みちのくの山野草

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《「羅須地人協会」の会員等一覧(叩き台)》投稿の経緯

2017-03-26 17:00:00 | 「賢治研究」の発展のために
【追記】
 本投稿について、「宮沢賢治学会一会員」様から、下掲コメント欄のようなご助言を賜りました。私もどうしようかと迷っていたところでもあり、ご助言に従いまして、
     「当セミナーの責任者T氏」とは外山 正氏のことです。
ということを明らかにいたします。
*********************************************************************************************

 さて、私は何故《「羅須地人協会」の会員等一覧(叩き台)》という資料<*1>を作ったのかというと、
 『羅須地人協会のメンバーを調べて一覧を作り、この3月25日に行われる「賢治学会イーハトーブセンター」主催の「2017年春期セミナー」で発表してほしい』と、当セミナーの責任者T氏から間接的に依頼された。
と私は認識していたからである。
 そこで、去る12月21日(水)にその責任者と直接お会いした際に、この《「羅須地人協会」の会員等一覧(叩き台)》をお渡しし、

 なぜ私がそのような認識をしたのかということの顚末を同責任者に話し、その一覧作成のためにわざわざ上京したということ、そしてそれは何故だったのかということも説明した。しかしこの発表については同責任者からの直接の指示はなかったことだったから、『私は一体今度の「春期セミナー」で発表するのですかしないのですか、はっきりさせていただきたい』とお願いした。

のだが、その後本日まで同責任者からは一切の回答がなかった。一方で、あったことは、同責任者が私の一連の賢治研究を痛罵しているという事実だった(もし私の研究をT氏が批判したいのであれば、陰で仰有らずに直接私に言ってほしかった。そうすれば、この痛罵の論理が脆弱、感情レベルのものであり、しかも私に比べてT氏は羅須地人協会時代のことや、賢治に関することをよく分かっておられないといういうことをT氏にお伝えできたであろうに)。

 さて、その痛罵を知った私ではあるが、私如き田舎の老いぼれの一連の賢治研究に対して、セミナーの責任者をなされておられるお方からみそくそにけなしてしていただいたということは、ありがたいご批判なのだと受け止めて甘受しようかなと思った。そこには或る方を介していることもあるので私が我慢すればいいだけのことと諦め、イーハトーブ館を訪れてことの顚末を説明して、妥協しようと思って次のようにお願いした。
 もし、私の当日の発表がないということであれば、この《「羅須地人協会」の会員等一覧(叩き台)》を当日配布させていただけないかということを春期セミナーの責任者にご連絡頂きたい。
と同館にお願いし、譲歩案を申し入れたのだが、この件に関しても同責任者からの回答は全くの「梨のつぶて」だった。

 そして、その春期セミナーが本日行われた。

 もしせめて私の譲歩案を受け容れて貰えていたらばこんなことを投稿するつもりはなかったのだが、同責任者のここまでの徹底した無視と痛罵をつらつら振り返ってみて、春期セミナーの責任者の私に対するかくの如きアンフェアで無責任な対応にもし私が泣き寝入りをしていたならば、賢治研究の発展を結果的に阻害しかねないということに私は気付き、このような
    《「羅須地人協会」の会員等一覧(叩き台)》投稿の経緯
をアップし、勇気を奮って
 この度の春期セミナーの責任者の賢治研究に対する姿勢は、賢治研究の発展を阻害しかねないものである。
と抗議することにした。
 もともと、研究者たる者、真実を求めたいのであれば研究に対しては真摯な態度と謙虚な姿勢が必要条件となるはずだが、今回の春期セミナーの責任者の私ヘの対応の仕方から同責任者にはそのどちらも欠けているということが分かったし、まして他ならぬ「責任者」の立場にある方のそれだから、今回のことは個人レベルの問題ではない。延いては、このようなことが放置されていては春期セミナーそのものが瑕疵を内包しかねないということを私は危惧し、泣き寝入りなどせずにその警鐘を鳴らさねばならぬという結論に達してこのような抗議をしている。

 同時に、この「叩き台」はその後放置しておいていたから何ら練り上げていないものではあるが、ある方から、
「羅須地人協会員名簿」(《「羅須地人協会」の会員等一覧(叩き台)》のこと)はまさしく労作で、たぶん、(私としては)今までこのようなものは見ていないと思いますので、今回のセミナー資料として有効に利用されることを望みますが
という評価をいただいたものであり、折角その春期セミナーが行われているこの時期だから勿体ないので取り敢えず公にした次第である。

<*1:註>
 私のような者が今頃になって作るまでもなく、疾うの昔に少なからぬ賢治研究家の方々がこのような一覧表を作っていて当然のはずだ。それもかくの如き叩き台のような中途半端なものではなくて、もっと完成度の高い一覧表をである。ところがそのようなものはもちろんのこと、このような中途半端なものでさえも作った人は未だかつて誰一人としていないはずだ。全く不思議なことに。

 「典拠欄」の<〇囲み数字、頁数>は、下掲の【典拠リスト】のそれぞれに当たる。








                                                                以上

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イニシャル表記について (宮沢賢治学会一会員)
2017-03-26 14:36:12
昨日のセミナーの開会の挨拶で今回の企画の趣旨について述べられた宮沢賢治学会代表理事の方は、名字の頭文字はTで、学会の責任者でもありますが、ここで言われている「責任者T氏」と理解してよろしいのでしょうか。
貴殿が「もし私の研究をT氏が批判したいのであれば、陰で仰有らずに直接私に言ってほしかった」と考えておられるのであれば、貴殿ご自身も、批判の相手をローマ字イニシャルで表記するなどという中途半端な形で自分の逃げ道を残しておくのでなく、正々堂々と名指しで批判を展開するべきです。
また、もしそれをする度胸がないのであれば、あれこれ詮索を生みかねないこんな無責任な記事は公開せず、ご自分の胸にしまっておくべきだと考えます。
ご助言ありがとうございます (宮沢賢治学会一会員 様)
2017-03-26 17:08:34
宮沢賢治学会一会員 様
 どうしようかと迷っていたところでもありました。
 ご指摘のような問題があるということですので、 ご助言に従いましてはっきりと申し上げます。

  「責任者T氏」とは外山 正氏のことです。

 私としましては、自分の名前を明らかにしておりますので何かあった場合には責め負えると思っておりましたし、この投稿は相手を責めている訳ではなく、その立場上の問題があるということを抗議したかったので、イニシャルにしてしまいました。
 ただし、このような場合でも名前を明らかにしないことは無責任だと思っていらっしゃる方も居られるのだということを知り、勉強になりました。ありがとうございます。
 
 つきましては、いつかお目にかかることもあると思います、その際は改めて御礼申しあげたいと存じますので、どうぞ「宮沢賢治学会一会員 様」のお名前を教えて下さい。 
                                                      鈴木 守 
質問 (宮沢賢治学会一会員)
2017-03-26 23:37:36
貴殿の批判の相手が、現代表理事ではないということは、了解いたしました。
しかし問題は、ご自身がこの記事の批判対象からの「責めを負えるか」ということだけでなく、例えばここで批判されているのが宮沢賢治学会の現代表理事だという誤解を招いて、その方が陰に陽に不利益を蒙った場合、記事を公開した貴殿が責任を負えるのか否かということにもありますので、先ほどのようなコメントをさせていた次第です。

公開の場で個人を批判する以上、どうしてもそのような責任が伴うものです。
それなのに貴殿は、「このような場合でも名前を明らかにしないことは無責任だと思っていらっしゃる方も居られるのだということを知り、勉強になりました」などと、あたかも私の意見を珍しいものでも見るかのように書いておられますが、上記のような事柄は、常識的なことではないでしょうか。

それはともかく、事ここに至って、相手の個人名まで挙げて公開の批判を行うことにされた以上は、読者としても、これが相手への不当な誹謗中傷なのか、それとももっともな批判なのか、判断をする必要がでてきますが、現在の記事ではあまりに曖昧な部分が多く、そのような判断のしようがありません。
公開での個人批判を行う貴殿には、そのあたりの具体的事実関係を明らかにしていただく責任がありますので、以下の質問をさせていただきます。

貴殿が、この記事において相手の実名を挙げてまで怒りを表明しておられる理由を整理すると、
(1)貴殿がセミナーで発表するのかどうか尋ねて返事を待っていたが、回答がなかった
(2)貴殿が作成した資料をセミナーで配布してほしいと、イーハトーブ館の誰かを通じて責任者に依頼したが、返答がなかった
という二点であるようです。
相手の方が貴殿を痛罵しているかどうかということは、記事中に「ありがたいご批判なのだと受け止めて甘受しようかなと思った」との記載がありますので、今回の批判記事公開の直接の理由ではないと理解できます。
さらに、「もしせめて私の譲歩案を受け容れて貰えていたらばこんなことを投稿するつもりはなかった」との記載があるので、(1)だけならばこの批判記事を公開されることはなかったと思われ、突き詰めれば(2)が、貴殿が最も怒っておられる点かと読みとれます。

そこで(2)についてですが、貴殿が作成した資料をセミナーで配布してほしいという貴殿の依頼を受け入れるか断るかという判断は、セミナーの責任者が行うことでしょうが、貴殿がこれを、責任者の方に直接依頼しなかったのはなぜでしょうか。
「・・・ということを春期セミナーの責任者にご連絡頂きたい。と同館にお願いし・・・」ということですが、これだけでは、貴殿がイーハトーブ館のどのような職員に依頼したのか読者にわかりませんし、セミナー当日までに、その連絡が職員からセミナー責任者に伝えられたのか否かもわかりません。
通常、結果によっては怒りのあまり批判記事を公開するほどの重要な依頼であれば、第三者を通した間接的な連絡に任せずに、直接自分で相手に伝えるべきだと思いますが、貴殿が他人任せにしてしまった理由が、読んでいても理解できません。
仮にもしも、イーハトーブ館の職員のミス等で、貴殿の(2)の依頼がセミナー当日までに責任者に伝わっていなかったとすれば、返答がなかったことをもって、責任者その人を「アンフェアで無責任」として批判することもできないでしょうが、これはその辺の事実関係も確認された上での記事でしょうか。
以上について、ご説明をお願いします。

もう一つ、そもそも事の発端は、今回のセミナーで貴殿に発表してほしいと、セミナー責任者の方から「間接的に依頼されたと私は認識していた」ことにあったということですが、「間接的に依頼された」と貴殿が認識した根拠は、具体的にどういう人とのどのようなやり取りによるものでしょうか。
その具体的内容の次第によっては、「セミナー責任者」の依頼方法が不適切であったということにもなりえますし、また逆の場合には、そのように「認識していた」という貴殿の理解が、「早とちり」で不適切だったということにもなりえます。
記事を読むと、貴殿が相手の方に直接会って話を聞くと、「この発表については同責任者からの直接の指示はなかった」ということなので、貴殿の「早とちり」であったという可能性の方が、読みとれてしまいます。
従って、上記(1)に至る事の発端の、「間接的に依頼されたと私は認識していた」という具体的な根拠を明らかにしていただかなければ、やはり読者としてはこの記事における貴殿の個人批判が妥当なものかどうか、判断できません。
これについても、ご説明をよろしくお願い申し上げます。
「賢治研究」と花巻の賢治学会はグルですよ (石川 朗)
2017-03-30 16:59:03
鈴木守殿
 「ふるぼけ」氏に紹介されここを一読しただけですが「賢治研究」と花巻の賢治学会はグルですよ。私も宮澤賢治全集 「藤原嘉籐治の検印」の蔵書状況(十字屋書店)42册/132册(11版/30版)を両方からボツにされましたよ。(両者ツーカー)なのですよ。花巻市からの莫大な金で、腐った人脈で繋がっているだけのようですよ。賢治精神など皆無。研究レベルなど期待しても無理。どっちの組織も人心一新が必要。
おかしいことはおかしいと言い続けたいです (石川 朗 様)
2017-03-30 18:51:53
石川 朗 様
 今晩は。コメントありがとうございます。
 「藤原嘉籐治の検印」の件につきましては、私も気にしておりました。真実を知りたいです。

 さて、私がここ10年ほどの賢治に関する検証作業を通じて確信いたしましたことは、賢治に関する伝記的通説が常識的に考えておかしいぞと思う場合、検証してみれば殆どの場合やはりおかしいということです。しかも、それはそれほど難しいことでもなく、基本に忠実に検証すれば容易に判るものが少なくありません。つまり、田舎の私のような老いぼれでさえも判ります。言い換えれば、何故多くの賢治研究家がそのことを指摘しないのかということがとても不思議です。

 しかし、私の検証結果は通説を否定したり、中にはそれと正反対であったりしますので、世間からは容易には認められないと思っております。さりながら、
  おかしいことは、やはりおかしいとこれからも粘り強く言い続けたいと思っております。
それは、
  私は権威に跪くのではなく、真実の前に跪きたいからです。
                                                            鈴木 守

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