連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

年末年始の時間の過ごし方:楽しいい思い出としてよみがえる!

2016-12-24 14:34:16 | 日記・エッセイ・コラム
”クリぼっち”なる言葉が飛び交っている今年。
クリスマスは、医局で所在投げに、テレビ映像を眺め、どれほどの人がクリスマスを楽しんでいるの?結構一人だったり、しごとだったりしているのではないの!と、何となく騒がしく、差し入れてくれたケーキのおこぼれにありついたりして長年過ごしてきた。

急性白血病を専門としている臨床医たったので、主治医として病室を持っていた2012年までは、
年末年始の期間は、職場では休暇を取る体制なので、むしろ多忙で、休暇の予定は立てない!立てられないで過ごしてきた。
両親が生存していた1995年までは、何とか都合をつけて1泊の帰省を義務として、足場をやっと確保する混雑の秋田新幹線で戻り、
駅で待ってくれる父のもとに小走りでかけつけた。

両親とともに過ごした幼少時の年末年始は楽しかった!
NHK朝ドラ”べっぴんさん”の12月22日の、すみれさん、紀夫君二人で市場に買い物に出かけた映像から、
12月31日に、師走の町に、父と、母が連れ添って、買い忘れた物を買うためと、それ以上に、にぎわう街を見届け、無事に一年過ごせたことを楽しむための”恒例行事”を思い出しました。
師走、大晦日は、夫婦二人に入り込む余地のない雰囲気を感じたので、留守をしていたのですが、
クリスマスは、
終戦間もない1950年台は、
枕もとの、お菓子がぎっしり詰まった、長靴だったり、橇だったりを見つけると、夜中でも起きだしてはしゃぎまわりました。
銀座教会のクリスマスのミサ、パーティに連れだってでかけ、帰りは寒いので、父の大きなコートの中にくるんでもらったのも楽しい思い出。

1960年後半になると、何となく親とがうさん臭く感じられ、ギフトが楽しみになり、
記憶の中身は、乏しい寂しい景色が増えてきました。母は、お祝いの料理は欠かすことなく、”ハレの日”にふさわしい演出をしてくれつづけたのに!

年末は、おせち料理の準備が始まり、
仕上げは餅つき。
餅つきは、一家総出が原則だったので、1970年代後半になると、
臨床医となり、血液疾患を専門とすることになってからは、28日または30日に戻れるかの確認が必要となり、参加できないことがほとんどなってしまいました。
でも、父が病に倒れ、力が弱って、無くなる前の年だけ、兄1人でついたのを最後に餅つきをしなくなってしまいました。
一家の大黒柱だった父の逝去は、行事を遂行する張あいが無くなったのでした。
”うまい”と健啖ぶりを示した父なき後は、母の気持ちを察して、私が、母の手作りのお節料理を、医局に持ち帰り、医局に所在投げに詰めてわびしい正月を過ごす同僚にごちそうするのを張りあいとしてたくさんのおせちをつくってくれました。

ことしの年末年始は、ボッチ女の誘いが続き、姦しい日が続きそう。
猫になびしい思いをさせない調整に頭を悩ましています。

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