は到底笑っていられない。日本は女系ではあるが、それは盲目的に従順ということを意味するものではない。少し前までは「やまとなでしこ」といえば従順な女性を意味したが、今は違う。

本当のやまとなでしこは、怒り出すと手が付けられない。宗純さんも、思い当たるところのでは?
大日本帝国憲法の国家無当責 (宗純)
2011-11-27 17:24:00
愚樵さん、コメント有難う御座います。

この記事の元ネタは愚樵空論のTB記事なのですが、余りに内容が面白いので自分のブログ記事のネタにパクらして貰いました。
木材価格の低迷で山主が困っているのは事実で、何の間違いも無いのですが、個人資産であるとの私的な所有権を主張しながら、同時に義務を放棄する態度はけしからん話です。
愚樵さんの、
『自分の持ちものなら、身を削ってでも面倒を見る』は、痛快でもあるが当然でもある。

酷すぎるのは今回の愚樵空論の最新記事の東京電力の言い分ですが、これ66年前までの帝国憲法の精神だった国家の『無当責』と同じですね。
東電ですが、此処は官僚組織以上に官僚的な組織なのです。
だから今回は『国家無当責主義』により逃げ切れると思っているのでしょう。

それにしても朝日新聞以外の他のマスコミは東電の悪行を報じない。
福島第一原発から放出した放射能が誰のものでもない『無主物』だったなんて、そんなニュースは何処も報じていないですよ。
特に一番影響力がある映像メディアのテレビ放送では、まったく見当たらない。
枝野大臣の『万が一。1~2回なら安全』とか福島第一テレビの爆発映像の隠蔽など、不都合な真実を報道しないマスコミの悪行が度し難い。
しかし、凄い話ですね。
放射能が無主で誰のものでも無いとしたなら、テロリストが核燃料を強奪しても無罪なのでしょうか。
自分の飼っていた闘犬用の土佐犬とか凶暴なドーベルマンが狂犬病になり檻を破壊して脱走して通行人に噛み付いたが、飼い主(東電)が、檻が壊れた段階で犬の所有権を放棄したので無関係であるとの怖い話に近い。
あるいは中東などで市民が空に向けてカラシニコフで祝砲をぶっ放すのですが、実弾なので何処か地面に必ず落ちてくる。
サッカーワールドカップでイラクが勝ったら流れ弾で死人や怪我人が大勢出たらしいですよ。
大勢が空に向けて撃つので誰が撃ったかの特定が出来ないので流れ弾の被害者は泣き寝入りするしかないが、これは野犬に噛まれたのと同じ扱いですね。
しかし野犬に噛まれても犬の首輪から元々の飼い主が特定出来れば、幾ら野犬でも無主で責任無しにはならないでしょう。

しかし、この問題の最大の原因は実は警察や検察など司法が機能せず原発事故で10万人以上の大勢が避難したり数百万人に直接の被害が出ているのに東電関係者を一人も逮捕せず野放しにしていることに尽きるでしょう。
だから未だに東電の無理無体な無法が罷り通るのですよ。
その原因ですが、未だに大日本帝国憲法の国家の無当責任の呪縛から逃れられないでいるのでしょうか。
事故当時の責任者が未だに居座っているのですから、今からでも遅くないから、全員を一網打尽に逮捕拘留して真相の究明を行わない限りは、何も始まらないし、何も終わらない。
Unknown (kappa)
2011-11-28 02:59:15
国土の山林の4割は人工林。その杉やヒノキの人工林の7割が「悲しみの森」放置人工林。
真っ暗闇で虫も獣も棲まない。
 日本熊守協会というところがあります。日本の野生動物の頂点「熊」が激減している。熊が里に降りて悪さをしている。熊を捕まえ殺す。こんな生態系のピラミッドが壊れれば・・・次に来るのは人間の・・・。というようなことで、何年も前から広葉樹林の植樹、里山の復活を謳っている団体があります。気仙沼の畠山さんが主催する「森は海の恋人」運動や、CWニコルさんたちがすすめている運動もあります。
日本熊守協会の子供たちの直訴で、天皇は毎年行われる植樹祭には針葉樹の植林を控えるようになりました。

何故日本の人工林が昆虫も獣も棲まない地獄の暗闇になったかは簡単。それまで90%以上国内で自給していた材木が、解禁された海外からのものに圧倒され今や自給率30%にまで落ち込んでしまったから。TPPを語る場合、チェリーなんぞの下らぬ例を出して国内産業が強化されるいい見本というオオバカどもはこの実態を見ぬフリをする。

「悲しみの森・・」とはなかなかいいネーミングだけれども、私にいわせれば「TPPの森」であって、「熊も人間も殺す森」でもある。

国内の人工林のうち70%放置人工林・・死の森・・・悪政がもたらした結果である。
一番の問題は為替相場の変動リスク (宗純)
2011-11-28 17:02:15
kappaさん、コメント有難うございます。

日本の林業の衰退と山林の荒廃ですが、正に一つ前の当ブログ記事のリカードの比較優位の問題の典型例ですね。
比較優位論で日本が得をする等と悪い冗談にも程がある。
そして、この比較優位で最大の影響があるのは其々の個々の産業従事者の努力などよりも、為替問題の方が大きい。
個人の努力ではどれだけ努力しても限度があり数%から十数%程度。
革命的な努力や革新でも数十%ぐらいですが、今では5倍(数百%)で、これでは到底勝てる筈が無い。
1ドル360円の時代では、日本の林業が健全であり山林所有者は大儲けしていたのですよ。
今とは大違いで私有林では金を目当てに全山が伐採されて大問題になっていた地域まで出ていたのです。
これではいけないと政府は植林に補助金を出すのですが、その為にいっそう自然林の広葉樹が伐採されて補助金目当てにその伐採後に針葉樹を植林して仕舞い、これが今大きくなり開花期を向かえていてスギ花粉を盛大に飛ばし日本人が花粉症の大発生。
針葉樹の植林は、何と本土復帰後の沖縄県でもヤンバルの亜熱帯林を伐採して本来の植生を無視して植えたのですから無茶苦茶です。
大量に針葉樹を植えた後で1993年からは木材の関税を撤廃する方針に転換して、現在では輸入材の国内関税はほぼゼロですね。
無関税と超円高で日本の林業が壊滅するのは当然な成り行きであり、これはTPP以後の日本農業の姿の先取りでしょう。
大都市以外の地方はすべてが今の山間地の限界集落となり果てて、我が日本国は滅びます。

日本の野生動物ですが、熊は厳密な意味では頂点にはいないと思います。
鹿と熊では走る速度に違いがありすぎるので、幾ら肉食性の高いヒグマでも蝦夷鹿との間では食べる食べられるの関係性は低い。
まして雑食性の本土のツキノワグマの主食は木の実で鹿は食べない。
足が遅い熊は鹿を捕まえられないのですね。それに鹿は日本全土で大量に繁殖しているが、熊の生息数は極少数で範囲も限られている。
今人家の周辺に出没して餌を漁る熊が出てきているのですが、それだけ山が荒れている証拠でしょう。
今までに何十年も山を歩いていてカモシカなどは見飽きているが熊に遭遇したのは、たったの2回だけの少なさなのです。
鹿ですが山奥の自然林は荒れすぎて今では逆に数が減っていて滅多に見かけなくなったが、逆に人工林の林道周辺の群れをなして出没している逆転現象が起きているのです。
紀伊半島の大峰大台山系の稜線部分ではブナの自然林と身の丈を超す密集した熊笹の群生地だったのですが、現在の熊笹は食べ尽くされて杉苔程度。下草が無い裸山状態の不思議な景観なのですね、これでは食料が無いので鹿が住めない。鹿が増えすぎて山が死につつあるのです。
記事ではニホンオオカミの絶滅と書いてあるが、実は一番の鹿の生息の圧力はオオカミではなくて人間だったのです。
昔の日本ではとんでもない山奥にも人は住んでいてのですが、今では中山間地までが限界集落で人口が激減して無人化して農地が放棄されているのが現状です。
ロシアが6・5%だった輸出の関税を十数倍の80%まで引き上げる方針で、森林資源も実は限りある資源であり、生産量以上の消費は絶対に継続しない。
ただ低開発国が外貨欲しさに森林伐採に走ることは今の資本主義の世の中では止められない。
世界の森林面積は急激に縮小しているのですが、現在のガットなど貿易協定では幾らでも増産することが出来る工業製品と同じ扱いなのです。
森林資源とは再生が可能なのですが、大西洋の黒マグロの保護と同じで、矢張り絶滅の危険がある資源として国際的な保護の条約とか協定が必要な時期に来ているのでしょう。
あえて円高の問題は抜きました (kappa)
2011-11-29 08:29:30
まったくおっしゃるとおりですね。
ただ・・私の持論もTPPよりも為替でありますので、今回の話題はあえて円高を抜きに書きました。

>1ドル360円の時代では、日本の林業が健全であり山林所有者は大儲けしていたのですよ。
・・・・・・・・・・
まさに私の北海道の友人はこれで大金持ちで、代々拓銀の増資に勤めてきましたが・・・彼が相続した巨額の財産は紙くずになりました。

金が掛かろうが掛かるまいが守らねばならぬものはあるのですね。農業、林業、漁業はそれに近い存在です。原発にかけている実額のホンの一割でいいんです。

私の田舎では子供の頃見たことも無い日本カモシカが出没して困っているとのこと。これ殺すことも捕まえることも許可されていません。生息圏が限られてきたのではなく、反対に里山が荒れ自然回帰してきたためと思われます。開墾、開墾で食べるものを作るのに必死だった戦後からの日本が今や里山を手入れする暇も無く山林も里山も荒れ、境界がなくなってしまったためですね。パートに出て時給600~700円の東南アジア並みの低賃金で日銭を稼ぐ半農半パート。それでもそんな工場があればまだ暮らしていけたけれども、今それが東南アジアに出て行ってしまい、何をあてに暮らしていけばいいかというと・・農業の補助金程度なのですね。その上での大震災ですもの。
ニホンオオカミの絶滅 (宗純)
2011-11-29 14:52:05
kappaさん、コメント有難うございます。

106年前の、1906年(明治38年)に奈良県東吉野村鷲家口での若いオスのニホンオオカミが最後の一頭となり、以後には確実な情報は途絶えている。
ニホンオオカミの終焉の地である、この奈良県東吉野村鷲家口ですが、人跡未踏でも深山幽谷でもそれ程の山間僻地ではなくて山里程度の地域ですね。
ですからニホンオオカミは、矢張り絶滅したトキ程ではないが人間とは近い友好関係を長い間続けていたらしい。
送りオオカミの言葉ですが、本来は道に迷った旅人を人家のあるところまで安全に送ってくれる親切なオオカミの意味であったらしい。
牧畜文化の西欧ではオオカミは悪の象徴なのですが、農耕文化の日本は田畑を荒らす兎や鹿を退治する大事な益獣であり、山の守り神(オオ神)でもあったのです。
このニホンオオカミ終焉の地の鷲家口ですが、悲劇の天誅組の終焉の地でもあるのですから何とも因縁深い話です。
今から148年前、明治維新の4年半前の1863年の明治天皇の叔父である中山忠光卿らの『天誅組』は挙兵から40日後の鷲家口の戦闘で組織は完全に壊滅する。
ニホンオオカミが絶滅していなければ日本の山林が今とは違っていた様に、長州藩に亡命した天誅組総裁であった中山忠光を長州が暗殺していなければ今の日本の歴史が変っていたかもしれない。

中山忠光の辞世
『思ひきや  野田の案山子の梓弓  引きも放たで 朽ち果つるとは』

早すぎた悲劇、天誅組と中山忠光
2009年08月17日 | 社会・歴史

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