みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

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2017年04月24日 | ダニエル書

ダニエル書 9章

 今回は、まるで最初に読んだかのような新しい発見をしつつダニエル書を読み進めています。

 一つの超大国が崩壊してもう一つの超大国が取って代るという時代の激動期に、しかも、どちらの独裁者にもダニエルは重用されたというのです。そのような重大な局面にダニエルがいた、というのは、神がある者に力を与え、力を奪って別の者に力をお与えになる歴史の主だという印象を持ちます。私たちが歩んでいる現代では、なかなかそのようなことを認めにくいかもしれませんが、歴史は変わることなくこのお方のことばが実現するようにと動いています。

 聖書はダニエルを、「神の霊の宿る人」「神に愛されている人」などと紹介します。なぜそのように呼ばれるかの理由が、9章4−19節までのとりなしの祈りにあるように思えます。

 ここは、「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、−主の御告げ−またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする」エレミヤ書25章11−12節のことばによって知ったダニエルは、民のために祈ります。

 彼は、「彼らは罪を犯しましたが私は違います」とは祈りません。彼の祈りは一貫して「私たちは罪を犯しました」「不面目は私たちのもの」と祈ります。彼は大きな権力者の圧迫の中にあっても、自分のいのちをかけて主に従い通しました。ですから、「私は従いました」と祈ることもできたかと思うのですが、そうはしません。

 「あの人たちは」「この国は」と、気づかないうちに他人事のように突き放している自分を恥じよ、と迫る祈りです。

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