この道を歩いてる

もともと中国暮らしをつづるためのブログでしたが、惰性で続けています。

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高江のことは、その経緯から考えたい

2016-08-13 15:52:25 | Weblog
参院選直後に突然再開された沖縄県高江のヘリパッド移設工事

FB上では機動隊ともみ合う市民の映像などがシェアされ、その状況が現地からたくさん発信されている。

それを見て心を痛める人、反対しているのは県外の人間だと憤る人など色々な反応があるけど、残念ながら「話についていけない」という方のほうが多いんじゃないかなと思う。

これ子供のころから思っているんだけど、ニュースって「今のこと」をいきなり言われてしまうので、後から知った人が話に追いつくのが結構難しい。

「機動隊ともみ合う市民の映像」を見たって、なんで座り込みが行われているのかも分からないし、なんで強制排除が行われているのかも分からない。

それでもって「知ってください」と言われても、それについて判断することは難しい。

自ら調べようにもどこにその情報が出てるかも分からない。そして分からないまま情報は過ぎ去っていく。

そんなことが多いような気がします。

ということで、なぜか僕が簡単に経緯を説明してみます。顔の分かる友達同士がそれぞれに伝え合うのが一番早いというのが僕の信念。FBよりもブログのほうが説明しやすいのでこちらで書いてみます。

2年ほど前に沖縄本島に遊びに行ったときの写真使いながらいきますので、下記どうぞ。


◆1208平方キロメートルの沖縄本島の中には、233平方キロメートルの米軍基地施設があるらしい。


比率で言うと、島全体の18.4%が米軍基地だということになります。

なんだか多そうな気がするけど、実際どんなもんだろうかと思いつつ車を走らせると


▲那覇から国道58号線を北上すると、左手にフェンスが延々と続き、


▲フェンスに近寄るとこんなことが書いてある。


キャンプキンザ―の入口。こうして米軍基地の入口にはゲートが設けられている。


▲路上から軍用車が普通に見えたり、米兵用のゴルフコースやサッカー場が見えたりします。


普天間基地が「世界一危険な飛行場」と呼ばれる理由も、実際に見てみれば一目瞭然。奥の広場のように見える場所がそれですが、本当に住宅地の真ん中に位置しています。


道の駅「かでな」の展望台。ここから軍用機が見えるため、カメラマンがたくさん。


▲驚いたのは普天間第二小学校。グランドの向こうに米軍基地施設のフェンスがあります。ということは学校と基地施設との距離はなんと0メートル。


▲地図を見ると、普天間第二学校が米軍基地に挟まれていることがよく分かります。学校をはさむ基地と基地の間はわずか400メートル。


▲米軍基地を横目に通るスクールゾーン。


▲カーナビにも普通に出てきます。


▲米軍基地はバス停の駅名にもなっている。

これくらい米軍基地の存在が身近にあるのが沖縄本島です。

地図で見るとこんな感じ。色が塗られているところが米軍基地施設です。
(参照HP:沖縄県HP

やっぱり大きいなと思うものの、もう少し具体的にイメージしたかったので、試しに「東京の多摩地区」で表現してみました。

赤い線で描いたのが東京多摩地区の18.4%分です。

沖縄本島の面積:1208平方キロメートル。
東京多摩地区の面積:1169平方キロメートル。

人口密度なんかが違うので意味のある比較とは言えませんが、自分の住んでる場所の18.4%が米軍基地施設だという感覚を少し分かってもらえるでしょうか。

大体、「小金井市」、「小平市」、「立川市」、「国分寺市」、「国立市」、「昭島市」、「福生市」、「羽村市」、「武蔵村山市」以上の土地がすっぽり米軍基地みたいな感じ。やっぱ大きいね。

(※この図、一生懸命計算して作ったんだけど、合ってるのかどうかちょっと自信ないので、間違ってそうだったらご指摘ください。)

字面だけでは理解できない感覚っていうのが、現地に行くとよく分かる。

その大儀や賛否はどうあれ、米軍基地が日本にあることの建前は、「日本国」の安全保障のためであるはず。

「日本国」のためなのに、在日米軍基地の70.6%がこの島にあります。

沖縄本島が日本全体に占める面積が0.3%であることを思うと、安全保障の負担を沖縄県が強いられていると言われる理由がよく分かります。

そんな場所なので、沖縄県民と米兵の間でよくトラブルが起きているのは皆さんもよく知るところだと思います。(※もちろんですが、仲良くやっている人たちもたくさんいるそうです。)

◆ここでよく聞く大事な単語が《SACO合意》。

1995年9月4日。アメリカ海兵隊の兵士3人が、買い物帰りの11歳の少女を車中に拉致し集団暴行を加えるという事件が発生。しかし、アメリカ軍は「日米地位協定」をたてに日本側への犯人の身柄の引き渡しを拒否。

このことをきっかけに沖縄県民の不満が爆発し、翌10月に県民総決起大会が開催され、約8万5千人もの住民が参加しました。

それを受け、日米の間で設置されたのが「沖縄に関する特別行動委員会」。これが「SACO」とよばれるものです。

・沖縄県民の方々の御負担を可能な限り軽減し、国民全体で分かち合うべきであるとの考えの下
・在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小に向けて全力で取り組むこと


が目的でした。

その後、約1年の時間をかけて取りまとめられたのが、いわゆる「SACO最終報告」。その結果、11の基地施設が返還されることに決まりました。

その内の一つが北部演習場。高江を含む沖縄本島の北部に位置しています。

▲北部演習場ゲート。ここは、豊かな沖縄の自然を生かして米兵が「ゲリラ戦」の訓練を行っている場所。
ゲリラ戦の訓練を行えるような施設は、世界中の米軍基地のなかでも「ここだけ」だそうです。

下の図の点線で囲われた場所が北部演習場の敷地。

(参照HP:ゆんたく高江

この広大な北部演習場は、上記のSACO合意により約半分の土地が返還されることに決まりました。

大いなる政治の進展じゃないかと思ってしまいますが、話はそんなに簡単じゃない。
約半分の土地が返還されるのは「無条件」ではなくて「条件付き」でした。

さきほどと同じ図ですが、下の図の赤い斜線の場所が返還予定地。

▲(参照HP:ゆんたく高江

だけど、ここを返還する際の条件として出されたのが、下の赤い点。


▲この赤い点は、ここに「新たに」ヘリパッドを作りますよという印。

見れば一目瞭然ですが、「高江」集落を取り囲むようにヘリパッドの建設が予定されていて、「それを作らないと北部演習場の約半分は返還しませんよ」というのが返還の実態だったのです。

これは、同じくSACO合意で決まった「普天間基地は返還するけど、辺野古に新しい基地を作るのが条件ね」というのと同じ話。


▲高江で見た電柱。この上についてるオレンジランプは米軍のヘリが飛ぶ時の目印。

低空飛行をする際の目印になるそうで、ここまでヘリが降りてくると、ヘリに乗っている米兵の顔まで見えるそうです。


▲電柱の上あたりまでヘリが降りてくる様子を、近くの電柱で想像してみるとなかなか恐ろしいものがあります。


◆一番生活に影響を受ける高江の住民は「いつ」「どのようにして」この話を知ったのか。


ここのところが僕が今回一番書きたかったところなんだけど、近くにヘリパッドが作られる高江の住民は、そのことを「2006年」「新聞報道で」知ったのだそうです。

つまりこのSACO合意の内容、高江の方に何の説明もなしに決められてしまっていたものなんです。

集落に一番近いヘリパッドは、民家から400mの近さ。自分の家から近い場所に米軍のヘリパッドが出来ると新聞でいきなり知ったらびっくりしちゃうよね。何でそれ、先に言ってくれなかったんだ!となるのは当然のこと。

この報道を受けて、高江では臨時総会が開かれ全会一致で反対決議がなされます。ヘリパッド建設計画の中止を各関係機関に求めますが返ってくるのは不誠実な対応。

十分な話し合いの場が設けられることもなく計画は進み、2007年7月2日にはついに工事車両が高江にきてしまいました。

建設予定地のゲート前で、那覇防衛施設局の局員や工事業者らに工事を止めてくれるよう要請するも話は平行線を辿り、ついに住民たちによる「座り込み」が開始されます。

ここのとこの経緯がよく分かるのが三上智恵監督の「標的の村」
Targeted Village / 標的の村

▲これは短縮版なので、ぜひ90分の本編をご覧ください。

その後も、満足な説明を得られないままに、2ヶ所のヘリパッドはすでに完成してしまいました。

残りの4ヶ所については工事が中断されていましたが、先日の参院選後に突然工事が再開。

そして、一番はじめに話題にした「機動隊と市民の衝突」が起きるにいたっています。

◆高江の話は、経緯から知ってほしい

沖縄には友達が何人かいて、それぞれの人がこの話を色んな角度から見ているのを知っているので、本当はこの話したくないです。

「そんな簡単な話じゃねぇよ」という心の声まで聞こえてきそうだし、東京から眺めて何か言うことが無責任だっていうことも分かっているから。

それでも僕言いたいんだけど、基地問題も原発の問題も、「物事の動かし方に誠実さが欠けているから」こんなに揉めてしまうんだと思う。

経緯を長々書いたけど、高江の話で僕がみんなに知ってほしいのは、高江の人がヘリパッド建設を知ったのが「2006年」「新聞報道で」だったということ。

民家から400mの場所にヘリパッドが出来るんだから、事前に県や政府の方から相談があって然るべき。

それを怠けて、日米政府の間で合意を固めて新聞で一方的に発表するというやり方は、あまりに不誠実。

高江の人たちに不信をつのらせ、座り込みまでさせてしまった大本の原因は、紛れも無くこのスタートラインにあると思います。

その行動に対して賛否があるようだけど、「座り込み」にも「座り込みをせざるを得ない理由」があるということです。

とはいっても、国の政策において、みんなが納得いくことなんてありえないし、全体が進んでいくためには、どこかで妥協しあって我慢しなければいけないことがあるのも事実でしょう。

絶対な解決策なんて無いだろうし、どこか曖昧な着地点とならざるを得ないと思うんだけど、僕はそこに丁寧なアプローチがあることを望みます。

この話でいえば、SACO合意を固める前に、高江の住民に対して国から誠実な説明があるべきだった。

北部演習場の半分返還と、それに対する条件に、どのように折り合いをつけることが出来るのか、高江の住民と話し合うべきだった。

そのプロセスをしっかり行っていれば、もしかしたらヘリパッドの位置を変えるなり、演習場の半分返還する場所を変えるなりして、高江の人にとっても安心できる返還の方法が探れたかもしれない。探れないかもしれないけど、話しあわないと知恵は生まれない。

日本政府がアメリカの方針に口出しできないというのもあるのだろうけど、高江の住民に内緒で物事を進めて反対が起きたら無視して強行突破なんてやり方をしたら揉めるに決まってる。

ある意味で、こうして現地が揉めてしまっていること自体が政治の「失策」だと僕は思います。

最後に、「難しい」って言いたくないんだけど、沖縄の問題は本当に難しい。

日本全体に関わる国防の問題と沖縄に暮す人たちの権利、雇用の問題。

大きな枠で見れば、紛れも無く日本人全員が「当事者」なのだけど、「遠くの当事者」からの言葉はどうしたって無責任に響き「近くの当事者」を傷つけてしまう。

近くの当事者を傷つけたことで、「外から見てる人間には分からない」と言われてしまうと、それ以上に言えることがなくなってしまう。

この文章の中にも、多分そういう遠くから目線の「軽薄さ」みたいなものが含まれしまうと思う。

それを考えると本当に息苦しくなる。

でも、この経緯だけは書いといたほうがいいような気がして、自分の整理もこめて書いてみました。

本当は沖縄に住んでいる人の「他人事として語れない」複雑さも理解したいと思う。

なんというか、「当事者性」の問題にはこの後ずっと悩まされそうだな…。
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忘れないからはじまる未来2016【原点回帰探検隊 はじめての火おこし編】2016.8.20sat.

2016-07-30 21:57:59 | Weblog
皆様、今年の夏のご予定はもうお決まりでしょうか。
どこかに行きたいけれど、今年も暑くて暑くて、どこに行ったらいいのかしらという方へ朗報です。

お盆も過ぎた8/20(土)、すでに涼しい風が通り抜けていく長野県白馬村にてスペシャルなイベントが開催されます!


その名も・・・

team汐笑PRESENTS
忘れないからはじまる未来2016 【原点回帰探検隊 はじめての火おこし編】!




史上初!? 「火おこし」が成功しないと始まらないイベント。

スイッチ一つで火がついて、ラーメンだって3分で食べられる便利な時代に、丸一日かけてご飯を作って食べる日。長野県白馬村で、これからの生き方を考える原点回帰探検隊と一緒に「原点」を楽しみ、それぞれの未来を思い描いてみましょう!


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*日時:2016年8月20日《土》 9:00-16:30
*参加費:1500円(保険料、食事代込)/高校生以下 500円(保険料)
*お問合せ:yuna-mayu-miyu@mopera.net 090-3644-8722
*場所:深山の雪(長野県北安曇郡白馬村北城14718-229)
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ついに近づいてきました当イベント。
タイトルを見ても何のことやらという感じかも知れませんが、それも狙いです。

『はじめての火おこし』

火を使ったことありますか? と聞けば当然皆さん使ったことがありますよね。コンロの火、ライターの火、暖炉の火。

だけど、火をおこしたことがありますか?しかも、『木の板に棒をこすりつけて』。

と聞けば、それはしたことない…と思う方のほうが多いのではないでしょうか。

それでは、実際にやってみましょう!本当につくんですよ。棒をこすると火が。

▲こうして棒を木の板にこすりつけると…

▲火種が出来るので

▲それを大きくしていくと

▲火がついた!!(木村隊長の嬉しそうな表情にご注目ください)

今回のイベントでは、まず真っ先にこの「火おこし」を皆様に挑戦していただきます。

出来る人がやっている所を見ると、なんだ簡単そうじゃないかと思ってしまいますが、自分でやってみるとそれはそれは重労働。棒をこすりすぎて手にマメが出来る人もいるほどです。(※コツさえ掴めば決して無理なものではありませんのでご心配なく!

汗水たらしてやっとの思いで火をつけたなら、きっとこんな疑問が湧き上がってくることでしょう。

「火をつけるのにこんなに時間がかかるなんて、もしガスや電気を使わなかったとしたら、一日の生活はどれくらい時間がかかるもので、どれくらい大変で、どれくらい楽しいものなのだろう。」

よし、じゃあそれ確かめてみましょう! というのがこのイベントの主旨です。みなさま今すぐご予定をお確かめください。


*原点回帰探検隊、イベント当日の活動内容
(時間は予定です)

 9:15~10:00
・火おこし
-棒をこすって火をおこそう!(写真は上記参照)
この日は、ここでおこした火を使って一日を過ごします。

 10:30~①
(10:30からは「石臼ひき」「おやき作り」「食器作り」の3班に分かれて作業をしますので、お好みのグループを選んでご参加ください。3つの作業を順番に巡って全て体験することも可能です。)

・石臼ひき-石臼で、そばの実やコーヒー豆を挽いてみよう!


▲石臼の挽きたてコーヒーの味はどうでしょうか?

 10:30~②
・薪で「おやき作り」-手作りペール缶コンロで調理しよう!

▲手作りコンロを使って

▲そば粉の「おやき」を作ります。

▲火はもちろん、はじめに皆でおこした火を使います。

▲お皿は、近くで取ったホオノキの葉っぱ

 10:30~③
・食器作り
-竹を切って食器を作ろう!

▲せっかくなので、食器も自然のもので手作りしましょう。

▲お皿もコップもお箸も、竹があれば何でも作れます。

 12:00~
・青空ランチ
-みんなで作ったおやきと、近くの川で釣ってきた魚、ジビエの鹿肉のシチューを、生ライブを聴きながらいただきます。近くで取ってきたクロモジ茶などの野草茶もお楽しみに!

 13:30~
・木を倒す
敷地内の木を「人力」で倒して薪にしてみよう!
イベントの最後には、薪を作ります。実際に生えている木を機械を使わずに倒し、薪にするまで頑張ってやってみましょう。この作業が、この日のクライマックスになります。

電気や機会を使わずに、丸一日かけて『火をおこして、料理をし、一緒に食べて、最後に薪を作る。』

そんな一見なんでもないようでいて、とっても特別な一日を一緒に過ごしてみませんか?

2016年8月20日(土)長野県白馬村にて、原点回帰探検隊が皆様をお待ちしています!

+++原点回帰探検隊 木村紀夫隊長プロフィール+++
東日本大震災により発生した津波で自宅を流され、二女・妻・父を失う。自宅は福島第一原発から約3キロ地点。現在は白馬村で「深山の雪」を主宰し、持続可能な場所作りを目指しながら、「team 汐笑」として、行方不明の二女の捜索を続けている。

◆Photo exhibition

今も続く二女の捜索の様子と仲間たちの活動を追う写真展も同時開催。震災後すぐから現在にいたる経緯をフォトジャーナリストの渋谷敦志さん、岩波友紀さん、尾崎孝史さんらの写真でお伝えします。

◆Talk show
はじまりとおわりで、木村隊長が話をする時間を設けています。
①9:00~:東日本大震災の経験や、移住してイベントを開催するまでの経緯など。
②15:30~:この5年で起きた心境の変化。これからの生き方についてなど。
*途中では、小谷村大網集落で暮らしの知恵や伝統を受け継ぎ伝えていく活動をしている〈くらして〉のメンバーとの対談も予定しています。

◆Live
お昼ご飯を食べながら、木村隊長とつながりのあるミュージシャンの方に登場していただきます。

*日時:2016年8月20日《土》 9:00-16:30
*参加費:1500円(保険料、食事代込)/高校生以下 500円(保険料)
*お問合せ:yuna-mayu-miyu@mopera.net 090-3644-8722
*場所:深山の雪(長野県北安曇郡白馬村北城14718-229)
*持ち物:軍手、長そでシャツ、長ズボン

*主催:team汐笑
*協力:くらして、SKIP、持続可能の宿応援団、おとなりや

https://www.facebook.com/events/236869790038098/
*参加ご希望の方は、上記FBイベントページにて参加予定をクリックするか 深山の雪までメールか電話でご連絡ください。

++++++++++++++++++++++++++++++++

以上がイベントのお知らせです。ピンと来たかた、ぜひぜひお気軽にお問合せください!
皆様のお越しをお待ちしております。


最後に、このイベントが行われるまでの経緯を書かせていただきますので、ここから先はご興味のある方だけお進みください。

そもそもこのイベントは、東日本大震災の津波で行方不明となった木村紀夫さんの二女・汐凪ちゃんの誕生日に合わせて、毎年開催されていたものでした。

これまでは、木村さんが震災で体験したことや、未だ見つからない汐凪ちゃんのことを伝えていくことを主目的に行われてきましたが、今年は少し趣向を変えて、木村さんの周りに集まる個性豊かな仲間たち(team汐笑)の主催となっています。

一番のテーマは「これからの生き方を、それぞれで考えていく」こと。


先日、木村さんにしていただいた東京のお話会で、木村さんがこんな話をしてくれました。

「東電の福島復興本社副社長から『裕福に電気を使いたい人がいるから原発は必要だ』と言われたことがある。」

「それを言われたときは呆気にとられ頭にきたが、時間が経つにつれ「それもそうかもな」と思うようになった。」

「今の生活は「あたりまえ」のレベルが高い。この「あたりまえ」がもう少し下がるといいんじゃないかなぁ。」

例えば『スイッチを押して電気をつけて、暑ければクーラーをかけ、ガスコンロを回して料理をし、お湯を沸かして風呂に入り、ドライヤーで髪を乾かす』といった私たちが普通に享受している「あたりまえ」の生活は、本当はどれくらい「あたりまえ」なのだろう。

それを知るために、メンバーで考えたのが『原点回帰探検隊』というタイトルでした。

「あたりまえ」の生活を「悪い」と言いたいわけではなく、「過去に戻ろう」と言いたいわけでもなく、「あたりまえ」を少し自分のもとに手繰り寄せてみよう。そして一人一人がそれぞれの在り方を考えてみましょう。というのが今回のイベントのテーマです。

というわけで、「原点回帰したい!」ではなく、「原点回帰『探検』隊」。ここがポイントです。

ガスも電気も使わずに過ごすと、昼ごはんを食べるだけで1日かかる。それを皆で体験してみる1日です。

イベントの背景を説明し始めると、ついこうして堅苦しくなってしまいますが、「手間がかかること」をイベントのテーマにしたのは、私たち自身がそれを「楽しい」ことだと感じているからでもあります。

team汐笑の会議は、いつも話し合いの後に実際に身体を動かすのが恒例になっていますが、「棒をこすって火をつける」練習をしている時の盛り上がり方といったらそりゃあもう凄い。これが大人のはしゃぎ方か?というほど思い切り笑って、とにかく楽しいんです。

イベントで使う野菜も自分たちで作ろう!なんて話になって、「どこで育てる?」とりあえず木村さんの家の前でしょ。「じゃあ開墾しよう」なんて、しかも当然人力なのですが、これがまた面白くて楽しくて。

▲ある日の開墾の様子。言い出したことはやってしまう実行力溢れるメンバーたちです。

このイベントのために、月に一度長野で会議が行われていたのも、全く苦ではなく、むしろ楽しくて楽しくて、打ち合わせというより遊びに行ってる感じになっていました。

「手間がかかること」は皆でやると楽しい。そして手作業からはたくさんの気付きをもらうことができる。

もちろん、ガスも電気もない生活が毎日続いたら、それは大変だな…。と思いますが、ガスも電気もない1日を過ごすことは「楽しいし」、「ためになる」と思います。

「はじめての火おこし」。一緒にしてみませんか?


▲希望者は木村隊長お手製のドラム缶風呂にも入れるかも!?

皆様のお越しを心よりお待ちしています!!
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木村紀夫さんお話会in東京 4回目・5回目の報告

2016-07-15 09:58:57 | Weblog
昨年から続けている木村紀夫さんお話会in東京。ブログで宣伝せぬまま、今回で5回目の開催が終了しました。

今回、会場として使わせていただいたのは、墨田区曳舟のシェアハウス《旧邸》さんと、国分寺のカフェスローさん(関係者限定イベント)。どちらも15人前後での開催でした。お越しいただいた皆様、お話していただいた木村さん、どうもありがとうございました!

▲旧邸での様子

毎回違う場所で開催してきましたが、これくらいの少人数で行えるのが一番いいかなぁと思っています。これからも続けていきますので、まだ聞いたことがないけど気になっていたという方は、是非いつか足をお運びください。

+++++
いつも様々なことを考えさせていただける木村紀夫さんお話会。今回は、木村さんにご質問をしながら、「そういえばあの日、自分は何をしていたんだっけ?」と思い返していました。

震度5弱で大きく揺れたビル。通話中だった電話を置いて、棚を押さえながら机の下にもぐりこむ。揺れがおさまってすぐに避難した隣の公園。交通機関の回復を待ちながら食べたうどん。結局歩いて帰ることになった夜の街。帰宅難民が同じ方向に連なって歩いている中で、ホームレスの方だけがゆっくり空を見上げていたのを何故かよく覚えている。

これが、僕が体験した「東日本大震災」の当日。

あの日、色々な場所で色々な人が色々な状況の「東日本大震災」を体験した。木村さんが教えてくれるのは、そういう当たり前のこと。

木村紀夫さん。東日本大震災により発生した津波で、ご自宅と奥様とお父様を亡くし、次女は今も行方不明。現在は移住先の長野県白馬村で今後の生き方を模索しながら、次女の捜索のために定期的に福島県に通っている。

簡単に書けば、これが木村さんの現在のプロフィール。だけど、話を聞けば聞くほど、「こうして簡単に紹介していいのかな」という気持ちが強くなってくる。

東日本大震災が起きた時、ご自宅ではなく職場にいた木村さん。ラジオから流れてきたのは「3mの津波がくる」という予想。それを聞いて安心し、職場の片付けを優先させた。

しかし実際に来たのは10mを越える津波で、家に戻ったときにはすでに家が流されていた。それでも家のすぐ裏は高台になっているので、当然避難できているだろうと考えた。だが避難所を周っても、お母様と長女以外のご家族と会うことが出来なかった。

暗くなった自宅周辺で家族を捜すが、目視と声がけしかできない。震災の翌日、明るくなってからご家族を捜そうとした時に、原発周辺から避難指示が出る。行方不明のご家族も、生き延びた家族もどちらも大事だが、ひとまず長女を安全な場所に連れて行くことが大事だと考えて、自家用車で大熊町を出た。

避難指示が出たのは朝7時頃だったが、その時にはすでに茨城からも大型バスが到着していた。ということはもっと早い段階で避難しなければいけないということが分かっていたのでは?という疑問がよぎる。

後日になって、お父様のご遺体が自宅近くの田んぼで見つかる。震災翌日の朝に周辺を捜索出来ていればお父様を見つけてあげることが出来たのではないかという思いがこみ上げる。

震災当日から翌朝にかけてだけでも、これだけのことを聞かせていただける。きっとまだまだ話せることはあるのだろうし、どこまで話しても話し尽くせるものでは無いのだろうと思う。

それを知ってほしいなというのが、僕の思いです。「東日本大震災」という一息で発せられてしまう単語を、「木村紀夫さんが体験した東日本大震災」という長いストーリーに変える。そのことで、想像できる範囲が格段に広がる。

たとえば、いつも話題に上がるのが中間貯蔵施設の問題。

福島県内の除染で取り除いた土や廃棄物を、安全に管理・保管するための施設である「中間貯蔵施設」。この受け入れを、大熊町は正式に表明している。

木村さんのお話を聞くまでは、「中間貯蔵施設」は福島第一原発からほど近い場所に作るしかないだろうなと僕も思っていました。帰還間困難区域として立ち入りが制限されている大熊町に、放射能に汚染された廃棄物を集めることは、各地でバラバラに保管するよりも合理的なことのように思っていたからです。
そして「中間貯蔵施設」というのは恐らくそのまま「最終処分場」に変わっていくのだろうなということに関しても、そこまで違和感を持っていませんでした。

ですが、いま僕は木村紀夫さんを知っています。「帰還困難区域」と捉えていた大熊町を「木村さんが次女の捜索を行っている大切な故郷」として想像できるようになっています。

木村さんのご自宅は、中間貯蔵施設の建設予定地とされている。もし中間貯蔵施設が出来たら、木村さんの自宅跡はどうなるのだろう。自由に捜索活動を続けることは出来るのだろうか。木村さんにとって、ご家族と繋がることの出来る大事な場所への立ち入りは制限されてしまわないだろうか。

そういうことがとても気になるようになりました。それに対して自分が出来ることは思いつかないかもしれない。だけど、確かに自分の物の見方は変わっている。多分そこがスタートラインなのだと思います。

物事を考える時、テレビや新聞・ネットの情報だけでなく「具体的な顔が思い浮かぶこと」がいかに大切かを、木村さんは教えてくれます。

会の終わりに、「親ばかかも知れないけど・・・」と言いながら見せてくれたのは、たくさんの汐笑ちゃんの写真。

このまま社会に出しても恥ずかしくなかったという自慢の汐笑ちゃん。次女らしい要領の良さと周りを観察する力、利発な笑顔、気付けば輪の中心にいる求心力、走るのだって速かった。

伝わってくるご家族への想いの中で、「汐笑が見つからないのは、そのことで俺の背中を押しているのかもしれない」と木村さんが話してくれたことが強く印象に残っています。

いま、木村さんが暮らす長野県白馬村では、様々な能力や個性をもった仲間が集まって、ああだこうだ言いながらともに未来を考えています。震災後に出来たこうした関係も、汐笑ちゃんがつなげてくれたもの。ともに捜索活動をしている仲間も汐笑ちゃんがつないだもの。もちろん僕と木村さんの出会いも汐笑ちゃんのおかげ。

こうして木村さんが体験を伝えてくださるのは、「亡くなった家族のために伝えていきたい」という気持ちもあるのだと伺いました。それならば、木村さんが望む限りは僕も微力ながらお手伝いさせていただきたいと思っています。

今後とも、地道に一回ずつ続けていきたいと思っていますので、いつかタイミングが会ったときに是非お越しください。

▲恒例の記念撮影。今回もお越しいただいた皆様どうもありがとうございました!
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『アラヤシキの住人たち』自主上映会 無事終了しました。

2015-12-20 21:31:28 | little theater(自主上映会)

12/12の「アラヤシキの住人たち」上映会&宮嶋信さんトークが無事に終了しました。

定員越えの63名様にお越しいただき、真木の食材を使ったフードもおかげ様で完売いたしました。ご来場の皆様、ご関係の皆様本当にどうもありがとうございました。

映画の素晴らしさはもう言うまでもありませんが、上映後の宮嶋信さんトークが素晴らしく、1週間経った今も強く余韻が残っています。

会で印象に残っているのは、例えば信さんのこんな言葉。

 ―誰にでも必ず良いところがあって、どんな人にでも居場所がある。

あんなに力強く確信を持って言われてしまうと、僕も「あぁそうですよねぇ」と、聞き手という役割を忘れて深くうなずいてしまいました。

今年の夏、真木に行ったときに色々なことを感じたけれど、東京に帰ってきてからもずっと頭にあるのは、「やっぱり人って、誰かに認めてもらいたい生き物なのかも」ということ。

「褒められたい」、「評価されたい」とかいうことではなくて、「ここにいていいんだよ」という居場所を欲しているんじゃないかなって。

真木に暮らす瑞穂さんは、作業中に突然身体が動かなくなったり、よく愚痴をこぼしたりしながら過ごしています。

そんな瑞穂さんが、「全く僕は役立たずだよ」と呟くように話す。それを受けて、真木のお母さん役である美佐紀さんが、「野村瑞穂のままで役に立っているじゃない」と返答します。

字面だけ読むと、なんだかよく分からないやり取りなんだけど、映画を見てると何故かこれがとてもぐっと来る。

それはきっと、このやり取りが、いま僕がいるサラリーマン社会では絶対に有り得ない会話だからなんだと思います。

どこまでも効率を求めるサラリーマンの世界では、足並みをそろえられない人は排除されてしまう。作業中に身体が動かなくなってしまったら間違いなく怒られるし、「全く僕は役立たずだよ」なんて言おう日には「じゃあ努力しろ」と返ってくるのが関の山。

この場面について、信さんは「みずほさんの存在は「皆もっとゆっくり生きなさいよ」というメッセージだと思う」とおっしゃっていました。

足並みが揃わない人たちが、足並みの揃わないまま居場所を見つけ、共に暮らしている。
真木はそんな不思議な場所です。

早口で何を言っているのか聞き取ることが難しいエノさんについても、「言葉が全部は分からなくても、気持ちで向き合ってるから大丈夫」と信さん。

よく考えたら、言葉が普通に話せても「何言ってるか分からない」相手っていたりするでしょ。「どういう理屈でそれ言ってんだよ・・・」みたいなことってあるじゃないですか。(ないですか?)
でもそれって、もしかしたらこちらが相手と向き合っていないだけなのかもしれない。自分が相手を理解しようとしていないから、聞き取れないのかもしれないな。(だって仕事中ってそんな時間無いし…)

「啞者のことばを聞く耳を周囲の人が持っているとき、啞者は啞者ではない。啞者は周囲の人びとが聴く耳をもたないかぎりにおいて啞者である。啞者とはひとつの関係性だ」という真木悠介さんの言葉(気流の鳴る音)を思い出したりしました。

本当に凄い場所だなと思います。

「映画を見ていると、真木のことは桃源郷みたいに思えてくる」という僕の問いかけに「真木はユートピアではない。そこで暮すということなんだ」と教えていただきました。

真木で行われているのは、日常であり、生活そのもの。
米や野菜を作り、ヤギや鶏を育て、出来る限り自分たちの力で物を直す「自労自活」の生活。

「いま私がここで話していられるのも、(真木で暮らす)彼らが今日も生活をしてくれているからです」とおっしゃる信さんの言葉に、特別なことはない日々の生活の大事さみたいなものを思います。

僕が、夏に家に泊めていただいたムネさんが「私はいることができる、ならずっとやっています。また来てね」と最後に声をかけてくれたんだけど、「そこにいてもいい」場所があるということは、とても暖かいものなんだなと思って山を下りたことを覚えています。

考えてみると、「社会の中に自分の居場所がない」ということに起因する問題はとても多いのではないかと思います。
先日のフランス・パリで起きた悲しいテロも、実行犯の背景を辿っていくと「ホームグロウンテロリスト」という言葉が出てきます。もともと移民社会であるフランスで、移民2世3世がフランス内で居場所を見つけられずにいる。自分の存在を認めさせたいがために過激派思想にそまっていく。
日本国内だって少年Aの出版やHPの開設などは自己承認欲求そのものに見えるし、宮台真司さんが言うところの「感情の劣化」的言動がネットには溢れかえっている。

映画の冒頭で「あなたという人は地球始まって以来、絶対いなかったはずです。あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはずなんです。」という共働学舎の創設者である宮嶋真一郎さんの言葉が出てきますが、この言葉に救われる思いを抱く人は少なくないのではないでしょうか。

この世に生まれた理由は分からなくても、この世にいていい場所は欲しいよねって。

それでは、真木に行かないと「居場所のある生活」は出来ないのかと言えば、絶対にそんなことはない。「共働学舎に来なくたって、自分の場所でそういう在り方は出来るはず」という信さんの締めの言葉に最後まで心を鷲掴みにされ続けた貴重な時間でした。

その後、なんと我が家にお泊りになった信さんと深夜3時までお酒を飲み、たくさん笑わせていただき、とても幸せな日を過ごさせていただきました。

自分の中に、ふと思い出して心が軽くなる場所が出来たことがとても嬉しいです。

信さん本当にどうもありがとうございました!


[追加情報]

*映画「アラヤシキの住人たち」は現在、東中野の「ポレポレ」さんでアンコール上映が行われています。
http://www.mmjp.or.jp/pole2/news.htm (~12/27まで)

今回ご都合が合わなかった方、是非この機会にどうぞ。

*また、DVDも販売開始となったそうです。自分も一つ買って、折に触れて見返したいなと思っています。
http://arayashiki-movie.jp/201512/620/
↑こちらも要チェック。
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12/12(土) 『アラヤシキの住人たち』自主上映会  -Cafe Slow×おとなりや共催

2015-12-03 20:07:00 | little theater(自主上映会)
この度、「おとなりや」というユニットを組むことになりました。
http://otonariya.jimdo.com/

さっそく活動開始して、国分寺のCafe Slowさんにて『アラヤシキの住人たち』上映会をさせてもらいます。是非どうぞ!
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Cafe Slow×おとなりや共催
12/12(土)ドキュメンタリー映画「アラヤシキの住人たち」自主上映会




「ナージャの村」「アレクセイと泉」の本橋成一監督の2015年最新作「アラヤシキの住人たち」をCafe Slowさんで上映させてもらいます。

映画の舞台となる真木共働学舎代表の宮嶋信さんをゲストにお迎えしてのトークも上映後に行います。

席に限りがありますので、お早めにお申込みください。

■日 時:2015年12月12日(土)開場:17:45 開演:18:30
■場 所:Cafe Slow http://www.cafeslow.com/ 東京都国分寺市東元町2-20-10
■料 金:予約2,200円/当日2,500円 (ドリンク別)
■定 員:60名
■出 演:宮嶋信(みやじま まこと)さん 信州共働学舎代表

■プログラム:
17:45 開場
18:30 司会挨拶~上映開始(117分)
20:30 休憩/ラストオーダー
20:40 宮嶋信さんトーク
21:30 終了

■予約申込み
・申込みフォームから→http://www.cafeslow.com/apply.html 
前日19:00まで
・電話:042-401-8505(月曜定休)カフェスロー
・僕の友達の場合は直接ご連絡いただいて構いません。

■ゲストプロフィール:宮嶋信(みやじま まこと) 
共働学舎創立者である宮嶋真一郎さんの二男。東京生まれ、自由学園卒。1947年に共働学舎の設立に参加し、現在にいたる。
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映画の舞台は、長野県小谷村にある真木集落。

スペースシャトルに乗れば10分で宇宙に行けてしまうこの時代に、1時間半かけて山道を「歩かないと」辿りつくことが出来ない不思議な場所。

はるばる歩いて峠を二つ越えると突然あらわれる茅葺の立派な建物に、肉体的・精神的に生きづらさを抱えた方や、個人的な事情を抱えた方、ここを好きな方などが集まって暮らしています。


▲「アラヤシキ」と呼ばれる建物。ここで共同生活をされています。

山の恵みがとても豊かな場所で、川の水を生活用水として使い、田畑を耕し、鳥やヤギを飼い、ほぼ自給自足の暮らしを営んでいる真木共働学舎の方々。(ここでは「自労自活」という言葉を聞きました。)

まるで日本の原風景を見ているかのようで、タイムスリップした感覚さえ覚えてしまう景色に「日本にもまだこんな場所が残っていたのか!」と初めて訪れた時には、素直に凄く感動しました。

映画では、この真木集落で営まれる1年間の生活の様子が映されています。

「おとなりや」の私たちは今年ほんの少しだけ真木に滞在させていただきました。そこで一番驚いたのは、その生活のリズム。色々な個性の方が集まっているので、みんな一様には動きません。毎朝のラジオ体操もバラバラ。朝の「いただきます」だって全くそろわない。

何もしないでぼーっとしているように見える人もいるし、その能力を活かしてバリバリ動いている人もいて、僕みたいな新橋のサラリーマン的感性から見てしまうと、一見不公平な生活をしているように感じてしまうほど色々な時間軸が共存していました。

印象に残る方が多く登場する映画ですが、中でも、早口過ぎて何を言っているのかほとんど聞き取れない「榎戸さん」や、日々の仕事の途中で突然体が動かなくなってしまう「野村さん」は特に重要な存在。

実際に一緒に過ごしていると、彼らが生産に寄与しているようには正直どうしても見えなかったのだけど、真木では彼らは必要な存在として受け入れられているそうです。

その理由について、写真絵本「アラヤシキの住人たち」(農山漁村文化協会)のP.36で、代表の宮嶋さんが語っている言葉がとても分かりやすいので、引用させてもらいます。

***
最近ね、「言ってもらわないと分かりませんよ」って若い人に言われて、この言葉が、すごく突き刺さる。ぼくは、「感じろよ」って思ってる。もちろん言葉できちんと伝えることはだいじなことで、「空気を読め」ということでもない。自分の「感性」を研ぎすませて生きるということなんですが・・・。
 まぁ、いってみれば、野村くんや榎戸くんたちに学ぶということなんです。この人たちは、あるがままに生きているのであって、そこがすばらしい。
 彼らが何を言わんとして生を受けてきたのかというところ。それぞれがいのちをあたえられ、運命をあたえられ、どういう定めをもっているのかというと、野村くんはやっぱりぼくらにね、「もっとゆっくり生きなさいよ」と、そういうことを示す使者だと思ってるんです。
***


これは、真木の在りようを知るにはとても大事な言葉だなぁと思うんだけど、きっと映画を見ていただければ、その言わんとしているところが分かってくると思います。

映画の冒頭で、「あなたという人は地球始まって以来、絶対いなかったはずです。あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはずなんです。」という言葉が出てきますが、まさにその言葉の示す通り、ここではそれぞれが自分の個性をいかした役割を持って共同生活を営んでいます。

正直「そんなこと可能なのか?」と疑ってしまうほどですが、実際に40年近くここでの生活が保たれてきたのは紛れもない事実です。

メンバーの入れ替わりがあったり、喧嘩やもめごともやっぱりそりゃあるみたいだけど、ここの生活から学ぶことはたくさんあるなと素直に思う場所でした。

実際にお邪魔させてもらった2回とも、1泊か2泊くらいしか出来ていないので、分かったようなことは全く言えないんだけど、滞在の感想を述べてみよと言われたら「なんか落ち着いたなぁ」というのが素直なところ。

とっても不思議です。なんか本当に東京戻ってきてから1週間くらい元気だったもんな。

僕、唐突に思うんだけど、会社って本当に厳しいとこだよね。

さぼっていたら叱られるし(当たり前なんだけど)
人と同じリズムで作業進めないといけないし(いや、当たり前なんだけどね)

たとえば、今僕が仕事を辞めたとしたらどうなるかななんて考えてみる。
うーん。先輩Sが手配を引き受けて、先輩Jの出張が増えるな。それで困ることは・・・無いな。と。

僕がいなくなったら、その仕事がなくなるなんてことは無くて、悲しいほどに事業は継続していくだろう。(それも組織としては健全な在り方だけど)

だけど誰かがいなくなるってことは本当はもっと大変なことで、何かしら影響があるはずなんですよ。だけどそれがとても見えにくい仕組みになっている。というかみんな時間がない。誰かがいなくなったことについて感傷に浸る時間もないほど必死。そんなこと考えている暇があるなら営業電話だ!

仕方のないことなのかなと思いつつ、それってすごくもったいないことだなと思うんです。やっぱり。

真木の在り方を見ていて一番印象に残ったことは、「この場所には交換可能な人なんて一人もいないんだなぁ。」ということでした。

誰もが個性的で、色がある。誰かが欠けても、ここの生活は存続していくだろうけど、その雰囲気はがらっと変わるだろうなと思う。そしてまたそれはそれで違う魅力が生まれるのだろう。一人一人が独立していて、だけど一緒にいるから。

ちょっと話ずれていきますが、社会で働くことの苦しみって、実は安月給とか無賃残業とかそういうことじゃなくて、自分が認められている気がしないということなのかも知れないなぁなんて思ったりしました。

例えばいまの管理職世代、60代以上の方々のお話を聞いていると、今のサラリーマンよりよっぽどバリバリ働いていたように感じる。休日返上、毎日飲み会ゴルフ三昧。だけどそれに対する不満や不安があまり表出しなかったのは、やればやるほど給料が上がったり、自分の挑戦が大きく取り上げられたりといった、分かりやすい評価が得られやすい時代だったからなんじゃないかなと。

今までの働き方を、この低成長の時代に当てはめるのはやっぱり酷だよなぁ。なんて。

もしかしたら、今この時代にSNSが流行っているのも、自分は交換可能な人間ではなくて、一人のオリジナルな人間なんだという心の叫びがあらわているのかもねとか、意味のない深読みまでしてしまっています。こんなこと言うの恥ずかしいけど、「いいね!」って、やっぱ欲しいもんね。

ちょっとこの話はもっと書きたいことがあるんだけど、告知に関係無くなってきたので、割愛。

たぶん真木に行って必要以上に安心してしまったのは、自分がこの世にただ一人の個性的な人間であるということを再認識させてもらったからかも知れない。

真木で行われている営みは「日常」そのもの。米や野菜を作り、料理を作って掃除をし、家まで自分たちで直そうとする。

その日常の生活の中で、様々な個性を持った人たちが交換不可能な存在として生きている。

「ここには、いてもいいんだな。」と何だかとても心が暖まる場所です。

本当は滞在させてもらったほうがいいと思うのだけど、実際に行くのは結構大変な場所なので是非映画を見にきてください!

なんと真木共働学舎代表の宮嶋信さんのトーク付き。自分でも驚いている豪華ゲストです。上映後にじっくりお話を聞かせていただきます。

また当日は、真木で収穫された野菜などを使ったプレートも人数限定でご注文いただけます。Cafe Slowさんと真木の食材のコラボ、個人的にもとても楽しみです。

順調に席埋まってきています。告知遅くなりましたが是非どうぞ!
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木村紀夫さんのお話を聞いて思うこと(その2)

2015-06-29 21:12:08 | 想い事
木村紀夫さんお話会『汐凪を捜して』第2回 inカフェ ステイハッピーが無事に終わりました。
http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/0ce1cc655f69ac5b27b3e3d77d8b64ad

おかげ様で今回も多くの方にお越しいただき、満席以上でのご案内となりました。木村さんの穏やかな語り口が会場中に染み渡る良い時間となったのではないかと思います。
お越しいただいた皆様、会場をお貸しいただいたカフェステイハッピーさん、そしてお忙しい中駆けつけてくれた紀夫さん、本当にどうもありがとうございました。

さて、御礼かたがた一応会のご報告をしておきたいのですが、何度挑戦してみても紀夫さんの話を人に伝えるのは難しいなと感じます。
紀夫さんが体験されたことを、違う人間の口から語ることによる取りこぼしがどうしても気になってしまうからです。
自分の拙い表現では適切な言葉が見当たらないことも多く、これを言ったら失礼にあたるのではないかとか、もしかしたらこれは僕の勘違いかもなとか。
どうしたもんか。やっぱり紀夫さんの口から直接語ってもらうのが一番確実なのではないかと思うわけですが、昨日ある参加者の方と話していてふと思ったことをちょっと書いてみます。

紀夫さんの話を誰かに伝えるのは難しいなというその気持ちは、もしかしたら震災のことを考えるのは難しい。という理由と似ているのかもしれないなと思います。
3.11以降に起きたことは、全員に共通することではなくて、それぞれの立場で違った影響を受けていること。それ故に、ある1点の立場から見て考えたことが、他の立場の人を傷つけてしまう可能性があること。善意から出た考えや言葉が意図しない方向に広がり伝わっていってしまうこと。そんなことの積み重ねで、難しい…とついつい頭をひねってしまう。

僕自身、震災直後に申し訳程度にボランティアに入ったけど、それもたった2回だけ。それ以降、積極的に関わろうとはしてきませんでした。
中途半端に関わることが、かえって失礼にあたるのではないか。ボランティアに行くという行為自体が押し付けになりえないかなどと無駄な言い訳をたくさん考えてしまったからです。

御幣を恐れず簡単な言葉に変えてしまえば、「ぶっちゃけ何したらいいのかよく分かんない」という気持ちに陥ってしまったのだと今なら思います。

具体的な行動を取ることが出来ずにモヤモヤしていたある日、僕は紀夫さんとじっくりお話をさせていただく機会をいただきます。
そこで初めて気が付いたことは、僕はそれまで生の声を聞いたことが無かったのだなということでした。
そこで思ったんです。

「ぶっちゃけ何したらいいのかよく分かんない」のは、「具体的に思い浮かぶ知り合いがいなかった」という結構単純な話だったんじゃないかと。

被災地と言っても様々な立場があるので、一括りにすることは出来ませんが、僕はこの出会いによって福島県大熊町にお住まいだった「木村紀夫さん」という一つの視点から震災を考えることが出来るようになりました。

地震発生時に聞いたラジオから流れてきた津波の高さ予想は3メートルというものだったが、実際には10メートルを越える波がきたこと。
自宅から高台に移動した母親と、小学校に残った長女は生き延びて、家族を心配して海沿いの自宅に戻った父親と奥様と次女は津波に奪われてしまったこと。
それらを想定外と言ってしまえばそれまでだが、「津波の時は海には近付かない」とか「少しでも高いところに逃げる」、「まずは自分の身の安全を考える」といった考え方をもっと家族に周知させておくべきだったこと。

震災の日の夜、街灯も月明かりもない真っ暗闇の中で家族を捜したこと。大きな瓦礫をどかすことは出来ないので、目視と声がけしかできなかったこと。
震災の次の日、明るくなってから家族を再度捜そうとした時に、原発周辺からの避難指示が出たこと。
行方不明の家族も、生き延びた家族もどちらも大事であること。まずは長女を安全な場所に逃すために自宅周辺からの避難を決意したこと。
震災直後に家族を捜すことは出来なかったが、生き延びた家族のためには後悔はないこと。ただし、悔いは残っているということ。

書こうと思えば、こうして何も見ずにサラサラ書けてしまうくらいに僕は紀夫さんのことを知りました。
それでもまだ知らないことの方が多いのだろうと思います。僕はそれをもどかしく思います。

一人きりだった捜索活動から、だんだんと仲間が出来てきて、汐凪ちゃんの持ち物や奥様の遺留品が出てくるようになる。
境遇をともにする仲間とも出会い、だんだんと笑うことが出来るようになったという紀夫さん。確かに捜索活動中の写真を見ると、そこには笑顔の紀夫さんがいます。

その感情の移り変わりを理屈として理解することはできるけれど、自分の感情として体感することは出来ません。
僕は何とかその気持ちを少しでも感じたくて、汐凪ちゃんの捜索の手伝いを申し出たところ、紀夫さんの仲間の皆様にお断りをうけました。
現場に行くとどうしたって被爆してしまう可能性がある。これから結婚して子どもを作るつもりなら連れていくことはできない。それより君にはほかの場所で出来る事があるはずだと。そしてそれは紀夫さんの考えでもあったようでした。

僕は大熊町に行くことは出来ない。放射能という存在に、この問題の微妙さを思います。

それでは、自分に出来ることは何だろうと考えてみる。自分の体験を伝えたいという木村さんの想いに協力すること。東京でお話会を企画すること。なるべく初めて紀夫さんの話を聞く方にご参加いただくこと。自分なりに紀夫さんをご紹介すること。

あれから僕は、折に触れて「被災地」というよりは「紀夫さん」のことを考えています。
「東日本大震災」ではなく「紀夫さんが体験した震災」を一から捉えなおしています。

漠然と「ぶっちゃけ何したらいいのかよく分かんない」問題だった震災が、「紀夫さんに協力できることは何か」という具体的な問題に変化し、ほんの少しだけ実行に移せるようになりました。

なので僕はこのお話会を「震災お話会」とは表現せず、「木村紀夫さんお話会」とさせていただいています。
「震災」という大きな枠組みで捉えるよりも、「紀夫さん」という一人の立場に視点を据えることで見えてくる景色があると思うからです。

恐らくこの先、紀夫さんが僕とお付き合いをけていただける限り、僕の中で震災は風化しないだろうと思います。
風化するとか風化しないとかって本当はそんなに意味のあることじゃなくて、自分の中に「風化しない理由」があるかどうか、ただそれだけなのではないかと感じています。

一見して無関心と映ってしまう景色があったとして、それは各人の質や優劣の問題なんかでは決してなく、単純に「そこに大事な人がいるかどうか」ということに大きく左右されるのではないか。最近少しづつそんなことを思うようになりました。

僕は自分の中に世界の喜びも悲しみも「風化させない理由」をできるだけ多くもっていたいなと思います。
そういう意味では、僕が紀夫さんに出会えたことは幸運そのものだし、汐凪ちゃんが与えてくれた出会いに感謝の思いでいっぱいです。

またこの先も、こういった機会を作ることが出来ればいいなと思っています。
紀夫さんのためという気持ちもあるし、みんなにも紀夫さんの話を聞いてほしいという願いも当然あるけれど、何より自分のために続けていきたいです。
その時にはまた告知しますので、今回タイミングが合わなかった方や、そろそろじゅんじゅんに付き合ってやるかという稀有な方がいらっしゃれば、是非ご参加ください!

何はともあれ、今回も紀夫さんどうもありがとうございました!!
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木村紀夫さんお話会『汐凪を捜して』第2回 2015.6.28 sun. inカフェ ステイハッピー

2015-05-21 19:20:17 | Weblog
今年の2月に開催した木村紀夫さんお話会『汐凪を捜して』を、今度は6月28日(日)に行えることになりました!(前回の様子:木村さんのおはなし会レポート http://mealforsmile.com/archives/2495

内容は前回とほぼ同じことを考えていますので、前回キャンセル待ちでご参加いただけなかった方や初めての方、是非この機会に足をお運びください。

+++++++
*木村紀夫さんお話会 『汐凪を捜して』第2回 
【満席になりました!キャンセル待ちでの受付となります】

福島第一原発の事故により、今なお立ち入りが制限されている福島県大熊町。原発から3キロほど離れた熊川地区にお住まいだった木村紀夫さんにお越しいただき、お話を伺います。

2011年3月11日の津波により、行方不明となった二女の汐凪(ゆうな)ちゃんの捜索活動の話や、大熊町に建設されようとしている中間貯蔵施設に対する思い、移住先の白馬で主催する「持続可能な拠点作り」の取り組みについてなど、当時の貴重な写真を見せていただきながら進行させていただきます。

*日 時:2015年6月28日(日)18:30~20:00(18:00開場)

*会 費:500円+1ドリンク(500円) *別途、汐凪ちゃんの捜索費用としてカンパにご協力ください。

*場 所:下北沢の旅カフェ cafe Stay Happy カフェ ステイハッピー  http://cafestayhappy.com/ 東京都世田谷区代沢2-29-14-2F

*予約先:鈴木純 090-1531-9403 suzuki_juju@yahoo.co.jp (事前予約にご協力お願いします。)

*定員:30名

前回同様のお願いで恐縮ですが、なるべく「初めて木村さんのお話を聞く」という方に多くご参加いただきたく思っております。
以前に木村さんのお話を聞いたことのある方は、ご家族やご友人様をお誘いあわせの上ご参加いただければ幸いです。
+++++++

少しだけ背景を説明します。

福島第一原発の事故により、全町民が避難している福島県大熊町。原発から3キロほど離れた熊川地区に木村紀夫さんはご家族と暮らしていらっしゃいました。

2011年3月11日に発生した津波により、ご自宅は流され、木村さんの父・王太朗(わたろう)さんと妻・深雪(みゆき)さんが帰らぬ人となり、二女の汐凪(ゆうな)ちゃんが行方不明になります。

震災の翌日、行方不明の家族の捜索を続ける木村さんのもとに、原発の爆発を受けて避難指示が出されます。家族の捜索もままならぬまま、木村さんは生き残った母の巴(ともえ)さんと長女の舞雪(まゆ)ちゃんを連れて福島県外への避難を余儀なくされました。

震災から4年以上が経過した今でも二女の汐凪ちゃんは見つかっておらず、今では大熊町でただ1人の行方不明者とされているそうです。

現在は長野県に移住し、新しい生活を始めている木村さんですが、今でも一時帰宅を繰り返しては汐凪ちゃんの姿を捜し続けています。

お話会では、行方不明の汐凪ちゃんを捜し続ける理由や、大熊町が建設候補地となっている中間貯蔵施設に対する思いなどをお話いただく予定です。

現在、木村さんは移住先の長野県白馬村で「深山の雪」という拠点を主宰し「持続可能な場所づくり」に取り組まれています。

できるだけ自然エネルギーを使った場所にしたいという考えから建物を改修しロケットストーブを導入したり、いのちを生かすワークショップとして鹿の解体イベントを行ったりというように、3.11以降の生き方の試みを実践し発信されているので、時間が許せばそのお話も伺いたいと思っています。

震災の話だけに留まらず、未来へ向けた創意工夫についても考えることの出来るいい機会になると思いますので、ぜひご参加ください。

皆様のお越しを心よりお待ちしております! (鈴木純)


*木村さん関連情報WEB

・【The Future Times】アジカンの後藤正文さんたちとの対談
http://www.thefuturetimes.jp/tft_event/report_140429/index.html

・【The Future Times】三年後の捜索活動〜福島県双葉郡大熊町〜娘が生きた証をつかむ。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no06/okuma/

・【The PHOTO JOURNA】みんなとつながれる場所 行方不明の娘 捜し続ける
http://www.thephotojournal.org/contents10.html

・【Yahoo!ニュース個人 高橋宏一郎さん】心の復興、一歩ずつ-捜し続ける父の思い
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takahashikoichiro/20141201-00041138/

・拙ブログ 木村紀夫さんのお話を聞いて思うこと
http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/c0eac0427a77f7c4499be114e5f61900


*書籍

・汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11  尾崎 孝史 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA%E3%82%92%E6%8D%9C%E3%81%97%E3%81%A6%E2%80%95%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E7%94%BA%E5%A4%A7%E7%86%8A%E3%81%AE3%E3%83%BB11-%E5%B0%BE%E5%B4%8E-%E5%AD%9D%E5%8F%B2/dp/4780306523/ref=pd_sim_b_1?ie=UTF8&refRID=08V814KQFPKPXZ0V8G81

・汐凪 木村 紀夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA-%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AA-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E7%B4%80%E5%A4%AB/dp/4779007763


木村さんのことをしっかり知りたい方は尾崎孝史さんの書籍「汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11」がおすすめです。



















ということで、いつものようにここまでが告知内容です。ここからは日記ですので、お時間のある方だけお付き合いください。(いつもと同じことを書いてしまいますが)

震災の後、僕も原発についてたくさん考えました。現代の日本を支えている経済活動のことや身体の安全のこと。政治の在り方や個人としての生き方、最大多数の最大幸福か万人の解放か-。

自分の中では明確に「原発は無し」ということで答えが出ていますが、色々な立場の方の話を聞くにつれ、だんだんとそれを主張することが難しくなってきました。

放射能、電力問題、地域の雇用問題、さらには日本経済のような大きい話まで色々な切り口があって、そこにはそれぞれの立ち位置があって、一様に何が正解だというのが無い世界だと分かってきたからです。

たとえ自分の正義から出た言葉だとしても、何かを言えば必ず誰かを傷つけてしまう。100%の正解というのが有り得ない世界において、イデオロギーが内包する暴力性に気付かされた4年間でもありました。

ですが、木村さんの体験を聞いていて、はっきりと言い切れることもあるのだと知りました。

それは、「愛する家族を捜すことが出来なくなってしまうのが原発事故なのだ」という事実です。

津波によりお父様と奥様が帰らぬ人となり、二女の汐凪ちゃんは未だに行方不明。

震災の翌日、ご家族を捜す木村さんのもとに出された避難指示。

災害時の人命救助において最も大事と言われる「72時間」の間、ご家族を捜すことが許されなかった。

立ちはだかったのは地震でも津波でもなく、紛れも無く「原発事故」です。

原発建設に対して、大熊町では大きな反対は起きなかったそうです。当時は原発が羨望の勤め先だったという話から考えても、原発が建設されたことについて、現在の視点から非難を加えることは出来ないなと思います。ある意味、時代の要請とでも言うべき流れだったのでしょう。

しかし今、大熊町は原発事故によって避難指示区域となっています。

木村さんは数少ない一時帰宅のチャンスを利用して捜索活動を行っていらっしゃいます。

年に15回しか許されず、時間制限も設けられる一時帰宅では十分な捜索を行うことも出来ません。

東京に暮らしている私たち(あるいはそれ以外の地域に暮らす私たち)にとっては、震災から続く原発事故というのは、やはりどこか他人事なのだと思います。

僕はそれが悪いことだとは思いません。恐らくそれが人としての正常だと思うからです。しかし、木村さんのお話を伺っていると、その出来事たちが自分の目前に迫ってきて、「そうか、震災は僕の中で風化していっているのではなく、そもそも風化以前の問題なのだな」と思い知らされます。要するに風化以前に「知らなかった」のだなと。

お話会にあたって、木村さんに「何か聞いてはいけない話、タブーのようなものはありますか?」と念のため確認を取りました。

お答えは「何でも聞いていいよ。答えられるものは何でも答える」とのことでした。

僕が木村さんとお話をしていていつも「凄いなぁ」と思うのは、全てを包み隠さず有りのままのお付き合いをしてくださるところです。

僕のような若輩者に対しても、年下と軽んぜず「一人の人間」として触れ合ってくれているのが分かるのが、いつもとても嬉しくて居心地良く感じています。決して激昂することなく、一言一言丁寧に落ち着いて話をしていただける貴重な機会です。

木村さんの経験だけでも聞く価値がありますが、木村さんが作り出す不思議な優しい空気も同時に感じていただければとても嬉しいです。

また、お話会では木村さんが移住先で取り組んでいる「持続可能な場所づくり」のお話も伺う予定です。

できるだけ自然エネルギーを取り入れるために建物を改修しロケットストーブを導入したり、いのちを生かすワークショップとして鹿の解体イベントを行ったりというように、3.11以降の生き方のヒントを発信し続けています。

過去を思うだけでなく、未来を前向きに歩こうとする、木村さんの真骨頂の部分です。

震災があって、二女がいまだに行方不明であるとは信じられないような前向きなパワーを感じることができ、これからの生き方について自らを省みる良い機会になると思います。

30名という少人数でお話を伺える機会はとても貴重です。全ての時間、質問自由で行いますので、是非ご参加ください。

皆様のお越しをお待ちしております。
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木村紀夫さんのお話を聞いて思うこと

2015-02-09 17:18:59 | 想い事
定員35名様のところ、無理やり50名様(カフェ油揚げ史上最高人数!)にお入りいただき、「木村紀夫さんお話会」が無事に終わりました。お越しいただいた皆様、ご関係の皆様、本当にどうもありがとうございました。

木村さんのお話については、他の方がたくさん書かれているので今さら僕がご説明することもないのですが一点だけ、改めて思ったことを書かせていただきます。

+++
僕は、木村さんのお話を聞いていると「世界に起きている現実は一つではないのだなぁ」ということをいつも強く思います。

東日本大震災があって、続く福島第一原発事故があって、世の中がたくさん動きました。

だけど、この動いた方向というのが何ともちぐはぐで、それぞれの思いがどうも噛み合わない。分かり合えないで罵り合う。そんな動き方が目立つように僕には感じます。

恐らくみんな不幸になんてなりたくないわけだから、目指す場所は同じだと思いたいのですが、なぜこんなことになっているのかといえば、きっとそれは「それぞれの現実が違うから」なのではないかと、そんなことを思いました。

僕が東京で体験した大震災と、東北の方が経験した大震災、そして東北の方の中でも原発にどれだけ近い場所でそれを経験されたかによって、その「現実」が大きく変わってくるのだと思います。そしてそれは、「どれが本当の現実」などというものではなく「全て本当の現実」であるので、何だかややこしくなってしまっているのではないだろうかと感じています。

木村さんが投げかけてくれる問いは数多くありますが、その中でも大事なテーマの一つに「中間貯蔵施設」の問題があります。

*中間貯蔵施設-除染で取り除いた土や放射性物質に汚染された廃棄物を、最終処分をするまでの間、安全に管理・保管するための施設。
(現時点で最終処分の方法を明らかにすることは困難なので、中間貯蔵開始後 30 年以内に福島県外で最終処分を完了するというロードマップが環境省から出されています。


この「中間貯蔵施設」について、大熊町は正式に受け入れを表明しています。

正直なことを書けば、僕も「中間貯蔵施設」は福島第一原発からほど近い場所に作るしかないだろうなと思っていました。そして「中間貯蔵施設」というのは恐らくそのまま「最終処分場」に変わっていくだろうなとも。汚染されてしまったものはばらばらに保管していくのではなく、線量の高いところに集めていくしか方法は無いだろうなと思うからです。これ自体は特別おかしな発想ではないと思っていました。

ただし、これは僕が東京から見ている考えであって、この問題を木村さんの目線から考えてみると全く違った角度から物事が見えてきます。

木村さんは福島第一原発から3キロほど離れた熊川地区にご家族と暮らしていらっしゃいました。2011年3月11日に発生した津波により、ご自宅は流され、木村さんの父・王太朗(わたろう)さんと妻・深雪(みゆき)さんが帰らぬ人となり、二女の汐凪(ゆうな)ちゃんは現在でもまだ行方不明のままです。

今では大熊町でただ一人の行方不明者となってしまった汐凪ちゃんを捜すため、木村さんは数少ない一時帰宅のチャンスを利用して捜索活動を行っていらっしゃいます。

年に15回しか許されず、時間制限も設けられる一時帰宅では十分な捜索も行えません。それでも捜索の度に、汐凪ちゃんが履いていた靴や運動着、生前に奥様が着用していた帽子や家族で撮ったプリクラなどが出てきます。

木村さんにとって、大熊町の自宅周辺というのはご家族とつながることが出来るかけがえの無い場所です。そのご自宅周辺が中間貯蔵施設の対象地となっており、国から買い取りの話が来ています。

中間貯蔵施設が出来てしまったら、木村さんの自宅跡はどうなってしまうのか。その後、木村さんは自由に捜索活動を続けることが出来るのか。木村さんにとって、ご家族と繋がることの出来る数少ない場所への立ち入りが制限されてしまわないか。買い取りに対して、国からの説明は曖昧なままだそうです。

原発事故によって住む場所を追われた上に、ご家族と繋がれる場所まで国に奪われてしまうことを思うと、中間貯蔵施設が大熊町に建設されようとしていることについて疑問が出てきます。

これ「が」真実です。というよりは、これ「も」真実です。と言うべきなのでしょうか。

解決策が見つかりにくい話だと思います。きっと割り切った正解なんてものもない話なのだと思います。

だけどこういう話を聞くと、自分には物事の一つの側面しか見えていなかったのだということを思い知らされます。

木村さんのもとには「(土地の買い取り容認の)サインがもらえるまで通います」と担当の方から連絡があったそうですが、その後のアプローチは途切れたままだそうです。

この問題について、僕はまだ勉強不足なのでどうしたらいいか分かってはいませんが、せめて物事が動き出す前に木村さんと国あるいは町との間で「話し合い」があってほしいなと思います。ある日突然振り下ろされる事務的な連絡ではなく、目と目を見あった直接的な対話があってほしいなと思います。

とかく国策というものは民主主義という隠れ蓑のもと、当事者同士の会話が置き去りのまま物事が進んでいく傾向があるように思えてなりません。

全体が進んでいくためには、どこかで妥協しあって我慢しなければいけないことがあるのも事実でしょう。だけど、そこに丁寧なアプローチがあることを望みます。

現実は一つではなく、常に複合的な多面体です。自分の見ている「現実」やメディアの報じる「現実」、または他の方が体験している「現実」には誤差があり、乖離していること。そしてそれらは全て間違っておらず、全て真実であること。

それを知っておくだけで、世の中の物の見方は少し変わるかもしれないと思います。

「木村さんのお話を聞く」というその行為だけでも、「違う現実」が自分の中に入って来て、違う視点が形成されるようになりました。そういう意味で惜しげもなくご自身の体験をお話してくださる木村さんには感謝の思いでいっぱいです。

中間貯蔵施設の話だけを書いてしまいましたが、木村さんのお話はどこを切り取っても示唆に富んでいます。

木村さんは色々な場所で精力的に講演活動をされいます。また移住先の白馬でもイベントが盛りだくさんです。皆様ぜひお調べの上、ご参加ください。

*木村さん関連情報WEB

・【The Future Times】アジカンの後藤正文さんたちとの対談
http://www.thefuturetimes.jp/tft_event/report_140429/index.html

・【Yahoo!ニュース個人 高橋宏一郎さん】心の復興、一歩ずつ-捜し続ける父の思い
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takahashikoichiro/20141201-00041138/

*書籍

・汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11  尾崎 孝史 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA%E3%82%92%E6%8D%9C%E3%81%97%E3%81%A6%E2%80%95%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E7%94%BA%E5%A4%A7%E7%86%8A%E3%81%AE3%E3%83%BB11-%E5%B0%BE%E5%B4%8E-%E5%AD%9D%E5%8F%B2/dp/4780306523/ref=pd_sim_b_1?ie=UTF8&refRID=08V814KQFPKPXZ0V8G81

・汐凪 木村 紀夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA-%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AA-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E7%B4%80%E5%A4%AB/dp/4779007763


木村さんについて知りたい方は、上記に紹介した「汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11  尾崎 孝史 (著)」を全力でお勧めします。


また東京でお話会を出来るようにすでに紀夫さんと相談を始めています。また機会があればこちらで告知しますのでよろしくお願いします。

木村さん、今回は本当にどうもありがとうございました!
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木村紀夫さんお話会『汐凪を捜して』 2015.2.7 Sat. inカフェ油揚げ

2015-01-11 16:19:47 | 想い事
前回のブログで写真展のご案内をしましたが、今回はお話会の告知です。

今も立ち入りが制限される福島県大熊町で、行方不明のままの二女の捜索を続ける木村紀夫さんにお越しいただき、お話を伺えることになりました!

木村さんからのお話を一方的に聞くという形ではなく、全員の目が合う距離感で自由に質問を交わし合いながら進行したいと思っています。

こういう少人数でのお話会はとても貴重な機会になるはずですので、ふるってご参加ください。

+++++++
*木村紀夫さんお話会 『汐凪を捜して』 
【満員になりました!キャンセル待ちでの受付となります】




・日 時:2015年2月7日(土)16:00~17:30(15:30開場)

・会 費:無料(木村さんの交通費としてカンパお願いします。)

・場 所:『カフェ油揚げ』 東京都大田区5-20-6 http://aburaage.web.fc2.com/

・予約先:鈴木純 090-1531-9403 suzuki_juju@yahoo.co.jp(仕事中は電話出れないので、メールでのご連絡が有り難いです。)

行方不明の汐凪ちゃんを捜し続ける理由や、大熊町が建設候補地となっている中間貯蔵施設に対する思い、移住先の白馬で主催する「持続可能な宿」での取り組みについてなど、写真を見せていただきながら進行します。後半はディスカッションも含め、木村さんと皆様が対話できるような仕組みを考えます。

会場は、満席でも35名ほどの環境です。近い距離でお話を伺うことの出来るいい機会ですので、ぜひご参加ください。

※1/14(水)~2/15(日)は同会場で、写真家・尾崎孝史さんの写真展【汐凪を捜して】を開催しています(月・火はカフェ定休)。お話会にご都合のつかない方は写真展にお越しください。カフェ油揚げのランチは羽田担担麺がお勧めです!

※ 写真展については拙ブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/ba1daf869693016eade2636cb39a3508

※会場に人数制限があるため、ご希望の方は予約のご連絡をお願いいたします。
+++++++


(前回のブログにも同じことを書きましたが)、少し背景を補足します。

福島第一原発の事故により、全町民が避難している福島県大熊町。原発から3キロほど離れた熊川地区に木村紀夫さんはご家族と暮らしていらっしゃいました。

2011年3月11日に発生した津波により、ご自宅は流され、木村さんの父・王太朗(わたろう)さんと妻・深雪(みゆき)さんが帰らぬ人となり、二女の汐凪(ゆうな)ちゃんが行方不明になります。

震災の翌日、行方不明の家族の捜索を続ける木村さんのもとに、原発の爆発を受けて避難指示が出されます。家族の捜索もままならぬまま、木村さんは生き残った母の巴(ともえ)さんと長女の舞雪(まゆ)ちゃんを連れて福島県外への避難を余儀なくされました。

震災から4年近くが経過した今でも二女の汐凪ちゃんは見つかっておらず、今では大熊町でただ1人の行方不明者とされているそうです。

現在は長野県に移住し、新しい生活を始めている木村さんですが、今でも一時帰宅を繰り返しては、汐凪ちゃんの姿を捜し続けています。

お話会では、行方不明の汐凪ちゃんを捜し続ける理由や、大熊町が建設候補地となっている中間貯蔵施設に対する思いなどをお話いただく予定です。

現在、木村さんは移住先の長野県白馬村で「深山の雪」というペンションを主宰し「持続可能な場所づくり」に取り組まれています。

できるだけ自然エネルギーを使った宿にしたいという考えから建物を改修しロケットストーブを導入したり、いのちを生かすワークショップとして鹿の解体イベントを行ったりというように、3.11以降の生き方の試みを実践し発信されているので、そのお話も伺う予定になっています。

震災の話だけに留まらず、未来へ向けた創意工夫についても考えることの出来るいい機会になると思いますので、ぜひお話会へご参加ください。

皆様のお越しを心よりお待ちしております!




















ということで、ここまでが告知内容です。ここから先は蛇足文章ですので、例によってお暇な方だけどうぞ。

お話会を企画するにあたって、木村さんに「何か聞いてはいけない話、タブーのようなものはありますか?」と念のため確認を取りました。

お答えは「何でも聞いていいよ。答えられるものは何でも答える」とのことでした。

僕が木村さんとお話をしていて「凄いな」といつも思うのは、何も包み隠さず有りのままでお付き合いをしてくださるところです。

僕のような年の離れた人間に対しても、年下と軽んぜず「一人の人間」として触れ合ってくれているのがよく分かるのが、いつもとても嬉しいです。

僕達日本人は「何でも聞いていい」というのがなかなかしづらい国民性を持っていますが、せっかくお話に来ていただけるので、遠慮はかえって失礼だと思っています。

いちおう全体の進行のことはありますが、疑問に思うことがあったらその場で随時質問を交わし合えるような雰囲気作りに徹したいと思っていますので、どうか気楽に考えてお越しいただければ嬉しいです。

昨日、写真家の尾崎さんにお越しいただき、写真展の設置を行いました。

僕自身、写真を見返して、昨年夏に木村さんの話を伺って感じたことなどを思い返し、この機会を逃す手はないなと改めて思いました。

木村さんの経験というのは、文章にしてしまうと大事なものが抜け落ちてしまう、そういうタイプのものだと思います。

津波によりお父様と奥様が帰らぬ人となり、二女は未だに行方不明。

震災の翌日、ご家族を捜す木村さんのもとに出された避難指示。

災害時の人命救助において最も大事と言われる「72時間」の間、ご家族を捜すことが許されなかった。

立ちはだかったのは地震でも津波でもなく、原発事故です。

前回も同じことを書きましたが、僕にとって「原発」のことを話すのはとても怖いことです。放射能、電力問題、地域の雇用問題、さらには日本経済のような大きい話まで色々な切り口があって、そこにはそれぞれの立ち位置があって、一様に何が正解だというのが無い世界だからです。何かを言えば必ず誰かを傷つけてしまう。たとえそれが自分の正義から出たものだとしても・・・。

ですが、木村さんの話を聞いていて、一つだけ確かに言い切れることがあることを知りました。

それは、「愛する家族を捜すことが出来なくなってしまうのが原発事故なのだ」という事実です。

大熊町では原発建設に対して、大きな反対が無かったと聞きました。

また、当時は原発が羨望の勤め先だったということも同時に聞きました。

そして今、大熊町は原発事故によって避難指示区域となっています。

木村さんは未だに見つからない二女を捜し続けています。

これらが投げかけてくることについて、それを理由にした「原発反対!」なんて言う気はさらさらありません。

こういう話を聞くにつれ、やっぱり僕に何かを言う権利は無いのではないかなどと思ってしまうからです。

過去のことについて僕は何も語れません。僕が思うのは、それでは僕達はこれからどうやって生きていこうか。ということです。

木村さんの真骨頂はそこにあって、すでに移住先の長野県白馬村でそれを実行に移されています。

木村さんが移住先で主宰するペンション「深山の雪」では「持続可能な場所づくり」として、様々な取組が行われています。

できるだけ自然エネルギーを使った宿にしたいという考えから建物を改修しロケットストーブを導入したり、いのちを生かすワークショップとして鹿の解体イベントを行ったりというように、3.11以降の生き方のヒントを発信し続けています。

そしてそこには、その未来へ向けた創意工夫を楽しんで応援し、共に活動する仲間がたくさんいらっしゃいました。

震災があって、二女がいまだに行方不明であるとは信じられないような前向きなパワーがそこには満ちていて、僕にはとても居心地が良く感じられました。

何が正解というのは無い世界です。

イデオロギーはその本質において暴力性を有しているということがこの4年弱でよく分かりました。

なので、「○○すべき」という話ではなく、「それ、いいかもね」という話を聞きたいし、そういう話を僕もしたいと思っています。(これまで色々間違えたりしたけど)

今回のお話会では、それが出来そうな予感がしています。

「それぞれの立場で思うことがある」。そんな時間になれば嬉しいです。

みんな、連絡待ってるよ!
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尾崎孝史 写真展 「汐凪を捜して」 2015.1.14 Wed.~ inカフェ油揚げ

2014-12-28 16:21:56 | 想い事
今年の夏に、多くの方と共有したい出会いがあったので、皆様の協力を得て、一つ形にしてみることにしました。どうぞよろしくお願いします。

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 *尾崎孝史 写真展 汐凪を捜して

-2011年3月11日に発生した東日本大震災から、もうすぐ4年。
今も立ち入りが制限される福島県大熊町で、行方不明のままの二女の捜索を続ける木村紀夫さんとその家族の写真展-



・期 間 : 2015.1.14 Wed.~2.15 Sun.(月・火はカフェ定休です。)
*2/7(土)には汐凪ちゃんの父・木村紀夫さんにお越しいただき、お話を聞く会を企画しています。(詳細は次回ブログをお待ちください)

・場 所 : 毎度おなじみ『カフェ油揚げ』 東京都大田区5-20-6 http://aburaage.web.fc2.com/

・連絡先:鈴木純 090-1531-9403 suzuki_juju@yahoo.co.jp

※上記期間中、定休以外はずっと写真展示をしています。事前の問い合わせ等は不要ですので気軽に足をお運びください。カフェ油揚げのご飯はとてもおいしいです。特に羽田担担麺が超お勧めですので、ランチも兼ねて是非お越しください!
+++++++

写真を展示していただくのは写真家の「尾崎孝史」さん。展示されるのは、3月11日の津波によって行方不明となった二女の捜索を続ける「木村紀夫」さんとそのご家族の写真です。


 ―少しだけ背景を説明させてください。


福島第一原発の事故により、全町民が避難している福島県大熊町。原発から3キロほど離れた熊川地区に木村紀夫さんはご家族と暮らしていらっしゃいました。

2011年3月11日に発生した津波により、木村さんの父・王太朗(わたろう)さんと妻・深雪(みゆき)さんが帰らぬ人となり、二女の汐凪(ゆうな)ちゃんが行方不明になります。

震災の翌日、行方不明の家族の捜索を続ける木村さんのもとに、原発の爆発を受けて避難指示が出されます。家族の捜索もままならぬまま、木村さんは生き残った母の巴(ともえ)さんと長女の舞雪(まゆ)ちゃんを連れて福島県外への避難を余儀なくされました。

震災から4年近くが経過した今でも二女の汐凪ちゃんは見つかっておらず、今では大熊町でただ1人の行方不明者とされているそうです。

現在は長野県に移住し、新しい生活を始めている木村さんですが、今でも一時帰宅を繰り返しては、汐凪ちゃんの姿を捜し続けています。

写真家の尾崎さんは、震災後すぐに大熊町民の避難先になっていた会津に向かい、家族を捜す木村さんに出会いました。

そこから始まった尾崎さんと木村さんの交流が一つの形になっています。

今回の写真展では、尾崎さんが撮影し続けている震災後の木村紀夫さんとそのご家族の記録を展示していただきます。

木村さんのご家族に対する愛や、それを見守り続ける尾崎さんの優しい眼差しが伝わる写真展ですので、是非足をお運びください。

最後に、写真展について尾崎さんと木村さんからいただいたコメントがありますので、ご紹介します。

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汐凪とは福島県大熊町で津波に流された少女の名前です。
震災の翌朝、夜を徹して捜索を続けていた父親に知らせが入りました。「町に避難指示が出た。原発が危ないらしい」
 生き残った家族を守るため、現場を去る決断をした父親。避難先で出会った私は、汐凪ちゃんを捜す家族の記録を始めました。原発の事故によって、救出の可能性を断たれてしまった少女がいる・・・。この悲痛な出来事を受け止め、福島、そして日本の将来を考える機会になればと思います。            (写真家 尾崎 孝史)


 子どもたちのために、未来のために、何が必要で何が不要なのか。この写真展をきっかけに考えていただけたらと思います。この国が裕福な国から幸福な国に変わるための小さな一助になったら、と願っています。         (汐凪の父 木村 紀夫)
+++++++

*木村さん関連情報WEB

・【The Future Times】アジカンの後藤正文さんたちとの対談
http://www.thefuturetimes.jp/tft_event/report_140429/index.html

・【Yahoo!ニュース個人 高橋宏一郎さん】心の復興、一歩ずつ-捜し続ける父の思い
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takahashikoichiro/20141201-00041138/

*書籍

・汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11  尾崎 孝史 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA%E3%82%92%E6%8D%9C%E3%81%97%E3%81%A6%E2%80%95%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E7%94%BA%E5%A4%A7%E7%86%8A%E3%81%AE3%E3%83%BB11-%E5%B0%BE%E5%B4%8E-%E5%AD%9D%E5%8F%B2/dp/4780306523/ref=pd_sim_b_1?ie=UTF8&refRID=08V814KQFPKPXZ0V8G81

・汐凪 木村 紀夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%90%E5%87%AA-%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AA-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E7%B4%80%E5%A4%AB/dp/4779007763


*木村紀夫さんのことを詳しく知りたい方、あるいは大熊町のことを知りたい方には上の書籍「汐凪を捜して―原発の町大熊の3・11」尾崎 孝史 (著)がおすすめです。



























 -以上、写真展のご案内でした。皆さまどうぞお誘いあわせの上、お越しください。



ここから先は僕の独り言です。写真展の案内とは全く別の蛇足文章ですので、気が向いた方だけどうぞ。

正直な話をすると、上の告知文を書くだけで凄く疲れてしまいました。実際に津波にあわれ、現地でご家族を亡くした上に今もなお行方不明の二女を捜し続けている木村さんのお話は、僕のような一介のサラリーマンが文字に変えられるようなものではなく、また、していいものでもないとどうしても思ってしまいます。

写真家の尾崎さんが、木村さんに寄り添い撮影してきた数々の写真についても、長い時間をかけて築き上げてきた心強い信頼関係による優しくも貴重な作品なので、半年前に出会ったばかりの僕がお呼びしても良かったのだろうかという思いもあります。

しかし、今回はお二人の過大なご厚意により、いつもイベントをさせていただいているカフェ油揚げさんで、一つの場を設けさせていただくことになりました。関係の皆様、本当にありがとうございます。

僕が木村さんと尾崎さんに出会ったのは、2014年の夏、長野県白馬村でした。その時まで木村さんのことを全く知らなかった僕は、旅行のついでに泊まれる場所として「持続可能な宿・深山の雪」の情報を知り、純粋に宿泊だけさせていただく予定でした。

偶然「深山の雪」では翌日から写真展が行われるタイミングだったため、何も知らなかった僕は、そこに来てようやく木村さんの色々を知ることとなりました。

話を伺うにつれ、これは僕だけではなく多くの方に知っていただきたいと強く思ったのが、今回のきっかけです。

木村さんが現在、移住先の白馬で行っている「持続可能な場所づくり」は3.11以降の生き方の試みとして、とても好奇心を揺さぶられる場所でした。

できるだけ自然エネルギーを使った宿にしたいという考えから建物を改修しロケットストーブを導入したり、いのちを生かすワークショップとして鹿の解体イベントを行ったりというように、これからの生き方のヒントを発信し続けています。

そこにはたくさんの仲間がいました。未来へ向けた創意工夫、そしてそれを楽しんで応援し、共に活動する周りの方々と知り合うにつれ、何と言うかとても居心地の良い空気を僕は感じました。

震災があって、二女がいまだに行方不明であるとは信じられないような前向きなパワーがそこには満ちていて、無粋なことを書きますが、とても希望みたいなものを思わずにはいられませんでした。

震災に対する向き合い方というのは人それぞれなのだろうと思います。それについて、僕がいちいち何かを言う権利などないのは分かっていますが、木村さんのような選択もあるのだと知ることは、一つの思考として参考になるはずだと思います。

風化していくことを懸念する声があります。でも、僕にはそれはよく分かりません。辛いことは早く忘れた方がいいと思うし、これから先に起こる楽しいことを積み重ねていきたいな、なんてつい身勝手に思ってしまったりします。

東京に暮らしている私たち(あるいはそれ以外の地域に暮らす私たち)にとっては、震災から続く原発事故というのは、やはりどこか他人事なのだと思います。

そして僕はそれが悪いことだとは思いません。恐らくそれが人としての正常だと思うからです。

しかし、行方不明の二女を捜し続ける木村さんのお話を伺っていると、その出来事たちが自分の目前に迫ってきて、「そうか、震災は僕の中で風化していっているのではなく、そもそも風化以前の問題なのだな」という厳然とした事実に気付かされます。要するに風化以前に「知らなかった」のだなということです。

思う存分捜したくても、捜せなかった。立ちはだかったのは津波ではなく原発事故です。現在も行方不明のままの二女を捜すという当たり前の理由でさえ自由に立ち入ることが出来ない。

僕にとって、「原発」のことを話すのはとても怖いことです。放射能、電力問題、地域の雇用問題、さらには日本経済のような大きい話まで色々な切り口があって、それぞれの立ち位置があって、一様に何が正解だというのが無い世界だからです。何かを言えば必ず誰かを傷つけてしまう。それが自分の正義から出たものだとしても・・・。

だけど木村さんの話を聞いていて、一つだけ確かに言い切れることがあることを知りました。

それは、「愛する家族を捜すことが出来なくなってしまうのが原発事故なのだ」という事実です。

(これ、本当は次のブログで書く予定だったのですが)2月7日(土)には木村さん本人に会場までお越しいただくことになりました。紀夫さんありがとうございます!16:00~17:30(無料)を予定。

30人ほどの規模で、とても近くでお話を伺うことの出来るいい機会ですので、こちらもお見逃しないようお願いします。

こうして書いていると、どうしても重い話になっていってしまうのが僕としてはとても不本意なのですが、上にも書いた通り、木村さんの真骨頂は3.11以降をどう生きるかを考え実行されているところにあります(と僕が勝手に思っています)。

その優しい眼差しと、他を拒絶しない自然体な雰囲気が僕はとても好きです。(一方的に)

ぜひぜひぜひ、一度足をお運びください。皆様のご来場お待ちしております!
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