みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

昭和2年11月に賢治が詠んだ詩

2016年10月12日 | 「羅須地人協会時代」に詠んだ詩
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)よりカウント>
 では、昭和2年11月に賢治が詠んだ詩はどのようなものがあったのか。『新校本年譜』によれば、
一一月一日(月(ママ))~三日(水(ママ)) 菊花品評会の審査にあたる。
一一月 「文語詩篇」ノートに「十一月「白藤ヲタノミテ藤原ノ結婚式」とメモ。
ということで、11月に詠んでいた詩篇は一篇もないことになっていた。
 それにしても、つい先頃まではあれだけ旺盛だった詩の創作が急激に減り、そしてしばらく皆無になっていたということはとても不思議なことだ。そこで常識的に考えれば、当然そこには何か大きな出来事が起こっていたであろうと考えられる。そのことを、あの澤里武治の証言が教えてくれる。
 昭和2年11月頃の霙の降る寒い夜、「今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる」と賢治はひとり見送る澤里に言い残して、チェロを持って上京していたから、この三か月間は少なくとも詩を詠む暇などなかったのだ。
と。

 つまりこうだ。新校本年譜』では、
(大正15年)一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。
とあり、この注釈として
 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている。
とあるがこれはおかしい。その変更の根拠も明示せずに、「…ものと見られる」とか「…のことと改めることになっている」とまるで思考停止したかの如き表現が、『校本』と銘打った全集の中に登場しているという奇妙な現象が起こっているからだ。
 次に、その「関『随聞』二一五頁」を実際に見てみると、
 昭和二年十一月ころだったと思います。…(筆者略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
「沢里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そういってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅でお見送りしたのは私一人でした。…(筆者略)…そして先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。
という澤里武治の証言が載っているから更に愕然とする。それは、この証言の最後の部分「先生は三か月間の…帰郷なさいました」を『新校本年譜』が完全に無視していることに気付くからだ。具体的には、いくら四苦八苦してこの「三か月間の滞京」を大正15年12月2日以降に当て嵌めようとしてもそれができないことに気付く。同年譜では、牽強付会なことがしれっとして行われている。

 ではこの矛盾はどうすれば解消できるかだが、それはこの時の上京に関連する前掲の「関『随聞』二一五頁」の他に次の二人の証言、
 (1) 伊藤清の証言
 (「羅須地人協会時代」に)上京されたことがあります。そして冬に、帰って来られました。〈『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社)〉
 (2) 柳原昌悦の証言
 一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけれども。〈菊池忠二氏の柳原昌悦からの聞き取り〉
を組み合わせればおのずから導かれる。
 具体的には、三人の証言を補完し合いながら組み合わせれば、
〈仮説〉賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、しばらくチェロを猛勉強したがその結果病気となり、3ヶ月弱後の昭和3年1月に帰花した。
が定立できるし、この仮説を裏付けることはいろいろあっても、明らかな反例は一つも見つからなかったから検証できたことになる。
 当然これに伴って、これまでの「賢治年譜」は、
・大正15年12月2日:柳原、澤里に見送られて上京。
・昭和2年11月頃:霙の降る寒い夜、「今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる」と賢治はひとり見送る澤里に言い残して、チェロを持って上京。
・昭和3年1月:滞京しながらチェロの猛勉強をしていたがそれがたたって病気となり、帰花。漸次身体衰弱。
というような修訂が必要となる。また、「三か月間の滞京」期間ももちろんこれで問題なく当て嵌められるので矛盾も解消できる。

 というわけで、現「賢治年譜」は大正15年12月2日の上京の典拠にしているという証言を実は恣意的に使っており、そこには解消困難な「三か月間の滞京」という難題が横たわっているのである。
 なおこのことについては、拙著『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』において実証的に考察し、それを詳述してあるからご覧いただきたい。

 続きへ
前へ 
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

◇ 拙ブログ〝検証「羅須地人協会時代」〟において、各書の中身そのままで掲載をしています。
ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 森吉山(10/7、#4、残り後編) | トップ | DVD「その4 イギリス海岸」(梅... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL