みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

あれもこれも…ではない

2017年05月12日 | エズラ記

エズラ記 10章1—17節

 エズラの悔い改めの祈りは、イスラエルの大集団の涙へと広がっていきました。もちろん、エズラはそのような結果を意図して神の前で祈ったのではありません。人目をはばかることなく、私たちは罪を犯しました。だれひとりとして御前に立つことはできないと祈ったのです。

 そして、エズラの祈りは大集団の罪の告白へと広がりを見せただけではありません。罪の告白は悔い改めへと通じます。「私たちは罪を犯しました」と涙を流して告白しながら、「これからも同じことをします」とは言えないでしょう。

 シェカヌヤはエズラに具体的な行動を促します。シェカヌヤのことばから見ると、エズラはこの時、立ち上がれないほどの衝撃の中にあったということがわかります。

 シェカヌヤの提案は外国の女と結婚した者は、妻と子どもたちを追い出すようにというものでした。これは当時も、そして今はなおさら、非人情的なことだとして納得がいかないことだと考えられます。「そこまでしなくてもよいのでは…」と思うのです。「みことばの光」にも「エズラの命令は厳しいだろうか」との問いかけがあります。厳しいと思います。

 けれども、イスラエルはこの時、このようにしなければ神の民として存続できないところまで来ていた、民族としての大きな危機の中にあったのです。シェカヌヤの「今なお望みがあります」とのことばは、もしも厳しい処置を断行できるのだったのならば、望みがあるという意味なのでしょう。

 「あれもこれも…」ではなくて、「あれかこれか…」という時があるのです。

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