みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

874 東和町成島の毘沙門

2009年03月29日 | 花巻周辺
 もうそろそろそこにはカタクリの花も咲き始めているかも知れないと思って、3月26日成島の毘沙門山を訪ねてみた。
 花巻市東和町土沢から県道39号線を北上方面に進もう。右手に成島小学校を過ぎると、やがて毘沙門橋を渡る手前に毘沙門堂への道が見つかるはずである。その堂宇のあるところが成島の毘沙門山である。

《1 一?の鳥居》(平成21年3月26日撮影)

鳥居の周りには石塔群があり、中には慶応元年建立の
《2 餓死供養塔》(平成21年3月26日撮影)

もある。
《3 石段の参道を登りつめたところからの俯瞰》(平成21年3月26日撮影)

道路を横切ると
《4 表参道入り口》(平成21年3月26日撮影)

があり、その辺りには
《5 アズマイチゲ》(平成21年3月26日撮影)

や、一輪だけだが
《6 カタクリが咲いていた》(平成21年3月26日撮影)

《7 境内に向かう階段》(平成21年3月26日撮影)

を上って行けば境内となる。境内には泣き相撲で有名な三熊野神社(みくまのじんじゃ)と兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)で知られる毘沙門堂がある。
《8 境内の土俵は改築中》(平成21年3月26日撮影)

《9 三熊野神社拝殿》(平成21年3月26日撮影)

《10 奥宮》(平成21年3月26日撮影)

 ところで、成島の毘沙門と思われる『毘沙門』が詠み込まれている詩が
《11 「雨ニモマケズ手帳」の15~16p》(平成21年3月26日撮影)

 <『復元版「雨ニモマケズ手帳」』(校本宮澤賢治全集 資料第五、筑摩書房)より>
にも現れる。
 かなり推敲が重ねられていて判りにくいが、『校本宮沢賢治全集第六巻』(筑摩書房)によれば最終形態は
      ロマンツェロ
    あななつかしや なつかしや
    こは毘沙門のおん矢なれ
    天の功徳のそが故に
    事とてならぬ年なくて
    はや身は老ひし七十路の
    すでにこゝろのたかぶりて
    諸仏菩薩をあなづりて
    悪道近きをあはれみまして
    射て見たまひしおんかぶらやなり

とされているが、この手帳から大きな字を拾ってみるとこの初稿は
      ロマンツェロ
    あななつかしやなつかしや
    こは毘沙門のおん矢なれ
    わが身の乱をあはれみて
    おんかぶらやを賜ひしか

であろうことが推定される。
 そして、この詩の中の”かぶらや”に関連してだが、三熊神社の案内板の中に”熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をした”とある。従って、少なくともこの詩に登場している『毘沙門』はここの成島の毘沙門である可能性が高いと思うからである。
 では、成島の毘沙門天が祀られていた
《12 毘沙門堂》(平成21年3月26日撮影)

に向かおう。花巻市の公式HPの中の”花巻の観光情報”によれば
 毘沙門天立像 兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国指定重要文化財)は高さ4メートル73センチの、ケヤキ(欅)一本彫の成仏としては日本一のもの。その威厳ある姿は見る者を圧倒する迫力です。
 平安時代に朝廷がこの地方に勢力を伸ばした時期に、北方の守護のために作られたものであると伝えられます。
 地天女の両掌の上に支えられて立ち、左右に藍婆(尼藍婆)と毘藍婆の二鬼を従えて火焔を背に毅然と立つ姿は威圧感を与えます。
 地天女のおだやかな表情と対照的に毘沙門天および左右の二鬼の形相はすさまじく、独特の雰囲気を醸す空間を形作っています。
 近年までこの立像が納めてあった毘沙門堂(国指定重要文化財)は寄棟造でやや大型のお堂。柱も太く、室町時代の大らかな建築様式を残しています。
 現在、兜跋毘沙門天立像はお堂から宝物庫へ昭和63年に遷座されております。

ということである。
《13 案内板》(平成21年3月26日撮影)

《14 毘沙門堂正面》(平成21年3月26日撮影)

《15 毘沙門堂額》(平成21年3月26日撮影)

 では
《16 堂内》(平成21年3月26日撮影)

に入ってみよう。正面上方には
《17 額》(平成21年3月26日撮影)

が懸けてあるし、沢山の
《18 絵馬》(平成21年3月26日撮影)

《19 〃 》(平成21年3月26日撮影)

《20 〃》(平成21年3月26日撮影)

《21 〃 》(平成21年3月26日撮影)

《22 〃 》(平成21年3月26日撮影)

《23 〃 》(平成21年3月26日撮影)

《24 〃 》(平成21年3月26日撮影)

《25 〃 》(平成21年3月26日撮影)

《26 〃 》(平成21年3月26日撮影)

が掲げてある。それぞれのいわれを知りたいものだ。
 では、この堂を出て、本尊の毘沙門天が安置されている宝物殿へ移ろう。この坂を登っていったところに
《27 宝物館》(平成21年3月26日撮影)

がある。坂から振り返れば
《28 毘沙門堂》(平成21年3月26日撮影)

がこのように見える。 
《29 宝物殿》(平成21年3月26日撮影)

への坂の左手には
《30 奥州総鎮護毘沙門天のいわれ》(平成21年3月26日撮影)

の石碑があり、
 日本一の巨像兜跋毘沙門天(国指定重要文化財)の鎮座する毘沙門堂は、今からおよそ一一五〇年前自覚大師の開基と伝えられる。坂上田村麻呂のいわゆる「蝦夷征伐」から半世紀ようやく人心も落着き、田村麻呂は既に伝説上の人物として崇められていた。この成島の地にもその伝説は語り継がれている。
 当地は上流の遠野、上閉伊の村々を擁する猿ヶ石川を眼下に望む枢要の地である。対岸に征矢森と呼ばれる館跡があり、ここにたてこもった田村麻呂は東の強敵大竹丸討伐に当たって、はるか紀州の熊野三山に祈願したところ勝利をえたので、当地に三熊野神を勧進した。この大毘沙門天を田村麻呂の生き写しとしする伝説あながち故なきことではない。
 毘沙門天は元来。北天守護神施財天(福神)として尊崇されていた。大唐安西域に地天(産土神)の掌上に支えられて大地から湧出顕現し、その危急を救ったときの姿を特に兜跋毘沙門天といい、都を初の重要拠点に安置される習わしとなった。当地の兜跋毘沙門天は像高四七三㎝(地天共)、藍姿、毘藍姿の二鬼を従えた一本造の堂々たる巨像で、まさに「奥六郡」の中央に祀られ奥州総鎮護にふさわしい。平安京羅城門(現東寺安置)、九州太宰府観世音寺の像と「日本三大兜跋毘沙門天」と並び称せられるゆえんである。
 伝吉祥天(国指定重要文化財)も気品あふれる名作であり東北地方における平安初期の最優秀の傑作として名高い。(以下略)

と刻まれている。
 さらに坂を上って行くと
《31 宝物館の前に》(平成21年3月26日撮影)

《32 小さな祠》(平成21年3月26日撮影)

が見えてくる。
《33 祠の脇には石碑》(平成21年3月26日撮影)

があり、それは
《34 宮沢賢治の詩碑》(平成21年3月26日撮影)

であった。その碑文は詩”祭日〔二〕”であり
            宮 沢 賢 治
   アナロナビクナビ 睡たく桐咲きて
   峡に瘧の やまひつたはる
 
   ナビクナビアリナリ 赤き幡もちて
   草の峠を 越ゆる母たち
 
   ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
   毘沙門像に 味噌たてまつる
 
   アナロナビクナビ 踏まるゝ天の邪鬼
   四方につゝどり 鳴きどよむなり

と刻まれている。
 そして、この下書稿は次のとおり。
             祭日
   アナロナビ、クナビ 木の芽は膨らみて
       柳の絮はとびひかり
       をちこち山の畑には
       睡たく桐の花咲けり
   
   ナビクナビアリナリ 児らをせなにして
       赤とうこんの幡もちて
       草の峠や水無し谷
       越えもて行くや母の群
   
   ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
       毘沙門像のおんすねに
       味噌塗りまつりおん手形
       みうちさすりておろがみぬ
   
   アナロナビクナビ 踏まるゝ天の邪鬼
       金のめだまのやるせなみ
       堂を出づれば風ぬるみ
       つゝどり四方にどよもせり

   <『校本 宮沢賢治全集 第五巻』(筑摩書房)より>
味噌を塗ったその脛は全部は見えないが祠の中に
《35 その足元が見える》(平成21年3月26日撮影)

《36 あまり味噌が塗られた形跡はないが》(平成21年3月26日撮影)

そばの
《37 説明板》(平成21年3月26日撮影)

では
 毘沙門と味噌とのかかわり
◎曾てひそかな民衆信仰として毘沙門立像の脛に味噌を塗り思い思いの祈願したという。この情景を見た宮沢賢治は詩碑に刻まれてある詩にあるように「……毘沙門に味噌たてまつる……」とよんだ。
◎この祠に納めてある脛は実物と同型の言わば分身です。
あなたも毘沙門天の脛に味噌を塗って家内安全、無病息災、商売繁昌、交通安全を祈願いたしましょう。

と味噌塗りを推奨している。もっとも、賢治がこの詩を詠んだ頃の味噌は本物の兜跋毘沙門天立像の脛に塗ったのだろうが、現在はその兜跋毘沙門天立像は国重要文化財なので塗ることは禁止となり、この祠に分身としてこの脛を置いているのだろう。

 さて、肝心の兜跋毘沙門天立像だが、宝物館に安置されているて撮影禁止なので
《38 兜跋毘沙門天立像の写真》(平成21年3月26日撮影)

でご勘弁を。
 花巻市の公式HPの中の”花巻の観光情報”
   http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/kanko/bishamon.html
によれば
 毘沙門天立像 兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国指定重要文化財)は高さ4メートル73センチの、ケヤキ(欅)一本彫の成仏としては日本一のもの。その威厳ある姿は見る者を圧倒する迫力です。
 平安時代に朝廷がこの地方に勢力を伸ばした時期に、北方の守護のために作られたものであると伝えられます。
 地天女の両掌の上に支えられて立ち、左右に藍婆(尼藍婆)と毘藍婆の二鬼を従えて火焔を背に毅然と立つ姿は威圧感を与えます。
 地天女のおだやかな表情と対照的に毘沙門天および左右の二鬼の形相はすさまじく、独特の雰囲気を醸す空間を形作っています。
 近年までこの立像が納めてあった毘沙門堂(国指定重要文化財)は寄棟造でやや大型のお堂。柱も太く、室町時代の大らかな建築様式を残しています。
 現在、兜跋毘沙門天立像はお堂から宝物庫へ昭和63年に遷座されております。
 毎年ゴールデンウィークには三熊野神社と毘沙門堂境内で毘沙門まつり・全国泣き相撲大会が開催されます。

ということである。
 なお、藍姿、毘藍姿の二鬼と伝吉祥天立像(のレプリカ)は『東和ふるさと歴史資料館』でも見ることが出来る。それらは以下のとおり。
《39 伝吉祥天立像》(平成21年4月2日撮影)

《40 藍姿》(平成21年4月2日撮影)

《41 毘藍姿》(平成21年4月2日撮影)



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