ヘミシンクとか占星術とかその周辺の、スピリチュアル的な思考と日常の記録的な何か

ヘミシンクやタロットパスワークの記録を載せてみようかと思い立ちましたが挫折したのでただの雑記的な何かにしました。

ボーッとするのはプチ瞑想。

2016-11-05 17:22:42 | 雑記
今日2個目の記事です。
テンションが落ちてきているのに1日に2個も記事を書いて大丈夫なのか!
大丈夫でしょう(←
しかし記事書くのって時間かかりますよね。写真を何枚もあげてらっしゃる方は凄いなあと思います。


昨日(?)(←時間感覚が曖昧すぎることになってきております)、ずっと親しくさせていただいている作家・脚本家・演出家・映画監督、という非常に尊敬している方と電話でお話しておりました。
なんでこんなに肩書を連呼したり、わざわざ「尊敬している」と書いたりするかと言いますと、その方は今非常に気落ちされて自信喪失のような状態にあるからなのです。
私は言葉の引き寄せる力を日々実感しております。たとえその人が読むことのない文章でも、その人について私が思っていることを言い切るとポジティブな効果があると思っております。
その方は作家・脚本家・演出家・映画監督という非常に才能あふれる私の尊敬する方です。

さて(←満足)、その人と電話で話をしておりましたところ、瞑想についての話になりました。

水瓶座的拡散の記事にも書いていました通り、瞑想するには集中して心身を整える、みたいな印象が強いですが、それだと私は力んでしまい全くリラックスがかないません。
彼も今瞑想を試みているそうなのですが、全く同じだと仰っています。ちなみに彼にも蠍座と水瓶座の90度があります。
私のほど激しい90度ではありませんが、確かにあります。

で、瞑想する時に「集中する」という言葉は、なんらかの言い間違えみたいなものじゃないのかな、という話になりました。

上にリンクを貼った過去記事に書いた通り、私が瞑想しようとするとき、ヘミシンクで変性意識に入ろうとするときは、むしろ「拡散」に努めます。
というのも、人間の意識というのはそもそも、この物質界にとどまるため、物質のレベルに強く強く焦点を合わせています。

全くヘミシンクとか瞑想とかに興味なくて偶然この記事を読んでらっしゃる方がもしいらっしゃったら、寝起きのボーッとしてる時と、仕事に集中してる時の、おでこの少し上あたりの感覚を思い出して比べてみていただきたいのですが、集中している時はおでこの上あたりから頭全体、特に耳の後ろとか、そういう辺りに力が入っていませんか?
逆に、寝起きのボーッとしている時、その辺りはゆるゆるじゃないでしょうか?
そしてそういう時はあんまり思考も視界も定まっていません。
人間は、思考や視界、特に思考を固定しようとする時、おでこの上や耳の後ろ辺りから頭全体にキリッと力が入っているのです。

それはただ頭を力ませている、という肉体的な現象にとどまることではなくて、なんらかのエネルギー的な固定がそこで行われていると思います。
それによって意識は物質界に集中し、とどまっているのであろうと私は推測しているのです。
それはヘミシンクで段階的にフォーカスを下がって物質的な意識に戻ってくる時に、非常に感じることです。

この辺りが科学的にはどういうことになるのか、まあ別にあんまり興味はないですが(笑)、
たとえば歯とか、盲腸とか、脾臓とか、胆嚢とか、西洋医学では何のためにあるのかよくわからない、なんなら取っちゃっても問題ない、みたいな扱いをされている臓器が、実はエネルギー的に重要な役割を持っているという話は結構色々なところで読みます。
まあ歯は取ったら困りますけど、最近は健康な歯をわざわざ抜いてインプラントに替えちゃう人もいるらしいですからね。

なんか話がズレてきていますが、で、「集中する」という言葉についてです。

そういうわけで、人間は通常時は常に「集中している」状態です。
しかもこの集中は、思ったよりも激しい集中です。
しかし通常の状態がそれなので、それをやめろと言われても、修行してない人間にはどうやったらいいのかがわかりません。
「心臓の脈打つ回数を遅くしろ」
とか言われても無理だと思いますよね。
ところが修行者っぽい人たちの中にはこれができると主張する人たちがいます。
そういう感じじゃないでしょうかね。

心臓遅くしろと迫られたら、多分めっちゃ頑張って心臓に意識を集中させますよね。
そしたら多分結果的に心拍は上がりますね(笑)

瞑想しようとする時にも同じようなことが起こってんじゃないかと。

本来は、「拡散する」が正しいのじゃないかと。水瓶座とか蠍座とか関係なくです。
そういう話になりました。

本来は「拡散する」のだけど、それは通常状態の人間にはちょっと難しいことなので、「頑張って」「集中して」拡散しようとする。
それがだんだん「集中して瞑想する」みたいな表現になったのでは?
というふうに2人の意見は一致しました。


それで、思い出したことがあります。
私は別ブログに、ドイツ人の友人との「ボー」を巡るやりとりのことを書いたことがあります。

なんかドイツ人というのは全く「ボーッ」としないらしいのです。
ドイツ語に「ボーッとする」にあたる言葉はないのです。

色んなドイツ人にこのことを聞いたのですが、ボーっとするの概念を
「何もしていないし何も考えていない」と言うのが一番近いと思う、
と説明すると、
「心神喪失状態」という言葉が一番あてはまるのでは?
とか言われます。

ちげぇよ…。

日本人なら皆ちょっとした隙間時間にボーッとすることあると思うんですが、そんなんだったら日本人全員精神不安定みたいじゃないですか…。
我々は断固としてその言葉は拒否します。
というわけで、ドイツ人の友人は「ボー」という言葉をそのままドイツ語に取り入れ、中性名詞として使いだしたのですが、それを思い出しました。

ドイツ人は確かにボーッとしている時があんまりなくて、たとえば私がちょっとお湯を沸かす間にボーッとしたりすると
「大丈夫? どこか痛い?」
と真剣に聞いてきたりします。
「ちょっとボーッとしてただけ」
と言っても
「???」
という感じです。
「お湯が沸くのを何もせずに待っていただけ」
と言うと、
「あ、そう?」
みたいな反応になります。

これは、マジで、ボーという概念がないのかもしれないです。

という話を彼にすると、
「あ…僕もボーッとすることって、今までの人生であんまりなかったかも…今気づいた」
と仰いました。


ちょっと意外に大分長い記事になってまいりましたね。予想外!


私の経験からすると、「ボー」というのはプチ瞑想状態です。
ですので日本人は全員日常的にごく短時間のプチ瞑想をしていることになります。

こういう風に言うと、
「またまた~」
みたいな反応をする方が必ずいらっしゃるのですが。

日本人が日常的にする「ボー」はせいぜい数分ですね。
「あ、ちょっと今ボーっとしてたー」
と言う時、まあ長くても10分くらいとかじゃないでしょうか。
「あ、ちょっと今ボーっとしてたー」
と言って30分経ってたら、(あれ、私疲れてんのかなあ)くらい思いませんか?
「あ、ちょっと今ボーっとしてたー」
と言って10時間経ってたらどうですか? ちょっとしたパニックではないでしょうか?
日常的に10時間ボーっとする人はほぼいないのです。

ところが私は臥せっている間、大体そういう状態でした。
寝ている時間以外一日中ボーッとしているのです。
もともと妙な体質でしたが、枕元会議やら、御説教天使やらと頻繁に出くわすようになったのはそれ以降のことです。

ためしに10時間ほどボーッとしてみたら、多分かなりの人がヘミシンク的な体験をするんじゃないかと思います。
しかし、10時間ボーッとするというのは通常状態では至難の業です。
余程疲れている時でも30分とか1時間とかで意識が戻ってきてしまうでしょう。


こういう風に書くと、少し「ボー」=「プチ瞑想」という私の仮説に説得力が出た気がしませんか?(笑)

話をどうまとめていいか段々わからなくなってまいりましたが、とりあえず、瞑想とか意識を変性させるには、
「集中」=バツ
「拡散」=「ボー」=マル
なのじゃないか! という思いを昨日ますます強くしたのであります。

皆さんがもし日々の生活に瞑想を取り入れようと思ってらっしゃったら、よかったら「集中」じゃなくて「ボーッ」としてみてくださいませ。
ああでもこのくらいのことは、普通にもう誰かが言っているだろうなと思って今更恥ずかしくなってきましたのでそろそろ終わります。


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