すずめ通信

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第819号 平凡社『世界教養全集』

2010-09-17 14:52:31 | Tokyo-k Report

【Tokyo-k】私の書架の一角を、『世界教養全集』が占めている。平凡社が1961年9月から刊行した本巻34巻、別巻4巻の全38冊シリーズだ。B6版と小型ながらクロス装幀できちんと函に入っている。第1巻は『哲学物語(W.デュラント)』で、最終配本は1963年9月の別巻4『語録 永遠の言葉』だ。定価は各巻350円。

けっこう売れたシリーズだったのだろう、第1巻は1967年8月に16版が発行されている。私が第1册目としてその第1巻を購入したのはその年の11月26日で、うれしかったのだろう、巻末に購入日をメモしている。横浜駅の有隣堂だったように思う。この日をスタート日に、いつも軽々としていた学生時代の財布から350円を捻出しながら、少しずつ買い増して行った。

『随想録(M.モンテーニュ)』『パンセ(B.パスカル)』『愛と認識との出発(倉田百三)』『三太郎の日記(阿部次郎)』『幸福論(アラン)』『茶の本(岡倉覚三)』『菊と刀(R.ベネディクト)』『聖書物語(ヴァン・ルーン)』『釈尊の生涯(中村元)』『ゴッホの手紙(ゴッホ)』『文学とは何か(G.ミショー)』

『共産党宣言(マルクス、エンゲルス)』『魔法(セリグマン)』『山の人生(柳田国男)』『シルクロード(へディン)』『孤独な散歩者の夢想(ルソー)』『アラビアのロレンス(グレーヴス)』『福翁自伝(福沢諭吉)』『ロウソクの語る科学(ファラデー)』『ファーブル昆虫記(ファーブル)』・・・

絶版となったのだろう、やがて書店から姿を消した。それと引き換えに、古書店ではよく見かけるようになった。そのころには私も社会人になっていて、職場が神田・神保町に近いこともあって、見つけるたびに不足分を補って行った。読むのは老後の楽しみにと、とりあえずそろえることが目的だった。

どうせなら全巻揃えようと、欠けている巻を手帳に書き込み古書店を漁るのだが、最後の数巻がどうしても見つからない。しかしネット社会とは便利なもので、「日本の古本屋」に会員登録して検索すると、すぐに見つかった。遠いところは鹿児島の古本屋さんにも発注して、全巻が揃った。どうやら40年がかりの大作戦であった。

さて、いよいよ心置きなく読書の時間が取れるようになって、世界の名著を選ぶ贅沢を楽しみながらページを開くと、何と! 活字が小さ過ぎて実に読み難い。紙質も最近の新刊本と比べると粗悪で、印字が擦れていたりする。「約束が違うじゃないか!」と文句を言いたいところだが、「だれも約束なんかしていないぞ」という声が返って来るに決まっている。

こちらの視力が衰えて来ていることは認めなければならない。しかしよくもこんな小さな文字で文句を言わなかったものだと、昔の読書人たちの忍耐力に呆れるばかりだ。私の愚息どもはこれ見よがしにiPhoneを突き出し、「お父さん、ほら、こうやるとこんなに文字が大きくなる。見やすいでしょう。これにすれば?」などとからかって来る。

しかし読めないことはないのだ。枕元に置けば、2、3ページでまぶたが重くなるという、効果満点の睡眠薬にもなる。全巻読破するにはどのくらいの時間が必要か、見当がつかない。ということは、わが老後は《永遠に近い時間が確保されている》ということになろうか。読んだものも内容はほとんど忘れている。再読また楽し、である。

ところで最近は、《教養》という言葉をトンと耳にしなくなった。かつては麗しき人生の指標のように、格調高く響いていたものだった(ような気がする)が、今では少し顔を赤らめ、目立たないようにうつむいている印象すらある。だからいまどき「世界」「教養」などという大それた全集は、縮み切った出版界からは出現するはずがない。

とはいえ私も、《教養》に惹かれて買い揃えたと言うほど教養欲があってのことではない。何ごとにもデザイン(見てくれ)を重視する癖は若いころからのことで、この全集の装幀(原弘)が大のお気に入りなのである。日焼けて色褪せ、シミが浮き出て入るけれど、今でもこの装幀は出色のできばえだと思っている。
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