みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

愛の対話

2017年06月16日 | 雅歌

雅歌 1章

 きのうの当地はカトリック教会の「聖体の日」で、祝日でした。ドイツでは全国一斉の祝日ではなくて、カトリック教会の信者の多い州では祝日、そうでない州では平日です。私たちは、中心部まで歩きました。繁華街のお店は一部のカフェやレストランを除くとすべてお休み。人でも多くありません。ですから、いつもよりもゆったりすることができました.けれども、公園にはたくさんの人。貴重な太陽をこの時期に…とばかり、多くの人が日光浴をしていました。

 「みことばの光」では、きょうから雅歌を読みます。「雅歌を読む前に」には、雅歌についてのさまざまな解釈を紹介しながらも、「語られていることばを自然に受け取ることが大切」と書いています。ですから、男女が互いに相手を向いて、人格的に性的に互いの愛の関係を築こうとする過程が描かれています。

 1章を読んで思ったのは二人が対話をしているということです。まだ二人は結婚には至っていないのでしょう。けれども、互いに相手の美しさや素晴らしさを賛辞し合います。

 女性は「私は日に焼けて、黒いのです」と恥じらいをことばにします。この女性が自分について気にしているところです。「みことばの光」が説くように、劣等感という影を引いているのかもしれません。8節はそんな「田舎娘」をからかうエルサレムに住む娘たちのことばなのかもしれません。

 ところが男性は、彼女を「わが愛する者。…何と美しいことよ」との賛辞を惜しみません。これは、どんなにか女性を慰め、男性に近づけたことでしょうか。

 このやりとりを通して、自分を神がどのようにご覧になっておられるのかということを、改めて静に考えられるのではないでしょうか。「ああ、ダメだ!」と嘆く自分を神はどのようにご覧になり、何とお声をかけてくださるのだろうか、と。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 私を覚えて | トップ | 愛が目ざめたいと思うまでは »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。