みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

次のとおり

2017年06月12日 | ネヘミヤ記

ネヘミヤ記 12章1−26節

 土曜日のことでしたが、いつものウォーキングコースの一つの川の近くで歓声が聞こえます。何事かと行ってみましたら、若い人たちの家の数人が川に入っているのです。それほどきれいな川でないと思っていたのでちょっと驚きました。日本にいた時、夏休みに荒川の源流でキャンプをし、子どもたちといっしょに川遊びをしたことを思い出しました。川で遊ぶって、プールに行くのとは違った楽しみがありますね。

 12章27節以降の城壁の奉献式に先立って、この箇所では奉献式で奉仕する祭司、大祭司、レビ人の名前が記されます。祭司の家系に限ってみると、1—7節は大祭司ヨシュアの頃、つまり捕囚からの最初の帰還者の祭司の家系です。10—11節には大祭司の家系、その後、12−21節にヨシュアの後継の大祭司エホヤキムの頃の祭司の家系が記されています。

 「みことばの光」が書くように、歴代誌第一24章1—19節には、祭司たちが24組に分けられていたと記録されていますので、捕囚を経験してそれは22に、さらに21へと減ったようです。しかし、奉献式ではまさしくこれらの家系の祭司たちが務めを担ったと続くのです。

 私たちがキリストを信じる者として家系を問われるようなことはありません。どこの出であったとしても、私たちは一つにはイエス・キリストを信じることによって神の子どもとしての立場をいただいているということは驚くようなこと。そして、使徒ペテロが次のように書いていることを確かめて、さらに驚きます。

 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」ペテロの手紙第一 2章9節


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