『世界』を読む会

寅さんの博も読んでいる『世界』を読んで、話し合おう。

岡野八代 「日本軍『慰安所』制度はなぜ、軍事的『性奴隷制』であるのか」 を読んで

2014-11-30 20:01:20 | 日記

『世界』2014年11月号

●  岡野八代 「日本軍『慰安所』制度はなぜ、軍事的『性奴隷制』であるのか」を読んで

                                 須山敦行

                                                

◎ 雑誌『世界』らしく、「世界」の中で、日本軍の「慰安婦問題」が、どのような問題として、問題になっているのか、という視点から、捉えられている。

◎ 軍事的「性奴隷制」である、という本質的な把握の重要性を説いている。その中で、そもそも「奴隷制」とは、ということを説いていて、原因と結果の取り違えの論理は面白い。

◎ 被害者の「尊厳」という問題から、「民主主義」の問題、「修復的正義」という概念の展開は、この問題が、人類の民主主義の前進のためのどのような課題なのかを示し、私を大きな構えに導いてくれる力を感じた。ことは、「民主主義」とは何かということへの答えでもある。

  


事実

安倍晋三首相は、九七年に発足した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務め、
二〇一二年には、中学校歴史教科書からは「慰安婦」の記述はいっさいなくなった。

◎ 着々と進められている事実。


奴隷制度について

吉田証言は、言及される価値のない証言である。
それは、日本軍「慰安所」制度が、「奴隷制」に他ならないからだ。
つまり、
なぜ「慰安所」に女性たちがいたのか〉が問題の核心ではなく、
〈「慰安所」において女性たちがどのように扱われていたのか〉が問題の核心だからである。

《 奴隷制度について の ルソーの言葉 》
「結果と原因」の取り違え
ある者が奴隷にふさわしいのは、奴隷制がそもそも存在するからだ
奴隷の扱いを受けてもふさわしい者(=原因)がいるのではなく、そもそも奴隷制度があるから、その結果として、奴隷の扱いを受ける者が存在するのだ。

日本軍は「軍慰安所」という性奴隷制度をつくった。

彼女たちがどのような職業についていて、そのような出自であっても、軍慰安所に彼女たちが存在していた理由は、そこに軍慰安所を、日本軍が設置したからに他ならない。

公娼だったから、その人権が無視されて、奴隷のような扱いを受けても当然だという議論は、まさに原因と結果を取り違えている。奴隷のような扱いを受けてよいひとは、一人も存在していないの

◎ ことの「本質」をつかむこと、の重要性。

 

「国民基金」の過ち

国際社会では
(国連の公式用語、「クラマスワミ報告」、「マクドゥーガル報告」では)
「性奴隷制」
「戦時、軍によって、または軍のために、性的サービスを与えることを強制される」制度

「慰安婦」ではなく「軍事的性奴隷制」が適切な用語である


《奴隷制の禁止が、国際法上の強行法規となっている理由》

それが単なる個人による他の個人の所有権、つまり生命・財産・自由に対する侵害ではなく、そうした侵害行為が合法とされることによって、
人間社会の基礎を掘り崩してしまうからである。

人間社会の基礎とは、
一人ひとりに取り換えの利かない価値すなわち尊厳があることを周知させ、
一人ひとりがそのような者として扱われる、
という確信に満ちた安心感をもって暮らせるための「秩序」である。

したがって、
その秩序に対する攻撃は、個人に対する罪ではなく、
人道humanity=人類に対する罪を形成すると考えられているのだ。


※ 吉田証言が世界に影響を与えたかのような
  安倍晋三首相を始めとした発言・報道には、一つの大きな共通点がある。

 それは、軍事的性奴隷制がこうして国際社会において大きな問題、しかも現代的な人権問題としてクローズアップされるようになったのは、一九九一年八月十四日、一人の元「慰安婦」にされた女性、金学順さんが世界で初めて、自らの過去を語ったからに他ならないことから、目を逸らそうとしている点だ

「これらの証言は、自らの尊厳の回復と、五〇年前に彼女たちの人身にたいして犯された残虐行為を認めることを現在要求している生存女性たちの声なのである。
その人生のうちでもっとも屈辱的で苦痛に満ちた日々を再び蘇らせる意味をもつに違いないにもかかわらず、勇気をもって話し、証言を与えてくれたすべての女性被害者に対して、特別報告者ははじめに心からの感謝をささげたい」(『クマラスワミ報告書』)


日本政府は、「尊厳の回復」に耳を傾けず、
国民から募金を集め「償い金」を被害者個人に配ろうとした。

《「女性のためのアジア平和国民基金」の代表が自宅(金学順さん)を訪問した際の、反応》

「自分が名のり出て証言したのは、お金のためではない。
 日本の人は真相を知らない。
 事実を知らせて、本当に責任を認めて、二度とこのようなことを繰り返さないようにするためだ」

◎ 本当に目を向けなくてはならないことから、目を背けようとうする、安倍首相や報道はしょうがないな。

 

『民主主義』と『修復的正義』

強制連行の有無にこだわる議論に共通するのは、
被害者女性たちの声を 尊厳ある人の声として扱わないことである。

民主主義とは、
尊厳が踏みにじられ続けている状況が放置されていることを許さない
完全ではない現在のわたしたちの人権状況をつねに改革していくところに、その本質がある

わたし
は、民主主義を、
じっさいには平等でも自由でもない諸個人が
それでも平等に扱われることを求めたさいに、
一つひとつ制度を精査し、批判的に現状を捉え、
改革していく政治システムだと考えている。

修復的正義」という概念
わたしたちが構成する社会には、
強者と弱者、権力者と無力な者、社会的に烙印を押され続けた者たちが存在している。
つまり
社会は不平等で、不正義を許容してきたし、現在もそうである
という事実から出発する。

つまり、
被害者は、
平等な存在としては認められてこなかったからこそ、被害にあったのだ

マーガレット・ウォーカー(合衆国の倫理学者)
「被害者を、屈辱や侮蔑から解き放つことは、修復的正義に賭けられている、まさに核心である」

被害者への修復にとって、
「善意や慈悲」からなされる行為はふさわしくない。
なにが修復にふわわしい条件なのかは、
「修復のためにとられた手段が正義によって要請された行為を意味することと、密接に関連している」

ウォーカー
日本政府が「慰安婦」問題への対処として提示した「国民基金」を、むしろ、「嫌悪を引き起こさせる、侮蔑的な意味を帯びる」手段として、修復的正義が挫かれた典型例であると、厳しく批判している。

加害者の「謝罪」がもつべき条件
1 「償われるべき『被害』があったこと」を認めていること
2 「正義を為す意図があるころ」
3 「当然果たすべき責任がある」と認めること
この三点から、謝罪が「慈善・善意・厚意から発しているのではない」ということは、とりわけ強調されなければならない。

しかしながら、
安倍政権はいくども、河野談話は「善意」であったと繰り返している
つまり、
日本政府が唯一負っていると主張する道徳的責任は、果たすべき義務のない「善意」であり、慈善であり、だからこそ、被害者の訴えに耳を貸さないのだ。
あくまでも、
被害者を同等な尊厳ある人として扱おうとしないこの態度は、日本政府が、一人ひとりの人権が尊重されるべき国際社会に属する対等な構成員として被害女性を認めず、むしろその人格を貶めていることを意味している。

以上により、
「慰安婦」問題がわたしたちに突き付けているのは、
過去の歴史認識の問題であるというよりむしろ、
現在の民主主義のあり方なのだ

もっとも社会的に弱い立場にあったからこそかつて国家暴力に晒されてしまった女性たち
--その多くが、植民地支配の下での朝鮮半島出身の女性--
に対等な人格を認めようとせず、
加害責任を問われている政府が、善意で謝罪をしていると公言しても許容される社会を
わたしたちは作り出している。

謝罪は、
加害者が被害者を尊厳ある人として認めるなかでようやく成立する。

被害の回復、正義の回復は、
かつての被害者とともに国際社会を構成していこうという、
民主主義的な意志のなかでのみ、
実現されるであろう。

市民の力が今試されている


ジェレミー・ウォルドロン(合衆国の政治思想家)
よく秩序だった社会」とは、「あらゆるひとが、正義というまさに同じ原理を受け入れ、そして他のすべての者たちもまた受け入れていると知っている」社会である。
尊厳
という哲学的で難解な用語についても、
公的な場、すなわち公道やお店などで
社会を構成するメンバーとして他の者と同様に扱われること
と論じている。


◎ 民主主義が、生きた概念として、むくむくと動き出して、私に勇気を与えてくれるような気がした。
  民主主義というものは、政治の動かし方の一つの約束事としてのルールのようなものではなく、人間として生きることの中心に据えられるような、生き方の芯になるようなものであるのだ。
  この時代に生きる私たちが、これまでの先祖達の努力によって、どれだけの民主主義の力を人間のものにしているのか。そして、私たちは、そのレベルに進めることが出来るのか。未来の人類にどれだけのものをバトンタッチ出来るのか、という視点を与えられた。
  民主主義の発展の中の概念として、「尊厳」というキーワードが、ずしりと収まった。
  『修復的正義』も、民主主義の観点から、社会事象を捉える時の、重要な視点を授かった思いだ。
  民主主義の真髄にある、「平等」をカチッと表現している。

◎ 『正論』などが、「慰安婦特集」を組んで、被害者が「汚い売春婦だ」ということを、一生懸命主張している。人権、尊厳、正義、民主主義とかけ離れた人間がうごめいている。『世界』の仕事は、人間を守る仕事でもあるのを実感する。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

李信恵×安田浩一 「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」を読んで

2014-11-29 14:14:37 | 日記

『世界』2014年11月号

●  李信恵×安田浩一 「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」を読んで

                              須山敦行

◎ ネットなどで、ひどい発言の仕方をする人がいることは、驚きながらも、知っていた。
  「こんなことが、ネット上には起きているんだよ」と、ネットが苦手なお年寄りの友人に知らせていたりした。
  そんな具合で、「ヘイトスピーチ」のことは知っているように思っていたが、そんなものではなかった。
  現実に「ヘイトスピーチ」を浴びせられている当事者、被害者の声を聞かされて、現実を生々しく深く認識することが出来た。
  知っているように思っていたが、本当はそんなもんじゃないと知った。

◎ 信じられないようなことが、現実に起きている。
  あの戦争中には、今から考えて、信じられないようなことが、起きていた。
  つまり、戦争中の特別なことが、今、私たちの回りで現実化しているのでは。
  現実化しているのだ。
  アンネ・フランクの悲劇は、過去のことではないのだ。
  「ヘイトスピーチ」を巡って、日本に生じている状態は、恐ろしいものなのだ。
  今を知ることが出来た気がする。

◎ この問題に対して、私たちの政府は、どのような対応をしているか。
  どのような位置に立とうとしているか。
  そこで、私たちは、どのように行動すべきか。
  被害者との関係の中で、自分はどう立って、どう行動すべきか
  大いに考えさせられた。
  


事実

昨年はほぼ一日に一回のヘイトデモが行われた

ヘイトスピーチの本質

安田の体験

13年2月24日、大阪鶴橋(在日コリアンが多く暮らす)での在特会のヘイトデモ
顔が知られている李さんが名指しで誹謗中傷されることがなく、ほっとして李さんに「よかったね」と言ってしまった。
李さんは表情を歪めて、泣いて、
「死ね、ゴキブリって私はずっと言われていたやんか、あれは私に向けられた言葉やないの?」と。
そう言われて初めて気がついた。
ヘイトスピーチは「言葉の暴力」と考えていたが、暴力そのものだと実感した。
ヘイトスピーチは暴力そのものであり、被害者を生み出しつづけている
「死ね」「殺せ」という言葉は、沿道にいる人にも聞こえてくる。
その中には在日コリアンもいます。
被害者を量産していくもの

◎ つまり、安田は、李さんの涙に触れて初めて、傷つけられている当事者の傷、痛みを実感したのだ。

 

なぜ提訴に踏み切ったのか

李信恵は今年8月、ヘイトスピーチを繰り返す「在日特権を許さない市民の会(在特会」と同会の桜井誠会長、ネット上のブログ運営者に損害賠償を求める訴訟を起こした。

・13年2月11日にツイッター上で
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も追い出そう。んでこういうの(李信恵のこと)は殺ろう」という書き込みがあり、調べていくと、書き込んだのはある在特会のメンバーだということがわかりました。
・在特会会長の桜井誠が私(李)に対して五寸釘を送りつけようという話をしていた
・ネット上で中傷してきた相手は女性器のアップ写真を送りつけてくる

ネット上の「まとめサイト」と言われる「保守速報」の管理人もあわせて提訴
・それは、差別で金を稼いでいるから〈李〉
 差別的な文言を連ねてアクセスを集めて、アフィリエイト、つまりネット広告などで金を稼いでいる〈安田〉
・ネットに差別を書き込んでいる人間だけでなく、それを煽動してきた人間を訴えなければならない〈李〉
・匿名の人間が投稿する差別的な動画によって新たな被害が生まれているという事実への想像力と危機意識が、動画サイトの運営会社などに欠如している。〈安田〉

◎ この提訴について、安田は、
 「なぜ被害者がさらに矢面に立たなければいけないのか。
  提訴が勇気ある行為だという評価が多数あり、それに私ももちろん同意はしますが、
  私たちの社会はなぜ被害者が矢面に立たないと問題が解決できないのか。
  忸怩たる思いです。」
  と言っているが、注目すべき問題点だと思う。

 


国家を借りてきて話をする風潮

〈李〉(在特会やチャンネル桜について)「美しい日本」を自賛して、「保守」を自任し、「国を守る」と声高に主張しながら、自分の周囲にいる人間を守ることさえできていない。彼らが在日外国人やホームレス、シングルマザーといった社会的弱者に目を向けることはありません。
〈安田〉国家を代弁することは簡単で、誰にでもできる一方、地域社会や身の回りで本当に困っている人に目を向けることはきわめて難しい。身近な問題に目を向けることなく、国家を借りてきて話をする人が増えているように思います。
 「保守」を自任するのであれば、地域社会をいかに立て直すかから始めなければならないのに、なぜか国家から語り起こす。それによって脆弱な自我をかろうじて保っているという人があまりにも多すぎます。


◎ この「国家を借りてきて話をする人」という言葉に惹かれた。
  そんな風潮が大手を振っていくような世の中になると恐ろしいのということだ。
  肝に銘じて置きたい言葉だ。

 

 

すべてのマイノリティが標的とされる

在日中国人、生活保護受給者、障がい者、水俣病患者、被爆者
ありもしない「被爆者特権」という言葉まで飛び出す。

これは、社会的弱者とされてきた人や、戦後民主主義の中でぎりぎりの権利を守ろうと運動してきた存在に対するバックラッシュだと私は考えています。
彼らはマスコミ批判も含め、戦後民主主義的な存在へのバックラッシュの波に乗っているのです。

現在の最大の問題は、
こうした在特会的な発想を後押しするような社会的雰囲気があることです。

 

◎ 「~特権」という言葉もキーワードだ。
  李さんが呼び掛けている、マイノリティ間の横の連帯は、大切な視点だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《 11月号 私の注目した三点 》

2014-11-22 18:53:55 | 日記



《 11月号 私の注目した三点 》

● 巻和泉   ・「安倍政権の一五教育法と教育現場」 池田賢市・大森直樹・平山瑠子
         ・「『アベノミクス』化する社会」 内橋克人
         ・「朝日バッシングの背景と本質」 青木 理

● 須山敦行 ・「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」 李信恵×安田浩一
         ・「日本軍『慰安所』はなぜ、軍事的『性奴隷制』であるのか」 岡野八代
         ・「安倍政権の一五教育法と教育現場」 池田賢市・大森直樹・平山瑠子

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安田浩一さんのことばをふたたび考えてみました  吉田 等

2014-11-15 21:54:23 | 日記

安田浩一さんのことばをふたたび考えてみました     
                                                                         吉田 等

「私たちの社会はなぜ被害者が矢面に立たないと問題が解決できないのか。」という安田さんの言葉について、どういうことか再度考えてみました。

たとえばいじめを受けている子が加害者に「いじめをやめてくれ」と言うことができればいいけれど、そんなことができないからいじめられているのでしょう。その時、周りの多くのこどもたちが、そんなことはやめなよと言えたら大きな力になることはまちがいない。しかし、周りのこどもたちがそれを言えない状況が多く存在することが問題なんだと思います。そして、いじめでいえば「被害者は矢面に立」つこともできず、多くの場合、「自殺に追い込まれ」た後で初めて…という悲痛なことになっています。安田さんの言葉は、「私たちのクラスはこういうクラスでいいのか」ということばと同じだと思います。

11月10日の日中首脳会談の折に習主席は「歴史問題は13億人の中国人民の感情に関わる」と述べました。「また言ってる…」とか「まだ言ってる…」、「大げさだ」と受け止めてしまう日本人も少なくないでしょう。やはり、被害者の心情を深く受け止めることは難しいことですが、しかし、それを受け止めようとすることが私たちの側がしなければならないことだと思います。日中国交回復が実現できたときに、また村山談話が出されたときに、やっと少しは軽くなった心は、何回もの首相の靖国参拝によって逆戻りしてしまうのだと思います。言葉が行為によって裏切られ、信頼できないものになってくる、その失望や幻滅や怒りは、かえって前より強まるかもしれません。ヘイトスピーチは「心臓を抉るような」と捉えた安田さんのこころを私たちのものにしたい。

 秋季例大祭に靖国参拝をした有村治子大臣は、他国からとやかく言われるような問題なのではないという意味の発言をしました。日本が、東京裁判に従い、サンフランシスコ条約で国際社会に復帰する前提の言わば国際公約に違反する行為だから、関係国が「とやかく」言うのは当然のことで、日本の大臣がそういう発言をするというのは「なんにも分かってない」ということになります。

しかし、靖国参拝を自粛せよという理由の中には、中国や韓国の面子をつぶすからとか、観光や貿易に影響が出て経済的損失が大きいから、というものもかなりありますが、それは「被害者を矢面に立」てるということでしょう。被害者の心情を自分の損得に利用していると言ってもよい。平和に生きようとする日本人だからこそ、戦中は戦意高揚、戦後も戦争賛美、侵略戦争正当化をする靖国神社への参拝は許せないのだと、日本国民として言うべきだと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」を読んで 吉田 等

2014-11-14 18:09:50 | 日記

「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」を読んで  

     《  李 信恵×安田浩一  「世界」11月号 》  

                                           吉田 等

☆ 安田さんは89頁で、ヘイトスピーチを「言葉の暴力」と考えていたが、そんな生易しいものでなく、暴力そのものだと初めて実感した、と言っています。なぜ「暴力そのもの」と言ったかというと、ヘイトスピーチは「ある意味で肉体的な傷より深く心臓をえぐるような行為」(90頁)だと痛感したからです。

安田さんは、鶴橋のヘイトスピーチに対するカウンターデモに李さんと共に行った際に、彼らに顔を知られている李さんが直接的な攻撃を受けるのではないかと恐れていました。それがなくてほっとした安田さんが思わず「よかったね」と言ってしまったのに対して、李さんが何が「よかった」のかと涙ながらに抗議した「あの鶴橋での一件」(90頁)によって、この認識の深まりが生み出されました。

そして彼は「これまでは、なぜヘイトスピーチを吐くようになるのかという取材をしてきましたが、これからはより一歩踏み込んで、ヘイトスピーチを制止するための仕事をしないといけない」と述べ、「私たちの社会はなぜ被害者が矢面に立たないと問題が解決できないのか。忸怩たる思い」だと言っています。

安田さんの、言論人としての責任とそれを担っていく決意に私はけだかさと頼もしさを感じました。

☆ 「差別で金を稼ぐ輩」(92頁)の存在は私が考えもしなかったことでした。李さんは、インターネット上の「まとめサイト」と言われる「保守速報」の管理人も提訴しましたが、それは彼が「差別的な文言を連ねてアクセスを集めて、アフィリエイトつまりネット広告などで金を稼いでいる」からです。

☆ 「カウンターは、ぎりぎりのところで在特会の暴走を食い止めてくれた」「とはいえ、主張そのものへの賛同者はまだ少なく」ない。「保守派、右翼とされる人の中にも路上で「死ね」「殺せ」と叫ぶ在特会には賛同できない」が「在日の特権――そんなものがあるはずがないのですが――には反対という主張そのものは正しいと考える人間も」いる。「このことにもっと危機感を持った方がいい」(93頁)という指摘は私もその通りだと思います。私たちはこのことをしっかり把握して、どういうことをどのように誰に対して言うのかをはっきりさせてものを言わなくてはならないのだと感じます。

☆ 安田さんは「身近な問題に目を向けることなく、国家を借りてきて話をする人が増えている」(93~94頁)と言っていますが、確かに私もそう感じています。いつごろから増えてきたのでしょう。「正義でなく国益で語れ」(産経新聞)などあまりにも露骨で、意図がはっきり見えますね。また、政策に盛んに「戦略」という戦争用語を用いたり、「撃ち方やめ」などという比喩を使うのも同じ病根でしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする