幻魔人記

幻爺が徒然なるままに綴る戯言草紙

日活ロマンポルノ

2012-05-27 06:46:58 | 日記
現在、東京・渋谷「ユーロスペース」で

日活ロマンポルノ作品34本が上映されています。

製作された約700本ほどの作品の中から

蓮實重彦・山田宏一・山根貞男の3氏が選んだものです。

日活ロマンポルノは1970~1980年代、

大映などの大手映画製作会社がテレビ等の普及に押され

自社製作から次々と撤退する中で、当時の日活が

生き残りを賭けて製作したいわゆる「成人映画」です。

第1作は1971年11月に公開された、

「団地妻昼下がりの情事」(白川和子主演)

「色暦大奥秘話」(小川節子主演)でした。

ロマンポルノを支えた女優陣には第1作のお二人の他に

田中真理、宮下順子、谷ナオミ、東てる美、泉じゅん、

岡本麗、美保純、高倉美貴・・・etc がいました。

ロマンポルノは当時、映画評論家などから不当な評価を受け、

製作関係者等は肩身の狭い思いを強いられていました。

私も初めてロマンポルノ上映館に足を運んだ時は

周囲の目を気にしながら入場したことを憶えています。

その作品は永井荷風の「四畳半襖の下張」を基に製作された

宮下順子さん主演の「四畳半襖の裏張り」でした。

監督はロマンポルノの旗手と云われた

神代(くましろ)辰巳さんで、彼は曽根中生・田中登と共に

当時の三大監督と目された監督でした。

宮下順子さんは当時、白川和子さんと人気を二分していた

売れっ子女優で、後年、テレビ界にも進出され活躍されました。

その為、彼女は後続の新進女優がテレビや一般映画に

進出する道を作った立役者になりました。

東てる美さんや美保純さんなどがそうです。

当時、ロマンポルノは冷たい目で見られていましたが、

一般映画に比べて制約がほとんど無く自由に製作できました。

ですから才能ある若手監督たちにとっては

性的描写を入れておきさえすれば

それ以外では自分のやりたいことを

思う存分に発揮出来る状況でした。

中には黒沢清監督のようにあまりに無茶をしすぎて

配給を断られたこともありました。

しかし、そういう自由な製作環境の中から

才能が花開き、多くの優秀な人材が輩出しました。

因みに例を挙げますと、石井隆 「死んでもいい」

(第33回ギリシャ・テッサロニキ国際映画祭最優秀監督賞)、

和泉聖治 「相棒」シリーズのメーン監督、

金子修介 怪獣もの「ガメラ」シリーズ、

崔洋一 「月はどっちに出ている」 「血と骨」、

周防正行 「Shall we ダンス」、相米慎二 「セーラー服と機関銃」、

滝田洋二郎 「おくりびと」(2008年アカデミー外国語映画賞)、

那須博之 「ビー・バップ・ハイスクール」、

根岸吉太郎 「遠雷」 「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」

(2009年モントリオール国際映画祭最優秀監督賞)

中原俊 「桜の園」、森田芳光 「家族ゲーム」・・・etc

現在の映画界を支える、そうそうたる監督たちです。

今回の上映会では女性専用シートも設けられ、

全体の観劇者の中で、約三割が女性だそうです。

ほぼ100%が男性という当時の状況からすると

考えられない数字で、関係者の方々にとって

さぞかし感慨深いものがあるものと思います。

これから大阪・京都・名古屋・広島・福岡・大分・那覇と

順次、上映される予定だそうです。

機会がありましたらご覧になって、

性的描写に目を奪われず、作品に込められた

当時の監督たちの心意気と自由な発想を

感じとって頂きたいと思います。








1 コメント

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驚きと親近感 (浪速の俊ちゃん)
2012-05-27 07:57:54
お早うございます。毎週見ています。コメントは初めてです。投稿者さんはあまりに敷居が高くて近寄り難い人と思っていました。ロマンポルノを見ていたと堂々と告白されて、えッと驚きました。そして投稿者さんに親しみを覚えました。以前、精神的に弱いと白状されていましたが、とんでもない。強靭な精神の持ち主と思います。文学、哲学・・etc 加えて酒、女までと、その幅の広さと底の深さに参りました。

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