今回は瀧清水神社の石塔群等について。
《1 瀧清水神社の扁額》(平成29年5月23日撮影)
《2 由緒案内》(平成29年5月23日撮影)
《3 境内には沢山の石塔群》(平成29年5月23日撮影)
《4 湯殿三山》(平成29年5月23日撮影)
《5 〃 》(平成29年5月23日撮影)
《6 観世音》(平成29年5月23日撮影)
《7 念仏供養》(平成29年5月23日撮影)
《8 〃 》(平成29年5月23日撮影)
《9 鳥海山》(平成29年5月23日撮影)
《10 湯殿山》(平成29年5月23日撮影)
《11 観世音》(平成29年5月23日撮影)
《12 念仏供養》(平成29年5月23日撮影)
《13 観世音》(平成29年5月23日撮影)
《14 湯殿山》(平成29年5月23日撮影)
《15 月三山》(平成29年5月23日撮影)
《16 馬頭観音》(平成29年5月23日撮影)
《17 念仏供養》(平成29年5月23日撮影)
《18 月三山》(平成29年5月23日撮影)
《19 境内には小さな社がもう一つあり》(平成29年5月23日撮影)
《20 金比羅大権現》(平成29年5月23日撮影)
そしてその隣にも
《21 湯殿三山》(平成29年5月23日撮影)
結局全部で何と17基もの石塔があった。ちなみに、
湯殿山等の山岳信仰記念碑 9基
念仏供養塔 4基
観世音塔 3基
馬頭観音塔 1基
となっていて、不思議なことに庚申塔の類は一基もなかった。
ということは、下根子桜には山岳信仰の講中は沢山あったのだが、庚申信仰の講中はなかったということなになるのだろうか。そういえば、門屋光昭著『鬼と鹿と宮沢賢治』によれば、下根子桜のあたりでは隠し念仏が盛んだったようだから、あるいはそのことが影響していたのだろうか。
続きへ。
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《3 境内には沢山の石塔群》(平成29年5月23日撮影)
《4 湯殿三山》(平成29年5月23日撮影)
《5 〃 》(平成29年5月23日撮影)
《6 観世音》(平成29年5月23日撮影)
《7 念仏供養》(平成29年5月23日撮影)
《8 〃 》(平成29年5月23日撮影)
《9 鳥海山》(平成29年5月23日撮影)
《10 湯殿山》(平成29年5月23日撮影)
《11 観世音》(平成29年5月23日撮影)
《12 念仏供養》(平成29年5月23日撮影)
《13 観世音》(平成29年5月23日撮影)
《14 湯殿山》(平成29年5月23日撮影)
《15 月三山》(平成29年5月23日撮影)
《16 馬頭観音》(平成29年5月23日撮影)
《17 念仏供養》(平成29年5月23日撮影)
《18 月三山》(平成29年5月23日撮影)
《19 境内には小さな社がもう一つあり》(平成29年5月23日撮影)
《20 金比羅大権現》(平成29年5月23日撮影)
そしてその隣にも
《21 湯殿三山》(平成29年5月23日撮影)
結局全部で何と17基もの石塔があった。ちなみに、
湯殿山等の山岳信仰記念碑 9基
念仏供養塔 4基
観世音塔 3基
馬頭観音塔 1基
となっていて、不思議なことに庚申塔の類は一基もなかった。
ということは、下根子桜には山岳信仰の講中は沢山あったのだが、庚申信仰の講中はなかったということなになるのだろうか。そういえば、門屋光昭著『鬼と鹿と宮沢賢治』によれば、下根子桜のあたりでは隠し念仏が盛んだったようだから、あるいはそのことが影響していたのだろうか。
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