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*****************************なお、以下はテキスト形式版である。****************************
  「羅須地人協会時代」検証
     ―常識でこそ見えてくる―

  はじめに
 今から数年前のことだが、声優で歌手でもあり、そして第19回イーハトーブ賞奨励賞受賞者である桑島法子の父の葬儀に私は参列していた。その際、彼女は賢治の詩を朗詠して父を送った。なぜそうしたのか。それは、父は賢治が大好きだったからであり、法子が今まで賢治の「朗読夜」をしばしば開いてきたのも父の影響があったからだということを私は知っている。実は、父桑島正彦は私の中学時代の同級生だったからだ。
 今でも目をつぶれば、かつて私達の前で身振り手振りよろしく朗々と「原体剣舞連」を詠じた正彦の姿が眼裏に蘇り、歌声が耳許に迫ってくる。時に、今現在活躍中の宮澤賢治作品朗読者の同作品の朗読も聞くことがあるが、同級生のそれに比べればはるかに及ばないと私は思っている。そしてまた、勇壮というよりはおとなしいとさえも感ずるあの「雛子剣舞」を基にして、よくぞここまで勇猛果敢で、圧倒的迫力の「原体剣舞連」に創り上げたものよと、賢治のそのずば抜けた創造力に私はただただ感心するばかりだ。
   原体剣舞連
           (mental sketch modified)
      dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   こんや異装のげん月のした
   鶏の黒尾を頭巾にかざり
   片刃の太刀をひらめかす
   原体村の舞手たちよ
   鴇いろのはるの樹液を
   アルペン農の辛酸に投げ
   生しののめの草いろの火を
   高原の風とひかりにさゝげ
   菩提樹皮と縄とをまとふ
   気圏の戦士わが朋たちよ
   青らみわたる??気をふかみ
   楢と椈とのうれひをあつめ
   蛇紋山地に篝をかかげ
   ひのきの髪をうちゆすり
   まるめろの匂のそらに
   あたらしい星雲を燃せ
      dah-dah-sko-dah-dah
   肌膚を腐植と土にけづらせ
   筋骨はつめたい炭酸に粗び
   月月に日光と風とを焦慮し
   敬虔に年を累ねた師父たちよ
   こんや銀河と森とのまつり
   准平原の天末線に
   さらにも強く鼓を鳴らし
   うす月の雲をどよませ
     Ho! Ho! Ho!
        むかし達谷の悪路王
        まつくらくらの二里の洞
        わたるは夢と黒夜神
        首は刻まれ漬けられ
   アンドロメダもかゞりにゆすれ
        青い仮面このこけおどし
        太刀を浴びてはいつぷかぷ
        夜風の底の蜘蛛おどり
        胃袋はいてぎつたぎた
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   さらにただしく刃を合はせ
   霹靂の青火をくだし
   四方の夜の鬼神をまねき
   樹液もふるふこの夜さひとよ
   赤ひたたれを地にひるがへし
   雹雲と風とをまつれ
     dah-dah-dah-dahh
   夜風とどろきひのきはみだれ
   月は射そそぐ銀の矢並
   打つも果てるも火花のいのち
   太刀の軋りの消えぬひま
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   太刀は稲妻萓穂のさやぎ
   獅子の星座に散る火の雨の
   消えてあとない天のがはら
   打つも果てるもひとつのいのち
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
<『校本宮澤賢治全集第二巻』(筑摩書房)105p~>
 その同級生の影響もあったからだろうか、私も早い時点から賢治が好きだった。そして、賢治のことも賢治の作品のことも共によく解ってもいなくせに、尊敬する人物は誰ですかと問われると、
 それは賢治です。破滅的で微分的な啄木と違って、賢治は積分的で求道的だからです。
などと若い頃は粋がって答えていたものだった。
 ところが大学四年の時、私の進んだ講座の教授岩田純蔵教授が、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
という意味のことを私たちを前にして嘆いたことがある。私は、賢治を尊敬していたし、しかも岩田教授は実は賢治の甥(賢治の妹シゲの長男)だったから尚のこと、恩師のその嘆きがずっと心に引っ掛かっていた。

 とはいえ、学生時代はもちろんのこと、仕事に就いて後も、そのようなことを調べるための時間的余裕が私にはなかった。それが10年程前に定年となり、そのための時間をやっと持てるようになったので賢治のことをここまで約10年かけて調べ続けたきた。そうすると、「通説」や『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)所収の「賢治年譜」(以下、「旧校本年譜」と略称)等において、常識的に考えればこれはおかしいと思われるところが、とりわけ「羅須地人協会時代」において少なからず見つかるのだった。
***************************** 以上 ****************************
《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』             ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)         ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』    ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』   ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

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