みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『「賢治神話」検証五点』(『県民文芸作品集47』より転載)

2017-01-03 12:59:27 | 本当の賢治を知りたい
 この度、S氏から私の「仮説検証型研究」に対して間接的に、「蓋然性ベースの推論根拠としたら、脆弱な話でしかありません」というご批判と評価を頂戴した。
 ついては、まずはこの度の岩手芸術祭文芸評論部門で優秀賞をいただいた拙論『「賢治神話」検証五点』を御笑覧頂きたい。










<『県民文芸 作品集 47』より転載>


 したがって、S氏からいかなるご批判を賜っても、対応する「反例」が突きつけられない限り私の検証できた仮説を引っ込めることはできない。それが「仮説検証型研究」というものであり、これ以上に「蓋然性が高い」結論を得られる方法論がS氏にはあるというのだろうか。
 少なくとも私の「賢治研究」は、私が接した来た〝裏付けも取らず、検証もせず、しかも典拠を明示していないというような「蓋然性ベースの推論根拠」すら垣間見られない「賢治研究」〟よりは、はるかに蓋然性が高いものだと自負している。それこそ、私は如何にすれば蓋然性が高くなるかということに鑑みて「仮説検証型研究」を心掛けているからである。そして、検証できた仮説はその「反例」が提示されない限りという限定付きの「真実」となる。
 逆に、例えば新校本年譜』の次の記載、
(大正15年)一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(澤里)武治がひとり見送る。
についてだが、この註釈として
 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている。
とあり、これはおかしい。その変更の根拠も明示せずに、「…ものと見られる」とか「…のことと改めることになっている」とまるで思考停止したかの如き表現が、『校本』と銘打った全集の中に登場しているという奇妙な現象が起こっているのからである。しかも実際その「関『随聞』二一五頁」を見てみると、
 昭和二年十一月ころだったと思います。…(筆者略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
「沢里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そういってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅でお見送りしたのは私一人でした。…(筆者略)…そして先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。
という澤里武治の証言が載っているからさらに愕然とする。それは、この証言の最後の部分「先生は三か月間の…帰郷なさいました」を『新校本年譜』が完全に無視していることに気付くからだ。
 具体的には、いくら四苦八苦してこの「三か月間の滞京」を同年譜の大正15年12月2日以降に当て嵌めようとしてもそれができないことに気付く。つまり、典拠としている「関『随聞』二一五頁」そのものがこの「要約」の反例となっているから同年譜のこの記載は即刻棄却されるべきものである。ところが実際にはそれが為されていないから論理が破綻しており、それゆえ、そこでは牽強付会なことがしれっとして行われていることがはしなくも露呈している。
 所詮、この『新校本年譜』の「(大正15年)一二月二日(木)」の記述も一つの仮説に過ぎず、このように反例があれば即棄却されるべきものである。したがって、この反例があるこの記述こそもはや蓋然性すらなく、いわば「嘘」になってしまうはずだがそのことをS氏は何ら問題にもせずに、あるいはご理解もされていないようだ。
 そしてこの記述の破綻は次のようにして解消できる。それは、前掲の澤里の証言と次の二人の証言、
 (1) 伊藤清の証言
    そして冬に、帰って来られました
           〈『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社)、268p〉
 (2) 柳原昌悦の証言
    一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけれども。
           〈菊池忠二氏の柳原昌悦からの聞き取り〉
を組み合わせれば、
〈仮説〉賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、しばらくチェロを猛勉強したがその結果病気となり、3ヶ月後の昭和3年1月に帰花した。
が定立できるし、この仮説を裏付けることはいろいろあっても、明らかな反例は一つも見つからなかったから検証できたことになる。
 当然これに伴って、これまでの「賢治年譜」は、
・大正15年12月2日:柳原、澤里に見送られて上京。
・昭和2年11月頃:霙の降る寒い夜、「今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる」と賢治はひとり見送る澤里に言い残して、チェロを持って上京。
・昭和3年1月:滞京しながらチェロの猛勉強をしていたがそれがたたって病気となり、帰花。漸次身体衰弱。
というような修訂が必要となる。つまり先に掲げた〝「羅須地人協会時代」概観〟のようなものとならねばならないはずだ。そしてこうすれば、「三か月間の滞京」期間ももちろん問題なく当て嵌められるので矛盾もなくなり、破綻も解消できるのである。
 しかし、S氏は私のこの検証結果に対して一言も言及しておられない。したがって、このことに対してもS氏は「蓋然性ベースの推論根拠としたら、脆弱な話でしかありません」と概括しておられると私には受けとるしかなく、それではあまりにもアンフェアではないですかと言いたい。賢治関連で重きをなすS氏ですらこうだから、「賢治研究」の現状と近未来が私には危惧されてならない。

 続きへ
前へ 
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)          ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

ジャンル:
小説
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 賢治・家の光・犬田卯・佐伯郁郎 | トップ | 『「涙ヲ流サナカッタ」ことの... »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
敵は本能寺に? (A.AKECHI)
2017-01-08 14:07:12
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 今年も、鋭いご論考に一層の磨きがかかり、素晴らしい輝きを放つよう応援させていただきます。

 さて、昨年来いくたびか石井洋二郎氏の式辞をとりあげていただき、有難うございます。(私がお礼を申す筋合いでないのは承知しておりますが、石井氏は中学・高校の同級生だったもので、つい余計な物言いになってしまいました。)
 その式辞の「あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること」の重要性は、鈴木様ご指摘の通りであり、万人の共感を得られるものでしょう。
 「明智一族」といたしましては、あの「敵は本能寺にあり」の発言(皆様お気付きでないかも知れませんが史実ではなく「明智軍記」の創作なのです。)を始めとして長年虚偽の情報によって大迷惑を蒙って参りましたので、その分の強い思いもいたします。

 文学史の場合は、研究者の皆様が「一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること」を怠らないで下されば済むのでしょうが、プロパー歴史学(この言い方が適当なのか分りませんが)の場合は、せっかく一次情報の基づいていながら(物語のように)史料ではない文書からの情報をも採用してしまう誤りが横行しているのが残念でなりません。

 そう言いながら「自分の頭と足で検証してみること」をしていないのにご紹介することになって心苦しいのですが、文芸春秋から出ている「『反知性主義』に陥らないための必読書70冊」という本で、石井洋二郎氏が賢治さんの「春と修羅」を紹介しています。
 
そこまでは私には無理ですが (A.AKECHI 様)
2017-01-08 21:32:41
A.AKECHI 様
 こちらこそ、遅ればせながら、明けましておめでとうございまし。
 拙ブログをご覧いただいておりますこと改めて感謝申し上げます。さりながら、もう70を過ぎた私の場合はますます拙論の輝きは失せ、あるのは禿げ頭の輝きだけと恥じ入っております。
 実は私は石井氏にも私淑しておりまして、A.AKECHI 様は石井氏と同級生でいらっしゃるとのことですが、お二方の真摯な研究姿勢が通底していらっしゃるのはそれゆえなのだと悟り、敬意を表しております。
 以前にもお伝えしたような気もしますが、私は、世情「三日天下」と揶揄されてはいるが、実は知的で理性的な武将ではなかったのではなかろうかと思える明智光秀が好きでした。
 それは、巷間いわれているそれ以前の光秀を知れば、常識的に考えてそんなことをするわけがないという直感が働いたからでした。
 そして賢治の場合も同様でして、おかしいと思ったところを検証してみると、やはりほぼ皆おかしいです。
 しかし、そんなことは殆どの賢治研究家は為されません。そして、取り分け「羅須地人協会時代」の実態は、まさに、
 「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」というエピソードを検証してみたところ、初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。
とほぼ同じです。

 それから、ご紹介いただきました「『反知性主義』に陥らないための必読書70冊」を先ほどアマゾンに注文いたしましたので、届くのが楽しみです。
 それでは、これからもまたいろいろとご教示賜りたいですのでどうぞよろしくお願いいたします。
                                                     鈴木 守


  

コメントを投稿

本当の賢治を知りたい」カテゴリの最新記事