SASHIY エイガニッキ

メモ書きです、遊び心です、それでも、力です、どこにも、どちらにも、収まりつかない、思いです、可能性です、

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SASHIY エイガニッキ

2017-07-16 12:37:12 | 日記
ⅩⅩⅩⅩⅩⅥ「天竜区奥領家大沢別所製茶工場」2014を観る聴く、
  山間の村、緑、空、雲、木々、高い山からの視点、村、小屋、茶摘み、働く人々、語らいながらも、何を話すかは判らない、茶葉を袋に詰めて、単線貨車で運ぶ、急な斜面の茶畑、狭い土地を利用して、段々畑として、緑緑した畑、美しい色彩、若くない叔母さんたち、労働、語らい、手仕事、袋に詰めて、運んで、小さな工場の中に、エンジン音、回転音、多様な機械、温度計、蒸して、刻んで、運ばれた葉が筵に撒かれて、機械の中に、コンベアー、運ばれて、透明なボックスの中で、舞う、選別、洗い、蒸し、乾燥、刻み、響き渡る機械の音、蠢く人々、叔母さんたちが、老人たちが、行ったり来たり、こうして、また茶葉が摘まれ、運ばれ、袋から吐き出され、機械の中に、出来上がった茶は四角い箱の中に、反復、音が止まることは無い、工場から上がる湯気、山間の中、労働、ビジネス、生活、ここには、働く姿しか無い、僅かに犬が、カメラを見詰め、振り返り、ぶらつき、若い人々は、子供たちは、日常の姿は無い、何処までも、工場の運営の中に、システムの中に、まさに近代、こんな山間の中の近代、天空の村の中の近代、否応なく押し寄せた近代、この近代の外は無いのだ、こうして生活してきた、永年月に渡って、しかし、後継ぎはあるのだろうか、これからも、続いていくのだろうか、どのくらいの収益があるのだろうか、ベアリング、工具、回転機械、車輪、ベルト、近代です、現代のオートメーションとは何処か違う、未だ手作業が残って、根気よく、カメラは追う、生産工程を単純に追うのでは無い、その時々の、人々の動きに会わせて、邪魔にならない位置にカメラが、だから、知って居るのだろうが、誰もカメラを見詰めはしない、話しかけもしない、そのシーンは在っても見事に編集されて、何処までも、客観の世界で、工場の動きが撮られて、時が来て、季節労働の人々は去って行く、また来年、犬は残る、工場の主は残る、山、雲、靄、霧、空気、陽射し、時間を告げる音楽、村全体に響く放送、否応なく、在る、この近代、彼らは、この近代を生かされて、今、これは一つのイデオロギー、決して遁れることの出来ない、エピステーメー、さて、ここから、始まる、  
「天竜区旧水窪町 祇園の日、大沢釜下ノ滝」2014  さて、この段々畑の老夫婦、耕し、芋を掘り、茶葉の仕事は一時のこと、日常は、こんな生活、畑を耕し、野菜を収穫して、料理して、だが、こんな語りの中に、過去が、社が、鳥居が、写真が、歴史が、昔は焼き畑、同じところに止まっては、土が固まってしまう、定期的に移動して、焼き畑として、再生して、いつこの地に、誰が、何百年も前の話、そして、何故に止まる、茶畑故か、近代故か、富国強兵、農地、兵隊、国のための生産、労働、しかし、小さな、土地の中、多様なものを植えて、土地を再生して、今もって、過去を生きている老夫婦、この近代の中に取り入れて、足場の悪い畑、滑って、それでも、良い芋が取れて、果実が実る、山、夜、雲、月、花火、遊び、祈り、燃え上がる火、魂、伝統、祈り、ご先祖、勿論、近代としての過去しか見渡せない、写真が残るのもまた近代として、近代として、祖父母、両親の代として生きてきた、そして今、この老夫婦も、しかし、そこには、見えない、更なる過去が、いや、知らず、生活の中に、過去が、耕し方、土地の使い方、作物の取り入れ、林、金の為に植えられた木々、一攫千金、破れて、山もまた近代の中に利用されて、私たちは、映像の中に、近代の壊れを見いださないか、しかし、花火は村を近代を燃え尽くさない、 
「天竜区奥領家大沢 夏」2014    製茶工場 祇園の日では語りは無くて、ここに来て、語りが、映像に語りが重なる、語りもまた、近代なのだが、山、夏から次第に秋に、映された、土地の耕しに、芋掘りに、近代では語り尽くせない、間が、在りはしないか、帰宅の音楽の流れる山の中、山への祈り、仏に対する祈り、社、道祖神、近代の彼方に、
「天竜区奥領家大沢 冬」2015  なんと、スタッフが、監督が画面の中に、撮影と山の生活と、近代と、ここではショットの多様、果実、木々、実り、色彩、山、靄、夜、昼、縁側、スタッフに漬け物が渡されて、映画は、監督は、老夫婦は、何処に向かう、掘の映画は、始まりに、結婚に捕らわれ、「宙ぶらりん」、アニメに捕らわれ、「妄想少女オタク系」、義理の母に捕らわれ、「東京のバスガール」、未来からやって来た娘に捕らわれ、「燐」魔法少女に捕らわれ、「魔法少女を忘れない」、斯くて主人公は対向する思いに言葉にも蠢き翻弄される、どちらにも収まりつかずに漂うばかり、まさにこれが現代、私たちなのだが、この映画の中に在っても、老夫婦は、近代と、遠い過去からの山の生活との狭間に、在り続ける、そして、その間にスタッフも、カメラも招き入れられたのでは無いのか、だからこそ、この映画は、ここから始まる、見詰める私たちも、ここから漸くに、映画を生きるのだ、それは、闘いだ、近代をしっかり始末するために、だが、始末とは何のこと、さてさて、重い腰を上げる、映画の終わりに、いや、映画の始まりに、
「天竜区旧水窪町 山道商店前」2017  ロングで、監督と村の人だろうか、得離れて、誰と誰が何処に居て話しているのかも良く判らない、山間の道、高架線、走り去る電車、歩き去る人、バイクで走る人、黒画面、繋ぎ、何かの予感、始まり、未だ、何も判らないのだが、予告編、まだまだ、これから続く、何処に、
 
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