雀の手箱

日々の記録と墨彩画

想い出の旧大連航路上屋

2017年08月13日 | 塵界茫々

上屋コリドーからの展望 現在の港風景


 先日出かけた「いのちをみつめて」が上演された旧大連航路上屋は、観光客に人気のレトロ地区とは門司港駅を挟んで反対側の西海岸にあります。門司港湾合同庁舎や海響ミュージアムの傍ですが、人気のレトロ地区にくらべると人の通りもまばらです。
 昭和の初期には、ここから夢を抱いて欧州へ、また南米へ、中国大陸へと船出した人たち。そして戦中は、いくさの最前線へと、多くの人が旅立って行きました。夫も故国の見納めと覚悟してこの港を後にしたと話していました。

 この場所は、私には思い出のある場所です。当時父親の赴任で旅順に住んでいた従兄が、何年かに一度、夏休みの間を「内地」へ帰省して過ごしていたのを見送りに出かけたことのある想い出の場所です。
 小学校3年生くらいの私は、従兄が履いている編上げの黒い革靴が珍しく、羨ましく見つめていた記憶があります。
 それと、従兄が投げたテープの輪が,出港の銅鑼の音と共に次第に小さくなって切れるときの物悲しい感触を覚えています。帰りに駅前のそこここで面白おかしい節回しで、叩き売りされているバナナを買ってもらうのが楽しみでした。

 終戦後のある日、家族5人が父親と共に、文字通りの着の身着のままの状態で引き揚げてきました。伯母はすでに終戦前に病を得て療養のため帰国して亡くなっていましたが、年上の女の子の髪は丸刈りの坊主頭だったのを覚えています。
 医者になっていた従兄が炭鉱の診療所で勤務するようになり、社宅がもらえたので、私の家から移ってゆきました。戦後の混乱期を乗り切った従兄も既に故人です。



旧大連航路の出港風景の写真 上屋の館内展示より


大連定期航路・黒龍丸の模型


上屋2階の長いコリドー


旧大連航路上屋 昭和4年竣工時の写真 パンフレットより


人が集う施設に生まれ変わった現在の上屋


 
 当時の国際旅客ターミナルは、アールデコ調のデザインで、かっての門司港が流行の最先端を行っていた港町だったことを偲ばせています。90年近くの歳月を経てもモダンです。 
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