みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

棄却せずに店晒らしされている反例のある「仮説」

2018-01-13 10:00:00 | 賢治関連
〈『原発に集ってきた人々』(吉田矩彦著)〉
 では、2011年(平成23 年)3月11日に起こってしまった福島原発事故に対して吉本はどう対応したのか。そのことについては、『原発に集まってきた人々』が、
 二〇一一年五月二七日付『毎日新聞』夕刊で、今度の原発事故について「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」と書いていた。
            〈『原発に集ってきた人々』(吉田矩彦著)、20p〉
と紹介していた。そこには、理系出身の吉本らしい客観的な論評はあっても、自身の過ちについては何も語られておらず、よそよそしいものだった(もしかすると、同夕刊のどこかには書いてあったのだろうか)。

 かつて、
 少なくとも日本では、半世紀、死者を出すような事故はないんですから、逆に考えて『これほど安全なものはない。航空機よりもっと安全だ』ということになる。
            〈『原発に集まってきた人々』(吉田矩彦著)、19p〉
と断定し、
 吉本は「工科系出身者」として原発には「二重三重の防御装置、安全対策が施されている」と書き、「朝まで生テレビ」で推進派と反対派が議論したのを取り上げ、「推進派の方が格段に科学的に妥当なことをいっている」と思った感想を述べた。
             〈同20p〉
という、少なくとも結果的には過ちであった以前の吉本自身の公の場における発言と認識に対比して、だ。

 私の崇敬する吉本の、その最晩年とも言える〝二〇一一年五月二七日付『毎日新聞』〟に載ったこの論評をこの度知り、私は残念でならない。爾後、吉本はかつての己とどう整合性を取り、どう向き合ったのだのだろうか。原発に関する自身のかつての発言等を謝罪したとか撤回したとか、悔いていたということはどうもなさそうだ。なぜならば、『原発に集ってきた人々』はこの項の最後に、
    かくして吉本は二〇一三年死亡。
と書いてあるだけだったからだ。

 どうやら、
 自説を主張することは、それは元々仮説に過ぎないのだから、それに対する反例が突きつけられたならば潔く自分の方から棄却、撤回せねばならぬはずだが、それはかなり難しいということであり、ついつい人間という生き物はそれを有耶無耶にしてしまいかがちだ。
ということか。つまり、棄却せずに店晒らしされている反例のある「仮説」が少なからずあるということになりそうだ。
 そしてそれは、何も吉本のこの原発に関する自説の場合に限らず、多くの場合にも当て嵌まろう。そのような例として、
 宮澤賢治に関する定説等の中には反例があるのにも拘わらず、棄却もしなければ、まして、反例がありますよということを指摘した人のことを「賢治学会に反対する人」と呼んで、排除しようとしている。
という実態が現「賢治学会」でもたしかにある。吉本隆明のこの過ちは、「賢治学会」にとって他山の石だ。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。

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