《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影)
私は総会終了後、ロビーの被災地写真展示パネルの近くで本を「拾い」に来られる方を待っていた。それはもちろん、先ほど、
言い出しっぺの私は大槌の教育委員会に何と謝ればいいのでしょうか。正直に顚末をお伝えしようかとも思ったのですが、それでは宮沢賢治学会の恥をさらすことにもなりかねません。そこで私は、目標額にしていた10万円を全部自腹で負担し、総会参加者有志よりといことにして届けます。大槌の子どもたちの期待を裏切りたくないからです。
したがって、募金は受け付けられませんが、個人的に募金したいが大槌は遠いのでというお方がございましたならば、私が責任を持ってお届けいたしますのでお申し付け下さい。
なお、かつて総会時に個人的に本を売っていた事実があったというのに私は端からそれはダメと門前払いをされましたので、私が今回売って募金に当てよう思っていた本は、その差別扱いに抗議して全部捨てることにしました。ロビーの被災地写真展示パネル近くに積んでいるのがそれです。いや捨てるのは勿体ないというお方がもしございましたならばどうぞそこから自由に拾っていって下さい。
と啖呵を切ったからだ。したがって、募金は受け付けられませんが、個人的に募金したいが大槌は遠いのでというお方がございましたならば、私が責任を持ってお届けいたしますのでお申し付け下さい。
なお、かつて総会時に個人的に本を売っていた事実があったというのに私は端からそれはダメと門前払いをされましたので、私が今回売って募金に当てよう思っていた本は、その差別扱いに抗議して全部捨てることにしました。ロビーの被災地写真展示パネル近くに積んでいるのがそれです。いや捨てるのは勿体ないというお方がもしございましたならばどうぞそこから自由に拾っていって下さい。
すると、ご夫妻がやって来て、これを届けて下さいと仰ってお金を渡されたので、大槌の子どもたちの支援募金ということで預かった。
また、何人かの方が本を「拾い」に来られた。
そして冷やかしに来た人が一人だけいた。そのお方は、先ほど私の後の席に座っていて、
資料を渡すのは……
と仰って、資料を配ることはまずいと受け取られるような発言をなさった人であり、
何冊か本を買おうかなと思って来た。
というようなことを仰るものだから、私はそれを真に受けて、しかし「前代表理事」だから「どうぞ何冊でも拾っていって下さい」とは言えず戸惑っていると、そのうち何事もなかったようにして立ち去って行かれた。
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《鈴木 守著作案内》
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
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