みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

事実関係をもっと調べておかなくてもよかったのかな

2018-01-17 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
H29,11,24 20時~ BSプレミアム“英雄たちの選択”「本当の幸いを探して 教師・宮沢賢治 希望の教室」
 今度は、司会進行の磯田氏が次のような話の口火を切った。
 私はね、あの大正期の岩手・花巻にああいう人が生えてきたということの理由は、何となく考えてみると、無理なこじつけかもしれないけど、まず西洋から最も遠い知的な社会だったと言っていい、あの当時の人類史上で言えば日本は。その中で最も貧しい江戸時代以来悲惨な目に遭ってきたのが実は岩手県である。そこで何が起きるかというと、花巻ではその一方で中世さながらの悲惨な飢えの世界も同時に存在するという、中世の悲惨と近代の知や文明がそういう自由だとか人権だとかそんなもんとか混然一体にある場所が生じる訳ですよね。そこへ多感な何らかの要素を持った人間が一心で全部をそれをウワ~ッと受けたら何か考えて書き始めたり行動すると思うんですよ。
 当時、最先端である土壌学だとかね生物学の最先端のものを見るから、例えばね、石一個持ったって、こう窒素 リン酸 カリってなっててそれが植物中に取り込まれて身になった時にその与えたリンがこの身を膨らませてそれを食べた瞬間土壌中のリンが自分の体の中に入ってっていう循環していく宇宙とつながってる自分の体の事も考える訳ですね。これはね、独立峰になりますよね。そこが面白いとこだと思うんです。この賢治の生成法というのは。
かくのごとく、司会進行は盛り上げてゆく。気持ちは分からないわけでもないが、いみじくも本人が「無理なこじつけかもしれないけど」と言っているように、主張が主観的に、あるいは独断的になっていきそうなな気配が私にはしてきた。

 そして、次のように話し合いは続く。
高橋:やっぱりね凄い科学知識を信頼して、世界を獲得したいって感じ。そんなバカなことは考えない、普通。やっぱり傑作を作るとかね立身出世をするとかモテるとかそういう個別の事は分かるけど本気だったって気がするんですよね。
磯田:気負わず、とつとつと本気でやるんですよ。気持ち悪いほどに。自分が生きてる国土の上にその自分の理想社会のようなものをやるに一歩でも前へ進む行為だったら詩も作るし童話も作るしレコードも聴かせるというようなそういうのを気負わずにやると
大島:だから本当に今の我々からしても大げさだと思いますけど、世界を救えると思っているんですよね。やっぱり科学知識とそしてそれこそ技術を与える事で、科学知識によって生産力が上がり、豊かになり、そこにそれこそ性教育も含めてですね、芸術的な文化があればもう全員が幸せになってしかも 妨害せずに生きていけるじゃないかという。まあ妄想といえば妄想ですけど信じてる。すごく真面目にこう闘ってると思いますね。
 ということで、ここで初めてこの番組の冒頭で語られた、
 「みんなのほんとうの幸い」、あまりにも深い問いかけ。人の生き方や社会の在り方と密接に関わるこの問いに向き合い続けた男がいる。
という一言、つまりこの番組の主旨に対する一つの見解、
 科学知識とそしてそれこそ技術を与える事で、科学知識によって生産力が上がり、豊かになり…(略)…芸術的な文化があればもう全員が幸せになってしかも 妨害せずに生きていけるじゃないかという。
が大島氏から示された。ただし、この前半「科学知識とそしてそれこそ技術を与える事で、科学知識によって生産力が上がり、豊かになり」は至極当たり前のことであり、なんら戸惑うことは私にはないが、
 そうなると「芸術的な文化があればもう全員が幸せになってしかも 妨害せずに生きていけるじゃないか
という論理は、飛躍があって私には理解しにくいのだが。とはいえ、これで「みんなのほんとうの幸い」の答案の一つがちらっと顔を見せてくれた(なお、大島氏の「まあ妄想といえば妄想ですけど」という一言に、彼はこのことに関しては客観的に見ているということを私は知って安堵した。ただしそうであるならば、砂上の楼閣の話をしてしまうことになりかねないという危惧も同時に抱いたのだが)。

 その一方で、盛り上げる司会進行の発言に呼応して、ゲストは、
    高橋氏:科学知識を信頼して、世界を獲得したいって
    大島氏:世界を救えると思っているんですよね
というように、一気にワールドワイドな話に飛び、賢治の意気込みや実践をかなり高く評価する。しかし、その理由や根拠はお三方ともやや情緒的であり、観念的だと私には思えた。しかも、この相似たような見方にどなたも反論しない。ということは、それこそ深読みはしても、深掘りがはたして可能だろうかということを私は危惧し出してしまった。

 次に渡邊アナが、
さあ、賢治はその後もふるさと花巻で農学校の教師を続けていくんです。ただ、その先に人生を左右するある葛藤が待ち受けていました。
と前触れすると、ナレーションが次のように続いていた。
 農学校の教師として農村に希望をもたらそうと奮闘した宮沢賢治。賢治は生徒たちとの交流を通じある夢を抱くようになる。それが花巻独自の農村文化の育成だった。中でもユニークな取り組みが花壇の設計。賢治は斬新な花壇を次々と構想していった。賢治が教え子たちと作り上げた花壇が花巻に復元されている。地元の花巻温泉の依頼を受けて作った西洋風の花壇だ。実は当時、花巻では温泉の開発が進んでおり実業家だった父親もその事業に携わっていた。賢治も、これからの農民は米や野菜を作るだけでは駄目だと花の栽培を学べる花壇の製作を通しその開発事業に関わった。
 他にも 芝居の脚本を書き生徒たちを役者にして学校で上演している。農学校独自の農民演劇を作ってみたい。教師・賢治の夢は膨らむばかりだった。

 えっそうだったのか、と私は自分の無知を恥じた。このナレーションの「賢治は生徒たちとの交流を通じある夢を抱くようになる。……賢治は斬新な花壇を次々と構想していった」部分に従えば、賢治は農学校時代に花巻独自の農村文化の育成を夢見、そのためにとりわけユニークだったのが花巻温泉等の花壇設計であったということになるからだ。しかも、花巻温泉の花壇は賢治が教え子たちと作り上げた花壇であるということになるからだ。つい今までの私は、賢治の主立った花壇設計の殆どは農学務時代ではなくて、そこを辞めて下根子桜に移り住んでからのことだと理解していたからだ。そして花巻温泉の花壇作りを手伝った教え子はほぼ冨手一ぐらいのものだと認識していたからだ(「教え子たちと作り上げた」というからには複数の教え子が手伝ったことになる)。
 
 そこでこれはいけないと、慌てて賢治と花壇作りということで少しく調べて直してみた。すると例えば、大正15年4月4日付森荘已池宛書簡の中に、
 お手紙ありがたうございました。学校をやめて今日で四日木を伐ったり木を植えたり病院の花壇をつくったりしてゐました。もう厭でもなんでも村で働かなければならなくなりました。東京へその前ちょっとでも出たいのですがどうなりますか。
            <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)>
とあるし、実証的な検証に基づいて書かれている伊藤光弥氏の『イーハトーヴの植物学』によれば、
 大正十五年四月から翌年まで病院や花巻温泉の花壇作りをしている
            〈『イーハトーヴの植物学』(伊藤光弥著、洋々社)139p〉
 あるいは、同じく
 賢治が花壇設計に熱心だったのは農学校を退職した後であり
            〈同150p〉
という記述等は見つかっても、農学校時代に「賢治は斬新な花壇を次々と構想していった。賢治が教え子たちと作り上げた花壇」を裏付けるものは、現時点では私は見つけられずにいる。また、冨手以外に花巻温泉の花壇作りを手伝ったという教え子を私は見つけられずにいる。
 ……と思っていたのだが、やっと次のような記述が『証言 宮澤賢治先生』の中に見つかった。
 南万丁目の新校舎に移転したときから賢治の花壇作業が始まった。
             〈『証言 宮澤賢治先生』(佐藤 成著、農文協)185p~〉
そして周知のように、校舎の移転は大正12年4月だから、賢治の花壇作りはこれ以降ということになる。
 とはいえ、新校舎の敷地内に作ったというこの花壇が先の「中でもユニークな取り組みが花壇の設計。賢治は斬新な花壇を次々と構想していった。賢治が教え子たちと作り上げた花壇が花巻に復元されている。地元の花巻温泉の依頼を受けて作った西洋風の花壇だ」という花壇とはなり得ない。それは、前掲の伊藤氏の「賢治が花壇設計に熱心だったのは農学校を退職した後」という記述からも裏付けられる。

 よって今回は、このナレーションの「賢治は生徒たちとの交流を通じある夢を抱くようになる。……賢治は斬新な花壇を次々と構想していった」部分がはたして事実だったのだろうかと私は訝っている。そしてここまでを振り返って見れば、
・〝今度は、「英雄」にされそうな賢治〟においては、
 まるで、勝や西郷に並び称されるよう、賢治は「英雄」であると受け取られかねない番組創り。
・〝司会進行までが熱すぎることの懸念〟においては、
 大袈裟すぎるのではなかろうかという危うさを抱く、司会進行の「ひょっとして人類の未来を示しいるのではないか、というような恐れおののきを感じる文学なんです」という熱すぎる語り口。
・〝牽強付会な番組だと誹る人もいるかもしれない〟においては、
 当てるべきところに焦点を当てていない番組構成。
・〝垣間見えてしまったこの番組の危うさ〝においては、
 歴史的事実認識の危うさ。
・〝「思い込み」や「思い入れ」で語ってはいないか〟においては、
 客観的な裏付けに基づいてではなく、観念で語られているような賢治論。
・〝この番組に対する私の憂慮〟においては、
 岩手を異界とでも思っているような、独断的とも見える持論の展開。
等々をこれまで指摘をしてきた訳だが、さらに今回のこれだから、同番組はあやかしが多すぎるのではなかろうかと言わざるを得ない。

 そこで私は、この番組は、事前に事実関係をもっともっとよく調べておかなくてもよかったのかな、と一人ごちてしまった。

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 〒 028-1121
   岩手県上閉伊郡大槌町小鎚第32地割金崎126
        大槌町教育委員会事務局(電話番号0193-42―6100)
                  教育長 様   
 なお、私のところに送って頂いた場合には、責任を持って大槌町教育委員会へ私からお届けします。私の住所は、
〒025-0068     岩手県花巻市下幅21の11
 電話 0198-24-9813    鈴 木  守
です。
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