検証「羅須地人協会時代」(鈴木 守著作集)

わからないことが多過ぎる「羅須地人協会時代」を中心に検証。おかしいところはやはりほぼおかしかったということを実証できた。

農民文芸運動における「農民詩」

2016年09月30日 | 『賢治、家の光、卯の相似性』
 では今回は農民文芸の中の一分野である「農民詩」について少し調べてみたい。

 まずは、『家の光(昭和三年四月号)』の中に掲載されている佐伯郁郎の「農民詩講話」を少し見てみたい。そこでは次のようなことが論じられている。
 農民文学とは如何なるものであるかといふうことになる。…(投稿者略)…私には農民文学は、どこまでも簡単に云つて、不断に進展しつゝある農民の生活意志の探求であり、隈なき表現であると思はれる。従つて、現実的には階級文学としての、反逆精神も、階級意識もあると同時に理想的一面として農民のイデオロギィを基調とした精神文化運動も持つものと思つてゐる。換言すれば農民精神、土の創造性の発見、現化しそれ等を基調とした新しき精神文化の確立発展にあり、病的な、堕落した、疲弊と焦燥に蝕まれた旧文明に対する挑戦であり、救ひである。そして、又微温的な漸進的改良、慰撫でなく、急進、突破建設の精神であり、その目標の実現であると云ひ得る。さらに言葉を換へて云へば農民精神の発見の域を遙かに突破して、経済組織の上に起つ農村、農民生活の現実的表現であり、反抗精神の叫喚であり重圧されて来た、燃ゆる魂の表現である。そして、それと同時に現代人に対する生命の、生活の方向進路の明示である。
<『家の光(昭和三年四月号)』(不二出版〔復刻版〕)より>
というわけで、佐伯郁郎は結構ラジカルな表現で農民文学についての自身の見解を述べている。そして、佐伯がいうところの「農民詩」とは、このように定義された農民文学の一部内としての詩のことであり、農民文学の本質なり、精神なりを詩的表現形式をもって表現したものが「農民詩」であると定義している。
 なお「農民詩」のこのような定義の仕方は『農民文芸十六講』におけるそれとほぼ同じであろうことが、安藤氏の『犬田卯の思想と文学』の中の記載(67p)から推測できる。

 さて次に問題となるのが「農民詩」の作者としての条件である。このことに関して佐伯は前掲の「講話」の中では次のような見解を述べている。
 農民文学は已に述べたやうに、農民の生活意志の探求であり、限りなき表現である。それ故に此の意味では、当然農民文学は農民の手になるべきで、従つて、農民の詩も農民が作者であるべき筈であるが、凡て文学は生活を意識し、これを批判的に把握するところにあるのであつて、その意味に於いては、過去に於いて、現在に於いて、或は未来に於いて何等かの形式に於いて、農民生活に関係を持つた人或は持つ人に於いても、その精神を理解し、同感し、農民の社会理想、要求、方向を感得し、表示するに於いては、農民と共にその作者たり得るものである。
<『家の光(昭和三年四月号)』(不二出版〔復刻版〕)より>
ということは、佐伯はその作者は狭義の〝農民〟ではなくて、「農民生活に関係を持つた人或は持つ人」と規定して広義の〝農民〟と見ているということになろう。すると、佐伯自身も宮澤賢治も農民詩の作者たり得るということになる。
 では、このことに関して犬田卯はどう考えていたのであろうか。安藤氏は次のように紹介している。
 『農民文芸十六講』の第一講「農民文芸の意義について」のなかで彼は農民文芸の六つの面をあげている。
 一、田野の生活が如何なるものかを描き出す現実直写の農民文芸
 二、農民のための農民文芸――農民に文芸を持たしめること
 三、地方主義――都会主義に反蹠するところの地方主義
 四、農民啓蒙の農民文芸
 五、農民意識及び土の概念の表現としての農民文芸
 六、立場を社会批評家的の高所に置き、批判的に現在の、あるいは過去の農民生活及び社会生活を観察して、立体的象徴的に描いて行く土の芸術
 ここでわかるように、一~五までは名称的にはいわゆる〝農民文芸〟であり、〝土の芸術〟というのは農民文芸の上に存在する最高の文学形態あると考えていた。
<『犬田卯の思想と文学』(安藤義道著、筑波書林)26pより>
 そして
 〝土の芸術〟というのは…(投稿者略)…「土から」の文学、土の中から生まれてくる文学、従って現実否定の文学、田野にこそ真の生活、新しい生命のあることを発見した文学でなければならないというのが彼の主張であった。
 つまるところ、
 〝土の芸術〟というのは、農民が自らの手で創作した芸術・文学であらねばならないのである。
<同27p、28pより>
となれば、犬田が称えるところの〝土の芸術〟は農民でなければ創作できないこととなる。

 では、〝農民文芸〟も同様であると犬田卯は考えていたのだろうか。そのあたりについては私には今のところしかとはわからぬが、少なくともその想いが強かったであろうことは理解できる。そこで、もし〝農民文芸〟の創作者は農民でなければならぬと犬田が考えていたと仮にするならば、当然犬田の考えていた「農民詩」の作者も農民でなければならなくなる。となると、賢治は「農民詩」を詠む資格がなくなるし、もちろん佐伯でさえもその資格はなくなる。そうなるとその当時に「農民詩」の作者たり得たのは例えば『土の歌』の中村孝助や『野良に叫ぶ』の渋谷定輔等であり、少なくとも賢治は「農民詩」人たり得ないことになる。
 一方、『春と修羅 第三集』が〝自大正十五年四月 至昭和三年七月〟となっていることから、そこに収められている詩は賢治が下根子桜で生活していた頃に詠んだ詩となろう。そして、それらの詩の殆どはその詠み込まれている素材や詠まれている内容からはまさしく典型的な「農民詩」とみなすこともできる。そして、この見方は前掲の佐伯の考え方とは矛盾しないから、賢治には「農民詩」人たりうる資格があることになる(ただし、「農民詩」の作者は農民でなければならぬと犬田卯がもし考えていたとすれば、そう見なすことはできなくなるが)。

 そこで思うことが二つ。その一は、佐伯が「宮沢賢治氏にはお目にかゝつたことがないのですが御親類の安太郎さんを通じて「修羅と春(ママ)」をいたゞいてゐます」と語っているということだから、少なくとも賢治は当時佐伯郁郎なる人物をある程度知っていたであろうということになる。
 一方では、賢治は人首を2回訪れていてそれは
 1回目:大正6年8月28日~おそらく同年9月7日
 2回目:大正13年3月24日~25日
<『新校本宮澤賢治全集 大十六巻(下)』(筑摩書房)より>
となるようだ。もちろんそこ人首は佐伯郁郎の出身地である。実際その地を訪ね歩いてみると、郁郎の実家は当地の旧家(江戸時代に人首城主沼辺家の家老職のを勤めたという)だけにその豪邸は今でも目に付く。おそらく賢治が当地をかつて訪れた際にも、カトリック教会やハリスト正教会の建物と同様郁郎の実家も目立ったはずだ。なおかつ郁郎は盛岡中学出身だから賢治とは同窓だし、その同窓生が「農民文芸会」の主力メンバーとして活躍していることは、例えば『家の光』や『早稲田文学』等を通じて賢治は充分に知っていたであろう。そういえばそうそう、賢治も、安太郎もそして郁郎も共に東京啄木会の会員でもあったから、この会員同志ということで賢治は佐伯のことは早い時点から知っていたであろうということも考えられる。そんなこんなで、賢治は郁郎のことはある程度知っていた蓋然性がかなり高いことがこれでわかった。さらには、「農民詩」を詠む資格があるのは何も農民と限らねばならぬとは佐伯郁郎は思っていない、ということをこれらのルートを通じて賢治は知っていた可能性もあったのではなかろうか。 
 その二は、賢治は一方の犬田卯に対しても結構予備知識があり、かなりの程度のことを知っていたのではなかろうかということである。それは、犬田卯は早い時点から『早稲田文学』などのに多くの著作を載せているから、それらを通じて賢治は犬田の「土に生く」などを読んでいたことなどによって、あるいは、大正15年6月には『農民小説集』が新潮社から出版されているし、南雲道雄氏によればそれは「当時文壇の第一線で活躍していた作家二十名、二十篇の短編小説を集めて上梓された農民小説のアンソロジーであり」その中の一つとして犬田卯の「土に生く」がある(『現代文学の底流』(南雲道雄著、オリジン)15p~より)ということだから、賢治はこの本を通じて犬田卯の思想や考え方を知った可能性も否定はできなかろう。
 そこで、もし当時の賢治がこのような状況下に仮にあったとするならば、賢治はどちらかという同郷で中学の同窓である郁郎の方には親和性を感じ、農民にしか〝土の芸術〟が創造できないというセクト主義の犬田には距離感・忌避感等を感じたのではなかろうか。そして、もし賢治がこのよう状況になったのが大正15年7月25日の直前であったならば、犬田に対する賢治の忌避感があの直前の面会謝絶事件をもたらした、などということも充分にあり得ると改めて思ってしまう。

 なお、今回の拙論はその可能性等を探ったものとなってしまったものもあり、そのような事柄についてはそれ程強く主張できるものではないということを最後に弁明しておく。 

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◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。
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小説
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