みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

DVD「その3 心象スケッチ」

2016年10月11日 | 真実の賢治を知りたい
 では今回は、『賢治の学校 宮澤賢治の教え子たち DVD 全十一巻』(制作 鳥山敏子 小泉修吉 NPO法人東京賢治の学校)の中の巻の一つ「その3 心象スケッチ」についてだ。
 その中では、まず最初に照井保志(昭和3年3月卒)が次のようなことを語っていた。
 向こうの方から来たね、今お嫁さんに来て、今もう77~78ですよね、その人が言ってましたよ、 来た頃の賢治先生はさっぱり評判もなにも良くないんだって。立派な宮澤家にとついで来たのに、宮澤先生は気の毒だな、あれでは 宮澤家ダメになるダメになると、こう言われたんですよ。
 いや私は、ここのところから来た私は嫁なんですが、よそから来た私たちに本当に宮澤家というあんな立派なところから、宝息子だね、本当にバカ息子が生まれて、まったく気の毒だ気の毒だとみんなが言っとたというけど、本当に言ってましたよ。
 だから私は今不思議で不思議でならない。その人が今素晴らしいでしょう。どういことですか。世の中が本当の姿が今出てるんですよ。
 花売りに行ってみたり、後にリヤカーなんかで引っぱってやったかな、そしてそれもね皆さんにくれてやったそうですね。だからあれ見てるとね、貰った人は良かったもしれないが、あれでは商売もなにも出来ないんじゃないかというような考え方やらなにやら。ああいう息子じゃ身上もたない、カマド返しだとかといいうこと。

 そして次には、教え子の長坂敏雄、佐藤栄作、五内川佐、細川直美、照井謹二郞、朝倉六朗、瀬川哲男、工藤克己、小野寺政太郎達が順々に登場してきて、皆口を揃えて、賢治には奇行があったことを語っていた。
    ホーホーと声を出し、飛び上がる、跳ね上がって回る等の奇妙な行動はしょっちゅうあった。
というようなことを。
 あるいは、例えば朝倉は賢治と一緒に暗闇の中を歩いていた際に、
   『片眼のおばあさん出てきてこう言いました
と賢治から言われたことがあるし、似たようなこと時々言われたと。
 また、小野寺は
   『夕べ地獄を見た
と賢治から言われたことがある、とも語っていた。

 それにしても私が不思議に思うことは、賢治はなぜいつも教え子を引き連れて山野をあちこち跋渉したのだろうか。教え子たちがそれ程いやがっていなかったことはこのインタビューを見ていてよくわかるが、逆に、「教え子たちを引きずり回していることにもなるから、もしかすると実は困っているのではなかろうか」ということを賢治は忖度しなかったようだし、殆ど意に介さなかったこともまたわかるからだ。

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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。
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