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週刊 日本の100人 第54号 井伊直弼

2017-07-11 05:22:59 | 歴史関連情報
週刊日本の100人 井伊直弼

シリーズ第54号は井伊直弼。
大河の主役 井伊直虎が養子に迎えた直政の子孫です。



賛否が分かれる人です。
安政の大獄で、吉田松陰らが刑死しているので、イメージが悪いのは分かります。

名門・彦根藩主の子でしたが、14男であり、母の身分が低いために不遇でした。
しかし、その間に、国学や茶道、和歌、鼓、禅、槍術、居合術を学びます。
飲み込みが早かったのかもしれません。すばらしい吸収力です。

その中で兄が次々と亡くなり、第15代藩主となります。藩政改革を行ない、名君と呼ばれています。

江戸城では、名門譜代である溜間詰上席となりました。

大老就任後、日米修好通商条約調印、将軍継嗣問題に決着をつけます。
これに、一橋派と南紀派の対立が複雑にからみ、結果、井伊による一橋派弾圧の安政の大獄、一橋派からの逆襲である桜田門外の変へとつながっていきます。

どちらの派から見るかで、井伊直弼に対する評価は真逆になります。
南紀派から見れば「開国を断行して日本を救った政治家」でしょうし、一橋派から見れば「朝廷を軽視し安政の大獄を引き起こした独裁政治家」になるでしょう。


個人的には・・・・

すでに開国は既定路線でした。
老中・阿部正弘は、海防を強化し、後の陸軍、海軍、東京大学になる施設を創設し、西洋砲術の推進、大船建造に取り組んでいました。
したがって、井伊直弼だけが開国を推進したのではなりません。

また、一橋派への処分は、優秀な開明派までも失いました。
条約の内容も、いわゆる不平等部分、金の交換比率の低さなど、まだ準備が必要だったことは否めません。

「重罪は甘んじて我等一人に受候決意」
国難に立ち向かったことは認めます。
自分の命を賭して、全てが計算の上だとしたら、すごい策士です。
この言葉も、後世の改竄説もあり、本当のところはどうなのでしょうか。

このことばの真偽は、評価のポイントになるかもしれません。

それより、阿部 正弘が39歳の若さでなぜ急死したのか、興味があります。


本誌の目次です。

特集 井伊直弼
 重罪は甘んじて我等一人に受候決意

ライフ&タイム
 国難に立ち向かった強権大老の45年
  修養に励む部屋住みの日々/遅れてきた辣腕藩主
  太平の眠りを覚ます使者到来/国の命運を握る決断の時
  大老、春雪に散る

ヒューマンエピソード
 剛毅の裏に小心も見え隠れした政治家

クローズアップ
 検証!桜田門外の変 暗殺が招いた幕府の黄昏

人物スクランブル
 井伊直弼人物相関図
  長野主膳/井伊直政/片桐石州/岩瀬忠震
 
後世への遺産
 近江牛、狂言…… 時代を超える直弼の情熱

評伝アラカルト
 井伊直弼考
  大隈重信/勝 海舟/吉川英治
  大仏次郎/吉村 昭/水野忠徳

ビジュアル人物事典
 醍醐天皇/大正天皇/泰範/平 敦盛
 平 家盛/平 清盛/平 重衡/平 重盛

日本の100人ミュージアム


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