みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

愛が目ざめたいと思うまでは

2017年06月17日 | 雅歌

雅歌 2章

 きのうで、当地に来て満2年になりました。無事に2年を過ごすことができたことを神に感謝し、喜び合いました。

 愛し合う二人が、互いに相手の素晴らしさをたたえ合うことばが2章にも続きます。二人だけの間で交わされているとっておきの賛辞のことばを盗み聞きするような気持ちでもあります。

 女性は「私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花」と自分を譬えます。文語訳聖書は「サフラン」を「野花」と訳しています。そしてこの訳語から、「かおりたえなる シャロンの野花よ」という聖歌が歌われているのだと気づきますね。

 雅歌の中には、二人のやりとりの合間に「エルサレムの娘たち」と女性が呼びかけている場面が見られます。この女性はエルサレムの娘ではなく、田舎の女性なのかもしれません。エルサレムの娘たちは、二人のやりとりを何かの折りに心に留めて、二人をはやし立てたのでしょう。

 けれども女性は、「愛が目ざめたいと思うまでは」そっとしておいてほしいと願うのです。愛しているのなら…、愛があるのだから…と燃える思いで突き進んでいけと回りがはやしても、彼女は時を待ちます。彼女にとっての「時」とは、神が二人を結婚に導く時です。若い信仰者が伴侶としてともに歩む人と出会い、愛を深め合ってその時を待つことができるように祈ります。


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