みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

だれのために

2017年03月21日 | ゼカリヤ書

ゼカリヤ書 7章

 「見かけと中身とは違う」となると、食べ物でも何でもがっかりします。日本では蝋(ろう)で精巧に作った「食品サンプル」というものがありますが、サンプルを見て注文してみたらずいぶん貧相に見える料理だったなどということがあります。食べ物ならば、「まあ、いいか」と思って終わりでしょうか。けれども、人となると厄介なものです。宗教に対して警戒心を抱いたり失望したりするというのは、よいことをいっているのだが、実際にやっていることを見たらというようなことが度々あるからなのかもしれません。

 イスラエルの主要な人々がバビロンに捕囚された七十年の間、人々はいつも以上に断食をしていました。ベテルの人々は、捕囚から帰還しエルサレムには神の宮が建て直されようとしている今、自分たちはいつまで断食して泣かなければならないのかと、エルサレムの祭司や預言者に尋ねさせました。

 ゼカリヤによって主がお答えになったのは、あなたがたの断食も、その他のものも、だれのためにしてきたのかということでした。結局は自分たちのためでなかったのかと問われたのです。

 見せかけは良くても、実際はそうではないということにすぐにはまり込んでしまうのですから、「だれのために…」というのは、何事かをする際に常に自分に、自分たちに問い続けなければならないことです。どうすれば…。神は私に語ってくださると信じ、聴き続けることが自分を偽善の罪から守る一つではないでしょうか。

 「みことばの光」の祈り:「主よ、私を表面的な信仰や偽善からお守りください。自己中心的な信仰から私を自由にして、あなたのために実を結ぶ人生を送らせてください。」

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