みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

明るくなりたいと言っても…

2016年10月18日 | ヨブ記

ヨブ記 9章21−35節

 修養会が終わり、お休みの昨日は森歩きをしました。久しぶりに訪ねた森の中は寒さを覚えましたが、鳥の鳴き声があちこちから聞こえてきます。ところが、時々私のお腹の辺りからブザーが鳴り、すると左上腕部が締めつけられます。ただ今24時間血圧計装着中です。

 「私は潔白だ」ということばから、きょうの箇所は始まります。この場合の潔白とは、神との契約に基づいて歩んでいるという意味であって、ヨブが何の罪を犯していないと主張しているのではありません。友人が神の前に悔い改めるべきではないかと責めればそれだけ、ヨブは自分の潔白を主張するのです。

 ところが、ヨブがいくら「私は潔白だ」と主張しても、「そうだ、ヨブよ。おまえは潔白だよ」と神はおっしゃってくださらないのです。ここにヨブのさらなる苦しみがあります。自分の潔白が保証されないのです。神は正しい者も罪ある者にも死を賜わるお方なのだとしたら、私はいったい…? と彼は混乱しているのです。

 そんなことは考えずに、あなたの罪を神の前に言い表すならば、神はあなたの罪を赦し、あなたは明るくなれると言われても、ヨブにとってそれは納得できる道ではありません。彼はこの問題を神との間で語り合いたいのです。潔白を神に訴えているのですが、相手が神だから自分のほうから「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」などと言うことはとてもできません。答えてくださらないのですから…。

 ここで彼の心の中に、「私たちふたりの上に手を置く仲裁者が…」との思いが湧いてきます。苦闘の中で一つの答えを見いだしつつあるのです。

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