みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

知恵はどこから

2016年11月08日 | ヨブ記

ヨブ記 28章

 きのうから、ヨーロッパにある日本語教会、集会のリーダーたちによる研修会が行なわれています。同じ場所に3週間ほど前に来ましたが、すっかり秋も深まり、というか初冬の装いです。年に一度の集まりですが、同労の方々といっしょに過ごす数日間が楽しみです。

 28章はヨブ記の間奏のような箇所だとの文章を読んだことがあります。間奏のテーマは「知恵はどこから」。友人との対話の中で、ヨブも友人も求めていたのは、知恵だったのではないのでしょうか。出来事の原因を解明できる知恵、自分を知る知恵、神を知る知恵などをこの書に登場する者たちが持ち合わせていたならば、どうなったのだろうかと想像してしまいます。

 人々が追い求める金銀や宝石などは、鉱山の地底深くに掘られた坑道の先に鉱脈があれば、見つけ出すことができます。ところが、知恵はどこに行っても、だれに聞いても見つけることができる、どこにあるのかもわからないとの答えが返ってくるとヨブは言います。

 そしてヨブは、知恵についての神のことばを記すのです。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである」と。これと似たようなことばは、箴言1章7節や9章10節にもあります。神を神として認め、敬い、従うことが知恵なのだということでしょうか。

 ヨブ記は苦難がなぜ起こるのかについて、解き明かしている書物ではありません。その意味をヨブ自身知らされていません。何が起こっても、自分ではその意味がわからなくとも、神を恐れること、神を愛することの肝要さをヨブや友人に、そして私たち読者に伝えているのだと考えます。そして、私たちが持つべき知恵は、神を恐れることから与えられるのです。

 「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです」 というコロサイ人への手紙2章3節のことばを覚えます。

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