読売新聞2012年1月7日朝刊の文化欄に「昭和時代 第1部30年代(1955〜64年)」に「『生きるため』から『楽しむ』食へ」と言うタイトルで昭和30年代の食についての新聞紙1面の特集があった。(土曜日の特集のようです)
前説に
「生活激変(上)
高度成長期に日本人の生活は、がらりと変貌する。とくに食生活では、コメ離れの兆しが出る一方、洋食や中華料理も食卓にのぼるようになり、「生きるための食」から、おかず中心の「楽しむための食」への転換が進んだ。インスタントラーメンをはじめ、短期間で調理できる加工食品が相次いで登場したのも、この時期のことである。」
とあります。
私は、この短い文章の中にも異論があります。読売新聞という公共性があるメディアでは真実は書けないと言う制約はあると思いますが、しかし、個人の立ち場の私は資料に基づき真実を伝えたいと思ってこのブログを書いています。(これから書くことは過去書いたことがあるものですが、読売新聞の記事をきっかけにその記事を読みつつ意見を書きたいと考えます。)
1.「高度成長期に日本人の生活は、がらりと変貌する」と有りますが、こういう言葉では自然の成り行きで食生活が変わったかのような誤解を国民に与えます。
変貌したのではなく、或るアメリカの戦略の下にアメリカの農産物を日本人に食べさせようとする政策が行われたのです。日本の食事は行けないものだと教育して、アメリカの食事が良いものだという意識を、食習慣を日本人に刷り込んだのです。アメリカが自国の余剰農産物を日本に売り込むために、マインドコンロロールをしたのです。
2.一国の食事がこのように半ば強制的に変更されたことは歴史上無いと言われています。その理不尽なことをアメリカは行い、それを何故か日本の政治家や官僚は率先して行ったのです。どういう事やったのかと言うと牛に肉を食わないからライオンみたいに王者になれないのだ、と言って牛に肉を食うことを教育したのです。
3.「なーぜ、どうしてー、どのように」(寛平風に言ってください)それをこのブログでは書いてきているのです。
その一部を書き出しますと
「公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”首相特命の極秘プロジェクトー2 2010-08-30 16:51:39 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”首相特命の極秘プロジェクトー1 2010-08-28 08:49:14 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」“余剰農産物小麦を売り込め”―「PL480」の成立 2010-08-25 19:03:17 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」余剰農産物小麦を売り込めー日本視察団―訪問国の全般的印象 2010-08-23 20:21:08 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”ー大統領特命の日本視察団 2010-08-21 22:58:18 食事教育 文化 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”野ざらしの余剰農産物小麦 2010-08-19 16:05:15 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”ーアメリカ農務省―2 2010-08-17 22:49:10 」
4.新聞紙の下欄に語句の説明欄(クリックボード)がありました。
そこに「余剰農産物協定」という語句が説明されています。
新聞の説明を転記します。「1955年5月に日米間で交わされた協定。日本は小麦を中心とした米国の余剰農産物360億円相当を受け入れる(うち、55億円相当は日本の学校給食枝の贈与)。代金は日本円で日本銀行の米国口座に預けられ、その70%は米国から日本への借款とし、30%は米側が使うという内容。56年には第2次協定も締結された。日本は貴重な外貨を使わずに大量の食料を輸入し、しかもその代金を借りて、愛知用水などの開発に使うことができた。キッチンカーの資金は、小麦市場開拓のため、米側使用分から支出された。」
と言う内容です。
この説明の中にも沢山の問題点、説明すべき点が有ります。
何の目的で誰がどのように行ったのか、その結果はどうだったのか・・・と言うことが大切です。それが上記に示したブログの記事「食糧と外貨の一挙両得」を読んでいただくとして、アメリカは余剰農産物を売るために罠を仕掛けたのです。
5.アメリカの余剰農産物とは何かが先ず問題です。第二次大戦中アメリカは連合国の食糧を供給してきました。終戦とともに輸出が出来なくなり、復員兵は戻ってきて農業をする・・・そこに農産物が過剰生産されたのです。もともと農産物というものはどんどん生産され過剰化すると言われています。それが、輸出先が無くなり生産量は増加すると言うことで、需要を遙かに超えた生産が行われ、アメリカの小麦、トウモロコシは保管する倉庫はなく、廃船に入れたり、貨車に入れたり・・・それでも入れるところがなくなって野積みするほどでした。この余剰農産物をどうするかということは時の大統領アイゼンハワーにとっては重大問題でした。
6.その余剰農産物をどのようにして輸出するのか。それが「余剰農産物小麦を売り込め”ーアメリカ農務省」「余剰農産物小麦を売り込めー日本視察団」で分かります。
そして、アメリカという国は戦略の国なのです。罠をかけて騙す国です。どういう罠をかけたのか、それは日本が欲しがっているものは何かと言うことです。欲しいもの「お金」です。その当時吉田首相は人気が落ち目でした。何とか政権維持をしたいと考えたのです。そのためには「資金」が必要でした。その資金はどうしたら借り入れられるか・・・そこの所をアメリカは良く知っていました。
7.アメリカは余剰農産物を買うと「その70%は米国から日本への借款とし、30%は米側が使うという内容」を提示したのです。アメリカから小麦を買うと、その代金の70%が日本の復興資金として使えるのです。この資金ほしさに日本は見境無く小麦の輸入をしたのです。
輸入した小麦がどうなるのかも考えずに・・・、確かに当時も日本は食糧不足気味ではありました。農水大臣などは「俺が努力してアメリカと交渉して無利子の資金と食糧を確保したのだ」と堂々と自慢していました。
だが、これが罠だったと言うことは、政府も官僚も言いません。ましてや読売新聞も言わないのです。(読売新聞はアメリカの御用新聞と言われています。アメリカからの原発導入も読売新聞がキャンペーンして仕組んだことです。日中に戦争も読売が新聞の売り上げを増やすために仕組んだのです。)
どういう罠なのか・・・一冊の本を書かねばならなくなりますが・・・先ず関税とは何でしょう。TPPは関税を無くす事と言われています。何かを守るために関税が儲けられているのです。
日本のお米、不足気味で生産者は如何に収量を増やすか研究していました。沼や湖を埋め立てたり、山林を開墾したり農地も増やしていました。諫早湾埋め立てだって八郎潟埋め立てだって、愛知用水だって、お米の生産を増やすための事業だったのです。
8.そんな中に多量の小麦が入ってきたのです。
米価闘争も行われていました。政府は輸入した小麦を売らなければ資金が作れません。
本来ならば、安い小麦は日本の農業をお米を破壊すると小麦の輸入を制限しなければならない政府・官僚は率先して、アメリカ人であるかのように日本人に小麦を進めたのです。官民一体で粉食奨励を行ったのです。
「高度成長期に日本人の生活は、がらりと変貌する。とくに食生活では、コメ離れの兆しが出る」と言うような書き方だ良くも出来るものだと考えます。
だが、アメリカCIAと言われている読売新聞、アメリカの罠で粉食奨励が行われ日本人のコメが小麦に変えられたとは書かないでしょう。その点赤旗だったら書くかも知れませんが・・・
9.「洋食や中華料理も食卓にのぼるようになり」・・・とのんきに書いていますが、
洋食というのはバター、肉、卵、牛乳、等の畜産物を多く使う食事に事です。これらの食料のもとは何でしょうか。穀物です。アメリカの余剰農産物です。アメリカは余剰農産物を日本に売り込むもう一つのルート、日本人に洋食、中華食を食べさせることをしたのです。
牛肉1キロは10キロの穀物を必要とする。日本人に畜産物を多く食べさせると、アメリカの農産物が輸出出来るのです。日本人の健康がおかしくなると言うことは言っていた人達もいますが、肉や油のおいしさにかき消され、日本人は食の欧米化を進めたのです。
10.私はその畜産を広める仕事を15年ほどして、次にコメの販売に関わる仕事を定年までしたのです。
畜産を担当しているときは、今思うと何故そう考えたのか分かりませんが、日本人はもっと牛乳を人で肉を食べるべきだと考えたものです。大きな誤りを犯した思いでいます。
11.「「生きるための食」から、おかず中心の「楽しむための食」への転換が進んだ。インスタントラーメンをはじめ、短期間で調理できる加工食品が相次いで登場したのも、この時期のことである」と記事にあります。日本人は楽しみに走って、おいしい料理(それは肉、油脂、砂糖が多い料理になっていませんか?)は生きる力をそぐ料理だったのです。ですから楽しむ料理を追求して日本人は生きる力を失ってきていると考えるのです。インスタントラーメンですって?おいしいのは認めます。しかし、小麦を粉砕して、塩を入れてめんにして、だし汁に入れて、野菜肉をちょろっといれて、つるつるとすすり込む。中国人だってそんな食事をしていません。健康に良いわけ有りません。生きる力は育ちません。
12.もし、私が官僚だったら、吉田首相は資金に目がくらんで多量に輸入した小麦、それは国内で早急に消費しないといけないでしょう。「米は食べるな小麦を食べろ」そういうキャンペーンを仕事柄展開したでしょう。
小麦とコメを比較して、「日本人は、東洋人は・・・コメ食う民族はコメを食べているからうすのろで頭が悪いのだ。頭を良くしたければ小麦を食べろ」と栄養指導をするトップ、厚生省栄養課長は真剣に考えたのです。
それについて私のブログから転記します
「国は何故小麦を勧めたのか
日本の国の厚生省の役人・官僚が日本人には米より小麦の方がよいと本当に考えたのです。
その原因を探ります。
(鈴木猛夫著「学校給食の裏面史 アメリカの小麦戦略」より要約抜粋)
「大昔、米が伝来した頃の米の食べ方は玄米か少しきねでついた分づき米でした。長い間、でんぷん質である乳胚と糠と胚芽がを一緒に食べていましたが、奈良・平安時代になると玄米をより白く搗いて白米にして食べる習慣が一部上流階級で流行しました。その結果脚気が流行し、原因が分からないまま長く悩まされていました。
江戸時代になると江戸、大阪等の都市部の庶民階級にまで白米の常食が広まり脚気が流行し深刻な事態となりました。
明治時代中頃になると精米機の登場で米は更に精米され糠と胚芽が全くない状態ななりました。この白米食が全国的に広まり、脚気と結核が二大国民病と言われたほど患者が多くなりました。年間の死者が1〜2万人となり、明治政府も対策に苦慮しました。
脚気の原因が研究され、鈴木梅太郎さん達の努力で胚芽に含まれるビタミンB1の不足によって発病することが分かりました。
(このビタミン類は欠乏するといろんな病気を引き起こすので、いろんなビタミンが病気との関連で発見されたと言うものが多いのです。現代の豊富な食料を摂取しているとビタミン・ミネラルの不足は起きにくいのですが、インスタントラーメンにコーラ、チョコと言うような食事では現代版脚気、そして結核も増えつつあると言われています。昔は食物繊維は不要なものと考えられていましたが、現代では重要な栄養と分かっています。これが昔分かっていたら玄米への考え方も変わっていたことでしょう。私は玄米が美味しいと思います。拙稿「玄米のすすめ」)
そこで米をどうするかと言うことになり主食論争が起きたのです。七分づき米だ、胚芽米だ、玄米だ、と三つ巴の大論争の末、昭和14年に7分づき米が法定米に決まりました。
所がどういう分けか戦後の法定米が白米となったのです。
戦後の食糧不足時代に厚生省は栄養課を新設し初代課長に胚芽米論者の有本邦太郎氏、課長補佐に7分づき米論者の大磯俊男氏を迎えました。その中で法定米をどうするかとなったとき議論が分かれ、そこで胚芽米でなく分づき米でない白米が法定米に決まったと推定されています。
つまり課長と課長補佐に意見が一致しないのでそのどちらでもない栄養的に問題と考えられた白米になったのです。
さて、白米はそればっかりたべるとビタミン不足となります。どの食品もばっかりしょくでは栄養のバランスが良くないのでいろいろ食べることが必要ですが、穀類は、穀類に限らず何物も丸ごと食べることが大切です。魚も刺身は白米に近い肉だけでおいしいところですが、頭も尻尾も骨も丸ごと食べるのがいろんな栄養をとれて良いのです。
小麦粉はどうなっているかというと小麦を丸のまま粉砕し、ふるいにかけて粉をとりだすので、残ったのはフスマといいます。小麦粉は胚芽も入りますがポストハーベスト(収穫後の小麦に防虫、防かび用の農薬をかけること)の農薬も一緒に粉砕することになります。輸入小麦は特に保管、輸送に日時を要しますので農薬はかかせないでしょう。輸入の米についてもそれを取り出して穀象虫を入れておくと虫が死ぬと言うことです。)
ですからビタミン的には胚芽のビタミンは粉の中に入っていますので、パンは脚気にならないといわれています。多分海軍だったと思いますが、海軍はイギリスから戦術を学びましたのでパン食をして脚気にならなかった。陸軍は戦術をフランスから学び、主食は白米にしたので脚気が問題だったと記憶しています。
こういうこともあってか、厚生省は日本人の主食は米でなく小麦とすべきと考えたようです。
これが学校給食のパン食をはじめ以後の粉食奨励へと発展して行きます。
白米が問題ならば7分つき米と決まった法定米を出せばよかったのです。
もし白米がビタミンB1が足りないなら、おかずで補えばいいのではないでしょうか。
それを米はダメだと決めつけた。厚生省は今日の穀物自給率の世界最低ランクをランクを招いた大きな責任があります。
今、世界中で一番生産されている米、日本も水と気候に恵まれて適地で瑞穂の国と言われている国、2500年の歴史を持つ日本人の主食だった米を破棄させる指導が正しいのでしょうか。
そして、白米では脚気になると言うことでアメリカから小麦を輸入し主食とすることが正しいのでしょうか。
課長補佐だった大磯俊男氏は後に課長になり、昭和28年から38年の長きにわたって日本の米排斥運動になる粉食奨励に力を入れて行くことになるのです。
その後国立栄養研究所所長になり日本の食の欧米化を推進して行くことになり今日の食の欧米化の元を構築し、今日本ではその食の欧米化で苦しんでいるのです。
参考:続・米たたき【食の欧米化はこうして作られた!(8)】
13.ミスリードされた日本の食と言わざるを得ません。
ではどうすべきか。日本人にとっての正しい食事はどうなのかを考えることだと思うのです。
このブログはそれに挑戦しています。
最初の方から読んでみてください。
前説に
「生活激変(上)
高度成長期に日本人の生活は、がらりと変貌する。とくに食生活では、コメ離れの兆しが出る一方、洋食や中華料理も食卓にのぼるようになり、「生きるための食」から、おかず中心の「楽しむための食」への転換が進んだ。インスタントラーメンをはじめ、短期間で調理できる加工食品が相次いで登場したのも、この時期のことである。」
とあります。
私は、この短い文章の中にも異論があります。読売新聞という公共性があるメディアでは真実は書けないと言う制約はあると思いますが、しかし、個人の立ち場の私は資料に基づき真実を伝えたいと思ってこのブログを書いています。(これから書くことは過去書いたことがあるものですが、読売新聞の記事をきっかけにその記事を読みつつ意見を書きたいと考えます。)
1.「高度成長期に日本人の生活は、がらりと変貌する」と有りますが、こういう言葉では自然の成り行きで食生活が変わったかのような誤解を国民に与えます。
変貌したのではなく、或るアメリカの戦略の下にアメリカの農産物を日本人に食べさせようとする政策が行われたのです。日本の食事は行けないものだと教育して、アメリカの食事が良いものだという意識を、食習慣を日本人に刷り込んだのです。アメリカが自国の余剰農産物を日本に売り込むために、マインドコンロロールをしたのです。
2.一国の食事がこのように半ば強制的に変更されたことは歴史上無いと言われています。その理不尽なことをアメリカは行い、それを何故か日本の政治家や官僚は率先して行ったのです。どういう事やったのかと言うと牛に肉を食わないからライオンみたいに王者になれないのだ、と言って牛に肉を食うことを教育したのです。
3.「なーぜ、どうしてー、どのように」(寛平風に言ってください)それをこのブログでは書いてきているのです。
その一部を書き出しますと
「公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”首相特命の極秘プロジェクトー2 2010-08-30 16:51:39 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”首相特命の極秘プロジェクトー1 2010-08-28 08:49:14 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」“余剰農産物小麦を売り込め”―「PL480」の成立 2010-08-25 19:03:17 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」余剰農産物小麦を売り込めー日本視察団―訪問国の全般的印象 2010-08-23 20:21:08 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”ー大統領特命の日本視察団 2010-08-21 22:58:18 食事教育 文化 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”野ざらしの余剰農産物小麦 2010-08-19 16:05:15 食事教育 政治 0 0
公開 「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”ーアメリカ農務省―2 2010-08-17 22:49:10 」
4.新聞紙の下欄に語句の説明欄(クリックボード)がありました。
そこに「余剰農産物協定」という語句が説明されています。
新聞の説明を転記します。「1955年5月に日米間で交わされた協定。日本は小麦を中心とした米国の余剰農産物360億円相当を受け入れる(うち、55億円相当は日本の学校給食枝の贈与)。代金は日本円で日本銀行の米国口座に預けられ、その70%は米国から日本への借款とし、30%は米側が使うという内容。56年には第2次協定も締結された。日本は貴重な外貨を使わずに大量の食料を輸入し、しかもその代金を借りて、愛知用水などの開発に使うことができた。キッチンカーの資金は、小麦市場開拓のため、米側使用分から支出された。」
と言う内容です。
この説明の中にも沢山の問題点、説明すべき点が有ります。
何の目的で誰がどのように行ったのか、その結果はどうだったのか・・・と言うことが大切です。それが上記に示したブログの記事「食糧と外貨の一挙両得」を読んでいただくとして、アメリカは余剰農産物を売るために罠を仕掛けたのです。
5.アメリカの余剰農産物とは何かが先ず問題です。第二次大戦中アメリカは連合国の食糧を供給してきました。終戦とともに輸出が出来なくなり、復員兵は戻ってきて農業をする・・・そこに農産物が過剰生産されたのです。もともと農産物というものはどんどん生産され過剰化すると言われています。それが、輸出先が無くなり生産量は増加すると言うことで、需要を遙かに超えた生産が行われ、アメリカの小麦、トウモロコシは保管する倉庫はなく、廃船に入れたり、貨車に入れたり・・・それでも入れるところがなくなって野積みするほどでした。この余剰農産物をどうするかということは時の大統領アイゼンハワーにとっては重大問題でした。
6.その余剰農産物をどのようにして輸出するのか。それが「余剰農産物小麦を売り込め”ーアメリカ農務省」「余剰農産物小麦を売り込めー日本視察団」で分かります。
そして、アメリカという国は戦略の国なのです。罠をかけて騙す国です。どういう罠をかけたのか、それは日本が欲しがっているものは何かと言うことです。欲しいもの「お金」です。その当時吉田首相は人気が落ち目でした。何とか政権維持をしたいと考えたのです。そのためには「資金」が必要でした。その資金はどうしたら借り入れられるか・・・そこの所をアメリカは良く知っていました。
7.アメリカは余剰農産物を買うと「その70%は米国から日本への借款とし、30%は米側が使うという内容」を提示したのです。アメリカから小麦を買うと、その代金の70%が日本の復興資金として使えるのです。この資金ほしさに日本は見境無く小麦の輸入をしたのです。
輸入した小麦がどうなるのかも考えずに・・・、確かに当時も日本は食糧不足気味ではありました。農水大臣などは「俺が努力してアメリカと交渉して無利子の資金と食糧を確保したのだ」と堂々と自慢していました。
だが、これが罠だったと言うことは、政府も官僚も言いません。ましてや読売新聞も言わないのです。(読売新聞はアメリカの御用新聞と言われています。アメリカからの原発導入も読売新聞がキャンペーンして仕組んだことです。日中に戦争も読売が新聞の売り上げを増やすために仕組んだのです。)
どういう罠なのか・・・一冊の本を書かねばならなくなりますが・・・先ず関税とは何でしょう。TPPは関税を無くす事と言われています。何かを守るために関税が儲けられているのです。
日本のお米、不足気味で生産者は如何に収量を増やすか研究していました。沼や湖を埋め立てたり、山林を開墾したり農地も増やしていました。諫早湾埋め立てだって八郎潟埋め立てだって、愛知用水だって、お米の生産を増やすための事業だったのです。
8.そんな中に多量の小麦が入ってきたのです。
米価闘争も行われていました。政府は輸入した小麦を売らなければ資金が作れません。
本来ならば、安い小麦は日本の農業をお米を破壊すると小麦の輸入を制限しなければならない政府・官僚は率先して、アメリカ人であるかのように日本人に小麦を進めたのです。官民一体で粉食奨励を行ったのです。
「高度成長期に日本人の生活は、がらりと変貌する。とくに食生活では、コメ離れの兆しが出る」と言うような書き方だ良くも出来るものだと考えます。
だが、アメリカCIAと言われている読売新聞、アメリカの罠で粉食奨励が行われ日本人のコメが小麦に変えられたとは書かないでしょう。その点赤旗だったら書くかも知れませんが・・・
9.「洋食や中華料理も食卓にのぼるようになり」・・・とのんきに書いていますが、
洋食というのはバター、肉、卵、牛乳、等の畜産物を多く使う食事に事です。これらの食料のもとは何でしょうか。穀物です。アメリカの余剰農産物です。アメリカは余剰農産物を日本に売り込むもう一つのルート、日本人に洋食、中華食を食べさせることをしたのです。
牛肉1キロは10キロの穀物を必要とする。日本人に畜産物を多く食べさせると、アメリカの農産物が輸出出来るのです。日本人の健康がおかしくなると言うことは言っていた人達もいますが、肉や油のおいしさにかき消され、日本人は食の欧米化を進めたのです。
10.私はその畜産を広める仕事を15年ほどして、次にコメの販売に関わる仕事を定年までしたのです。
畜産を担当しているときは、今思うと何故そう考えたのか分かりませんが、日本人はもっと牛乳を人で肉を食べるべきだと考えたものです。大きな誤りを犯した思いでいます。
11.「「生きるための食」から、おかず中心の「楽しむための食」への転換が進んだ。インスタントラーメンをはじめ、短期間で調理できる加工食品が相次いで登場したのも、この時期のことである」と記事にあります。日本人は楽しみに走って、おいしい料理(それは肉、油脂、砂糖が多い料理になっていませんか?)は生きる力をそぐ料理だったのです。ですから楽しむ料理を追求して日本人は生きる力を失ってきていると考えるのです。インスタントラーメンですって?おいしいのは認めます。しかし、小麦を粉砕して、塩を入れてめんにして、だし汁に入れて、野菜肉をちょろっといれて、つるつるとすすり込む。中国人だってそんな食事をしていません。健康に良いわけ有りません。生きる力は育ちません。
12.もし、私が官僚だったら、吉田首相は資金に目がくらんで多量に輸入した小麦、それは国内で早急に消費しないといけないでしょう。「米は食べるな小麦を食べろ」そういうキャンペーンを仕事柄展開したでしょう。
小麦とコメを比較して、「日本人は、東洋人は・・・コメ食う民族はコメを食べているからうすのろで頭が悪いのだ。頭を良くしたければ小麦を食べろ」と栄養指導をするトップ、厚生省栄養課長は真剣に考えたのです。
それについて私のブログから転記します
「国は何故小麦を勧めたのか
日本の国の厚生省の役人・官僚が日本人には米より小麦の方がよいと本当に考えたのです。
その原因を探ります。
(鈴木猛夫著「学校給食の裏面史 アメリカの小麦戦略」より要約抜粋)
「大昔、米が伝来した頃の米の食べ方は玄米か少しきねでついた分づき米でした。長い間、でんぷん質である乳胚と糠と胚芽がを一緒に食べていましたが、奈良・平安時代になると玄米をより白く搗いて白米にして食べる習慣が一部上流階級で流行しました。その結果脚気が流行し、原因が分からないまま長く悩まされていました。
江戸時代になると江戸、大阪等の都市部の庶民階級にまで白米の常食が広まり脚気が流行し深刻な事態となりました。
明治時代中頃になると精米機の登場で米は更に精米され糠と胚芽が全くない状態ななりました。この白米食が全国的に広まり、脚気と結核が二大国民病と言われたほど患者が多くなりました。年間の死者が1〜2万人となり、明治政府も対策に苦慮しました。
脚気の原因が研究され、鈴木梅太郎さん達の努力で胚芽に含まれるビタミンB1の不足によって発病することが分かりました。
(このビタミン類は欠乏するといろんな病気を引き起こすので、いろんなビタミンが病気との関連で発見されたと言うものが多いのです。現代の豊富な食料を摂取しているとビタミン・ミネラルの不足は起きにくいのですが、インスタントラーメンにコーラ、チョコと言うような食事では現代版脚気、そして結核も増えつつあると言われています。昔は食物繊維は不要なものと考えられていましたが、現代では重要な栄養と分かっています。これが昔分かっていたら玄米への考え方も変わっていたことでしょう。私は玄米が美味しいと思います。拙稿「玄米のすすめ」)
そこで米をどうするかと言うことになり主食論争が起きたのです。七分づき米だ、胚芽米だ、玄米だ、と三つ巴の大論争の末、昭和14年に7分づき米が法定米に決まりました。
所がどういう分けか戦後の法定米が白米となったのです。
戦後の食糧不足時代に厚生省は栄養課を新設し初代課長に胚芽米論者の有本邦太郎氏、課長補佐に7分づき米論者の大磯俊男氏を迎えました。その中で法定米をどうするかとなったとき議論が分かれ、そこで胚芽米でなく分づき米でない白米が法定米に決まったと推定されています。
つまり課長と課長補佐に意見が一致しないのでそのどちらでもない栄養的に問題と考えられた白米になったのです。
さて、白米はそればっかりたべるとビタミン不足となります。どの食品もばっかりしょくでは栄養のバランスが良くないのでいろいろ食べることが必要ですが、穀類は、穀類に限らず何物も丸ごと食べることが大切です。魚も刺身は白米に近い肉だけでおいしいところですが、頭も尻尾も骨も丸ごと食べるのがいろんな栄養をとれて良いのです。
小麦粉はどうなっているかというと小麦を丸のまま粉砕し、ふるいにかけて粉をとりだすので、残ったのはフスマといいます。小麦粉は胚芽も入りますがポストハーベスト(収穫後の小麦に防虫、防かび用の農薬をかけること)の農薬も一緒に粉砕することになります。輸入小麦は特に保管、輸送に日時を要しますので農薬はかかせないでしょう。輸入の米についてもそれを取り出して穀象虫を入れておくと虫が死ぬと言うことです。)
ですからビタミン的には胚芽のビタミンは粉の中に入っていますので、パンは脚気にならないといわれています。多分海軍だったと思いますが、海軍はイギリスから戦術を学びましたのでパン食をして脚気にならなかった。陸軍は戦術をフランスから学び、主食は白米にしたので脚気が問題だったと記憶しています。
こういうこともあってか、厚生省は日本人の主食は米でなく小麦とすべきと考えたようです。
これが学校給食のパン食をはじめ以後の粉食奨励へと発展して行きます。
白米が問題ならば7分つき米と決まった法定米を出せばよかったのです。
もし白米がビタミンB1が足りないなら、おかずで補えばいいのではないでしょうか。
それを米はダメだと決めつけた。厚生省は今日の穀物自給率の世界最低ランクをランクを招いた大きな責任があります。
今、世界中で一番生産されている米、日本も水と気候に恵まれて適地で瑞穂の国と言われている国、2500年の歴史を持つ日本人の主食だった米を破棄させる指導が正しいのでしょうか。
そして、白米では脚気になると言うことでアメリカから小麦を輸入し主食とすることが正しいのでしょうか。
課長補佐だった大磯俊男氏は後に課長になり、昭和28年から38年の長きにわたって日本の米排斥運動になる粉食奨励に力を入れて行くことになるのです。
その後国立栄養研究所所長になり日本の食の欧米化を推進して行くことになり今日の食の欧米化の元を構築し、今日本ではその食の欧米化で苦しんでいるのです。
参考:続・米たたき【食の欧米化はこうして作られた!(8)】
13.ミスリードされた日本の食と言わざるを得ません。
ではどうすべきか。日本人にとっての正しい食事はどうなのかを考えることだと思うのです。
このブログはそれに挑戦しています。
最初の方から読んでみてください。









