《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影)
話は多少前後するが、7月19日の例会終了後、市民の会会長と私はイーハトーブセンター事務局長に募金の件で事前の相談に行った。そしてその際、例会で提案した際に用いた文書を基に説明、併せて、このことは8月の理事会で本会の会員でもある理事から議題として提案される予定ですと申し添えた。すると事務局長から、いや8月5日に理事会があるから、こちらに7月末までに文書で出してくれと指示があり、その指示に従って7月30日に提出したのが次の文書である。
その後私は、8月の理事会でこの件を提案する予定だった本会の会員でもある理事へこの経緯を報告し、提案はこちら側からする必要がないことになりましたと伝えた。
さて、これで事務局長の指示に従って手続も踏んだ。8月の理事会では、とても素晴らしい活動だということで賛同をもらい、賢治学会の定期総会では全国から集まってこられた参加者と一緒に賢治精神を実践できるぞと思って、これでよし!、とひとまず安堵した私だった。
ところがこの提案に対する理事会からの回答は予想だにできなかった意外なものであり、募金活動の顚末と結末は信じられないものであった。
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《鈴木 守著作案内》
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
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