みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私なら…

2016年10月12日 | ヨブ記

ヨブ記 5章

 夕方、買い物も含めて2時間ほど歩きました。川沿いを下って行くと、公園の中にユダヤ教のシナゴグの跡が…。この地でのシナゴグの歴史が記されている看板があり、その中に1938年ナチスによって焼かれ、ユダヤ人が殺されたとの記述がありました。この国には、いわゆる「負の遺産」を残そうとする努力があちこちに見られます。

 三人の友人の一人、エリファズの語りかけが続きます。彼はもっともなことを語っていて、「みことばの光」が書くように、ここで彼がヨブに語っているのを否定することは難しいと思います。

 私も8節の「私なら、神に尋ね、私のことを神に訴えよう」ということばを心に留めました。人が何かの課題、問題を通っているのを直接間接に見聞きし、時には相談を受ける立場にある者として、口に出すか出さないかは別にして、「私なら…」とは毎度のように思うことだからです。そして、思うのは「まとも」ことです。けれども、それが暗闇を通されている人にとって必ずしも、ふさわしい処方箋だとは言えないのです。

 きょうの「みことばの光」が書くように、実のところ、この時のヨブに適切なことばをかけることのできるような者は一人もいないのです。そして、エリファズの限界というか問題は、そのまま自分の限界であり課題なのだということに気づかされます。

 自分は人に対してどのようであるべきなのかと問われ続けるのが、ヨブと友人たちとの対話に耳を傾けることの意義なのかもしれません。

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