みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

憤りに満たされて

2017年05月16日 | エステル記

エステル記 3章

 気がついてみたら薔薇の花がそこかしこで咲いています。当地では、道ばたにも小さな薔薇が植えてありますし、もちろん個人の家にもあります。道ばたの薔薇は小さめ。ところで、薔薇を写真に収めようとしますとこれがなかなか難しいのです。特に、赤い薔薇の色がなかなか見たとおりに出ません。もっとも、私の場合はiPhoneを使っているので、そんな繊細な色味は期待できないのはわかっているのですが…。実際にお目にかけたいぐらい美しいです。

 花々は美しくて見る者の心を楽しませてくれますが、人の心はなかなかのものです。3章でエステル記はユダヤ民族絶滅という危機へと事が進みます。きっかけはユダヤ人モルデカイが、ほかの王の家来たちのようにはハマンに対してひざをかがめずひれ伏さなかったことにあります。

 「みことばの光」には、王がハマンにこのような命令を出すのは、「世間にはハマンを敬う思いが欠けていたからだろうか」とあります。家来たちがモルデカイに毎日のようにハマンにひれ伏さない訳を尋ねたり、モルデカイのことをハマンに告げ口をしたりすることからしても、ハマンがどのような人物で、どのようにして昇進したのかを想像することができるかもしれません。

 ハマンは、自分にひざをかがめないモルデカイのことで、彼だけにではなくて、彼の民族をも根絶やしにしようと企てます。5節に、「憤りに満たされた」ということばがあります。彼の憤りとはどのようなものだったのかと想像します。義憤ということばがあります。道に外れたこと、不公正なことに対して怒りを覚えるという意味ですね。しかし、ハマンのそれは違ったものでした。

 生活の中で、ちょっとしたことで憤りを覚える時に、「神の前にへりくだって知恵を祈り求め」、その憤りは何に基づくものなのかと立ち止ってみよとの促しをおぼえます。

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