「光陰矢のごとし」とはよく言ったもので、今年もあっという間に終わってしまいます。
子供のころは、決して裕福とは言えない家庭で生まれて、父はかなり問題のある人で、よく星一徹になりました。
それでも、母の深い愛情に育まれて育ちましたので、道をそれることなく大人になることが出来ました。
父は、今でいうDVに近い状況でしたから、私は少しでも早く一人前になって、父から家族を守るのだと思っていました。
看護師になりたかったのも、ただ好きと言うだけではなく、何があっても自活できるということがあったかもしれません。
実際看護学校に入ると、奨学金まで家庭に送金している子もいて、そういう背景を持っている人が少なからずいる事がわかりました。
だからいつも夢を見ていました。
子供のころは、母と弟を連れて家を出て、私が生活を支えるのだということ。
結局は、父は私が看護学校を出るころに、心筋梗塞を発症して、ほとんど寝つくようになってしまいましたし、弟が早く結婚して、両親と暮らしてくれたため、私ひとり寮生活をすることとなりました。
看護学校も、大学病院も横浜の南区にある中村川沿いにあって、私の青春は横浜の街にあったような気がします。
合コンやディスコやカラオケスナック、スキーやダイビング・・・遊びましたよ〜
いろんなことをしましたが、一人でいる事がすごくさみしくなって、失恋も何回かして、穏やかな結婚生活にすごくあこがれました。
結局、29歳で苦しい別れをした後で、一年後今の夫と知り合い結婚したわけですが、今度は母親になりたくて病院通いもしました。
それから、転勤しながら子育てをして、夫の仕事の不調やらバブルの崩壊やらで、転職のため横浜の夫の家に入りました。
最初の何年かは、いわゆる嫁と姑の問題で離婚まで考えたこともありましたが、石の上にも3年、時とともに歯車がうまく回るようになってきました。
赤の他人がいきなり一緒に暮らすことになるのですから、それはしょうがないことですよね。
おかげさまで、訪問看護でも嫁と姑の間で、けっこううまく立ち回れるようになりました。
そして、パートだった私がステーション内のゴタゴタで常勤にになり、なぜか管理者になってしまったわけですが、そこでもいろんなことを勉強しました。
本当に裏表の人っているんだということがわかりました。
こっちを向いて歯の浮くようなことを言っていた人が、後ろを向いて舌を出す姿をはっきりと見られたのは(その時ははらわた煮えくり返る思いでしたが)今となってはいい人生経験になりました。
そういうたぐいの人は、自分の安全圏を確保するために、とりあえず気に入った人、これはつかえると思った人を、上手に懐柔して取り巻きを作ってから、今度は一転気に入らない人を追い出しにかかります。
その手口の鮮やかさに唖然としましたが、世の中はそんなに甘くはなく、結局彼女は去って行きました。
それからは、常勤5人態勢となって、死に物狂いで頑張りました。
スタッフ全員の、ぜったいにステーションを良くするんだという思いが、今のステーションにつながりました。
話せばこんな短い話です。
人間の一生なんて、ただの点にすぎない・・ってよく言いますよね。
こうして、これからもあっという間に過ぎていくのでしょうね。
この先、自分に残された時間は、あとどれくらいなのか、考えたことがありますか?
これから、何が出来て何を残して、どんなふうに死んでいくのか、考えるとちょっと怖くもなります。
恐れを抱かず、何もかも受け入れて死んで行くなんてことは、私には出来そうもありません。
そんな私が、看取りをしているなんて、申し訳ない気もします。
でも、どこかでそのために必要な何かを、得る事が出来るかもしれませんよね。
来年、どんな年になるのかな?
でも、結局いつもの毎日が始まるだけなんですよね。
子供のころは、決して裕福とは言えない家庭で生まれて、父はかなり問題のある人で、よく星一徹になりました。
それでも、母の深い愛情に育まれて育ちましたので、道をそれることなく大人になることが出来ました。
父は、今でいうDVに近い状況でしたから、私は少しでも早く一人前になって、父から家族を守るのだと思っていました。
看護師になりたかったのも、ただ好きと言うだけではなく、何があっても自活できるということがあったかもしれません。
実際看護学校に入ると、奨学金まで家庭に送金している子もいて、そういう背景を持っている人が少なからずいる事がわかりました。
だからいつも夢を見ていました。
子供のころは、母と弟を連れて家を出て、私が生活を支えるのだということ。
結局は、父は私が看護学校を出るころに、心筋梗塞を発症して、ほとんど寝つくようになってしまいましたし、弟が早く結婚して、両親と暮らしてくれたため、私ひとり寮生活をすることとなりました。
看護学校も、大学病院も横浜の南区にある中村川沿いにあって、私の青春は横浜の街にあったような気がします。
合コンやディスコやカラオケスナック、スキーやダイビング・・・遊びましたよ〜
いろんなことをしましたが、一人でいる事がすごくさみしくなって、失恋も何回かして、穏やかな結婚生活にすごくあこがれました。
結局、29歳で苦しい別れをした後で、一年後今の夫と知り合い結婚したわけですが、今度は母親になりたくて病院通いもしました。
それから、転勤しながら子育てをして、夫の仕事の不調やらバブルの崩壊やらで、転職のため横浜の夫の家に入りました。
最初の何年かは、いわゆる嫁と姑の問題で離婚まで考えたこともありましたが、石の上にも3年、時とともに歯車がうまく回るようになってきました。
赤の他人がいきなり一緒に暮らすことになるのですから、それはしょうがないことですよね。
おかげさまで、訪問看護でも嫁と姑の間で、けっこううまく立ち回れるようになりました。
そして、パートだった私がステーション内のゴタゴタで常勤にになり、なぜか管理者になってしまったわけですが、そこでもいろんなことを勉強しました。
本当に裏表の人っているんだということがわかりました。
こっちを向いて歯の浮くようなことを言っていた人が、後ろを向いて舌を出す姿をはっきりと見られたのは(その時ははらわた煮えくり返る思いでしたが)今となってはいい人生経験になりました。
そういうたぐいの人は、自分の安全圏を確保するために、とりあえず気に入った人、これはつかえると思った人を、上手に懐柔して取り巻きを作ってから、今度は一転気に入らない人を追い出しにかかります。
その手口の鮮やかさに唖然としましたが、世の中はそんなに甘くはなく、結局彼女は去って行きました。
それからは、常勤5人態勢となって、死に物狂いで頑張りました。
スタッフ全員の、ぜったいにステーションを良くするんだという思いが、今のステーションにつながりました。
話せばこんな短い話です。
人間の一生なんて、ただの点にすぎない・・ってよく言いますよね。
こうして、これからもあっという間に過ぎていくのでしょうね。
この先、自分に残された時間は、あとどれくらいなのか、考えたことがありますか?
これから、何が出来て何を残して、どんなふうに死んでいくのか、考えるとちょっと怖くもなります。
恐れを抱かず、何もかも受け入れて死んで行くなんてことは、私には出来そうもありません。
そんな私が、看取りをしているなんて、申し訳ない気もします。
でも、どこかでそのために必要な何かを、得る事が出来るかもしれませんよね。
来年、どんな年になるのかな?
でも、結局いつもの毎日が始まるだけなんですよね。













自分の人生振り返るといろいろですよね。
これ以上にないどん底を味わったり、天にも昇るような出来事など、プラスマイナスでゼロで終わるのでしょうか・・。
死ぬことを怖いとは思わないけど
今死んだら、やり残し多すぎて悔いはのこるかな。意外とその時になったらジタバタしたりして・・結局怖いのか・・(笑)
今を精一杯、楽しく過ごすのが一番ですね。
転んでも、起き上がって前に進むしかないですね。後悔しないように・・・
(今日最終日の夜に来て、どつぼにはまる出来事があり、くらくらしています・・・