みちのくの山野草

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現「賢治学会」に学問の自由は?(排除の論理)

2017-11-21 12:00:00 | 三陸
《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影)
 
 さて、この度「宮沢賢治・花巻市民の会」は、東日本大震災にも負けず健気に頑張っている大槌の子どもたちを、賢治精神を発揮して支援しようという募金活動を計画した。ところが、「賢治学会代表理事」はこの募金活動に関わって、
    「花巻市民の会」会長は「理事会」に謝罪をし、謝罪文を寄越せ。
と言ってきた。しかも、はたして謝る必要があるかどうかもはっきりしないことに対してである。
 その上、代表理事が一方的に区切った期限までに「花巻市民の会」が謝罪文を理事会に提出しなかったからということを理由にして、募金の実施を直前に控えた9月19日に突如、禁止命令をこれまた一方的に代表理事は寄越した。元はと言えば、事務局長の指示に従って手続を踏んで提出した募金計画書が議案書の中に入れられなかったということが発端なのに、かえって逆に、こちら側の「花巻市民の会」の方が泣く泣く一切を諦めるしかなかった。

 それにしても、何故このような理不尽な禁止命令を代表理事が「花巻市民の会」に対して出したのか、私は全く理解に苦しんでいる。ところがこのことに関して私は複数の人から言われた。
 今回の「三陸支援募金」の禁止命令は、鈴木さんが「賢治学会に反対している」ことも関係しているようだ。
とか、
 「賢治学会に反対している」人の本は売らせられない、という発言がある理事から出たそうだ。
と。
 そうか、ならば私には全く関係ないことだとは言えないか。たしかに、「賢治に関する私の一連の研究結果」はどういう訳か、従来の賢治に関する「年譜」や「定説」等を否定するものが多いから、私鈴木は現「理事会幹部」にとっては不都合な存在かもしれない。そう言えば、先の春期セミナーでも私は似たようなひどい仕打ちを受けていたからな。

 しかし、私はもちろん「賢治学会に反対」などしていないし、現在も「賢治学会」の一会員である。単に私は、賢治に関する真実をひたすら探究し続けてきたにすぎない。もしそれらしいことを私がしていると訝られることが仮にあったとすれば、それはそんなことではなく、「仮説検証型研究」によって検証できたいくつかの事柄に基づいて、
 賢治に関する現「年譜」や「定説」等は、とりわけ「羅須地人協会時代」のそれらは一度再検証が不可避ですよ。
ということを、「賢治学会」の幹部へ伝えただけに過ぎない。それを避けていたのでは、間違ったことを賢治ファン等へ今後も伝えることになってしまいかねないから、この再検証は喫緊の至上命題ですよと伝えただけのことだ(だからそれに対して、私を「賢治学会に反対する輩」と捉えているという人がもし「賢治学会理事会」の中にいて、しかも公言しているということがあれば、それは学問の自由を否定し、賢治研究の発展を自らが阻害しているということになりかねない)。

 とはいえ、私の検証結果を認めれば、実際困ってしまう人も少なからずいるということも事実だろう。しかし、それはそれらの人々が為すべきことを為さずに研究した結果が招いたことであり、当該の研究者等それぞれが負うべき責任であろう。それは言い換えれば、
 私の定立した、検証に耐えているはずの「仮説」がおかしいと仰りたいというのであれば、私のことを「賢治学会に反対している」人物と感情的に誹るのではなく、その「反例」を突きつけて下さることだ。それがたった一つでもあれば、私は潔くその仮説を棄却します。仮説とはそういう運命にある。
ということである。
 当然これと同じ論理で、いくら「定説」といえども所詮仮説の一つに過ぎないのだから、たった一個の反例があるだけでそれは捨て去らねばならない。そこで今度はそれに代わる新たな仮説が定立され、それが検証されるということを繰り返していって生き残った仮説がやがて新たな定説となる。
 そして現実に、そのような反例が、賢治に関する「年譜」や「定説」そして「通説」等おいて現時点でも少なからずありますから、それらは実は嘘ですよということを私は指摘しているに過ぎない。

 だから、「賢治学会幹部」が、私が「賢治学会に反対している」ことを理由にして今回の「募金活動」の許可を渋ったり、禁止に結びつけたりしたということがもしあったとすれば、感情的にはどうであったかは私には知る由がないが、理屈としては全くあり得べからざることだ。つまり、そのようなことがもし仮にあったとすればそれは単なる嫌がらせか、言いがかりだということにる。そしてそんなことを現「理事会幹部」が仮に行っていたとなれば、「宮沢賢治学会」は学問の自由を侵しているということであり、どこかの誰かさんと同じように「排除の論理」を振り回していることにもなる。

 さて、現「賢治学会」には学問の自由がはたしてありやなしや?

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《鈴木 守著作案内》
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)          ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』










































 



























































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