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週刊 池上彰と学ぶ 日本の総理 幣原喜重郎・片山 哲・芦田 均

2017-05-18 05:24:28 | 歴史関連情報
週刊 池上彰と学ぶ 日本の総理 30 幣原喜重郎・片山 哲・芦田 均

 今回が最終号。

 前回の東久邇宮稔彦王に続く、吉田茂を挟んでの3人です。



まずは紹介です。

幣原喜重郎

 明治28(1895)年帝大法科大学卒業後外務省入省。以後累進し,大正4(1915)年第2次大隈内閣で外務次官となります。そこでシベリア出兵,パリ講和会議等第1次大戦時の諸問題に従事しました。

 ワシントン会議では全権委員として海軍軍縮および中国・太平洋における現状維持をめぐって列強との協調を図りました。

 13年6月から昭和2(1927)年4月までの第1次外相期(護憲3派内閣から若槻内閣まで)および,4年7月から6年12月までの第2次外相期(浜口内閣から第2次若槻内閣まで)に,中国市場の確保を前提に英米から協調を調達するいわゆる「幣原外交」を展開,ロンドン海軍軍縮条約,日中関税協定などを締結しました。

 しかし,対中国直接交渉が不調ななか,関東軍によって満州事変が起こされ若槻内閣の総辞職とともに退陣しました。

 敗戦後は政治家として昭和20(1945)年10月に首相。また,同24年には衆院議長に就任しました。


片山 哲

 明治20年7月28日生まれ。弁護士となり,日本労働総同盟などの法律顧問をつとめます。
 社会民衆党の結成に参加。昭和5年衆議院議員(当選10回)。
 20年社会党結成に加わり翌年委員長となります。
 22年初の社会党首班内閣を組織。のち憲法擁護国民連合を結成。民社党最高顧問。


芦田 均

 明治20年11月15日生まれ。外務省参事官から昭和7年衆議院議員(当選11回)。戦後,自由党創立に参加するが,22年日本民主党を結成し,総裁となります。
 社会党首班3党連立の片山哲内閣の外相に就任。
 23年おなじ連立内閣の首相兼外相となるが,半年後昭和電工疑獄事件で辞職しました。
 昭和34年6月20日死去。


昭和電工疑獄事件とは?

 大手化学工業会社昭和電工の日野原節三社長が、復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために行った政府高官や政府金融機関幹部に対する不正融贈収賄資汚職事件。1948(昭和23).6月に摘発され、芦田内閣が崩壊し、福田越夫が逮捕されます。
 野党・民主自由党の重鎮大野伴睦の逮捕に始まり、栗栖赳夫経済安定本部総務長官、西尾末広副総理が検挙され芦田内閣の総辞職をもたらしました。
 その後、芦田均自身も逮捕されましたが、裁判では栗栖以外の政治家は無罪となりました。


池上流総理のポイントは、

幣原喜重郎 国際協調の「幣原外交」を展開

片山哲 初の社会党出身総理

芦田均 戦後復興を国際的視点で推進




本誌の内容です。

*幣原喜重郎・片山哲・芦田均
 戦後日本の出発 GHQ占領下の内閣

◆幣原喜重郎・片山哲・芦田均 総理誕生

◆池上流総理のポイント どんな政治家か

◆幣原喜重郎 その人物像と業績
  「幣原外交」を発展した国際協調の平和主義者

◆池上彰の5分でわかる政策
  「GHQの5大改革指令」

◆交友交際図

◆片山哲 その人物像と業績
  初めて社会党出身総理—未完に終わった革新政権

◆特集
  社会党全史—結党から現在の社民党まで

◆写真で見る世相 昭和20年(1945)
  戦後の物資不足を陰で支えた「闇市」(ヤミ市)

◆芦田均 その人物像と業績
  外交官から政治家に転身、自由主義的議会人の栄光と挫折

◆芦田均の宿敵 松岡洋右

◆幣原喜重郎・片山哲・芦田均
  追跡!総理738日

◆連載 総理の秘密  池上彰
  総理を“育てる”ために

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