道端鈴成

エッセイと書評など

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情報戦とレトリック(1)古典レトリックについて

2007年08月24日 | 思想・社会
1.レトリックという言葉
レトリック(Rhetoric)は、日本語では修辞学、弁論術などと訳される。(語義としては、言葉の学の意味で、trickとは無関係。Rhetorは雄弁家。)レトリックを最初に定式化したアリストテレスによれば、「レトリックとは、どんな問題でもそのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけだす術である。」となる。レトリックをあえて日本語訳するとすれば、弁論術がもっとも近い。日本語で読めるレトリックのテキストは、修辞法だけのものが多いが、「レトリック辞典」は、議論法も扱っているので有益である。

2.レトリックの始まり
言葉による説得が初めて学問の対象になったのは、紀元前5世紀シシリー島のシラクサにおけるコラクスによってであるとされている。コラクスは、当時民主制を始めたばかりのシラクサで大問題となった、土地の所有権をめぐる訴訟を有利にすすめるための弁論の技術を教えて職業とした。コラクスの著書は残っていないが、蓋然性にもとづく議論のしかた、弁論の構成などの実用的な内容のものだったらしい。

コラクスと弟子のティシアスについては、つぎのようなエピソードが残っている。
コラクス「私のところで学べば、どんな訴訟にも勝てるようになる。もし勝てなかったら授業料を返還することを約束する。」
ティシアスはコクラスの元で学び、いよいよ勉強も終了になった。
ティシアス「コクラス先生、ありがとうございました。さっそくですが、先生に対して授業料返還の訴訟をおこします。」
コラクス「なんじゃと。」
ティシアス「コクラス先生が最初に約束したように、先生の授業を終了した私はどんな訴訟にも勝てるはずです。私が訴訟に勝ったら、授業料を返還するのがルールです。しかし、もし、私が訴訟に負けるようなことがあったら、先生は最初の約束通り、私に授業料を返還すべきです。いずれにしろ、授業料を返還してもらうことになります。これも先生のご指導のおかげです。」
コラクス「ちょっとまて。どんな訴訟を起こそうとお前の自由だ。しかし、かりに授業料返還訴訟に負けたら授業料は払うのがルールというものだろう。逆に、お前が勝訴したら、私の教育が約束通りのものであったことになるので、授業料を返せといわれる筋合いではないな。」

さて、どちらの言い分が正しいだろうか。レトリックは、どちらの立場からでも説得の方法を見つけだす術なので、コラクスとティシアスの例のように、詭弁的であやしげな論法も出てくる。

コラクスとティシアスが開始したレトリックは、ギリシアの民主アテネで、ますますさかんになる。ゴルギアスやイソクラテスといったソフィストと言われるレトリックの教師が活躍する。レトリックの対象は、法廷弁論だけでなく、議会演説、儀式の演説などもふくむようになり、議論法、論述の構成、言葉のあや、声の出し方など弁論の様々な側面がとりあげられた。次に、ギリシア哲学の二大巨頭、プラトンとアリストテレスのレトリックへの対応を見てみよう。

3.プラトンとアリストテレス
ラファエロに「アテネの学堂」という作品がある。アテネの聖堂につどう哲学者群像をえがいた大作である。その哲学者達の中央には、なにやら熱心に議論をしているプラトン(前 427-前 347 古代ギリシャの哲学者。ソクラテスに師事し,遍歴ののち,アカデメイアを創設。)とアリストテレス(前 384-前 322、 古代ギリシャの哲学者。プラトンの弟子。アレクサンダー大王の師。)がえがかれている。プラトンは、右手をうえにむかって指さし、アリストテレスは手を水平にのばしている。プラトンとアリストテレスは、二千数百年にわたるヨーロッパの知的伝統の礎をきづいた哲学者だが、その個性は対照的であり、ラファエロの絵にはふたりの個性が象徴的にしめされている。

プラトンとアリストテレスの知にかんするかんがえのちがいが、典型的にしめされているのが、レトリックの領域である。

今日、レトリックは、ことばのあやの意味でもちいられているが、西欧では、伝統ある、説得のための総合的言語技術であり、バルトのいいまわしでは「紀元前五世紀から十九世紀まで西欧に君臨したメタ言語」となる。レトリックは、日本での西欧文化の導入の時期が西欧でのレトリックの衰退期にあたっていたこともあって、日本における西欧文化理解のおおきな欠落となっている。シラクサで誕生した西欧のレトリックは、プロタゴラスなどのプラトンの前の世代のソフィスト達や、プラトンのライバルのイソクラテスなどによって発展していった。ソフィスト達やイソクラテスは、民主ギリシアにおける、法廷弁論や政治弁論の教師として、たいへんな人気をはくしていた。法廷弁論や政治弁論のポイントは、聴衆に正しいとうけとられることである。かりに、主張がただしくとも、聴衆にそううけとれらなければ無益である。逆に、かりに主張が正しくなくとも、聴衆に正しいとうけとられれば弁論としては成功ということになる。

プラトンがゆるせなかったのは、この点である。ゴルギアスなどの対話篇で、プラトンは、レトリックを、エピステーメへの道をゆがめる、うわべをかざる、おべっかつかいの、詐欺的な似非技術として、口をきわめて批判している。(ただ、レトリックの批判者にありがちなことだが、その批判自体みごとなレトリックによっている。ローマ時代の雄弁家キケロにいわせると、プラトンはレトリックの大家である。)あくまで、エピステーメをもとめるプラトンにとっては、ドクサの領域で、説得合戦をくりひろげるレトリックなど知の邪道だった。

レトリックへのアリストテレスの対応は、はるかに現実的である。アリストテレスはすべてをエピステーメでカバーできない(非哲学者にとってはとくに)ことをあっさりみとめ、演繹的推論や帰納法などのエピステーメの方法をおぎなう、省略三段論法や例示の方法を提案し、また、比較、原因・結果などの論拠のだしたかたをまとめた。さらには、ロゴスだけではなく、エートス(人柄)やパトス(感情)による説得までふくめて、レトリックの体系を弁論術で、講義録風にまとめた。プラトンによるレトリックを駆使したレトリック批判とアリストテレスによる無味乾燥な文体のレトリック論。実に対照的である。

4.古典レトリック
4.1.古典レトリックの確立
アリストテレスの「弁論術」は文字どおり弁論の技術の書である。論点の分類、話者の個性とその表現、聴衆の心理、弁論の構成、言葉のあや、と網羅的に弁論にかんする問題を、整理してまとめている。言葉のあやについては、最後のほうで、全体の五分の一程度のスペースでふれられているだけである。論理学と政治学の創始者が、両者の間にあるとみずから位置づけた弁論について、テキストとして包括的にまとめたのが「弁論術」である。アリストテレスののち、弁論家の教育や倫理、事例による教育など、より実際的なテキストや記憶法、表現法、言葉のあやなどの部門についてのより詳細な論考がおおくでたが、基本的な枠組みについていえば、CorbettらがClassical Rhetoric for the Modern Student で指摘するように、アリストテレスの「弁論術」をこえることはなかった。

4.2..レトリックの五部門
アリストテレスが定式化し、ロ-マ時代に制度化された総合的言語技術としてのレトリックの内容は、発想・配置・修辞・記憶・発表の五部門からなっている。

法廷弁論であれ、政治弁論であれ、ギリシア・ローマのレトリックは実際に口頭弁論をおこなうための手引きで、レトリックの五部門は口頭弁論の準備から実施までの各段階に対応していた。このなかで、修辞の役割は、発想と配置の部門の指針にしたがって形成されたメッセージの内容にたいして、注目させたり、印象づけるように表現上の装飾をくわえることだった。

4.3.説得の三側面
アリストテレスが定式化した古典レトリックでは、説得をロゴス、パトス、エートスの三側面からとらえた。これをうけてローマの雄弁家のキケロは弁論家の任務は、論証し、聴衆を感動させ、聴衆に好かれることだとした。これらの位置づけは、今日における説得をかんがえる際にも有効である。下に、まとめて示す。 

         説得の三側面

      レトリックにおける説得の三側面              弁論家
ロゴス   議論の内容(理由づけや事実の印象)による説得    論証する  
パトス   聞き手の感情や利害関心にうったえる説得        感動させる
エートス  話し手への信頼や好意による説得             好かれる

5.レトリックの衰退と日本におけるレトリック
5.1.西欧におけるレトリックの衰退
レトリックは、西欧ではギリシア以来の知の伝統を体現する科目で、言葉に関する自由三科(論理・文法・レトリック)の仕上げの位置をしめていたが、1902年に、フランスで中等教育課程の最終学年の名称である「レトリック学級」が法的に廃止される頃までには、レトリックは新しい科学の時代に合わない、古くさく形式的で退屈な学問になってしまっていた。

5.2.日本におけるレトリック受容
日本では、西欧文化の導入の時期がレトリックの消滅の時期とかさなったために、レトリック理解は日本文化における西欧文化理解の盲点となっている。田中美知太郎は世界の名著におけるプラトンの解説でこういっている。「レトリックというものの重要性について、わが国の西洋文明の理解は未だ浅薄なため、ほとんど知られていないが、これは西洋において、ローマ時代から中世、ルネサンスを経て現代に至るまで、最も古く最も長くつづいている教養の伝統の根幹をなすものである。西洋のレトリックの伝統について知ることなしに、西洋の文学や演劇を云々することも、西洋の政治家や評論家の演説や文章を理解することも、ほとんど不可能であると言ってよい。わが国の外交官、わが国ジャーナリズムどが、西洋の生活の皮相な細目に触れるだけで、その根底にある心理や論理に達する者の少ないのも、わが国の教育が全体として、この主の理解を準備することを全く怠っているからである。」

明治の初期は、万機公論に決すべしの機運のもと演説文化が盛んになった日本の歴史では例外的な時代だった。この時代には、古典レトリックに対応した内容の「雄弁術」「弁論術」などの翻訳書や紹介がいくつもなされた。

その後は、明治における演説文化の衰退もあって、修辞法へ縮小した西欧レトリックが、日本古来の文芸の伝統と照応する形で、レトリックとして紹介研究されることになる。1970年代以降のレトリックブームも、修辞法の枠内のものである。

5.3.パブリック・スピーチと実際的レトリック教育
日本では、種々の修辞の粋をこらした豊かな文芸の伝統がある。しかし、パブリック・スピーチの伝統はないに等しい。名文集はあっても、名演説集はほとんど存在しない。学校の国語教育も、圧倒的に文芸にかたよっており、パブリック・スピーチの訓練はほとんどなされていない。こうした現状は文化の偏りであり、教育の怠慢である。日本語での発信能力を高めるための、パブリック・スピーチと実際的レトリック教育が必要である。
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