逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

伊藤博文暗殺犯安重根処刑100年、追悼ではなく顕彰一色の韓国

2010年03月27日 | 東アジア共同体

陸軍本部に「安重根将軍室」設置 (中央日報)3月26日

陸軍が安重根(アン・ジュングン)義士殉国100年を翌日に控えた25日、忠清南道(チュンチョンナムド)鶏竜台(ケリョンデ)陸軍本部に『安重根将軍室』を設置した。
陸軍の関係者は『国民的英雄として尊敬されている安重根義士を‘軍人精神の師表’‘軍人の表象’とするために安重根将軍室を設けた』と述べた。
陸軍本部内の将軍室開館は、2005年に設置された韓国戦争(1950-53)の英雄ペク・ソンヨプ将軍室に継いで2度目となる。
韓民求(ハン・ミング)陸軍参謀総長は安重根将軍室を開館した背景について『安義士は殉国の前、「大韓義軍参謀中将(将軍級)として敵将を射殺したため戦争捕虜として扱ってほしい」と日帝に要求した。安義士は自ら将軍だと主張した』と説明した。
安義士が所属した大韓義軍は、高宗(コジョン)皇帝から直接支援金を受けて日帝の侵略に対抗した軍事組織。
1910年6月21日には『13道義軍』として再発足し、抗日独立闘争の中心になった。
将軍室の壁には、安重根義士の一代記と武装闘争活動、日帝の初代朝鮮統監・伊藤博文を射殺したハルビンの義挙状況、死刑執行を控えて最後に書いた遺墨『為国献身軍人本分』『臨敵先進、為将義務』などの影印本が展示された。

◇報勲処の立場は=国家報勲処は安重根義士を『将軍』と呼ぶのに反対する立場だ。
金揚(キム・ヤン)報勲処長は『数十年に1人が出てくるかどうかという義士を毎年60人ずつ輩出される将軍として呼ぶのは不適切だ』とし『今まで義士と呼んできた人物を将軍と呼べばむしろ降格させることになる』と述べた。
報勲処の関係者は『安義士が正式に軍隊に属したこともないので将軍と呼ぶのはふさわしくない。歴史的な義挙をした人物なので今後も‘義士’と呼ぶことにした』と説明した。

「愛国の魂、平和のたいまつに」 安重根義士殉国100年、全国で追悼式 (東亜日報 )

安重根(アン・ジュングン)義士殉国100年を追悼する行事が、26日に全国各地や海外で行われた。
国家報勲処は同日午前、ソウル市庁前ソウル広場で、『民族の灯火、平和のたいまつ』というタイトルの中央追悼式を行った。
追悼式には、鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相をはじめ柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商部長官、金泰栄(キム・テヨン)国防部長官、金揚(キム・ヤン)国家報勲処長官ら政府関係者、遺族、光復(クァンボク)会員ら約2000人が参加した。
鄭首相は追悼の辞で、『まだ安義士の遺骨を発掘できずにいることは、残念で恥ずかしいことだ。安義士の遺骨奉還をはじめ、烈士の高い意志を継承するために最大限努力する』と述べた。
追悼式の後、鄭首相が『平和のたいまつ』に点火し、関係者や韓国をはじめ中国、日本から参加した市民や青少年たちが、ソウル広場から光化門(クァンファムン)広場までの1キロを行進した。
李明博(イ・ミョンバク)大統領は同日、大統領府で開かれた拡大秘書官会議で、『(安義士に)申し訳ないと思うのは、「私が死んだ後に私の骨をハルビン公園のそばに埋めて、国権が回復したら故国に移してほしい」と遺言を残したが、今までその意志を果たせずにいることだ。遅くなったが、日本だけでなく中国とも協力して、遺骨を迎えられる可能なすべての方法を模索する』と明らかにした。
ソウル明洞(ミョンドン)聖堂では同日午後、ソウル大教区長の鄭鎮奭(チョン・ジンソク)枢機卿の執典で、安義士追悼ミサが行われた。
鄭枢機卿は講論を通じて、「安義士が義挙後に真っ先にしたことが祈祷であり、刑務所でも10分間、祈りを捧げて堂々と刑場に歩いていった。あの方は、自分の行動が天主教の信仰と教理に外れていないと確信していた。
あの方の独立闘争と義挙は、信仰の延長線上にある」と述べた。
同日、ソウル広場で中央追悼式が開かれた時間に、安重根義士記念事業会などは、安義士の墟墓がある孝昌(ヒョチャン)公園で追悼祭を行った。
培花(ペファ)女子高校など、ソウル市内の約10の学校では、1万人余りの学生が献詩の朗読と手形を押すイベントに参加した。
京畿道安城市(キョンギド・アンソンシ)の美里川(ミリネ)聖地内のシルバータウン・有無相通マウルでは、安義士の銅像の除幕式が開かれ、坡州(パジュ)出版都市では、安義士の幼名をとった応七(ウンチル)橋を渡るイベントが行われた。
米ニューヨークでも、白凡金九(キム・グ)先生記念事業会、光復会、興士団ニューヨーク支会の共同主催で、500人が参加して追悼式や遺墨展示会などが開かれた。

安重根の遺骨探し、韓国大統領「最善尽くす」

【ソウル=箱田哲也、旅順(中国大連市)=西村大輔】26日で処刑から100年を迎えた朝鮮独立運動家、安重根(アン・ジュングン)の遺骨の発掘に向け、韓国政府は今後、日中両政府への協力要請を一層強化する方針だ。
李明博(イ・ミョンバク)大統領は同日、遺骨発掘に『大統領として最善を尽くす』と意欲をみせた。
韓国では今も、初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した安重根を『義士』と呼ぶのが一般的だ。
安重根が刑執行まで東洋人の団結を呼びかけた『東洋平和論』にも改めて光があたっている。
ただ、国家の英雄の遺骨がどこにあるかは不明のままだ。
韓国政府は2008年に調査団を派遣し、中国・大連市旅順口区の旧旅順監獄周辺で大規模な発掘調査をしたほか、北朝鮮も調査団を派遣したことがあるが見つからなかった。
旧旅順監獄には26日、韓国の国会議員や学者らが訪れ、安重根が処刑された当時の死刑台が復元されている『安重根義士就義地』で追悼式典を開催。
式典後は遺骨が埋まっている可能性があるとみられる監獄周辺の住宅開発地や古い墓地などを視察した。
韓国国内では『日本に埋葬地を示す記録がある可能性が高い』との見方が広がっており、韓国外交通商省の金英善(キム・ヨンソン)・報道官は25日、岡田克也外相が2月に訪韓した際、柳明桓(ユ・ミョンファン)・外交通商相から協力を要請したことを明らかにした。
日本側は、これまでに該当する資料は見つかっていないと回答してきた。
旅順での追悼式に参加した韓国国会議員の朴振(パク・チン)氏は朝日新聞の取材に『(遺骨に関する)資料があるなら、日本は韓国に返還するべきだ。遺骨を探し出すために韓中日が共同して発掘することを強く要求していく』と話した。

『安重根-伊藤博文の対決、まだ終わっていない』中央日報【時視各角】

私は朝鮮王朝の末期、韓国にも伊藤博文のような人物が出ていればという想像をする。
ひょっとすると亡国を防ぐのに寄与したのではないかという空想でだ。 伊藤は1841年、今の山口県で下級武士の息子として生まれた。
身分は大したことがなかったが、持って生まれた知略と努力で明治時代を支える政治家になった。 ‘日本憲法の父’と呼ばれる伊藤を、今でも多くの日本人は‘偉人’として尊敬している。
昨年10月26日、東京品川区にある伊藤の墓地では、100周忌追悼祭が開かれた。 12月には故郷の山口県の天文学者が自分が発見した小惑星に「博文」という名前を付け、国際天文学連合の承認も受けた。
日々衰落していく韓半島で伊藤のような人物は出てこなかったが、その代わりに安重根(アン・ジュングン)が生まれた。
1879年だった。
安義士は30歳だった1909年10月26日、中国ハルビン駅で68歳の大物政客、伊藤を射殺した。 そしてちょうど100年前の1910年3月26日午前10時、旅順監獄で処刑され、殉国した。
安重根義士の狙撃から100年、すなわち1世紀が過ぎた。
追悼の熱気はいつよりも熱い。
私は今、安義士に対する儀礼的な追悼を越えて、安義士を客観化・普遍化・世界化する時だと考えている。
私たちの胸中に剥製状態で残っていた安義士をよみがえらせ、血管を通し、息を吹き込まなければならない。 そしてハルビン義挙が韓民族だけの巨事ではなく、世界史的な抵抗運動の一つとして定着させなければならない。 殉国後1世紀が過ぎた時点で、「義士」が正しい「将軍」が正しいなどと言い争う幼稚な水準であってはならない。
安義士のアイデンティティーを敢えて「将軍」に限定しようという理由は何か。 軍人の間でそのようでもかまわないが、将軍の地位にとどめて、「東洋平和論」が見せた革命家・社会改革家・哲学者的面貌を隠すのは、むしろ故人を軽視するおそれがある。
元老出版人の李起雄(イ・キウン)氏は畢生の作業である坡州(パジュ)出版都市造成の仕事をしながら、安重根を‘心の師’と見なした。
李起雄氏は1970年代に李慇相(イ・ウンサン)が書いた「安重根公判記録」に初めて会った。 その後、20年間忘れていたが、出版都市作業があちこちで難関にぶつかると、またこの本を取り出した。
官僚の非協調と「土地で商売をする」という周囲の誤解を受けた時だった。 四面楚歌の状況で会った安重根は李起雄氏に大きな勇気を与えた。
1909年に事件を起こし、日本人が準備した法廷に立った安義士はどれほど厳しい状況だっただろうか。
「それに比べると私には国があり、食べるもの、着るものもある恵まれた環境ではないか。 私の苦難など何でもないことだ。 私も命をかけてやってみよう」と誓ったと、李起雄氏は回顧した。 出版都市事業は徐々に軌道に乗り、李起雄氏は安義士の公判記録も新しく翻訳し始めた。 そして99年、『安重根戦争、まだ終わっていない』という本が出た。
李氏は出版都市内の6つの橋のうち最も大きい橋に安義士の幼名を付け、「応七橋(ウンチルギョ)」と命名した。 今日、応七橋では「安義士殉国100年記念橋歩行行事が開かれる。
安義士の業績と思想は一部の人にしか影響を及ぼさないほど懐が狭いのか。
そうではない。
特に平和に対する凄絶な渇望は、私たちしだいで日本・中国を越えて全世界に通じるはずだ。 韓日の学界でも、安義士の東洋平和論をドイツの哲学者カントの「永久平和論」と比較した研究成果が出てきている。
半面、日本の学者の中には「伊藤が狙撃されなければ韓国併合は遅れたか、起きていなかった」と主張する人も多い。 結局はコンテンツだ。
30歳という年齢で殉国した安義士を私たちがもっと‘育てる’必要がある。 一年に一度の追悼に終わってはならない。 安重根と伊藤の対決はまだ終わっていない。
盧在賢(ノ・ジェヒョン)論説委員・文化専門記者

安重根処刑100年の追悼式「韓国が協力要請するも、口を閉ざす日本」-韓国(サーチナ)

独立運動家・安重根(アン・ジュングン)が、中国の旅順監獄で処刑されてから丸100年となった26日、韓国政府主催の追悼式が、ソウル中心部の市庁前広場で開催された。式には鄭雲燦首相ら政府高官と関係者ら約2000人が列席したという。複数の韓国メディアが報じている。
式では、30歳で幕を下ろした安の短く壮絶な生涯が紹介され、参列者たちは殉国の義士を追慕した。また、韓国の行政機関・国家報勲処はインターネット上で献花・焼香が行えるよう、ホームページにオンライン追慕広場を開設している。
安重根は1909年、韓国の初代統監であった伊藤博文を中国のハルビン駅で暗殺。その後、中国の旅順監獄に収監され、翌年2月に死刑判決を受け、3月には死刑が執行された。
韓国のメディアは、1000坪を越える敷地に各種石物と巨木があり、王陵のような雰囲気だったとして伊藤博文の墓地を紹介し、それに比べて安重根義士は殉国100年だが、その墓地はもちろん、処刑の跡さえも探せなくなっている。韓国政府は遺体発掘のため、日本政府に協力を要請しているが、何か隠すことがあるのか、日本政府は口を閉ざしたままだと伝えている。
一方、「安重根義士殉国 100年と日本がすべきこと」と題し、日韓が共存する未来を生み出すためには、日本の過去の歴史に対する反省と謝罪がまず大前提になるだろう。天皇の訪韓を推進するより重要なのは、韓国人の感情を推し量ることだ。それをもう一度認識するように切に願うと報じたメディアもあった。
(編集担当:李信恵・山口幸治)2010/03/27(土)


(付録)
金嬉老元受刑者が死去=射殺・籠城の劇場型犯罪3月26日 時事通信

【ソウル時事】静岡県で1968年に暴力団幹部ら2人を射殺後、温泉旅館に立てこもった「金嬉老事件」の金嬉老元受刑者が26日、韓国・釜山市の病院で死去した。81歳だった。最近、前立腺がんの治療を受けていた。
 在日韓国人2世だった金元受刑者は68年2月20日、静岡県清水市(現静岡市)で借金返済を迫った暴力団幹部ら2人をライフル銃で射殺し、逃走。ライフル銃やダイナマイトで武装し、同県寸又峡温泉の旅館に客ら13人を人質に籠城(ろうじょう)、報道陣に民族差別の問題を訴えたが、4日後に報道関係者に変装した警察官に逮捕された。
 籠城の様子はテレビで実況中継され、日本で最初の劇場型犯罪とも言われた。事件は韓国でも大きく報じられ、金元受刑者は民族の英雄扱いされた。
 75年11月に最高裁で無期懲役判決が確定後、事件から31年後の99年9月に仮釈放され、釜山へ移住した。 

金禧老事件の在日韓国人・権禧老さん、釜山で死去3月26日 聯合ニュース

【釜山26日聯合ニュース】在日韓国人・朝鮮人に対する差別に抗議し日本で犯罪(金禧老事件)を起こし服務、1999年に韓国に永住帰国した権禧老(クォン・ヒロ)元受刑者が26日午前6時50分ごろ、釜山市内の病院で死去した。前立腺がんで闘病中だった。82歳。
在日韓国人2世の権さんは、1968年2月20日に静岡県で在日同胞を侮辱した暴力団員2人を銃殺した後、近くの旅館で宿泊客らを人質に約88時間にわたり立てこもった末に逮捕された。
権さんは当時、韓国人差別を告発するために事件を起こしたとして、日本の警察に謝罪を要求した。
1975年に無期懲役を言い渡されたが、韓国で権さん帰国運動が広がり、日本に再入国しないことを条件に1999年に仮釈放され、韓国に帰国した。
権さんは10日前、自身の釈放運動を主導してきた釜山の僧侶に対し、『刑務所で死ぬところだったのが、おかげさまで父の国で心安らかに死ねることになった』と感謝した後、遺骨の半分を故郷の釜山・影島の海にまき、残りは静岡県の母親の墓に埋めてほしいとの言葉を残したとされる。
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8 コメント

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安重根 (ましま)
2010-03-27 20:07:53
韓国が義士扱いするのは勝手ですが、彼は暗殺対象を間違った軽率なテロリストとだ思うのですがどうでしょう。
日本では殆ど報道されないが (逝きし世の面影)
2010-03-28 12:39:53
ましまさん、コメント有難うございます。

韓国では連日この伊藤博文暗殺犯を英雄視する報道が大一面で全ての既存のマスメディアが何回も繰り返していたようです。
近大中支持の新しく作られたリベラルなハンギョレ新聞以外の韓国の既存の三大紙の東亜、朝鮮、中央日報等は全て右寄りで、前ノムヒョン政権に批判的で、ハンナラ党の現李明博(イ・ミョンバク)大統領支持なのです。
歴史的に見れば、現政権党のハンナラ党は旧軍事政権の流れを汲む右翼保守政党なのですが、これが災いしているのでしょうか。?
世界的に見て基本的に右翼は国粋主義的で排外主義の傾向があり日本でも嫌韓、嫌中のネット右翼の例もあるが、歴代の軍事政権が殊更に隣の経済大国である日本に対する反感を煽っていた歴史があるようです。
日本国内とは正反対に、『日帝の35年間の植民地支配の悪行』とか『豊臣秀吉の朝鮮侵攻』なんかが、繰り返し繰り返し教育しているようですが、昔の歴史としてでなく今に続く『終わる事のない真実』として描かれているのでしょう。

韓国では、寸又峡事件の凶悪犯である金嬉老でさえ事件の時に『朝鮮人差別批判』を口にした為に一部では英雄視する人々もいたのですが、奇しくも伊藤博文暗殺犯の処刑日(韓国側の表記では)安重根(アン・ジュングン)義士殉国100年の当日と同じ26日に死んでいる。
まさか金嬉老が義士の一人にはならないと思いますが、反差別の標語の一つ(愛国者の一人)には為り得るほどにナショナリズムが高まっているが危険な兆候です。
日本側マスコミ報道では『借金返済を迫った暴力団幹部ら2人を射殺、ライフル銃やダイナマイトで武装し、同県寸又峡温泉の旅館に客ら13人を人質に籠城した劇場型犯罪』ですが、
韓国メディアの報道では、事件は出発点が違い『在日同胞を侮辱した暴力団員2人を銃殺』となっているし、『約88時間にわたり立てこもった』とか『韓国人差別を告発するために事件を起こしたとして、日本の警察に謝罪を要求した』とかの記述がある。
オーストリア帝国の皇太子をサラエボで暗殺して第一次世界大戦の引き金となったセルビア民族主義の一青年ガヴリロ・プリンツィプも、セルビア人の間の一部では英雄視して以前にはサラエボの暗殺現場には彼の足跡が刻まれていたらしいが、今でな無くなっているそうです。

『国の数だけ正義の数もある』と良く言われるが、それにしても日本の偏狭な右翼民族主義も恥ずかしいが、韓国は一部右翼民族主義者だけでなく、長らく自民党政権と親密な関係を持っていたハンナラ党の現政府までが関与しているところが問題点を大きくしているでしょう。
日韓の歴史教科書の関係者による日韓歴史共同研究・第2期報告書についての報道を読むと、日本側の関係者はあの『美しい国』の安倍晋三が人選しているので歴史を歪曲した右翼的な恥ずかしい発言が連発しているのですが、
対する韓国側もナショナリズムの優先がなんともはや。
有権者相手の政治家の演説ではなく子供に教える歴史の教科書なのですから、当然『日本』と表記すべきところを殊更意識的に『日帝』と政治的に表記しているのですよ。
日本が昔は『帝国』だったのは歴史的事実で間違いではないが、それなら大日本帝国か、あるいは日本帝国でしょう。
昔の左翼用語に米帝なる反アメリカの言葉があったが、韓国で常用される『日帝』も同じような政治的な思惑が感じられる。
最も近い隣国である韓国のナショナリズムの高揚は矢張り問題点は大きいでしょうが、面白い事に北朝鮮では南よりもよほど冷静で安重根は義士ではなく一人のテロリストとの評価のようです。
対して韓国では元々ソウル中区南山公園にあった安重根義士記念館が小さいとして市民の募金を募り建設される新しい記念館は地 下2階~地上2階に延面積3799平方メートル(1148坪)規模で安義士のハルビン駅義挙101周 忌の2010年10月26日完工を目標にしているそうですが、英雄視は弱まる動きはなく、日本の自民党に近いハンナラ党李明博(イ・ミョンバク)大統領の政権でますます強まっているのです。困った事ですね。
高校時代の先生に… (マトリックス)
2010-04-04 14:37:26
高校時代に学校で国語を習っていた先生に、天安門事件の時に大学生で中国の山東省の大学に留学していて、各国(ほとんどは東アジア)からの留学生がいる環境にいた先生から興味深い実際に体験した話を聞けました。北京から離れていて目撃したわけではないですが、現地の知人からの話によると、集まった学生ではなく、便乗して暴動を起こした人たちによって人民解放軍の兵士が焼き殺されたり、かなり騒然としていたようです(だからといって戦車を一般市民のいる中に突入させていいわけは絶対にありませんが)。各国からの留学生の内枠は、日本・韓国・北朝鮮・ロシア(正しくは当時のソ連)で、各国の政府ごとに安全の為に引き揚げの動きがある中、一番対応が遅く連絡がなかったのは自分の国の日本政府でショックを受けた体験だったと聞きました。韓国の学生が引き揚げ、一番遅いと予想した北朝鮮の学生が引き揚げ、後に崩壊する混乱期の前のソ連のロシア人学生が引き揚げ、結局騒ぎが鎮まり、落ち着いてから普通に戻ることになったと聞きました。留学生生活の中、知り合った韓国人学生に「一般の韓国人はメディアの反日の報道をやり過ぎだと感じている」と言われたそうです。それにしても日本人はマスコミの報道を疑わずにきたといえるでしょう。
21年前の天安門事件の意味するもの (逝きし世の面影)
2010-04-04 17:07:40
マトリックスさん、コメント有難うございます。

同一人物の、一人の安重根が見る角度によってさまざまに違って見られて、ある時、場面では正反対に描かれている。
其れにしても偏狭なナショナリズムとは恐ろしいものですが、海外や外国人が絡む問題を安易に日本的な一つの物差しだけを絶対の物差しで判断すると大間違いをする見本です。
近頃の悪い例では橋下知事とか中井大臣などの世論迎合お馬鹿発言は、トホホの極み。
小泉時代の、イラクのボランティア活動の3人が人質になったときの『自己責任』バッシングと違い、日本国内ではあるが外国人に対する民族差別と国際社会から認定されれば日本国の国益にとって大きなマイナス(汚点)になる。
朝鮮高校叩きは、7月の参議院選挙目当ての点数稼ぎ的な愚行です。
しかし産経報道などで右傾化した世論の影響で、民主党政権が4月時点で差別無く支給すれば間違いなく選挙結果に影響するでしょう。

21年前の天安門事件では中国→共産党のイメージなのでしょうか。?
事件直後に行われた日本の参議院選挙の投票で、中国共産党とは文化大革命の評価で中国共産党と激しく対立して断絶状態にあった日本共産党がこの事件で大打撃を受けて大きく敗北、後退するが、
日本共産党とは正反対に、日本の政党の中では中国共産党ともっとも親密だった日本社会党が大躍進する。
自民党をおさえて初めて第一党になるのです。
いわゆるマドンナ選挙と呼ばれている珍現象が起こるが、この後は政治改革の標語の下、小沢一郎にまんまと騙されて小選挙区制から政党助成金のインチキ改革。
細川連立から自民党との村山大連立の毒まんじゅを食って社会党支持者に呆れかえられて消滅する。
ただこの時の日本政府と中国との関係は、今では誤解している人は多いが(多分今でも同じだと思うが)日米同盟に次ぐ、准同盟関係だったのですよ。
天安門事件直後に民主化活動家の若者の一人が日本に中国の飛行機をハイジャックして亡命し様とした事件が発生したのですが、日本政府はハイジャック犯を直ちに逮捕して中国当局に引き渡していますが、この若者は日本と中国が密かに親密な同盟関係にあることを知らなかったらしい。
同盟国に亡命しようとしても絶対に無理で、発覚した場合には即座に本国に送り返されるのは、民主主義以前の世の中の決まり呉となのです。
この愚かな中国青年は選りによって自国と親密な日本国に亡命しようとして逮捕されるが、亡命を歓迎するのは敵対国か中立国だけなのです。
ですからこのときに日本政府が日本人の退避勧告を最後にしたとの情報は、ある意味では当然でもあるのです。
いざという時の態度 (マトリックス)
2010-04-08 04:18:17
緊急事態の時の態度・対応はその人間(あるいはその組織や国家)の本質や正体が最もあらわれる気がします。対応が遅いのは許せるとしても連絡がなかったのは頭にきたと思います。留学生の中で特に仲良くなったロシア人と北朝鮮の学生に一緒に国に戻らないか?と誘われたらしいです。ロシア人の学生によると、ウラジオストクの日本語学校の教師が足りないのを見つけたから仕事も含めていざとなったら長期的にも生活を保証できると言われたそうです。北朝鮮の学生は言うことがハンパなくて、自分は軍人の家庭でこのまま国に戻ったらエリートコースに着くから責任持って守る力があると言われたそうです。その話を授業の余った時間に聞いてたのですが、ある生徒から、「それってもしかしたら一種の拉致では?」と言われて、「日本人や外国人も含めて多くの学生がその話を知るわけだしそれは違うと思うけど行ったあと日本に戻りにくくなって行きはよいよい帰りは怖いになったかもね」と話していましたが、日本に帰国後も手紙のやり取りをしばらく続けて後に手紙によるとエリートコースに出世したらしいです。国防体育という授業があって、どういう授業かというと、ハードルを越えて網をくぐって普通の障害物競争かと思ったら最後に手榴弾(模型)を投げるなど、滅多に聴けない学生生活を教えてもらったそうです。
フルブライト留学生 (逝きし世の面影)
2010-04-08 15:57:12
明治時代のエリートは海外渡航組みが占めていたが、今の日本では海外留学した人が日本国のエリートキャリア官僚になるとか各種団体組織のエリートに自動的になることはありませんが、敗戦直後の1946年に作られたフルブライト奨学金による留学生はエリート中のエリート集団だったので、1960年代までのアメリカに留学した連中のほとんどは、日本とは大違いのアメリカの繁栄に目を奪われて全員がアメリカ命といって良いほど、殆ど全てがアメリカかぶれに人材に育て居るが、例外はべ兵連の小田実ぐらいなのです。
アメリカは日本とは違い、上手い金の使い方をするものですね。
ここに紹介されているロシアとか外貨事情の良くない北朝鮮からの留学生の話ですが、フルブライト留学生ほどではないにしても、ヤッパリ今でもその国のエリートなのでしょう。
今思えば (マトリックス)
2010-06-03 12:42:15
フルブライト留学生ではないですが、小学校の卒業時の学年の担任だった先生は、地元の国立大学を卒業した先生で、長期間という程長くはないですが、アメリカの大学に留学していた先生で、熱意のあるスポーツマンのいい先生でしたが、今、ジョージ・オーウェルの『1984年』などの本を読んだ上で、教育システムを潜在的な洗脳に本人が気付かぬうちに利用されているという視点から当時を思い返すと、英語をスラスラ話せて小学生だった自分は格好いい先生という印象を感じましたが、黒板の板書でよく漢字を間違えていた事が多く、歴史観というか歴史認識も江戸幕府を、黒船来航時に寺の釣り鐘を大砲に見せ掛けた話から時代の変化を気付けなかった政権という、司馬史観の認識だったようで、明治時代から日本の近現代の暗黒が始まったという真実には気付いていなかったようです。アメリカの支配層による戦後の日本の見えない植民地化に民族文化の破壊や歴史の改竄の進行と考えると、『1984年』の世界の怖さが、教育システムどころか社会構造から日本において完成されていたのではと昔の記憶から思い返されました。
プロクルステスの寝台 (逝きし世の面影)
2010-06-03 15:31:19
太平洋戦争中に、どれ程悲惨な勝てる見込みのない戦争でも降服しなかった日本兵の戦意の秘密を探っていたアメリカ軍は、戦勝後に日本を占領して原因を調べたのですが調査の結果、その秘密とは小さい時からの戦意高揚のための死ぬ事を厭わない日本の義務教育だったとの結論に至ったのです。
世界中に何処の国でも右翼や国粋主義はあるし、何処の国でも古臭く愚かしい主張をしている連中はいるのですが、日本の右翼の例のように自国の教職員組合の集会を組織的に妨害するなどの愚かしい行為に走る国は日本以外唯の一つの例も無い。
右翼は国粋主義なので普通自国以外の他国(隣国)が大概嫌いなのですから、隣の国の教職員組合の妨害するなら十分真理は分かるが、自国の子供が可愛いならそんな馬鹿馬鹿しい妨害は出来ません。
だから何処の国でも誰もやらないのです。
それにしても日本の右翼の心象風景は禍々しいですね。
大日本帝国がいくら好きだったとしても、いくら何でも歴史の針は逆には回らない。『今を昔に帰す』ことは教員であれ、右翼であれ、誰にも出来ません。

唯困った事に、教員側の一方でも教育者は聖職だと勘違いしている人は多いですね。
教育者とは科学者のように客観的真理を探究する(疑う)のが目的ではなく、『既存の知識という名の枠』に子供達を無理やりはめ込むの仕事で、実はプロクルステスの寝台と同じような汚い仕事なのです。
ギリシャ神話にでてくるプロクルステスはアテーナイへの街道筋に住んでいた強盗で、捕まえた旅人を自分のベッドに無理やりに寝かせ、旅人の身長が短すぎるときには無理やり引き延ばし、ベッドが短すぎると足を切り落としてベッドに合わせたという悪党です。

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「にゃ~2」さまとの出会い その21 (^_^;) (Die Weblogtagesschau laut dem Kaetzchen)
 久しぶりの,野良猫の「にゃ~2」の話題です.と言っても,今日はかったるいので,他にないのですが(自爆)  んで,「にゃ~2」は先日,茶トラのオス猫にしっぽの根元を食いちぎられまして,かなりダメージを受けてしまいました.てな訳で,また捕獲して簡単な縫合...
NO.1462 足利事件再審判決 菅谷さんは18年分の笑顔を取り戻せるのだろうか・・・? (大脇道場)
 「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半もの間、自由を奪う結果になったことを裁判官として申し訳なく思う。」  足利事件...